太宰治『水仙』あらすじ|芸術家は自分の才能を信じ、世評を気にせず。

概要>芸術家は煩悶と祈りの中に常にある、ならば世間のおだてやへつらいに乗ずることなく、酷評や批判にも動じることなく、自分の才能を信じて疑わず創作活動に邁進することである。水仙の絵を破ることが意味するものは何か、芸術家の生き様を読み解く。

登場人物

草田惣兵衛
東京大学を卒業後、フランスに渡り帰国後、静子と結婚。草田家の当代。
草田静子
草田家とは親戚筋で惣兵衛と結婚、実家が破産し夫から画を薦められる。

小説家で貧乏ではあるが、近頃、売れてきていて流行作家気取りである。

あらすじ(ネタバレあり)

忠直卿行状記の小説に秘められた、殿様の真実とは何であったのか。

僕が十三か四のとき読んだ小説に忠直卿行状記があり二十年後の今も記憶している。

剣術の上手な若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破る。しかし庭の片隅では家来たちが「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった」と不用心な私語をする。

それを聞いた殿様の行いは一変し家来たちに真剣勝負を求め、家来たちは真剣勝負においても本気で戦わず死んでいく。殿様はさらに狂いまわる。そして恐るべき暴君となった。ついに家は断絶せられ、その身も監禁させられた。

そんな話だったが、疑念がふと起こった。もしかしたらその殿様は、本当に剣術の名人ではなかったのか。本当は、家来たちはかなわず、私語も負け惜しみであったのではないかと。

すると殿様は真実を掴み、真実を追い求めながら狂ったことになる。殿様が自分の腕前に自信を持っていたらすべて平和だったのではないか。

草田家の正月に招待され、流行作家気取りの僕は貧乏人で大恥をかく。

草田家と僕の家は先々代あたりから親しく交際しているが、身分や財産などぜんぜん違い、僕の家の方で交際をお願いしている状況で殿様と家来くらいの関係である。

当代の惣兵衛は四十歳くらいで東京大学の経済学部を出てフランスへ行き、その後、遠い親戚筋の家の一人娘の静子さんと結婚し、夫婦の中もまず円満、一女をもうけパリイをもじって玻璃子(はりこ)と名づけた。惣兵衛氏は、ハイカラな人で背は高く美男である。絵が好きだが趣味を誇るようなそぶりも見せず、銀行に勤める一流の紳士である。

僕はよほどひがみ根性の強い男らしく、草田の家にはあまり行かない。どうも金持が嫌だという単純な思想を持ちはじめていたのである。それが、年始に行くことになり、その理由は自分の小説を褒められたからであった。

その頃、僕の小説は売れ始めていて、いい気になっていた危険な時期だった。そして、のこのこと出かけて行き大恥辱を受けて帰宅した。草田の家では、僕を歓待してくれて他の年始客にも「流行作家」として紹介され、つい自分も流行作家なのかとそう思った。

夫人に酒を進めると、冷たく断られ、さらに食事でシジミ汁の実を食べていると「そんなもの食べてなんともありません?」と言われた。シジミの実は食べないらしい。貧乏者で、成り上がりの「流行作家」は手ひどい恥辱を受けた。その後、草田の家だけでなく、お金持ちの家には、僕は行かないことにして貧乏な薄汚い生活を続けた。

惣兵衛の夫人、草田静子。この人が突然、私は天才だと言って家出した。

ある日、惣兵衛氏が訪ねてきて夫人が家出をしたと言うのである。

その原因が馬鹿げていた。数年前に夫人の実家が破産した。それから夫人は実家の破産を恥辱と考え妙に取りすました女になった。

そこで草田氏は夫人を慰める手段として、夫人に洋画を習わせるべく近所の中泉花仙とかいう老画伯のアトリエに通わせた。

それからというもの夫人の絵を皆で褒めた、草田氏、老画伯、アトリエに通う若い研究員さらに草田の家に出入りする有象無象の人間たちが皆で褒めちぎった。

あげくの果て「私は天才だ」と口走って家出してしまったのだと言う。つくづく馬鹿な夫婦だと思って、僕は呆れた。

静子は皆におだてられ発狂し、僕に対しても失敬な物言いをすようになる。

それから3日目に、絵具箱をひっさげて僕の家に現れた。粗末な服を着て気味が悪いほど頬がこけて、眼が異様に大きくなっていた。そして芸術家気取りで、高慢な口調できざな話をする。

こんなことはやめて、家に戻るように諭す僕に対して「あなたは芸術家ですか」とか「あなた俗物ね」などと失敬な物言いをするので帰ってもらった。なんということだ、人におだてられて発狂したようだ。不愉快な事件だった。

それから2カ月後、惣兵衛氏からの手紙では、静子夫人は赤坂のアパートに起居し、あの老画伯のところも軽蔑して辞めて、若い研究員をアパートに呼び集め、お世辞に酔って、毎晩、馬鹿騒ぎをしていた。

草田氏はアパートを訪れ家に帰るように静子に懇願したが、鼻であしらわれ、研究生たちからも天才の敵として攻撃され持っていたお金も巻き上げられた。

草田氏から僕に「静子はあなたを慕っているので、何とか説得してくれないか」との手紙を受け取ったが、例のシジミ汁の恥辱が忘れられず、僕は同情する気にもなれず「僕は奥さんに軽蔑されている人間ですから、とてもお役には立てません」と断っていた。

芸術家になりあなたのような暮らしを望んだが、面罵され正気になった。

11月のはじめごろに、僕は静子夫人から手紙をもらった。そこには、こう綴ってあった。

耳が聞こえなくなった、お酒をたくさん飲み中耳炎を起こしたという。その苦しみが綴ってあり、今まで描いた絵もみんな破って捨ててしまったという。

私の絵はとても下手だったのです、あなただけが本当のことをおっしゃいました。他の人はみな、私をおだてました。

私は、できる事ならあなたのように貧しくても気楽な芸術家の生活をしたかった。あなたのように虚飾も世辞もなく、ひとり誇り高く生きている。こんな生き方がいいなぁと思いました。

そんなとき主人が私に絵をかくことをすすめてアトリエに通い賞賛の的になり、かねてあこがれの芸術家の生活を始めるつもりで家を出ました。その間に気に入った絵が出来て、あなたに見てもらおうとしたら散々な目にあいました。

あなたに絵をほめられて、あなたの家の近くにでも間借りして、互いに貧しい芸術家としてお友達になりたいと思っていました。私は狂っていたのです、面罵されて正気になりました。

若い研究生が私の絵を褒めても、それはあさはかなお世辞で、かげでは舌を出しているということを気づきました。その時にはもう、生活の取り返しがつかないところまで落ちていました。落ちるところまで落ちようなどと、きざな、ばかな女ですね。

水仙の絵をビリビリと引き裂いた後、それは天才の絵のように思った。

僕は手紙の住所に行ってみた。静子さんの部屋はひどかった。眼にちからが無く、生きている人の眼ではなかった。もう耳は、全く聞こえないらしい。「草田ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませ筆談が始まった。

そして急に、静子さんの絵を見たくなり、妙な予感がして来た。いい絵に違いない、すばらしくいい絵だ。きっとそうだ。

「絵ヲ、カイテユク気ハナイカ。」「アナタハ、キットウマイ。」「ホントニ、天才カモ知レナイ。」

「ナグサメナイデホシイ。」「ヨシテ下サイ。モウオカエリクダサイ。」

僕は、苦笑して立ち上がった、帰る他はなかった。静子夫人は、座ったまま窓の外を見ていた。

その夜、僕は、中泉画伯のアトリエを訪れ絵を見たいというと、「ない」と老画伯は言う。しかし、思い出してただ一枚、画伯の娘がもっていた水彩を僕に見せた。天才的な絵で、老人は手放さないと言う。

それは水仙の絵だった。バケツに投げ入れられた二十本程度の水仙の絵である。

手にとってちらとみてビリビリと引き裂いた。「何をなさる」と老画伯は驚愕した。

「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持ちの奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ、そして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけたのです」

僕には、絵がわかるつもりだ。水仙の絵は断じてつまらない絵ではなかった。みごとだった。なぜ僕が引き裂いたのか。それは読者の推量にまかせる。

静子夫人は、草田氏の手許にひきとられその年の暮れに自殺した。

何だか天才の絵のようだ。あの忠直卿も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、夜も眠れぬくらいに不安である。

解説(ここを読み解く!)

●周囲の媚びへつらいを嫌うのであれば、厳しい評価にもくじけるな。

静子は、他の人たちが自分を慮る媚びへつらいの数々で有頂天になり、そしてお気に入りの一枚を、小説家の僕の意見を聞くために訪れる。

この小説家は静子が昔から憧れていた芸術家であり、彼からの評価への期待や、同じ芸術家としての生き方や暮らし方をしたい静子は、自分の絵を見ることも無く冷たくされてしまったので才能が無いと宣告されたと感じたに違いない。

そこで、芸術家のなるために、おちぶれる生活をあえて行う、そして自暴自棄になり絵を辞めて、夫の元にかえり憔悴しながら死んでいく。

芸術は、苦悩や葛藤にさらされながら創作するもので、仮にこの小説家のように売れていても、その苦悩や葛藤は終わる事が無いはずである。世間の評価は良い時もあるし悪い時もある、芸術家は常に晒されるものである。

ここに、芸術に向かう者の心構え、酷評されても自分の才能を信じること。この酷評を克服する、あるいは無視できるかが芸術家には必要だ。

●静子の描いた水仙の絵を、小説家が破ったことの意味を考えてみる。

まずは、世間の酷評に耐える、あるいは無視することが求められる。これで挫折をする程度ならば、芸術を目指す資格は無い。

この小説家は「売れている作家」である。つまり大衆の評価を得ており、その小説家が、静子の絵を見ずして、こっぴどくやっつけたことは決定的な意味を持つ。「金持ちは嫌だ」という思想を持つこの小説家。芸術は、金持ちには分からない、さらに金持ちへの憎しみや貧乏の薄汚い暮らしの中でこそ、芸術は見出せると考えている。

そして静子は落ちぶれることを選ぶ。しかし、取り巻きの贔屓目に溺れて自分を忘れ、自暴自棄な生活を送ってしまう。小説家の僕は、専門家や周囲から良い評価を与えられたとしても、芸術家に必要な精神は常に、世間には気に入られようとはせず、へつらう阿諛追従の意識を、期待してはいけないと考える。

この小説家が、静子夫人と再会した理由は「夫婦ともあなたの読者です」と言われ、浮かれてしまい、流行作家と紹介され、いい気になっていて危険な時期だったのである。そこでシジミ汁の恥辱を受けた。ここで、やはり芸術家は貧乏な暮らしに徹するべきだと考える。

つまりは「水仙の絵を破る」あるいは「水仙の絵を破られる」というのはどちらも芸術家の宿命なのだ。芸術に生きようとする者は、誰が破ったかは関係なく、破られることが必定である。「何故、破るのか」それは、世間とはそういう視点だからである。

つまり静子は天才だったのである。ただ欠けていたのは、強さである。自分に自信がなく、皆が媚びているように思えてしまったからである。芸術家は、批評に耐えてより強く自身の才能を信じなければならない。一種のナルシズムが必要なのだ。

そうでなければ芸術が、人間の精神と肉体を落とし入れ、死に追いやってしまう。

●水仙の花言葉は「自己愛」。太宰自身のナルシズムを連想させる。

水仙の花言葉は「自己愛」。ギリシャ神話の有名なナルシストの物語を由来とする。若さと美貌を持つナルキッソスは、アプロディーテの贈り物を侮辱する。アプロディーテは怒り、ナルキッソスを愛する者が彼を所有できないようにします。そして ナルキッソスは、たくさんの女性たちに想いを寄せられても、冷淡な態度をとります。

ナルキッソスに恋をしたアメイニアスは、彼を手に入れられないことに絶望し、自ら命を絶ちます。森の妖精のエーコーもナルキッソスに恋をしますが、退屈だと思われて相手にされませんでした。悲しみのあまり姿を失い、声だけが残り木霊になります。

そして復讐の女神メネシスは、そんなナルキッソスをムーサの山にある泉に呼び寄せます。水を飲もうとするナルキッソスは水鏡に映った自分に恋をします。水の中の美少年から離れられず、水を飲むこともできず、やせ細り死んでいきます。そこには水仙の花が咲いてました。水仙のことを欧米ではナルキッソス(Narcissus)と呼びます。

葛藤や苦悶の中に自己愛があり、そうして芸術を通して死を選んだ人間のみが芸術家であり、本当の天才なのだ。すると、この売れている小説家自身もまた同じループの中に自分を置く。

この作品の小説家を太宰本人と考えると、ナルキッソスのように太宰本人の生き方を映しています。それこそが、煩悶と祈りなのです。結果的に、太宰も小説家という人間を演じて死んでしまいます。

作品の背景

太宰中期の作品にあたります。長く苦しんだ薬物中毒や自殺未遂などを経て、この3年前1939年に井伏鱒二の紹介で石原美知子と結婚し平穏な生活を取り戻します。洋画家・林倭衛(はやし しずえ)の夫人だった秋田富子が太宰に送った手紙をヒントに本作品は書かれています。冒頭の「忠直卿行状記」は、太宰が尊敬した芥川龍之介の兄貴分にあたる菊池寛の作品。忠直とは松平忠直のことで徳川家康の孫のことです。暴君と称された忠直の心理に新しい解釈を与えたもので菊池寛の出世作です。太宰からみればひとつ上の世代の輝いている作家たちとなります。この作品をひいてきて物語は始まります。

発表時期

1942(昭和17)年「改造」5月号に発表。太宰治は、33歳。昭和15年発表の「走れメロス」など明るく溌溂とした作品を発表し人気作家となっています。当時は太平洋戦争が始まっていますが、太宰は病気のため兵役免除となり戦争中も執筆活動を続けています。

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