この作品は、15歳の危険な思春期をいかに乗り越えるかが主題です。
「心」と「体」のバランスが崩れる年頃、感受性が鋭く繊細で、反抗的。精神分析学者フロイトの提唱した「エディプス・コンプレックス」の概念-幼少期の男子が抱く父親への敵意と母親への愛着―という抑圧からいかに浄化されるかという成長物語です。
春樹さんらしく、たくさんのアフォリズムをちりばめ、<こちら側>と<あちら側>を往還しながら、心の歪みと衝動を克服していく過程を幻想的に描きます。
作品理解のために、「心」と「体」を、「魂」と「肉体」としても捉えます。「肉体」は、物質ですが、「魂」は霊的で、ときに「幽体離脱」のように肉体から意識が離れる状況が、起こったりします。
「影」も同様に、半身の場合は、「心(魂)」と「体(肉体)」が分離した抜け殻(空っぽ)の状態で、一体となる必要があります。
以上を踏まえながら、表層意識や深層意識、現実世界と仮想世界に読者も 漂いながら、メタフォリック(比喩的)な感覚で読み進んでいきます。
メタフォリックは、もともとギリシャ語「metaphora」(転送、転義)由来の言葉で、「他のものを通じて何かを表現する」という意味を持ちます。
ゲーテは、「世界の万物はメタファーだ」って言っています。
英語版『Kafka on the Shore(カフカ オン ザ ショウア)』は、「ニューヨーク・タイムズ」紙で年間の「ベストブック10冊」および世界幻想文学大賞に選出されました。世界の村上春樹は、多くの国で翻訳され、多くの人々の心に問いかけています。
危うい少年、カフカ
作品は2002年の発表です。当時を振り返ると・・・
狂乱のバブル崩壊後の日本は、未曽有の阪神淡路大震災(1995年1月)が発生し、カルト教団による地下鉄サリン事件(同年の3月)が起き、2年後には、残忍な神戸連続児童殺傷事件(1997年3月)がありました。犯人が、14歳の少年だったことが人々を震撼させます。
冒頭に「カラスと呼ばれる少年」―彼はカフカの心がつくった“架空の友達”―ですが、運命を砂嵐に例えます。君は嵐を避けようとするができない。なぜなら嵐は君自身で、君の中にあるから。だから君は、嵐の中に足を踏み入れて通り抜けるしかない。
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。そしてそのためには、ほんとうにタフであるというのがどういうことた?」(カラスと呼ばれる少年_上_飾り罫)
思春期の危うい「心」と「体」。 他人も自分も損なわれ壊れそうになる。
カフカ少年は、父から「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と姉と交わることになる」と予言され、呪縛から逃れようとしますが、運命はつきまといます。
現実には、呪いは成就しませんが、メタフォリカル(比喩的/象徴的)に、行われます。
カフカは、自分に組み込まれた予言装置(呪い)が作動する前に、父親から離れるために、家出を決行します。
できるだけ遠いところを目指して四国にする。15歳の誕生日をバスの中で迎え、高松につき、小さな図書館を訪れる。
磁場としての図書館
図書館は、知の集積であると同時に、思索の場です。
物語の核となる“甲村記念図書館”は、時空を超えたトポスであると同時に、磁場の働きをしており、人々は此処に呼び寄せられます。
カフカ少年は中年の美しい館長、佐伯さんが自分の母親ではないかと思う。司書の大島さんはカフカにとって、よき理解者でありチューターの役割のようです。
やがて、図書館で働くことになり部屋を用意してもらう。カフカは図書館の一部となります。
カフカもまた時空を超え、磁場に引き寄せられたのです。こうして、謎多き過去のある佐伯さんと、血友病で、性同一障害の大島さんと語らいながらカフカは大人へと成長していきます。
「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わる」なんて、不条理の極みですが、思索することで、運命を乗り越えなければなりません。
予言装置―それは<暴力>と<性>の呪いです。作動すれば人生を破綻へ導きます。カフカには、遺伝的に強い多重人格に引きこまれる性質があります。芸術家だが暴力的な父親と、その血を引くカフカを嫌って、4歳のときに息子を捨てた母親)。母は養女の姉を伴って姿を消しました。
「自分は母親に愛されていない」という心の痛みは、カフカに生きる意味を失わせます。
損なわれたナカタさん
もう一人の主人公は、猫と話すことができる60歳のナカタ老人です。ナカタさんは、ある出来事がきっかけで、記憶を失くし奇妙な人生を送っています。
カフカ少年は、運命の呪縛との闘いの物語、ナカタ老人は、魂の喪失からの回復の物語、この二つが奇数章、偶数章とパラレルに進行し、最後に繋がります。
ナカタさんは、知的障害で読み書きができません。その経緯が冒頭に記されます。
そこには戦争が人間の幸せを奪い、心が壊れていく様子が、小さな物語として、若かった女性教師の人生が語られ、同時に、幼かったナカタ少年が被害者となり、完全に心(魂)が失われた背景が描かれます。
太平洋戦争の只中(1944年)の出来事でした。終戦まじかの国民学校、都会から疎開してきたナカタ少年は、先生や級友たちと一緒にキノコ採りに小さな山(お椀山)にいたところ、空に煌(きらめ)きが天啓のように現れ、飛行体を見ます。
直後、子供たちは意識を失います。まるで集団催眠のように。皆は2時間分だけ記憶が欠落しますが、一人、ナカタさんだけは3週間、意識が戻りませんでした。
なぜこのようなことが起こったのか? 学校や医者、軍関係者も丹念に調べましたが、理由は分かりませんでした。
28年を経て、新しい事実が出ます。当時、26歳だった引率の女性教師が告白したのです。前夜に、戦争にとられた夫を思い性的な夢に興奮し、当日、突然の生理に襲われ、森に捨てた血に染まった布をナカタ少年に発見されたことで、恥ずかしさのあまり酷くぶったことが隠されていたのでした。
ナカタ少年は頭の良い子でした。親は大学の教師で所謂、エリート家庭です、しかし、父親から酷い暴力を受けていました。親から離れ、疎開先の森の中で、たくさんの「血」塗られた布を見つけ、先生に届けると、女性教師は豹変し、倒れるほどにナカタさんはぶたれたのです。
深い怯えと諦めで、ナカタさんの心は完全に損なわれ壊れます。
「ナカタはあまり頭がよくないのです」というのがナカタさんの口癖ですが、猫さんに言わせると「あたまが悪いんじゃなくて、影が薄い」状態のようです。
不気味な閃光、血の記憶、激しい暴行。
この出来事は、ナカタさんの人生を奪ったのでした。
ジョニー・ウォーカー殺し
カフカ少年が、もう一人の自分という別人格が現れるのに対して、ナカタ老人は、空っぽで鍵のかかっていない空き家と同じです。
入り口の蓋が開いたままなので、何だって、誰だって、自由に入れます。ナカタさんは、悪霊に入れ物として肉体を利用されます。
ナカタさんは、迷子の猫を探していた時に、可愛い猫たちが無残に殺される暴力に直面し、猫殺しのジョニー・ウォーカーの要求に従い、彼を殺すのと引き換えに、三毛猫の命を救います。
ジョニー・ウォーカーは悪霊であり根源的な<悪>です。<悪>が、ウィスキーラベル(外側)を借りて、中に入っている状態です。
これ以上、猫を殺されたくなければ、君が私を殺すしかない。立ち上がり、偏見をもって、断固殺すんだ。それも今すぐにだ。
ナカタさんは、ナイフを突き立てます。
「そうだ、それでいい」と叫び、「躊躇なく私を刺した。お見事だ」と倒れながら、ジョニー・ウォーカーは、はははははははと笑い続ける。
ジョニー・ウォーカーは、ナカタさんに自分を殺させます。ナカタさんは、体が勝手に動いていました。しかし、不思議なことに、空き地で目を覚ますと、服には血がついていません。
このとき、<悪>は、空っぽのナカタさんの<体>のなかに入ります。
その二日後、
「彫刻家、田村浩一氏が、自宅の書斎で刺殺され床は血の海」
と報道されます。
刺殺された男性は、カフカ少年の父親です。
父殺しの犯人は誰か
ジョニー・ウォーカー殺しと、カフカの父親殺しの関係はどうなっているのでしょうか?こでは、肉体(外側)と魂(内側)を分けて考える必要があります。
ナカタ老人がジョニー・ウォーカーのラベル(外側)を殺したタイミングで、同時に、カフカの父親(肉体)は何者かに刺殺されています。
「お前はいつかその手で父親を殺す」の呪いに従えば、「父親を殺す」の部分は、ナカタさんを通して実行されたことを意味します。
この作品は、メタフォリカル(比喩的)な解釈で読んでいくことがお約束事です。
新聞の記事を読んで、カフカは自分の身に起こっている不思議な感覚に怯えます。
僕は夢をとおして父を殺したのかもしれない。とくべつな夢の回路みたいなものをとおって、父を殺しにいったのかもしれない」
と考えます。
これは時空を超えた出来事ではと、カフカは怯えています。
警察が父親殺しの参考人としてカフカを探しており、彼の性質を表す場面で、学校でも問題児で暴力事件を起こしており、大島さんがカフカに、そのことを訊ねると、
自分の中にもうひとりのべつの誰かがいるみたいな感じになる。そして気がついたときには、僕は誰かを傷つけてしまっている。
と答え、
僕は自分という現実の入れものがぜんぜん好きじゃないんだ
と言います。
自分の知らない、もう一人の自分が、自分の<体>のなかに棲んでいるのです。自分では制御できない自分が・・・
それでも、田村浩一氏が殺されたのは、カフカが家出をして10日後で、同じ日時に、カフカは、四国の神社の境内で記憶を失い倒れていました。
東京の中野区が殺害の現場で、カフカはそこにはいないのです。
ただし、目を覚ますと、カフカの着ていたTシャツに血がべっとりとついています。一方、ナカタさんの方は、空き地で目覚めたとき、血はついていませんでした。
「お前はいつかその手で父親を殺す」の予言に従えば、「お前はいつかその手で」の部分は、血がついていることで、カフカの仕業ということになります。
カフカは、ナカタさんの肉体を使って、ジョニー・ウォーカーのラベル(外部)≒父親の田村浩一(肉体)を、その手で殺したのです。
運命には、逆らえない約束事なので、くどいですがメタフォリカルな解釈です。
逆に、ナカタさんは、カフカ少年にアリバイを与えてくれたことになります。
<悪>は、ナカタさんにカフカの父親(肉体)を殺させ、ナカタさんの<体>に入ることで、一緒に四国に移動します。
<悪>が、カフカに乗り移れば、カフカの父親殺しは完成されると同時に、<悪>はカフカに継承され、カフカは破滅します。
そうなる前に、<悪>を退治する必要があるのです。
<入り口の石>の開/閉
ジョニー・ウォーカーの事件以来、ナカタさんは猫の言葉を話せなくなります。
次の日に、不思議なことに、空からイワシとアジが2000匹、降ってきました。それから、突然、ヒルが降ってきたりもします。これは、まるで悪魔のいたずらみたいですね・・・
ナカタさんは「普通のナカタに戻りたい」と願います。そのためには<入口の石>を探し出さなければなりません。
ここから「入り口の石」という不思議な「石」が重要なトリガー(きっかけ)となり
物語を牽引します。
この「石」は、開いたり/閉じたりすることで、<こちら側>の闇の世界から<あちら側>の明るい世界への通路の役割をしています。
日本神話の『天の岩戸伝説』における、太陽神・天照大神が岩戸に隠れ、世界が暗闇に包まれた後、神々の知恵と工夫で再び光を取り戻すのをイメージしてみるのも面白いかもしれません。
「入口の石」が「開いた」状態で<悪>が充満してきます。このままでは<悪>は居続けますので、もう一度、「開く」ことで<悪>を追い出し、さらに、これを「閉じる」ことで、元の自分に戻れるのです。最後に<悪>を退治することで完結します。
ナカタさんは、<体>に<悪>が憑りついた状態で四国へ向かいます。ある意味では<悪>を運んでいる状態です。
結果的に、ナカタさんもまた磁場に引き寄せられているようです。
ナカタさんは途中で気のいい星野青年と出会い、旅を伴にします。
ナカタさんがぐっすり眠っている間に、星野さんは神社でポン引きのカーネル・サンダースに会います。ここでピチピチのセックスマシーンを青年に紹介します。
我今仮に化をあらわして話るといへども、神にあらず仏にあらず、もとの非情なものなれば人と異なる慮あり
これは雨月物語の一節です。このカーネル・サンダースはあのKFCの店頭の人形の化(かたち)で現れます。ここでも外形を借りています。
ただ、こちらの方は、神でも仏でもなく、善でも悪でもなく、人間の感情を持たない観念的な客体とのことです。
因みに、マシーン(machine)というのはギリシャ語のメーカネーという言葉が由来です。ラテン語では「マーキナー」(machina)。ギリシャ悲劇の舞台装置で、「デウス・エクス・マーキナー」(機械から登場する神)といわれ、物事を解決してくれる神さまを指します。
だから、このセックスマシーンとの交わりを条件に<入り口の石>の在り処に、案内をしてもらえるのです。事が終わったあとで、神社の林の中で<入り口の石>を発見させ、持ち帰らせます。
なにやら楽しくて親切な霊のようです。とにかく「入口の石」が見つかったのですから、良かったですね!
ナカタさんは雷を予期します。そして<入り口の石>に何やら語りかけます。
ジョニー・ウォーカーの邪悪な霊を追い出して、半分の影を取り戻さなければなりません
<入り口の石>を開けようとしますが、重くなっていてびくともしません。
雨がひどく降ってきて、雷が鳴りはじめます。<入り口の石>からは、何本もの白い光の線が空を裂き、雷鳴が大地を芯から揺るがします、これは冒頭のお椀山の空の銀色の鮮やかな煌きが再現されていますよね・・・。
星野青年は<入り口の石>を精一杯の力を込めてひっくり返します。
これで<入り口>が開きました。
次には、開いた<入り口>は、閉じられなければなりません。


