川端康成『雪国』あらすじ|男女の哀愁と、無に帰す世界。

概要>親譲りの財産で無為徒食の生活をする妻子ある島村は、雪国の温泉町で駒子という女性に出会う。許婚の療養費を稼ぐため芸者になった駒子の一途な生き方に惹かれる。怜悧で虚無な島村の心の鏡に映る駒子の情熱と葉子の透明さを哀しく美しい抒情で描く。

登場人物

島村
東京の下町出身で妻子持ち、親譲りの財産で無為徒食の生活をしており雪国の越後に向かう。
駒子
十九-二十一歳、行男の許婚との噂で療養費を稼ぐために、温泉町で芸者をしている。
葉子
行男の恋人で病気の看病を甲斐甲斐しくしている、駒子とも表向きは親しい間柄の様子。
行男
二十六歳、病人。三味線の師匠の息子で葉子の恋人、駒子とは幼馴染の許婚との噂がある。

あらすじ(ネタバレあり)

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

十二月、島村は、東京から越後湯沢の温泉場へ駒子に会いに行きます。

雪国に向かう汽車の中で、病人の男に付き添う若く美しい女、葉子に出会い興味を持ちます。それは娘のようでもあり、年上の男をいたわる夫婦のようでもありました。

島村は、これから会いに行く女をなまなましく覚えている人差し指を動かしている。

その人差し指で、蒸気で曇った窓ガラスに線を引くと女の片眼が浮き出た。顔を窓に寄せ掌でこすると斜めに向かいあっている二人が鏡のように映った。葉子が病人を世話する姿を見ながら、二人は果てしなく遠くへ行く者の姿のように思われます。

鏡に流れる夕景色は、女と二重写しに動き、この世のものではないような象徴の世界を描いていた。特に、野山のともし火が、彼女の顔のなかを流れて通るとき彼女の眼と光が重なって、夕闇の波間に浮かぶ妖しく美しい夜光虫のようでした。

それから半時間して、葉子達も島村と同じ駅に下りた。そこは極寒の雪景色だった。

駒子に会いに来た島村だが、駒子は、濃い青のマント姿で先ほどの駅のホームに来ていたことを客引きの番頭から聞きます。夕景色に葉子にいたわられていた病人は、駒子の踊りの師匠の息子で、駒子はその息子を迎えに来たのでした。

「指が覚えている女」と「ともし火をつけていた女」との間に、何があり何が起こるか、島村には心のどこかで見えるような気がして、あの夕景色の流れは、時の流れの象徴かと思います。

新緑の頃、島村は初めて駒子と会い、不思議なくらい清潔な印象だった。

あの時―島村は最初に来た時を思い出しますーそれは五月、新緑の登山季節に入った頃でした。

無為徒食な島村は、国境の山歩きをして七日ぶりに温泉場に下りてきて芸者を頼みます。あいにく道路普請の落成式で芸者の手が足りず、島村の部屋にお酌に来たのは、芸者ではないが三味線と踊りの師匠の家にいる娘でした。

女の印象は不思議なくらい清潔でした。それが、十九歳の「駒子」でした。

駒子はこの雪国の生まれで、東京でお酌をしているうちに旦那に受け出され、やがては日本踊りの師匠として身を立てさせてもらうつもりでいたところ、一年半ばかりで旦那が死んだという身の上でした。

歌舞伎の話などすると、女は俳優の芸風や消息に精通していた。根が花柳界出の女らしくうちとけて夢中になって話をする。

島村は、芸者を呼ぶよう女に頼む。女は、「ここにはそんな人ありませんわよ。」と言う。

島村は、女とはさっぱりつきあいたいから男女の仲ではなく友情でいたかった。

島村にとって、彼女は素人で清潔すぎたのである。女は、島村の話に同意した。

やがて十七歳くらいの肌の底黒く、腕が骨ばった初々しく、人が好さそうな芸者がやってきた。島村は、興ざめた顔をすまいとするがものを言うのも気だるくなってしまい、うまく帰して若葉の匂いの強い裏山を荒っぽく登って行った。

ほどよく疲れたところで下りてくると、女が「どうなすったの」と聞くので、「止めたよ」と答えた。はじめからこの女をほしいだけだ、遠回りしていたのだと島村は知ると、自分が厭になる一方、女がよけい美しく見えた。小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、美人というよりもなによりも、清潔だった。

その夜の十時ごろ、女が廊下から大声で島村の名を呼んで彼の部屋に入ってきた。

別の座敷で、芸者を呼び大騒ぎとなり飲まされたという。やがて座敷に戻ったが、一時間ほどすると長い廊下にみだれた足音で、あちこちに突きあたり倒れたりしながら入ってきて島村の体にぐらりと倒れた。外の雨の音が俄かに激しくなった。「いけない。いけない。お友達でいようって、あなたがおっしゃったじゃないの」と幾度、繰り返したかしれなかった。

夜の明けないうちに帰らねばならないと言って、ひとりで抜け出して行った。そして島村はその日、東京に帰ったのだった。

再会し島村は一夜を過ごす。駒子の家を訪れ行男と葉子との関係を知る。

冬は初めてだった、十二月だった。島村が、内湯から上がると、帳場の曲がり角に、裾を冷え冷えと黒光りの板の上に拡げて、女が立っていた。女は「駒子」という名前の芸者になっていた。

あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、本を送るという約束も果たさず、詫びを言うのが順序だったが、駒子は、島田を責めるどころか体いっぱいに懐かしさを感じてくれた。

翌日、島村は駒子が前夜、見下ろしていた坂道を下りてゆくと、葺いた上に石が置きならぶ家々があり、芸者が五六人立ち話をしていた。今朝、宿の女中から芸名を聞いた駒子もそこにいそうだと思った。

島村が歩いてくるのを見て、駒子が走ってきて「うちへ寄っていただこうと思って」と言い、島村は「君の家、病人がいるんだろう」と言い、「昨夜の汽車に自分も乗っていて、病人のすぐ近くに座っていたこと、駒子が濃い青のマントを着て迎えに来たこと、親切に病人の世話をする娘が付添っていたこと」などを話すと、駒子は「そのこと昨夜どうして話さなかったの。なぜ黙っていたの。」と気色ばんだ。

島村は、駒子に誘われ、彼女の住む踊りの師匠の家の屋根裏部屋に行った。梯子を登らされた。「お蚕さまの部屋だったのよ。驚いたでしょう。」と駒子が言う。家は朽ち古びていたが清潔感が感じられた。蚕のように駒子も透明な体でここに住んでいるのかと思われた。

「病人の部屋からだけれど、火は奇麗だって言いますわ。」と炬燵の灰を掻き起す。病人は腸結核で、故郷で死ぬために帰って来たのだった。師匠の息子で行男といい今年二十六歳という。すると煤けた襖があいて葉子が現れた。ガラスの尿瓶をさげていた。山袴をはいていて、島村は、葉子はこの土地出身だろうと思った。

葉子は、ちらっと刺すように島村を一目見ただけで土間を通り過ぎた。それは遠いともし火のように冷たく、野山のともし火と瞳が重なった昨夜の印象を思い出した。それを思い出すと、鏡のなかいっぱいの雪に浮かんだ駒子の赤い頬も思い出されてくる。

駒子の家を出て島村は、声をかけた女の按摩に温泉宿で揉んでもらいながら話を聞く。駒子の三味線が達者になったこと、この夏に芸者に出たこと、師匠の息子が東京で長患いをしたため病院の金を工面していること、駒子と息子は許婚という噂であることなど。

もし駒子が息子の許婚だとして、葉子が息子の新しい恋人だとして、駒子が許婚の約束を守り通し、身を落としてまで療養させたとしても、やがて死ぬとすれば徒労ではないかと島村は思った。そう考えると、駒子の存在が純粋に感じられてくるのだった。

島村は、駒子の勧進帳の撥に一途な女の情念と、徒労な純粋さを知る。

島村は、温泉宿で虚しい切なさに曝されていると温かい明りのついたように駒子が入ってきた。

駒子は少し酔っぱらっていて、「もう知らん。頭痛い。難儀だわ。」「水飲みたい、水頂戴。」と言い楽しげに笑い続けたあとに、静かな声で、「八月いっぱい神経衰弱だったと話す。何か一生懸命、思い詰めてたけれど何を思いつめているのか自分でも分からず気ちがいになるのかと心配だった」と言う。

翌朝、島村が目を覚し、湯から戻ると、駒子は部屋の掃除をしていた。島村が朝らしく笑うと、駒子も笑った。島村は、「君はあの息子さんの許婚だって?」と聞くと、駒子は「許婚は嘘よ」と否定する。

そして、駒子は「お師匠さんが、息子と私が一緒になればいいと思った時があったかもしれない。心のなかだけのことで口には出さないけれども。お師匠さんの心のうちは息子さんも私も薄々知っていたけれど、二人は別になんでもなかった。ただそれだけ。」と言う。

そして「人のこと心配しなくてもいいわよ。もうじき死ぬから。」「あんた、そんなこと言うのが良くないのよ。私の好きなようにするのを、死んでいく人がどうしてとめられるの?」と言われ、島村は返す言葉がなかった。

しかし、駒子は葉子のことに一言も触れないのは、なぜだろうかと思う。

島村が遠い空想をしていると「駒ちゃん、駒ちゃん」という葉子の美しい呼び声が聞こえた。三味線と稽古本を駒子が頼んだのを、葉子が持ってきたのであった。

さぁと身構えして、島村の顔を見つめた。島村は、はっと気おされた。勧進帳であった。

島村は、頬から鳥肌が立ちそうに涼しくなり腹まで澄み通る。全く彼は驚いてしまった、と言うよりも叩きのめされてしまった。敬虔の念に打たれ悔恨の思いに洗われた。山峡の自然を相手として孤独に稽古するが、その孤独が哀愁を踏み破って、野生の意力を宿していた。

雪の晴天を見上げて「こんな日は音がちがう」 駒子が言っただけのことはあった。音は純粋な冬の朝に澄み通って遠くの雪の山々まで真直ぐに響いて行った。

島村には虚しい徒労とも思われる、遠い憧憬とも哀れまれる駒子の生き方が彼女自身への価値で、凛と撥の音に溢れでるのであろう。三曲目の都鳥は艶な柔らかさのせいもあって温かく安らいで駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。

行男の急変に、駒子の冷たい薄情と熱い愛情を感じながら雪国を去る。

それから泊まることがあっても、駒子は夜明け前に帰ろうとはしなかった。

東京に帰る前の月の冴えた夜に、島村は、駒子をもう一度呼ぶと彼女は散歩をしようと聞かなかった。島田を無理やり連れだした。月はまるで青い氷のなかの刃のように澄み出した。道は凍り、村は寒気に寝静まっていた。

部屋に戻り、「つらいわ。ねぇ、あんたもう東京へ帰りなさい。つらいわ。」と言う。つらいとは、旅の人に深くはまっていきそうな心細さであろうか、それともこらえるやるせなさか。

島村が「いつまでいたってどうしてあげることも出来ずに、明日帰ろう。」と言うと、駒子は「あんたそれがいけないのよ。」と言う。それから潤んだ目を開くと「ほんとうに明日帰りなさいね。」と静かに言った。

次の日、駒子は、コートに白い襟巻をして、島村を駅まで見送った。

その時、葉子が駆けてきて「ああっ、駒ちゃん、行男さんが変よ」「早く帰って、様子が変よ、早く。」と急変を知らせるが、駒子はかぶりを振る。駒子は、もう二度と来ないかもしれない島村を送ると言う。葉子が、島村の手を握って帰すように頼み、島村が駒子に「早く帰れよ、馬鹿。」って言うと「あんた、何を言うことあって。」と葉子の手を島村から押しのける。

島村は「あの車で、今帰しますから先に行ったらよい」と葉子に言い、葉子は走り出す。

島村は、「君たち三人にどういう事情があるかは知らないが、死にそうな息子さんが会いたがっている、素直に帰ってやれ。でないと一生後悔する。」「君が東京へ売られていく時に、ただ一人見送ってくれた人じゃないか。いちばん古い日記の一番初めに書いてある、その人の最後を見送らなくてよいはずはない。その人の命の一番終わりのページに、君を書きに行くんだ。」と言った。

駒子は「いや、人の死ぬの見るなんか」と言い、それは冷たい薄情とも、余りに熱い愛情とも聞こえた。

汽車は、国境の山から登って、長いトンネルを通り抜ける。島村は、何か非現実的なものに乗って、時間や空間の思いも消え、虚しく体を運ばれて行くような放心状態に陥ると、単調な車輪の響きが女の声に聞こえ始めた。それは旅愁を添えるに過ぎないような遠い声であった。

翌々年の秋、行男の墓を見舞い、駒子と葉子の死者への思いの違いを知る。

翌々年、国境の山々が夕日を受けて秋に色づくころ、島村は、温泉町にやってくる。

部屋に到着すると、少し遅れてやってきた駒子は、「あんた、なにしに来た。こんなところへなんしに来た。」となじる。二月の十四日に鳥追いの祭りがあり、島村はこの祭りを見に来ると約束していたのだ。行男は、島村と駒子が駅で別れてから、間もなくして亡くなっていた。また踊りのお師匠も肺炎で亡くなっていた。

駒子は二十一歳になっていた。お師匠さんが死んで屋根裏の前の家から、置屋に住まいをかえていた。

「一年に一度でいいからいらっしゃいね。私のここにいる間は、一年に一度、きっといらっしゃいね」と駒子は言い、年期は四年だと言った。

島村は、三年足らずの間に三度来たが、その度毎に駒子の境遇も変わっていた。

内湯から上がって来ると、駒子は安心しきった静かな声で身の上話を始めた。「私のようなのは子どもが出来ないのかしらね。」と真面目に尋ねた。一人の人とつきあっていれば夫婦と同じではないかと言うのだった。駒子にそういう人のあるのを島村は初めて知った。十七の年から五年続いているという。親切な人だが、生き身を許す気になれないという。また年期は四年だが、半年過ぎ、元金も半分以上を返したと語った。

翌朝、駒子は早く起き、窓際の鏡台には紅葉の山が写り、秋の日ざしが明るかった。

葉子は、墓参りばかりしているようだった。駒子が帰ってから、島村も村へ散歩に行ってみた。道端の日向に藁むしろを敷いて小豆を打っている葉子がいた。乾いた豆がらから小豆が小粒の光のように躍り出る。葉子は、あの悲しいほど澄み通って木魂しそうな声で歌っていた。

翌朝、目をあくと駒子が机の前にきちんと座って本を読んでいた。駒子は杉林のところから掻き登ってきたという。湯から上がってきた島村を裏庭へ誘い出した。畑沿いに水温の方へ下りていくと川岸は深い崖になっていた。

島村は、駒子の許婚の墓に行ってみようと言うと、駒子は「あんた私を馬鹿にしてんのね。」「なんの因縁があって、あんた墓を見物するのよ。」と言う。許婚でないことは駒子から聞いてはいたが、島村には、その “行男” という男が心に残っていた。

「ねえ、あんた素直な人ね。なにか悲しいんでしょう。」「今に命まで散らすわよ。墓を見に行きましょうか。」と言い、駒子は一度も参ったことがないことを、そしてお師匠さんも一緒に埋まっていて、お師匠さんにはすまないと思うけれど、今更参れやしない。そんなことしらじらしい。」と言い、「生きた相手だと、思うようにはっきり出来ないから、せめて死んだ人にははっきりしとくのよ。」と言う。

墓場に行くと、葉子がいた。真剣な顔をして燃える目でこちらを見た。

駒子は「私ね行男さんのお墓参りはしないことよ。」と言い、葉子は、うなずいて墓の前にしゃがんで、手を合わせた。

夜中の三時。障子を押し飛ばすようにあける音で島村が目を覚ますと、胸の上へばったり駒子が長く倒れた。駒子は元結を切ってもらおうとやってきた。島村は駒子の髪を掻き分けて元結を切った。朝の七時と夜中の三時と一日に二度も異常な時間に暇を盗んできたのかと思うと島村はただならぬものを感じた。

葉子は駒子を「憎い」と言い、駒子は葉子を「気ちがいになる」と言う。

紅葉を門松のように門口に飾りつけていた。島村は帳場のほうを見ると葉子が炉端に座っていた。

島村は、駒子の愛情が美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあり、かえって駒子の哀れみながら自らを哀れんだ。そのありさまを無心に刺し透す光に似た目が、葉子にはありそうな気がして、島村はこの女にも惹かれるのであった。

島村が呼ばなくても駒子はやって来た。彼女は宿へ呼ばれさえすれば島村の部屋を寄らぬことはなかった。「悪い評判が立てば、狭い土地はおしまいね。」と言いながら駒子は「ほんとうに人を好きになるのはもう女だけなんですから。」と言う。

葉子もお銚子を運ぶのを手伝っているようで「駒ちゃんが、これよこしました。」と、駒子の結び文を持ってくる。島村は葉子に話しかける。

葉子は「駒ちゃんはいいんですけれども、可哀想なんですから、よくして上げて下さい。」と言い、島村が「何もしてあげれないので、早く東京に帰ったほうがいいかもしれないんだけど。」と言うと、葉子は危険な輝きが迫ってくるように「私も東京に連れて行ってください。」「駒ちゃんは憎い。」と言う。

葉子は、以前、東京では看護婦になりたいと思っていたが、それは行男を看るためで、行男以外の病人を世話することも墓に参ることも、もう無いという。

葉子は涙を流しながら「駒ちゃんは、私が気ちがいになると言うんです。」と言って、部屋を出て行ってしまった。

その後、島田は内湯に行った。隣の女湯に葉子が宿の子を連れてきた。いかにも親切なものいいで初々しい母の甘い声を聞くように好ましかった、そしてあの声で歌を歌いだした。

島田は、駒子にこのことを話すと「あなたみたいな人の手にかかったら、あの子は気ちがいにならずにすむかもしれないわ。」そして「私はこの山の中で身を持ち崩すの。しいんといい気持ち。」と言う。

島田は、駒子からその後、部屋を見せてもらった。送っていくという駒子は、そのまま島村と一緒に宿に入り、冷酒をついでくる。

島村がぽつりと「君はいい子だね」と言った。「どうして?どこがいいの。」「いい子だよ」。一人の女の生きる感じが温かく島村に伝わってきた。「君はいい女だね。」「どういいの。」「おかしなひと。」ところが何と思ったか。「それどういう意味?ねえ、なんのこと?」そう言って不意に部屋を出て行った。島村は十分に心やましいものがあった。

しかしすぐに戻ってきてお湯にいき体が温まる頃からいたいたしいほどにはしゃぎだした。紅葉のさび色が日毎に暗くなっていた遠い山は、初雪であざやかに生きかえった。

島田はもう雪国に来ないと思い、虚無に天の河が落ちてくる幻影を見る。

雪のなかで、糸をつくり、織り、水に洗い、晒す。雪ありて縮あり。島村は、この雪国の縮を好んだ。島村が着る古着の縮のうちにも明治の初めから江戸の末の娘が織ったものがあるかもしれなかった。島村は、今でも自分の縮を「雪晒し」に出す。

縮の産地は、この温泉場に近い。妻子のうちへ帰るのも忘れたような長逗留だった。駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村の何も駒子に通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突きあたる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降りつむように聞いた。

島村は、こんど帰ったらこの温泉には来れないだろうという気がした。

縮の産地へ行ってみようと思った。この温泉地から離れるはずみをつけるつもりだった。島村は寂しそうな駅に下りた、そして家々の庇を長く張り出して積雪でも通行できるようにこしらえた雁木(がんぎ)を見た。胎内くぐりというらしい。それ以外は、何も見るものがなくただぶらぶらとして温泉場に戻った。

小料理屋の菊村で、駒子が見えた。駒子は車の扉の外の足場に身をかがめて、扉の取っ手につかまって、どうして連れて行かなかったのと言った。

その時、突然、擦半鐘が鳴り出した。火の手が下の村の真中にあがっていた。黒い煙の巻きのぼるなかに炎の舌が見えかくれした。火は横に這って軒を舐め廻っていた。場所は繭倉で、今晩は映画館になっていてフィルムから火がでていた。島村も駒子も走り出す。

「天の河。きれいねえ。」駒子は、そうつぶやくと、その空を見上げたまま、また走り出した。

島村も、振り仰いだとたんに天の河のなかへ体がふうっと浮き上がってゆくようだった。

裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとすぐそこに降りてきている。恐ろしい艶めかしさだ。

「ねぇ、あんた、私をいい女だって言ったわね。行っちゃう人が、なぜそんなこと言って、教えとくの?」島田は、駒子が、かんざしを畳に突き刺していたのを思い出した。

天の河は二人が走ってきたうしろから前へ流れおりて駒子の顔は天の河の中で照らされるように見えた。見上げていると天の河はこの大地を抱こうとして下りてくる。

「あんたが行ったら、私は真面目に暮らすの。」駒子の姿は街道の人家でかくれた。

火の子は天の河のなかにひろがり散って、島村は天の河へ掬い上げられてゆくようだった。煙が天の河を流れるのと逆に、天の河がさあっと流れ下りてきた。島村は、別離が迫っているように感じた。

あっと人垣が息をのんで、女の体が落ちるのを見た。人形じみた不思議な落ち方だった。

女の体は、空中で水平だった。非現実的な世界の幻影のようだった。生も死も休止したような姿だった。駒子が鋭く叫んで両の眼をおさえた。島村は瞬きもせず見ていた。

落ちたのは葉子だった。葉子は仰向けに落ちた。島村は死は感じなかったが、葉子の内生命が変形する、その移り目のようなものを感じた。

幾年か前、島村が駒子に会いに来る汽車のなかで、葉子の顔のただなかに野山のともし火がともった時のさまをはっと思いだした。一瞬に駒子との年月が照らし出されたようだった。せつない苦痛と悲哀もここにあった。

駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた。「どいて、どいて頂戴。」「この子、気がちがうわ。気がつがうわ」

さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。

解説(ここを読み解く!)

●島村の眼を鏡とした駒子の「清潔」と葉子の「悲しいほどの美しい聲」

川端自身が<島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、ただ駒子をうつす鏡のようなものでしょうか>と話している。

島村は、妻子があり親譲りの財産があり、最初は日本踊りに精通していたが西洋舞踏に鞍替えして西洋舞踏を机上で紹介するなどの文筆業の端くれのようなことや用もなく山登りをするなど現実から逃避する虚無的な生き方をしている。

しかし鋭敏な感受性があり、その眼と感覚の中で、駒子と葉子も「存在」として現れてくる。

駒子と葉子と行男の関係で、「やがて死ぬ男」である行男の療養費を稼ぐために芸者に身を落としている駒子や、こまめに看病をする葉子を「徒労」と捉えている。

しかし駒子が、「それでよいのよ。ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから。」と言い、「どうして?生きた相手だと、思うようにはっきりできないから、せめて死んだ人にははっきりしとくのよ。」と行男の生と死に対しての駒子の思いを語る。この駒子の生き方は、現実的で純粋で「清潔」なものとして映っている。

それは現実を生きる漲る熱のようなものである、そして勧進帳の三味線の描写で頂点となる。

葉子は、その反対の側面であろう。陰陽ではなく、太陽と月のような輝き方の違いである。葉子は「悲しいほどの美しい声」を持ち、その生命力は駒子と比べれば少ないように思われる。葉子は、駒子のことを「憎い」という。駒子のような生命力はない。命のともし火が小さいのかもしれしれない。静かな輝きで木魂のようである。

それを駒子は、「きっと気ちがいになる」と言い、自分がその荷を負うと言う。東京に行きたがる葉子を、駒子は、島田を好きでありながら葉子の将来をお願いしたりする。島田の心が葉子に惹かれていくのを見抜いている。

怜悧な虚無感は、駒子の一途な烈しい情熱に打ちのめされていく。この雪国に生きる駒子の孤独が、野生の意力を宿している。

●見上げると、さあと音を立て天の河が島村の中へ落ちてくる「無」の姿。

冒頭に暗示された、「指が覚えている女」と「ともし火をつけていた女」との間に流れていく夕景色。そして現実から逃避する虚無な眼は幻影を映し出す。

汽車の中で見た葉子の眼に、野火のともし火が暗示したように繭倉の火事での事故がおこり、美しい天の河が天空に広がる。その時、葉子が燃えあがる繭倉の二階から水平に落ちていく。駒子は自分の犠牲か刑罰を抱くように「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」と葉子を抱いている。

目上げた途端に、さあと音を立て天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。

この幻影は、島村が見た東京から離れた雪国の世界であり、徒労にしか見えない虚無の島村の眼に、一途に生き烈しい情念の駒子と、行男を看取る悲しいほど美しい声の葉子の二つの現実を天の河が抱き押し流していく魔界のようである。

雪ありて縮あり。雪晒しを見て、機織り女の古に思いを巡らす。そして胎内くぐりという儀式を終えて、宿へ帰ってくる。そして天の河を見上げる。そこには、天の河伝説の織姫と牽牛を意識せずにはおれない。霧や霞や雲を織っていく織姫は、牽牛と結ばれるが、そのことで織ることをやめてしまい。天空の美しさは無くなる。

天の河が音を立てて島村のなかに流れ落ちる結末には、”雪国の自然と人の世の儚き現実”が、意力をして、島村の虚無すら「無」に帰してしまう強さを感じる。

昭和十年に発表の「夕景色の鏡」から二十二年発表の「続雪国」まで十二年かけて完成した『雪国』に、川端は自己の文体の完成に命をそそいだ。戦後まもなく、川端は<私の生涯は「出発まで」もなく、そうしてすでに終わったと、今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還ってゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書こうと思わない>と『新潮』で語っている。

そして1968年(昭和43年)10月、日本人として初のノーベル文学賞受賞が決定した。受賞理由は「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性を以て表現、世界の人々に深い感銘を与えたため」で、大賞作品のひとつがこの『雪国』である。さらに受賞記念公演「美しい日本の私―その序説」を行い、道元、明恵、西行、良寛、一休などの和歌や詩句が引用された。

雪、月、花に象徴される日本美の伝統は「白」に最も多くの色を見、「無」にすべてを蔵する豊かさを思う。一輪の花は、百輪の花よりもはなやかさを思わせるという、日本独特の美しさを語った。川端文学が世界に誇る不朽の名作である。

作品の背景

国境の長いトンネルは、上越線で下ると三国山脈が上野国(こうずけのくにー群馬県)と越後国(越後の国―新潟県)の国境をなし群馬県の谷川岳の下をくぐって新潟県の南魚沼郡へ抜ける清水トンネルのこと。水上町からこのトンネルをこえ湯沢町に入ると、とくに冬期は、四囲の景観がまったく一変し別世界となる。小説の舞台は、越後湯沢温泉の高半旅館に逗留した。実際に川端の旅の出会いから生まれたもので駒子のモデルとなる芸者・松栄も実在である。尚、主人公の島村は<私ではなく、男としての存在すらないようで、ただ駒子を映す鏡のようなものでしょうか>と川端自らが語っている。この幻想的な雪国の世界は<敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである>とした、まさに「美しい日本の私」として日本文学の頂点にある作品である。

発表時期

1947年(昭和22年)、『新潮社』より刊行。ただし複数の雑誌に断続的に各章が連作として書き継がれたそれぞれの断章は昭和10年に「夕景色の鏡」「白い朝の鏡」「物語」「徒労」昭和11年に「萱の花」「火の枕」昭和12年に「手毬歌」以上の断章をまとめ、書き下ろしの新稿を加えて単行本「雪国」が、昭和12年『創元社』より刊行。さらに続編として、昭和15年に「雪中火事」昭和16年に「天の河」昭和21年に「雪国抄」(雪中火事の改稿)、昭和22年に「続雪国」(天の河の改稿)を加えて最終的な完成作となる。

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