村上春樹『海辺のカフカ』あらすじ|運命の呪縛に、どう生き抜くか。

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<入り口の石>を開き・閉じることで、あるべき姿に戻る。

ナカタさんは四国に向かう高速道路のサービスエリアで星野青年と出会います。星野さんは20代半ばで、学生時代はグレて不良でしたが、自衛隊勤務を経て今はトラック運転手の仕事をするまっすぐな人間です。そんな自分に理解を示してくれた祖父を愛しており、その面影をナカタさんに重ね合わせ親しみを感じます。

この星野青年のキャラクターは、これまでの村上作品の都会的でお洒落な男性の登場人物から考えれば異色で、普通の人生を送っている庶民です。

村上文学のなかに登場する<こちら側>と<あちら側>の往還には、<あちら側>に行く人間には<こちら側>で待つ人間が必要です。そして境界となる地点はさまざまです。この物語では、<こちら側>で待つ人間が「さくらさん」であり、場所が<山中のキャビン>です。仲介する性同一障害の大島さんは男性と女性の境界でもあります。ナカタ老人の物語では、<こちら側>で待つ人間が「星野さん」であり、場所が<入り口の石>です。

<入り口の石>の在り処に、星野さんを案内してくれたカーネル・サンダースは言います。

我今仮にかたちをあらわしてかたるといへども、神にあらず仏にあらず、もとの非情なものなれば人と異なるこころある(30章)

雨月物語の一節ですが、このカーネル・サンダースはあのKFCの店頭の人形にかたちを借りて現れます。神でも仏でもなく、善でも悪でもなく人間の感情を持たない観念的な客体ということです。街でポン引きをして、神聖な神社へ案内する。それは実体の無い楽しい霊のようなもの。星野さんにぴちぴちのセックス・マシンを体験させた後で、神社の林の中で<入り口の石>を発見させ、持ち帰らせます。

そしてカーネル・サンダースが手配してくれたマンションの部屋に<入り口の石>を保管します。すると何本もの不揃いな白い光の線が続けざまに空を裂き、一連の雷鳴が大地を芯から揺るがします(お椀山の空の銀色の鮮やかな煌きと同じ構造です)。

星野青年は<入り口の石>をひっくり返し開きます。ナカタさんは、翌日、星野さんと車に乗って導かれるように甲村図書館に着き佐伯さんと面会します。すると佐伯さんはこう言います。

「もし思い違いでなければ、たぶん私は、あなたがいいらっしゃるのを待っていたのだと思います」(42章)

お待たせしたのではないかとナカタさんが言うと、佐伯さんは、これよりもっと早くても遅くても、戸惑うことになり、今がいちばん正しい時間だという。ここには運命の時間の存在が暗示されます。

そして佐伯さんは<入り口の石>のことを話し、ナカタさんはそれを開けなくてはならなかったことを告げると、

「わかっています。いろんなものをあるべきかたち・・・・・・・に戻すためですね」

と佐伯さんは言い、ナカタさんはうなずきます。そして、

ジョニー・ウォーカーさんに導かれて、ナカタはそこにいたはずの15歳の少年のかわりに、ひとりの人を殺したのであります。

と言います。カフカが自分の知らないうちに、生き霊がナカタさんに乗り移って、父である田村浩一を殺し、ナカタさんの肉体はそのことを引き受けなければならなかったと話します。佐伯さんは、自分が遠い昔に<入り口の石>を開けたことで、あちこちに歪みをつくり出していると考えます。

ナカタさんは<入り口の石>を閉じて、あるべき姿に戻すことが必要で、そうなれば佐伯さんも自分もここに残ることはできないという。すると佐伯さんは、それは長いあいだ求めていたことで、手に入れることができなかったことだという。

私はその時がやって来るのをーつまりが来るのをーただじっと待たなくてはなりませんでした。

と言い、佐伯さんもまた半分しか影が無いのだという。そして半分しか影の無い佐伯さんもナカタさんも、そろそろ<こちら側>の世界を去らなければならないという。

佐伯さんは、愛したひとりの男の話をする。それは、これ以上深くは愛せないような愛で、彼も同じように愛してくれたという。

私たちは完全な円の中に生きていました。すべては円の中で完結していました。しかしもちろんそんなことはいつまでも続きません。(中略)円はあちこちでほころびて、外のものが楽園の内側に入り込み、内側のものが外に出ていこうとしていました。でもその時の私には、それが当然のことだとはどうしても思えませんでした。だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。

佐伯さんが恋人と二人だけの世界に行きたいという強い願いは、思いがけずもあちら側に行くための<入り口の石>を開いてしまい、そこに<邪悪>が入ってきて、恋人は生贄いけにえとして学生紛争に巻き込まれ死んでしまいます、その後の彼女は紆余曲折の人生を送ります。

彼女は失意の中、ほんとうの精神や肉体は<あちら側>の世界に行き、<こちら側>の世界には抜け殻のような存在で、たくさんの恋愛を送りました。佐伯さんの人生は、彼が亡くなった20歳の時点で停止します。空虚なままに多くの間違ったことを行い、その後は自分で自身をおとしめ、損なった傷跡が残されただけだといいます。

そして記憶の全てを綴った三冊のノートを焼くことをナカタさんに頼み、ナカタさんは星野青年とともに、約束通り河原で焼き完全に灰にします。

役割を終えたナカタさんも、深い眠りの中で静かに息をひきとります。ナカタさんは死ぬことによって、やっと普通のナカタさんに戻ることができたのです。その時に、ナカタさんの口から<邪悪>が出てきます。残された星野さんは、これを退治して、ナカタさんの願いであった<入り口の石>を閉じます。

こうして、私欲の無い無害で空白のナカタさんは、親切な星野さんのチカラを借りることで、結果的に<入り口の石>を<開き>、そして<閉じて>役割を終えます。星野さんによって歪みは消滅させられ、佐伯さんの思いも遂げられました。

佐伯さんは、カフカのほんとうの母親なのか?

「海辺のカフカ」の物語では、運命の呪縛を乗り越えて、孤独に閉ざされた自我の固い殻を破ること、思春期に訪れる精神的なエディプス・コンプレックスに15歳の少年が如何に強く耐えていくかがテーマです。

ですから佐伯さんもさくらさんも現実の母姉ではありません。しかし比喩的に母姉と捉えることで現実世界を幻想的な物語世界に変換して克服していきます。

カフカの仮説を、佐伯さんは仮説のままに受け入れています。

佐伯さんには一人の女性の人生として、カフカとは無関係に子供を捨てた過去があるようです。彼女が19歳のときに作った歌は、遠く離れた許婚いいなずけであった甲村青年を求める二人の恋を思う歌です。曲のタイトルは「海辺のカフカ」。

カフカが佐伯さんを母と思う仮説は、同時に佐伯さんがカフカを我が子と思う仮説に繋がっています。きっと彼女の心の中に閉じられた過去として存在しているのです。双方がそれぞれを母子と思うことで、結果的に疑似母子の関係が成立しています。さらに佐伯さんは、死んだ恋人から贈られた絵の少年を田村カフカと重ね合わせます。

その絵が飾られた部屋。そこはかって佐伯さんの恋人が使っていた部屋で、現在、カフカがそこで暮らしています。カフカが父親の死について自分に起こった不思議について大島さんに語った夜、カフカの部屋に幽霊がやってきます。それは現在の佐伯さんの生き霊が15歳の少女の幽霊に憑依します。

カフカは、<あちら側>の世界からやってきた15歳の少女に恋をします。

佐伯さんにとっては、恋人の甲村少年の霊が、カフカ少年に憑依している状態です。佐伯さんからすれば、仮説としてのカフカ少年を息子として、そして恋人として愛することができたのです。

佐伯さんは、私のまわりで何かが変わりはじめている気がすると言って、

「昨夜あなたの部屋で、私たちのあいだで起こったことも、たぶんそういう動きの中のひとつだったと思うの。(中略)私はもう無理に何かを判断するのはよそうと心に決めたの。もしそこに流れがあるのなら、その流れが導くままにどんどん流されていこうと思ったの」(33章)

それは失われた時間を埋めようとしていることだ、とカフカは言います。

現実の世界では、15歳の少女の霊魂は50歳の佐伯さんの身体を通して、思慕の念を抱きつづけるカフカ少年と性的に結ばれます。また思い悩むカフカを優しく相談に乗ってくれるさくらとも夢の中で結ばれます。運命の呪いは逃げられなくともメタフォリカルな状況で、カフカ少年は母を赦し、佐伯さんはカフカ少年を大人へと導いていきます。

佐伯さんが真実を克明に記録した三冊のノートは、ナカタさんの手で燃やされ灰になりますので、その意味では佐伯さんの人生の記録をナカタさんが処分してくれます。

<こちら側>と<あちら側>の境界線の場として山中のキャビンがあり、そこに案内するのが性的マイノリティの大島さんの役割です。大島さんのおかげでカフカは現実と異界を往還することができます。決して入ってはいけない奥深い森へ二人の旧帝国陸軍の軍服を着た兵隊に案内されます。

カフカ少年はついに<入り口>を抜けて<あちら側>の世界に入っていきます。森を抜けると川のある小さな町があり、大島さんの山中のキャビンに似た部屋に辿り着き眠りに落ちます。目を覚ました時に、台所では一人の女性が料理を作っている。そこには15歳の少女がいます。

「つまりあなたが森の中にいるとき、あなたはすきまなく森の一部になる(中略)あなたが私の前にいるとき、あなたは私の一部になる」(47章)

ここでは時間も記憶もなく、すべてが融合してひとつの世界になっており、現実の世界ではありません。カフカは異界にいるのです。

そこに50代の佐伯さんがやって来ます。

「今ここに来るのも、ほんとうのことをいえば、そんなに簡単じゃなかった。でもどうしてもあなたに会って話をしたかったの」(47章)

と彼女もまたカフカに会うために異界に入ってきます。そして、

「私は記憶をぜんぶ燃やしてしまったの」

と言い、心が覚えているうちにカフカへ話をします。そして何よりも大事なこととして、森を抜けてもとの生活に戻ることを約束させます。しかしカフカは戻る世界はないと言います。誰かに本当に愛されたり求められたりしたことがないと考えるカフカには「もとの生活」は意味を持たない。誰も僕を求めていないと言うと、佐伯さんが言います。

「私がそれを求めているのよ。あなたがそこにいることを」

しかしカフカは、佐伯さんはそこにはもういないと言う。そこ・・に戻ることで佐伯さんが何を求めているかが分からない。すると佐伯さんは、私が求めていることはただ一つと言う。

「あなたに私のことを覚えていてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」

記憶を必要としない森の中。ここは既に<こちら側>の生の現実の世界ではない。カフカは記憶の必要性を佐伯さんに問う。そして佐伯さんは、あの部屋にかかった絵を持っていてほしいという。その絵は、佐伯さんの恋人がプレゼントしてくれた絵であると同時に、絵の中にたたずむ少年はカフカだという。つまり絵は「海辺のカフカ」なのです

佐伯さんにとって20歳のときに死んだ恋人であり、それは絵の中の海辺の少年であり、その少年は現在のカフカなのです。

「あなたは僕のおかあさんなんですか?」とカフカは訊ね、「その答えはあなたにはもうわかっているはずよ」と佐伯さんは言う。

佐伯さんは遠い昔に、何よりも愛していたものが、失われてしまうことを恐れ、自分の手で捨ててしまったという。奪いとられたり、なにかの拍子に消えてしまうくらいなら捨ててしまったほうがいいと思った。そこには怒りの感情があった。でもそれは間違ったことだった。それは佐伯さんが恋人の思い出を怒りのなかで閉じ込める行為だった。

実の母に置き去りにされたカフカも、捨てられてはならないものに捨てられた。佐伯さんはカフカに怒りや恐怖が妨げないならば、と許しを乞う。そしてカフカは言う。

「佐伯さん、もし僕にそうする資格があるのなら、僕はあなたをゆるします」

このとき、カフカは記憶のなかの自分を裏切った母親をゆるす。そして佐伯さん自身も赦される。

記憶を大切に、現実の世界でいちばんタフな15歳になる。

カフカは呪縛から解かれ、そして佐伯さんは左腕の静脈を切り、カフカは佐伯さんの血を味わう。そして生きる意味に迷うときは絵を見なさいと言い残して去っていく。

「あなたさえ覚えていてくれたら、ほかのすべての人に忘れられてもかまわない」(49章)

かけがえのない人に、記憶され続けることの大切さ。カフカは佐伯さんとの約束を守ることで、呪縛を解かれ彼女から「海辺のカフカ」と名付けられた思い出の絵と共に生きようと思います。佐伯さんも彼女の記憶がカフカのなかに生き続けることで歪みが戻り正されます。そして現実世界で待つさくらさんがいることでカフカは<こちら側>の世界に戻ってくることができます。

最後に<入り口の石>を閉じることが必要となります。

同じ時期に<こちら側>の現実世界では、佐伯さんは死のときを受け入れ命を絶ってしまいます。

この後は「入り口の石」が閉じられなければなりません。

物語の終盤「カラスと呼ばれる少年」が語る部分、カラスは、僕と一緒に森の奥深いところにいます。

そこではジョニー・ウォーカーらしき男が現れ、この森はリンボ(生と死の世界のあいだ)で、男は死んでおり次に移行する魂だと言います。男の行く手を阻止しようと少年はカラスとなり素早く飛翔して鋭いくちばしを右目に切り込み、眼球が切り裂かれ舌を裂き血が噴き出すが、男は笑い続けます。

次に顔のいたるところを嘴を突きたてるが笑い声はますます大きくなる。今度は語りかける口の中に嘴をたて、男の舌を裂き、穴をうがち、外に引きずりだすという異界の闘いの状景描写が挿入されます。

同じころ黒猫のトロからアドバイスを受けた星野青年がナカタさんの口から出た、目もなく口もなく鼻もない、ぬるぬるした白く光っている<邪悪>が入り口に入ろうとするところを格闘し<入り口の石>を閉じることで、圧倒的な偏見をもって強固に抹殺して退治します。

佐伯さんとカフカ少年は、メタフォリカルな意味で、死んだ恋人との関係や母子の関係を得ることができます。そして佐伯さんは自身の過去の記憶をすべて消し去り、カフカに記憶を委ねて自死します。

カフカ少年は運命の予言である「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになる」との呪縛を、愛する行為のなか耐え抜くことで誰よりも強いタフな15歳になることができました。

この物語は、カフカと佐伯さんのそれぞれの現実と非現実の世界を往還し、その結び目をナカタさんが役割として担います。そして佐伯さんは入り口を開けたことで、入り込んだ悪は愛する恋人を奪い、彼女の心を<あちら側>に置き去りにします。

ナカタさんも幼少の頃、烈しい暴力で入り口が開き、記憶をすべて失い空っぽになっています。二人は半分の影となり死の時を待ちます。歪みがもとのあるべき姿に戻るためには二人は死ぬことが必要だったのです。

物語の中盤に、大島さんがT・S・エリオットの<うつろな人間たち>になぞらえて話す場面、それは佐伯さんの恋人を奪ったような人々のことです。

想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。(19章)

大島さんはそういうものを心から恐れ憎むことが、生きるための大切な約束事だとします。別れにあたり、警察に行き事情を説明しそして学校に戻るというカフカに対して大島さんは言います。

「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける」(中略)「大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものをとどめておくための小さな部屋がある」(49章)

そしてそれが、図書館の書架みたいな部屋だろうと言います。

カフカの唯一の友達「カラスと呼ばれる少年」は言います。

「君はいちばん正しいことをした。ほかの誰をもってしても、君ほどにはうまくできなかったはずだ。だって君はほんものの・・・・・世界でいちばんタフな15歳の少年なんだからね」(49章)

それでもまだ生きる意味がわからないというカフカに、「絵を眺めるんだ」そして「風の歌を聞くんだ」と言います。

※村上春樹のおすすめ!

村上春樹『風の歌を聴け』解説|言葉に絶望した人の、自己療養の試み。
村上春樹『1973年のピンボール』解説| 魂の在り処を探し、異なる出口に向かう僕と鼠。
村上春樹『羊をめぐる冒険』解説|邪悪な羊に抗い、道徳的自死を選ぶ鼠。
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』解説|閉ざされた自己の行方、心の再生は可能か。
村上春樹『ノルウェイの森』解説|やはり、100パーセントの恋愛小説。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』あらすじ|生きる意味なんて考えず、踊り続けるんだ。
村上春樹『眠り』解説|抑制された自己を逃れ、死の暗闇を彷徨う。
村上春樹『国境の南、太陽の西』あらすじ|ペルソナの下の、歪んだ自己。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』あらすじ|時空を繋ぐ、人間の邪悪との闘い。
村上春樹『スプートニクの恋人』あらすじ|自分の知らない、もうひとりの自分。
村上春樹『海辺のカフカ』あらすじ|運命の呪縛に、どう生き抜くか。
村上春樹『アフターダーク』あらすじ|損なわれたエリと危ういマリを、朝の光が救う。
村上春樹『1Q84』あらすじ|大衆社会に潜む、リトル・ピープルと闘う。
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