村上春樹『パン屋再襲撃』解説|非現実的で不思議な、襲撃の結末は?

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解説

まるで心理療法のような、パン屋再襲撃のお話。

妻の空腹と僕の空腹が同時に起こり、妻はかつてない空腹、僕は十年前と同じ感覚の空腹です。

そこで妻は、十年前の僕の空腹の感覚がまだ続いていて、自分も同じ状況になったと考えます。

果たして僕は、過去のパン屋襲撃の話を妻にしたことが正しかったのかと思いますが、話してしまったことは、話してしまったことだし、それが原因で生じた事件は、既に生じてしまったんだと考えます。

それは若い頃に、我慢できない空腹からアウトローに走りパン屋襲撃を謀ったが、店主の提案を受け入れワグナーの音楽を聴くことと引き換えにパンを食べたという話でした。ここで大切なポイントは、

アウトローの目標が達成できず、襲撃でなく交換に終わったこと。そのことが呪いとなったことです。

妻は僕の話を聞いて、中途半端な襲撃に終わったので呪いがかかったままだと言うのです。そして呪いは妻にもかかり、それを解くためには今すぐパン屋を再襲撃しなければならないと主張します。

十年前の空腹は僕と友人の問題だったけれど、今回の空腹は夫婦の問題なので、今回は二人で解決する必要があるとのこと。その理由は、今は妻が僕の相棒だからと言います。

そしてこの呪いをすぐに解かないと、今後の結婚生活にも影響するのだと言います。

僕は「特殊な飢餓」をイメージします。それは妻との会話で僕の頭にはボートが浮かび、ボートから海底火山を覗くと、どんどん近づいたり、距離が無くなったりしています。静かな洋上に浮かぶボートは、一見には、事件のない平和な日常のようですが、海底火山の出現や、その距離が近づいてくるのは、感情の爆発の予兆でしょうか。

一作目の「パン屋襲撃」での空腹の解決方法は間違いだとする妻とは、まだ結婚二週間で食生活の共通認識のない状態。僕は平静を装いますが、意識の底には微妙な心理が揺らめいています。

こうして妻の考え方に連動して、ボートからのぞく海底火山も変化します。

二作目の「パン屋再襲撃」ではパン屋ではなくマクドナルドを襲撃します。

最初はマニュアル範囲外の行動に店員は困惑しますが、保険にも入っているからと、最終的には淡々と30個のビッグマックを手渡します。

一作目も二作目も、パン屋を襲うことは達成されません。襲撃で想定したアウトローの “恐怖” の醍醐味も成就していません。

友人と僕の襲撃は、<パン>と<ワグナーを聞くこと>という受動の交換で終わる。

妻との僕の襲撃は、<パン>と<ビッグマックを30個>という能動の代替で終わる。

妻は空腹を満たし眠りにつき、僕の海底火山は見えなくなります。一応は、二人は和んで平常な状態になったようです。それでも、夫婦にかかった呪いが完全に解消したのかどうかは分かりません。

“特殊な飢餓” は4つで、状況次第で変化します。

この “特殊な飢餓” を映像で表現するとすればと、以下の4つの状況が示されました。

➀  僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。
② 下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。
③ 海面とその頂上のあいだはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところは分からない 。
④ 何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ。

「深夜レストランなんか行きたくないと」と妻に言われ、僕に浮かんだイメージは①②③④でした。

それは啓示的で、夫婦の関係に起こる変化を示唆しています。そして妻との会話や、眠気との戦いの中で、①②③④のイメージが現れては消えます。

パン屋再襲撃によって、僕と妻の二人の共同作業は十分に達成されたのでしょうか。

マクドナルドは、パン屋じゃないが、パン屋のようなもので、妥協も時に必要だ。

パン屋のパンのように手作りのいろんな種類を楽しめないけれど、ビッグマック30個という圧倒的な個数とボリュームで、妥協して満足を代替えしようとする妻の考え方。

不思議な村上文学の世界です。「パン屋襲撃」の続編が、「パン屋襲撃」です。

二つの作品を読むと、ともに襲撃でパンを獲得することはできていません。一回目は、音楽を聴くことでの”交換”、二回目はビッグマック30個での“代替”です。

それでも、海底火山の姿は見えなくなりました。

僕と妻、二人の食生活の共同認識は、少しは深まったのでしょうか。

この作品が暗示するものは完全一致は不可能であり、相手の認識と行動を尊重し、啓示と捉えながら自身の感情をうまくコントロールするという夫婦生活の教訓なのかもしれません。

Bitly

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作品の背景

1981年の「パン屋襲撃」の続編が、1985年の「パン屋再襲撃」です。「パン屋襲撃」を謀ったアウトロー志望の若者も大人になり今では社会人として働き結婚しています。しかし結婚2週間という時期に、10年前のあの不思議で理不尽な空腹が襲ってきます。

平穏な夫婦生活のために再び襲撃を行わざるをえなくなる。前回は、ワグナーを聴くことでの交換行為だったが、今回は、どうなるかという話です。2つの作品を読むと、繋がりは分かりますが、それでも正確な作者の意図は解りません。

この作品が暗示するものは何なのか、不思議な気分にさせてくれる村上春樹の世界です。

発表時期

1986年(昭和61年)4月、文藝春秋より刊行された。1989年4月、文春文庫として文庫化。初期の傑作全6編の表題作。初出はマリ・クレール1985年8月号。村上春樹は当時37歳。後の2013年にドイツ人の女性イラストレーターであるカット・メンシックにより「絵本」となる。そこでタイトルも「パン屋を襲う」と「再びパン屋を襲う」に改題され、新潮社より2013年(平成25年)2月刊行される。