井伏鱒二『山椒魚』解説|悪党になった山椒魚と、悟りをひらく蛙。

頭でっかちの悲劇

「山椒魚は悲しんだ」彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。

引用:井伏鱒二 山椒魚

「 頭が出口につかえて外に出れない・・・ 」とは、これはもう絶望的。その後の展開を暗示するように、一気に引き込まれる冒頭の書き出し。棲家の穴のなかに二年間とは長い。思考の穴の中にじっと潜むと、世間に疎くなり、まさに頭でっかちになる。そして外に出れなくなった結果、次第に性格が悪くなっていき、たまたま紛れ込んだ美しい蛙に意地悪な挙に出る。蛙を穴に閉じ込め、同じ運命に引き込んでしまいます。

ところが、蛙は毅然と戦う、そしてついには悟りを開き、最後は山椒魚を思いやりながら死んでいく。残された山椒魚は、ひとり孤独な死を待つのみとなってしまいます。寓意に満ちた作品です。

あらすじ


山椒魚は、岩屋のなかで二年間、棲んでいました。そして外に出ようとしたら、頭が大きくなっていて、出れないことに気づきます。「何たる失策か」と思い、ただただ狼狽します。

これまでは岩屋の出入口に顔をつけて、外の光景を見るのが好きでした。

岩屋の中から、水底の叢の藻が水面まで一直線に伸び、水面から空中に藻の花をのぞかせている谷川の淀みを眺めていました。

メダカが群れを成し右に左に泳ぐ姿や、水面の花弁が淀みの渦に吸い込まれるのを見ていました。

山椒魚は、何度も岩屋の出口に突進しますが、どうにも頭が穴につかえます。やがて目から涙が流れてきます。たった二年間うっかりしていただけで、一生涯この穴の中に閉じ込められてしまうのです。

岩屋の外の二匹のミズスマシを蛙が追いかける光景を見ていても、辛くなり、目を閉じてしまいます。すると巨大な際限のない暗闇が広がり、山椒魚はすすり泣きます。

山椒魚は、次第に性格が悪くなります。ある日、あの蛙が岩屋に紛れ込み、山椒魚は、蛙を閉じ込めてしまいます。一年が過ぎ、また一年が過ぎ、そして再び夏が来ます。

お互いに黙っていたのですが、蛙は苔の花粉が美しいのを見て嘆息をもらします。山椒魚はこれを聞き逃さず、友情を瞳に込めて「許す」と言いますが、蛙は空腹で「もう駄目」だと言います。

しばらくして山椒魚が「お前は、今どういうことを考えているのか?」と尋ねると、蛙は「今でも別にお前を怒っていない」と答えるのでした。

解説

周囲を莫迦にして自由が無いと嘲笑するが、自らが孤独と絶望に陥る

山椒魚は、高みから世間の批判をするのが好きなようです。

メダカの集団の動きを右往左往と感じ自由が無い状態と考え嘲笑します。岩と間違えて横腹に卵を産もうしている小エビを、莫迦だと思います。

山椒魚は、自己責任ではなく責任転嫁をします。

岩屋からどうしても出られないことが分かると、どうして自分だけがこんな身の上なのかと気が狂いそうになり、神は横暴だと思います

山椒魚は、嫉妬心と被害者意識が強いようです。

これまでは、水すましと蛙の活発な動作と光景を感動して見ていましたが、今では、うらやましくて目を閉じます。すると闇だけが広がり、独りぼっちだとすすり泣くのです。

寓意として、知識ばかりの頭でっかちな人間が、自分を過信して、高いところから、あるいは安全なところから、世間を見て評論している姿です。

その視点は、メダカを、先導者のいない中で方向が定まらない民衆に喩え、小エビを、見当違いのことで熟考する無知な者としています。

ところが自身の身の上に起こった出来事に、己の不注意は棚に上げ、不条理を主張し神を恨む。そして目の前の美しいものを否定するために、見ないようにして自身の暗黒の世界で痩せ我慢をします。

迷い込んだ蛙を幽閉して罵り合うも、蛙は悟りに達し自らは取り残される

悲嘆にくれる山椒魚は、ついに悪党になります。あの美しい動きをしていた蛙が、岩屋に紛れ込んで入ってきます。そこで、山椒魚は、蛙を閉じ込めてしまいます。

自分と同じ状況にして痛快に思います。一生涯、ここに閉じこめてやると呪いの言葉をかけるが、蛙は安全な凹みを探して応戦し、お互い「お前は莫迦だ」と繰り返します。

一年が過ぎて、冬眠から目覚めても口論は続きます。蛙は山椒魚の頭がつかえて出ていけないことを知ります。しかし蛙も用心深く岩の凹みから離れない。そしてお互い罵り合いを続けます。

二年目の夏は、心身ともに衰弱して持久戦となり、お互い黙り込んでいます。それでも蛙は杉苔が花粉を散らす光景を見て感動のあまり溜息をもらしてしまいます。

蛙は、美しいものを見て感動する心を失っていないのです

寓意として、

頭でっかちの山椒魚は、あれこれと知的ぶった言説を繰り返しますが、自分に訪れた不幸に対して、今まで感動の目で見ていたもの、素晴らしいと思っていたものに対して復讐をたくらむ。そしてあろうことか生殺与奪を握ろうとする

蛙はどうでしょう。泳ぎ回る自由を山椒魚に奪われて、穴の中に幽閉されてしまいますが、決して屈することなく、美しい世界に感動する心を失いません。そして相手を憎まない境地に辿り着きます。

山椒魚は、相手が泣きごとを言い、許しを懇願するのを待ちますが、結局、蛙は、強い意志を持ち続け、死を選びます。

最後は、山椒魚は偽善ぶって友愛をみせるのですが、蛙は「今でもべつにお前を怒っていない」と悟りを開いた物言いです。

自身の境遇で悪党になった山椒魚と、閉じ込められても屈しない蛙。もうすぐ死んでしまう蛙の後には、山椒魚は、何者とも心を通じあうことなく、一人孤独のなかで死ぬことになるでしょう。

頭でっかちの評論家はやめて、感受性を大切に、各々の生を精一杯全うすることのすすめですね。

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