自己の分身である鼠を失い、孤独を深める僕は、もう一度、あの場所に呼び寄せられる。69年の政治の季節、70年安保も遠い昔となり、80年代の日本はバブルの狂騒の中で方向感覚を見失っている時期だった。巨大なシステムと化した強欲資本主義のなかで、束縛されない自由な個人とはいかなる生き方なのか。<ダンス・ダンス・ダンス>と踊り続けながら喪失と絶望の迷路を通り抜け意識の内側にとじこもることなく、自己の核と繋がり、こころの震えを取り戻す物語。
登場人物
僕(主人公)
三十四歳。相棒の鼠を亡くした後、東京でフリーライターとして文化的雪かき仕事に従事する。
五反田君
僕の中学時代の同級生で、映画俳優。何をやっても優秀で際立っていて愛されている男。
キキ
前作「羊をめぐる冒険」にも登場した、特別な耳を持つ美しい女の子のコールガールの芸名。
ユミヨシさん
ドルフィン・ホテルのフロントで働く。ホテルの精のようで眼鏡が似合う美しい女性。
ユキ
ホテルで出会った十三歳の美少女。特別な能力を持つが不登校で周囲と馴染めない。
アメ
ユキの母親で箱根に住む。有名な女流写真家だが、我儘な奇行家でユキを構わない。
牧村拓
ユキの父親でヘビーデューティな冒険作家。アメと離婚しフライデーと辻堂で暮らす。
ディック・ノース
詩人でありアメと暮らし世話をする、ベトナム戦争で左腕を失うがなんでもできる。
書生のフライデー
牧村拓と一緒に暮らす付き人。名字は中村で、ユキは彼をゲイだと断言している。
メイ
キキの同僚のコールガール。五反田君のマンションに呼ばれ「僕」と寝る。
マミ
キキの同僚のコールガール。メイと共にマンションに呼ばれ「五反田君」と寝る。
羊男
前作「羊をめぐる冒険」にも登場した異界との媒介役、「僕」とホテルで再会する。
文学
殺されたメイの事件を担当する赤坂署の刑事、昔の文学青年を彷彿させ渾名される。
漁師
文学の同僚で、漁師のような焼け方をしており文学と同様に「僕」が命名する。
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あのラストとは何だったのか?そして今・・・
まず最初に、少し振り返りをさせてください。
初期三部作で、「鼠」は、主人公の「僕」の分身として描かれていました。そして『羊をめぐる冒険』で鼠は死んでしまいます。あのラストとは何だったのか?を最初に確認しておきます。
「鼠」は、根源的な悪が自分に継承されることを忌避して、羊を呑み込んだまま死んでしまいます。
そして、別荘もろとも悪は吹っ飛ばされました。
それは、僕にとっては、鼠という僕の一部であり半身を失ったことを意味します。
「鼠」とは何だったのか? それは豊かな感受性をもち自然や人間を愛する心を持つが、その清さや儚さ脆さやゆえ悪に入り込まれた存在でもあるのです。
羊という悪それ自体は消えたけれども、その代償に僕は、大切なこころの震えを失ってしまったのです。こうして鼠三部作とも言われる青春に決着をつけます。
そして所謂、デタッチメントな生き方を選びます。いや選んだのではなく、鼠を失い、感受性を失い、そうしか生きられなくなったのでしょう。
そして時代は80年代のバブル景気へ入っていきます。狂喜乱舞のなか再び、社会には新たな悪の気配が渦巻き始めています。またしても生のすぐ近くから死へと人々をおびき寄せようとしていきます。
それは強欲な資本主義のカオスが人間に襲いかかり、分裂していく自我との戦いです。
物語は鼠を失った後の空虚な僕の心象から始まります。内省的で固い殻に閉じこもり自律した個人、
そんな主人公の僕の考え方が紹介されます。
他人が僕をどのように見なそうと、僕には関係のない問題だと思う。それは僕の問題ではなく、彼らの問題だと思う。
世の中には誤解と言うものはない。考え方の違いがあるだけだ。(1章)
それが僕の考え方です。
その一方で僕の中のそのまともさに引かれる人間がいる。(1章)
自然に引き合いそして離れていく。僕の友人になり、恋人になり、妻になる。対立する存在にもなる。
でもいずれにせよ、みな僕のもとを去っていく。あきらめ、絶望し、沈黙し、そして去っていく。
部屋の中には誰もいない。僕がいるだけだ。(1章)
そして彼らが哀し気に出ていくことが辛かった。
僕はもう三十四だ。いつまでこんなことが続くのだろうと思う。そして僕は淋しさに馴れつつあった。半身だった「鼠」を失い、心の震えや愛する気持ちが無くなっていき、次第に感情も失っていきます。それは孤独になり思索の深みに入っていく状況です。
さらにひどくなれば、ニヒリズムの穴へ陥る危険を孕んでいます。
誰もが通過するだけで、心を共有できない自己。何とかそこから脱け出そうと僕はもがきます。
『ダンス・ダンス・ダンス』は、「僕」が、もういちど心の震えを取り戻そうとする物語なのです。
キキが再び、僕をいるかホテルへと誘います。
「僕」は半年間かけて、自己を回復し立て直そうとします。社会復帰。そしてフリーライターの仕事をはじめます。実にいろいろあった。
離婚した。友達が死んだ。不思議な死だった。女が何も言わずに去っていった。奇妙な人々に会い、奇妙な事件に巻き込まれた。(2章)
そして全てが終わった時に深い静寂に包みこまれていた。
これは『羊をめぐる冒険』の出来事ですね。遡れば、政治の季節を過ぎ、不信感に包まれて、言葉も感情も人の繋がりも失ってしまった空虚さのなか、時間だけが過ぎながら「僕」は生きています。
あの出来事から四年半経った。
よくいるかホテルの夢をみる。(1章)
夢のなかで誰かが僕のために涙している。夢のなかで僕はホテルの一部としてある。 あのころ僕には素敵な耳を持った美しいガールフレンドがいた。彼女は高級コールガール・クラブに所属していた。
彼女が「いるかホテル」に泊まるべきだといった。その後、彼女はいなくなった。羊男は<彼女は行かなくてはならないこと>を知っていた。(1章)
彼女の求めを、泣き声を、僕は夢の中で聴ききます。 その声は、まるで「いるかホテル」から発信されているようです。
こうして再び、キキによって物語が動き出します。キキが僕を再び「いるかホテル」に呼ぶ。彼女がスターターのキーを握っている。(3章)
主人公はキキの行方を捜すことにします。キキと再会することが、もう一度、自分を取り戻すきっかけだと考えるのです。
羊男と再会し、ここが繋がりで結び目だと言われる。
1983年の春。飛行機で北海道に向かう。僕の「いるかホテル」はすぐに見つかった。26階建ての巨大ビルディング「ドルフィン・ホテル」という豪華なシティホテルになっていた。
それは黒い手がうごめくカオスの権化であり、大きなシステムの尖兵の役割をしていた。
フロント係の眼鏡の似合う、ホテルの精のようなユミヨシさんという二十三歳の女性と親しくなるが、彼女はホテルの十六階で真っ暗闇の不思議な体験をしたと僕に打ち明ける。彼女は魅力的だが精神的にやや不安定なようだ。
僕も同じ体験をした。完璧な暗闇は入口も出口も見えない。自分自身の体さえ見えない黒色の虚無だ。自分の存在が観念的に見え、肉体から解放され、悪夢と現実の奇妙な境界線を彷徨う。
そして何かが近づいてくる。僕は繋がっていると思った。
「待ってたよ」とそれは言った。「ずっと待っていた。中に入りなよ」(10章)
そこで「羊男」と再会する。羊男に導かれるように自分のことを話す。僕は何処にも行けないままに年をとりつつあること。誰も真剣に愛せなくなってしまっていること。心の震えを失ってしまったこと。何を求めればいいのか、分からなくなってしまっていること。
それは鼠という半身を失った僕が、情動を失い空虚であることを意味する。感情を失って誰とも繋がれない状況である。
そして、かろうじて繋がっているのはこの場所だと思っている。なんとかもう一度、世界と繋がろうとする「僕」に、羊男は言う。
「ここがあんたの場所なんだよ。それは変わらない。あんたはここに繋がっている。ここがみんなに繋がっている。ここがあんたの結び目なんだよ」(11章)
ここが結び目だという。そして羊男の役目は配電盤みたいなものだという。ここは僕の表層意識と深層意識あるいは現実と非現実、喪失した過去との結び目なのだ。
羊男から先の世界は、今は訪れてはならない世界
僕を主体とすれば<こちら側>の世界は、表層の自我の世界。強欲な高度資本主義社会で、僕がデタッチメントに生きている現実の世界です。
対して<あちら側>の世界は、僕の半身の鼠の世界で、そこには感情や情念など豊かな感受性もありますが、喪失と絶望の深い暗闇で、死へと招き寄せられる黒色の虚無でもあるようです。
「鼠」を失い、デタッチメントな日々を送る「僕」は、もう一度、心が震える状況をとりもどすために、みんなに繋がる必要があるのです。
<あちら側>にある感情や情念などのパトスと繋がる必要があるのです。
貪欲な資本主義社会の権化である「ドルフィン・ホテル」ですが、十六階だけは、僕が名付けた「いるかホテル」の状況のまま残されているのです。
そこは<こっち>と<あっち>の結節点となっているのです。どんなに現実が変わっても、遠い潜在意識の風景が記憶に映し出されるように・・・。
ユミヨシさんも同じように、その歪みに引き寄せられそうになったのでしょう。
そして、二つの世界を繋ぐ管理人として「羊男」が棲んでいて、「僕」が来るのを待っていたのです。僕がもう一度、繋がろうとすると羊男は「そのためにここがある」と言い、「とにかく踊るんだ」と言う。
こうして「僕」は、キキ捜しを始めます。羊男は、次々に僕に不思議な繋がりを提供します。
「僕」は、その結び目を確認しながら再び人を愛する感情を取り戻していきます。