村上春樹『1Q84』あらすじ|大衆社会に潜む、リトル・ピープルと闘う。

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解説

ファンタジー色が強い物語なので特に主題の考察など不要かもしれませんが、1Q84に込められたメッセージを考えてみます。

1Q84は、リトル・ピープルを産みだす自由な大衆社会。

人間は共同体なしには生きていけません。一人で生きることは不可能です。私たちは何らかの共同体の一員です。広く言えば国家であり、中間共同体では企業や団体や地域などがあります。

もしその共同体が歪んだものであった場合に、盲目的に共同体に隷属して思考が停止することの恐さを物語っています。作品では60年安保、70年安保を経て、新左翼の果てにカルト教団『さきがけ』を登場させます。

リトル・ピープルが何ものかを正確に知るものは。おそらくどこにもいない(BOOK2_11章)

と前置きします。そしてこの世には絶対的な善もなければ悪もないとし、善悪とは場所や立場で入れ替わるとします。そして、

「我々は大昔から彼ら・・と共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから」(BOOK2_19章)

と言います。村上は「神話的なアイコン(象徴)として昔からあるけれど、言語化できない」とし神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれているものとします。

記憶の集積から産まれてくる、人間を突き動かす観念の世界。

現代の自由主義陣営は、ジョージ・オーウェルの描いた全体主義が管理する「ビッグ・ブラザー」の監視社会ではなく自由な大衆社会です。しかしカルト教団などは大衆(マス)の中から立ち起こるもので、善悪は振り子のように動いたり、砂嵐の後の砂丘のように形を変えたりします。

リーダーは媒介として、リトル・ピープルが憑依したものです。

リトル・ピープルの声を聴くリーダーがいて偏狭なカルトで教団は支配されます。

リーダーは筋肉が硬直し麻痺した時に、恩寵を賜る儀式として多義的に10代の巫女である信者と性的に交信を行います。その最初はリーダーと娘であるふかえりでした。

ふかえりはパシヴァ(=知覚する者)となり、リーダーはレシヴァ(=受け入れる者)となり、リトル・ピープルの代理人となります。ここでは「教祖」や「開祖」という呼称を意図的に使わず、「リーダー」という名称が使用されるのは、代理人だからです。

リーダーは、リトル・ピープルが憑依した受動的な個体です。

リトル・ピープルの声を聴き、リーダーは予言者としての役割を果たし教団を導きますが、儀式において精神も肉体も疲れたリーダーは肉体の苦痛から解放されるべく、自分を殺してくれと青豆に頼みます。そして最期は青豆のアイスピックによって死を迎えます。

教団は存続のために、新しいリーダーを作らなければなりません。

リトル・ピープルと反リトル・ピープルの闘い。

リトル・ピープルとは何なのか?こう記されています。

リトル・ピープルと呼ばれるものが善であるか悪であるのか、それはわからない。それはある意味では我々の理解や定義を超えたものだ(BOOK2_ 13章)

そして「リトル・ピープルが強い力を発揮し始めると、同時に反リトル・ピープル的な力も自動的にそこに生じる」とあり、リトル・ピープルの代理であるリーダーに対してふかえりは敵対する反リトル・ピープル作用の代理人となります。

そして天吾が『空気さなぎ』をリライトしたことで、ふかえりは知覚するもの(パシヴァ)、天吾は受け入れるもの(レシヴァ)の関係になり繋がっていきます。

落雷の夜に、天吾が硬直して麻痺しふかえりと性の交信を行ったことでひとつになり、マザとしてのふかえりは天吾の子として青豆の胎内に新たなドウタを宿らせます。ここは聖母マリナの処女懐胎の解釈となり、天吾の精子を搾り取り青豆の卵細胞に送り込んだことになります。ふかえりは通路として天吾と青豆を結びつけます。

こうして反リトル・ピープルとしての作用が広がっていきます。

お互いの愛を信じ続ける思いが、1Q84の世界の出口となる。

1Q84において『さきがけ』はリトル・ピープルの声を聴くリーダーによって成立する悪の世界です。リーダー亡き後、次の声を聴くものとして青豆の胎内の子供が継承者になります。

そして、反リトル・ピープルのモーメントが起こります。

青豆は宿った子供を天吾の子供だと考え、『空気さなぎ』の物語を信じる天吾も同意します。そして初めて、10歳のときから二人が背負って来た宗教や自身の出自の呪縛を乗り越えます。記憶のなかに潜在するリトル・ピープルの入り口的なものを二人は愛を感じることで排除し塞いだのです。

システムとしての『さきがけ』に対峙し、遂に非常階段を上り高速道路へ上がることで「1Q84年」の世界から、1984年でもない、さらに新しい世界に移動し二人は深く愛を確かめ合い生きていくことを誓います。

最も大切なのは、愛に満ちた個々人の絆の共同体としています。

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