村上春樹『1973年のピンボール』解説| 魂の在り処を探し、異なる出口に向かう僕と鼠。

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直子、そして3フリッパーのピンボール台「スペースシップ」。

1970年、故郷のジェイズ・バーで「鼠」が夢中だったピンボール台、「僕」は同じ年の冬に渋谷のゲームセンターで、恋人の喪失感から抜け出そうと、3フリッパーのピンボールに熱狂する。

彼女は素晴らしかった。3フリッパーのスペースシップ・・・、僕だけが彼女を理解し、彼女だけが僕を理解した。(中略)様々な想いが僕の頭に脈絡もなく浮かんでは消えていった。様々な人の姿がフィールドを被ったガラス板の上に浮かんでは消えた。(120P)

そして彼女が現れる。「スペースシップ」をかりて「直子」が語りだす。

あなたのせいじゃない、と彼女は言った。そして何度も首を振った。あなたは悪くないのよ、精一杯やったじゃない。(中略)違う、と僕は言う。違うんだ。僕は何ひとつ出来なかった。指一本動かせなかった。でも、やろうと思えばできたんだ。

「直子」が話し「僕」が答える。「僕」が話し「直子」が答える。

人にできることはとても限られたことなのよ、と彼女は言う。そうかもしれない、と僕は言う、でも何ひとつ終わっちゃいない、いつまでもきっと同じなんだ。(中略)終ったのよ、何もかも、と彼女は言う。

やがてゲーセンは取り壊され、ピンボール台も消えた。

1973年、僕は、双子に誘(いざな)われるように、失われた時を取り戻すために、悲運のスペースシップを探しはじめる。そしてついに見つける。

それは養鶏場の広い冷凍倉庫のなかだった。暗闇の中でスイッチを押すと、葬り去られたピンボールたちが眠る死霊のような世界だった。

そして僕は78台のピンボールを蘇らせる電源スイッチを探す。そして見つけたレバー式の大きなスイッチを点ける。すると電気を吸い込み、音を出し、電気音がして生に満ちた。

その世界は、死んでしまった大きな旧い配電盤のようでもあり、ピンボール台の光は金星の話のようでもある。そして何よりとても冷たい死後の世界である。

そこでスペースシップに化身した死霊の直子と会話をする。

ずいぶん長く会わなかったような気がするわ、と彼女が言う。僕は考えるふりをして指を折ってみる。三年ってとこだな。あっという間だよ。(中略)君のことはよく考えるよ、と僕は言う。そしておそろしく惨めな気持ちになる。(163P)

そして現実にいる「僕」は、念願かなって「直子」と邂逅する。

何故来たの?君が呼んだんだ。呼んだ?彼女は少し迷い、そしてはにかむように微笑んだ。そうね、そうかもしれない。呼んだかもしれないわ。ずいぶん捜したよ。ありがとう、と彼女が言う。(164P)

そして「僕」は、「直子」と繋がる。

辛い? いや、と僕は首を振った。無から生じたものがもとの場所に戻った、それだけのことさ。(166P)

こうして「僕」は、直子と決別することができた。

出口をもがく「鼠」の暗鬱な日々と、死に向かう眠り。

一方の「鼠」は、現実の苦悩から次第に暗鬱な世界に入り込む。これがパラレルに展開されます。

入口があって出口がある。「鼠」は出口を見出そうとしてもがいている。

もちろんそうでないものもある。例えば鼠取り。(14P)

鼠に訪れた季節は、悪霊にとりつかれたような世界。

一九七三年の秋には、何かしら底意地の悪いものが秘められているようでもあった。(41P)

相変わらずジェイズ・バーに訪れる鼠だが、時の流れはどこかでプツンと断ち切られてしまったように見える。何故そうなったか、鼠にはわからない。死んだロープは彼をどこにも導かない。

鼠は無力で孤独だった。

時の流れとともに全ては通り過ぎていった。それは殆ど信じ難いほどの速さだった。そして一時期の彼の中に激しく息づいていた幾つかの感情も急激に色あせ、意味のない古い夢のようなものへとその形を変えていった。(45P)

無人灯台のともる浜辺に建つアパートに住む二十七歳の女性に、鼠は忘れていた優しさが広がっていくのを感じた。

鼠は霊園を訪れる。それは墓地というよりは、見捨てられた町のように見える。敷地の半分以上は空地で、そこに収まる予定の人々はまだ生きている。霊園は鼠の青春にとって意味深い場所だった。川沿いの坂道を何度も往復した。

様々な夢があり、様々な哀しみがあり、様々な約束があった。結局は、みんな消えてしまった。(85P)

そして鼠は同じ光を眺めた。

二人は林に戻り、強く抱き合った。海からの潮風、木々の葉の香り、叢のコオロギ、そういった生きつづける世界の哀しみだけがあたりに充ちていた。「長く眠った?」と女が訊ねる。「いや」と鼠が言う。「たいした時間じゃない」(86P)

そして、焦燥感にかられる鼠は、恋を捨て街を出る決意をする。

前作「風の歌を聴け」で、鼠が大学をやめて故郷のジェイズ・バーの止まり木に佇む姿は、損得抜きの不器用な純情だった。しかし、本作の鼠の描写は重く沈んだ日々のなか、鼠の自死を暗示する。

そして鼠はジェイに別れを告げる。鼠が言う。

「俺は二十五年間生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ」(96P)

ジェイが返して言う。

「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね」(97P)

鼠がさらに返す。

「あんたの言うことはわかりそうな気がするよ」でもね、と言いかけて鼠は言葉を飲みこんだ。口に出してみたことろで、どうしようもないことだった。(97P)

鼠は、深い孤独のなかにいる。1970年の鼠のピンボール遊びの作法は、

もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則(テイルト)ランプによって容赦なき報復を受けるだろう。(30P)

心配するジェイの気持ちは、鼠には届かない。

鼠は首を天井に向け、そしてゆっくりと目を閉じる。そしてスイッチを切るように頭の中から全ての灯りを消しさり、新しい闇の中に心を埋めた。(126P)

鼠はジェイに別れを告げる。ジェイも理解を示す。

「街を出ることにするよ」と鼠はジェイに言った。(中略)「何故ここじゃだめなのかって訊かないのかい?」「わかるような気はするからね」(171P)

「そして大抵は入り口と出口がある」といいながら、冒頭の文章を思い出す。それは鼠の死を暗示したような次の文章だ。

鼠は四日目の朝に死んでいた。(15P)

鼠の出口は「」を暗示する。

眠りたかった。眠りが何もかもをさっぱりと消し去ってくれそうな気がした。眠りさえすれば・・・。(176P)

これでもう誰にも説明しなくていいんだ、と鼠は思う。

そして「1973年のピンボール」が、伝えたかったこと。

ピンボール・マシーンは、あなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。(中略)ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。(30P)

1970年の春に、直子は自殺。そして僕は夏を故郷で過ごした。その時、鼠もまた、ジェイズ・バーでピンボールにやり場のない思いをぶつけていた。鼠のピンボールのプレイは反則だ。

そして最後の場面でこう言う。

僕たちが共有していたものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった。それでもその暖かい想いの幾らかは、古い光のように僕の心の中を今も彷徨いつづけていた。そして死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでの束の間の時を、僕はその光とともに歩むだろう。(166P)

ピンボールの唸りは僕の生活からぴたりと消えた。そして行き場のない思いも消えた。(176P)

「僕」を異界に誘ってくれた双子たちは、その役割を終え帰っていった。その後、「僕」はテネシー・ウィリアムズの言葉を思い出す。

しかし僕たちが歩んできた暗闇を振り返る時、そこにあるものもやはり不確かな「おそらく」でしかないように思える。僕たちがはっきりと知覚し得るものは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとても僕たちの体をただすり抜けていくだけのことだ。(181P)

逆に言えば、ただはかなく消えかかる存在を、なんとかして捉えようとすることでもある。

「1973年のピンボール」でも、直子の自殺の真相を得ることは出来なかった。

しかし思索の旅を経て、僕は、透き通った気分として日常生活に戻っていく。そして鼠は、恋人に別れも告げずに、故郷を捨て街を出る。

Bitly

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