メッセージと感想
ねじまき鳥という物語(村上文学)のチカラ。
“暴力”と“エロス”が大きなテーマとなっている。
兄のノボルは偽りの顔をもち、大衆を扇動し、誤認識を与えることを喜びとする。“暴力”という無意識世界を表出させようとする。権威主義から全体主義を標榜している。
笠原メイに、あだ名をつけてと言われて、オカダ・トオルは自分を<ねじまき鳥>と名乗った。<ねじまき鳥>は実在する鳥だけれど姿は見えない。その辺の木の枝に止まってちょっとずつギイイ、ギイイイと世界の一日分のねじを巻いている鳥だ。
トオルは<ねじまき鳥>の行為を、平和を守る行為として感じているのだろうか。それはトオルの願望だろう。
家柄が良いわけでもなく、頭脳がずば抜けているわけでもなく、何かの有名人でもない。名もなき普通の人々・・・。その一人が、トオルなのだ。さらにこれまではデタッチメントだった。
そしてクロニクル(年代記)として、戦争の惨劇から現代の偽善者へと繋がる。
それは多くの兵士の命をもてあそび、市井の人々の暮らしを苦しめ続ける。その根源悪を「ねじ緩め鳥」とし、悪によって緩められたねじを巻く「ねじまき鳥」の記録として描いている。
その記録はシナモンによって行われていた。「ねじ緩め鳥」は、戦争指導者であり、空き家のかつての持ち主の軍部のエリートであり、皮剥ぎボリスであり、邪悪を受け継いだワタヤ・ノボルである。
逆に本田さんや間宮さんは善意の人々だが、彼等には邪悪を断ち切ることは出来なかった。「ねじまき鳥」にはなれなかったのだ。
世界のねじをうまくきちんと巻けるのは、ねじまき鳥だけなのだ。(二部)
普通の人々は、平和な世界を希求しているが、そうはならないことが連続している。
ねじまき鳥はほんとうに存在しているのか。世の中の人は立派で複雑で巨大な装置が、しっかりと世界を動かしていると思っている。でもそんなことはない。簡単なねじで、ただそのねじを巻けばいい。
でもそのねじは、ねじまき鳥にしか見えない。
綿谷ノボルは、トオルを、そして大衆を、ゴミや石ころのような人生だとする。トオルが見ようとしてものは、観念としての邪悪の正体なのだろう。気を失い、気がつくとトオルは井戸の底にいた。
僕のまわりには水があった。(三部)
水が湧いている。これは水脈が通っているという意味である。あそこで起こったことは現実だったのかとトオルは思う。
んんん・・・、どんどん水が増えてきて、大変なことになってくる。
溺れて死んでしまうかもしれない。そこで、あの笠原メイが登場して言う。
「かわいそうなねじまき鳥さん」(中略)「あなたは自分を空っぽにして、失われたクミコさんを一生懸命救おうとした。そしてたぶんクミコさんを救うことができた。そうね?そしてあなたはその過程でいろんな人たちを救った。でもあなたは自分自身を救うことはできなかった。そしてほかの誰も、あなたを救うことはできなかった。あなたは誰か別の人たちを救うことで力と運命をすっかり使い果たしてしまった。」(三部)
そんなメイの言葉に対して、トオルは思う。
僕はこうして井戸をよみがえらせ、そのよみがえりの中で死んでいくのだ。そんなに悪い死に方ではない。と僕は自分に言いきかせてみた。(三部)
ここはハードボイルド風のオチですね。そして結局、トオルはシナモンに助けられます。ナツメグは、この屋敷(井戸のある場所)はもうすぐ処分されると言います。
シナモンのパソコンにはクミコからのメッセージがあった。クミコは現実世界でノボルの生命維持装置のプラグを外して殺害し自首するといいます。猫を大事にしてくださいと結んでありました。
これで邪悪な観念(魂)も肉体もなくなってしまったことになります。
気がつけば、トオルの右の頬のあざも消えていました。ひたむきに懸命に生きる市井の人々。そこにあるささやかだけれども素晴らしくかけがえのない人間の営みや幸せ。そういうものを守るために<ねじまき鳥>は闘わなければならない。作者は物語のチカラでそれを実践したのです。
最後に<ねじまき鳥>の僕が、笠原メイに別れを告げる。
さよなら、笠原メイ、僕は君が何かにしっかりと守られることを祈っている(三部)
こうしてトオルは、笠原メイをはじめたくさんの人々と出会い試練を乗り越え悪を倒し、闇に包まれた<あちら側>の世界から光の射し込む<こちら側>の世界にクミコを取り戻すことができたのです。
それは村上文学の初期の特徴としての<デタッチメント>から、<コミットメント>へと変わる転機となった作品でした。
※村上春樹のおすすめ!
村上春樹『風の歌を聴け』解説|言葉に絶望した人の、自己療養の試み。
村上春樹『1973年のピンボール』解説| 魂の在り処を探し、異なる出口に向かう僕と鼠。
村上春樹『羊をめぐる冒険』解説|邪悪な羊に抗い、道徳的自死を選ぶ鼠。
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』解説|閉ざされた自己の行方、心の再生は可能か。
村上春樹『ノルウェイの森』解説|やはり、100パーセントの恋愛小説。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』解説|生きる意味なんて考えず、踊り続けるんだ。
村上春樹『眠り』解説|抑制された自己を逃れ、死の暗闇を彷徨う。
村上春樹『国境の南、太陽の西』解説|ペルソナの下の、歪んだ自己。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』解説|涸れた心を潤し、イドを鎮める物語のチカラ
村上春樹『スプートニクの恋人』解説|自分の知らない、もうひとりの自分。
村上春樹『海辺のカフカ』あらすじ|運命の呪縛に、どう生き抜くか。
村上春樹『アフターダーク』解説|損なわれたエリと危ういマリを、朝の光が救う。
村上春樹『1Q84』あらすじ|大衆社会に潜む、リトル・ピープルと闘う。
村上春樹『パン屋再襲撃』解説|非現実的で不思議な、襲撃の結末は。
村上春樹『象の消滅』解説|消えゆく言葉と、失われる感情。
村上春樹『かえるくん、東京を救う』解説|見えないところで、守ってくれる人がいる。
村上春樹『蜂蜜パイ』あらすじ|愛する人々が、新たな故郷になる。
村上春樹『品川猿の告白』解説|片想いの記憶を、熱源にして生きる。
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ/ライ麦畑でつかまえて』解説|ホールデンの魂が、大人のインチキと闘う。
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー/華麗なるギャツビー』あらすじ|狂騒の時代、幻を追い続けた男がいた。
カポーティ『ティファニーで朝食を』解説|自由を追い求める、ホリーという生き方。
作品の背景
村上春樹の8作目の長編。第1部 泥棒かささぎ編、第2部 予告する鳥編、第3部 鳥刺し男編とボリュームのある長編となっている。平穏な結婚生活から猫がいなくなる。そして突然、妻のクミコが失踪する。そして主人公の僕(オカダ・トオル)は妻を探す。クミコの実兄の綿谷ノボルが現代社会の<悪>の象徴として存在する。
次々に起こる出来事や様々な人間との出会いや体験。いびつな現代社会と戦時中というふたつの連続する時空間のなかに、10代から70代までの世代を登場させることで、現在と過去の記憶、戦争における人間の残虐さ、現代における人間の<表層の正義>と<深層の邪悪>という欺瞞や自己の正当化、血筋や遺伝からの精神的・肉体的な宿痾、現実と異界の往来などを描きながら、主人公のトオル(僕)が妻のクミコを取り戻す物語である。
特に村上文学に特徴的な<井戸>や<壁抜け>で<こちら側>と<あちら側>を往来する。また紙幅を割いているノモンハン事件の内容は、想像で書かれたもののようだが戦争を生々しい歴史の記憶として現代の人々の前に提示している。
発表時期
当初は1994年(平成6年)4月に刊行された第1部 泥棒かささぎ編と第2部 予告する鳥編の2巻で「完」となっていたが、第3部 鳥刺し男編1995年(平成7年) 8月が予期せぬ続編として刊行された。それぞれ新潮社より刊行され現在は同じ装幀の3冊の長編となっている。村上春樹45歳~46歳の時期となる。村上自身は、最初は第1部と第2部で終わることで、「閉じないことで閉じる」と考えていたという。つまり謎が解明されないまま、読者に委ねて終わるというスタイルに村上は固執したとされる。しかし結果的には第1部と第2部での<謎を>を第3部で<解く>という形になっている。
1996年2月に第47回読売文学賞を受賞。1999年、英語版『The Wind-Up Bird Chronicle』は国際IMPACダブリン文学賞にノミネート。1991年、村上がプリンストン大学に客員研究員として招聘された際に滞在1年目に1部と2部を執筆。1年半後に第3部が出版される。第1部の冒頭部分は短編小説「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(『パン屋再襲撃』に所収されているものを一部改訂)である。
村上の小説としては初めて、蒙古及びソ連軍と日本軍が戦ったノモンハン事件という巨大な戦争という暴力とそのエピソードを作家の想像上の出来事として描いている。