村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』あらすじ|時空を超えた、邪悪との闘い。

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解説

消えた猫、出入口のない路地、空き家の庭。

朝の十時半に、聞き覚えのない声の女から性的な挑発をする電話がかかってくる。電話を切ると再びかかってきたが、こちらの電話は妻のクミコだった。

「ところで猫は戻ってきた?」(中略)「たぶん路地・・の奥の空き家の庭にいるんじゃないかと思うの。鳥の石像のある庭よ。そこで何回か見かけたことあるから」(一部_1)

妻は仕事をしていて、僕は失業中でずっと家にいる。もう1週間もいなくなった猫を僕に探してほしいという。歩き方やどろんとした目つきが似ているので、猫の名前は冗談で「ワタヤ・ノボル」と名付けられている。クミコの兄で僕の嫌いな男だ。

クミコが指定する場所は、家の塀を越え路地にある空き家の庭。路地といっても入口も出口も塞がれている。つまり出入口の無い閉ざされた空間である。この場所を僕に指定するクミコは、この空き家に行ったことがあるということになる。

「空き家でも他人の家だから、勝手には入れないよ」と僕は言う。すると猫探しに消極的な僕に対して、クミコは言う。

「あなたはあの猫をみつけようとなんかしていないのよ。だから猫は見つからないのよ」(一部_1)

まるで猫はクミコの分身で、まるでクミコが僕をその場所に呼んでいるようだ。

それからクミコに頼まれたという加納マルタという女性から電話があり、僕は品川パシフィックホテルで彼女と会う。加納マルタは霊能者のようで、占いや家相に凝る綿谷家と繋がりがあり、クミコが猫のことで綿谷ノボルに相談し、ノボルがクミコに加納マルタを紹介した。加納マルタは話す。

「妹は綿谷ノボルさまに汚されました。暴力的に犯されたのです」(一部_3)

加納マルタは水と体の組成について研究しており、綿谷ノボルから妹が体の組成を汚されたという。そしてここは混乱と暴力の世界で、内側にはもっと混乱と暴力の世界があるという。そして猫はもう家の周辺にはいなく、猫が消えたことは始まりでこれからいろいろなことが起きると暗示する。僕はクミコが兄のノボルを嫌っていることを知っていたので、クミコがノボルに相談したことを不思議な気持ちになる。

あの猫は私たち・・・にとって大事な存在だと思うの。(一部_4)

猫は妻が結婚を機に飼い始めたもので、これまで何も自分の思い通りにならなかったクミコにとって、猫は二人の結婚生活の大切な象徴だった。

クミコの大切にしていた猫がいなくなる、彼女の指定した空き地の庭、そこは入口も出口もない路地の閉ざされた空間。不思議で不吉な物語が始まりの予感がする。

涸れた井戸と鳥の石像と、思春期の笠原メイ。

その空き地には<井戸>がある。井戸は村上文学では大きな意味を持つ。

第一作の『風の歌を聴け』では、架空の作家デレク・ハートフィールドの作品で「火星の井戸」が登場し、奇妙な力が優しく、ある青年の体を包みはじめる。

第二作の『1973年のピンボール』では、恋人だった直子の生まれた土地での井戸掘り職人の豊かな水の逸話や、涸れた井戸の話が出てくる。

『ノルウェイの森』では、直子が主人公に闇に引き込まれそうな恐ろしく深い井戸の話をして歩く。

「ねじまき鳥クロニクル」では、それは東京の真ん中で僕の住む家のすぐ裏である。路地と空き家という閉ざされた空間に<井戸>がある。

ナツメグは僕からクミコの失踪の話を聞いて訊ねる。

「それで、いったいどこから・・・・あなたはクミコさんを救いだすことになるのかしら?その場所には名前のようなものはついているのかしら」(三部_9)

と問われて、僕はうまい言葉が見つからずに「どこか遠くです」と応えながらも、

僕には井戸がある」(三部_9)

と言う。「それをあなたが手に入れることができればね・・・・・・・・・・・・・」とナツメグが返す。

<井戸>はフロイトの精神分析学の<イド>と重ねて連想される。<イド>は本能的な衝動の場所で、快楽原則にそって快を求め不快を避ける機能を有するとされる。そして自我や超自我と葛藤を起こす。

その意味を含め<井戸>は心の奥深い場所の比喩であり、深層心理を考えることは自分の内側を深く訪ねていく行為であり、その結果、全く意識しなかった闇の部分に気づいたり、頑なな自分の壁を打ち破り異界へと訪れる。その深層心理へ向かう交信地点として<井戸>がある。<井戸>は日常の表層としての<こちら側>から、深層としての<あちら側>へと繋がる境界でもある。

その井戸は水がなく涸れている。<涸れた井戸>から地下水脈をつたいながら異界を往来しクミコに繋がることは、<>を貯めていく作業でもある。

涸れた心に潤いを取り戻し、僕の魂が再生する行為である。

僕は塀を越えて出口のない路地に下りる。そして空き家の庭に入る。庭を抜けたところに涸れた井戸があった。それは空き家よりもずっと古い時代に作られたものだった。

僕は本田さんのいう<上に行くべきときは、高い塔のてっぺんに登り、下に行くべきときは深い井戸を見つけてその底に下りる>という話、さらには間宮さんが外蒙古の兵隊によって閉じ込められた井戸で<光の中にある何か>を感じたという話を思い出し、自ら井戸の底に下りて自らの考えを整理し、そしてクミコの本当の思いを知ろうとする。

自身の深層を訪ね、記憶と対話しながら、暗示を聴き啓示を得て、失踪したクミコを探そうとする。

その井戸の傍には<鳥の石像>がある。木立からはまるでねじを巻くようなギイイイッという鳥の声が聞こえる。我々はその鳥を「ねじまき鳥」と呼んでいる。クミコがそう名付けた。本当の名前を知らないし、どんな姿をしているのかも知らない。

ねじまき鳥は、我々の属する静かな世界のねじを巻いている。

空き家の向かいの家の裏庭では、一六歳の女の子 笠原メイが僕を見ている。

「人が死ぬのって、素敵よね」(一部_1)

と言い、死のかたまり・・・・・・をとりだして切り開いてみたいという。

彼女は学校に行かずバイトをして暮らしている。死への好奇心と、壊れやすい感受性をもつ不思議な少女メイとの語らいは、僕に気づきを促してくれる。路地の空家の庭での語らい、そして全寮制の更生施設や山中のかつら製造工場からの七通の手紙など、彼女は僕という<ねじまき鳥>に啓示を与える

笠原メイは僕という<ねじまき鳥>の良き話し相手だが、かなりペシミスティックで、まぬけな大人をばかにする。僕もその大人の一人のようだ。

謎の電話の女のことや加納クレタとの縁側での交わりをメイは目撃して、失踪した妻に同情しながらも僕に言う。

「あなたが今どんなひどい目にあっているにせよーきっとひどい目にあっているはずだと思うけれどーそれはたぶんあなた自身が招いたものだという気がするな。あなたは何か根本的な問題があって、それが磁石みたいにいろんな面倒を引き寄せるのよ。だから少しでも気のきいた女の人なら、あなたのところからさっさと逃げだしていくと思うわ」(二部_5)

自由を愛し、自我が強く、協調性がない僕の性格は、笠原メイに見透かされている。それでも僕はクミコを救いだそうと試練に立ち向かい謎に迫っていく。

飛べない鳥、水のない井戸、僕は井戸の底に下りて考える。

午後三時、地上の圧倒的な光の足元の井戸の下には闇が存在する。

意識について考えることはもうやめよう。もっと現実的なことを考えよう。肉体が属している現実の世界について考えよう。そのために僕はここにやってきた。現実について考えるために。現実について考えるには、現実からなるべく遠く離れた方がいいように僕には思えたのだ。たとえば深い井戸の底のような場所に。(二部_7)

笠原メイは続けて言う。

自分がいつか死んでしまうとわかっているからこそ、人は自分がこうしてここに生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないのかな。だってそうじゃない。いつまでもいつまでも同じようにずるずる生きていけるのなら、だれが生きることについて真剣に考えたりするかしら。(二部_10)

笠原メイは人間は死を意識することで、生を意識できると考えている。メイはトオルが結びつけた井戸の縄梯子を外す。逃げ場を捨てた、真剣な生と死の向き合いをトオルに求める。

僕は井戸の底で考える。「僕らは二人で新しい世界を作ろうとしていたんだ。僕もクミコもそれまで存在したものから抜け出して新しい自分や自分たちを作ろう」としたと言うと、

ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは誰にもできないんじゃないかな。『さあこれから新しい世界を作ろう』とか『さあこれから新しい自分を作ろう』とかいうことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かがあれば『こんにちは』って顔を出すのよ。(二部_10)

メイは、そんなことをトオルに返す。それは「家族や歴史や記憶の中にあるもので、それを無視して表面だけを新しいものにすることはできない」という考え。「もっと深く人間それぞれに存在するものを考える必要がある」と笠原メイは言う

メイも井戸の中に入ったことがある。暗闇の中で自分の中にある何かがどんどん大きくなって、自分そのものを破りそうに思ったという。抑えようとしても抑えられない。白いぐしゃぐしゃしたもの。

人間というのはきっとみんなそれぞれ違うものを自分の存在の中心に持って生まれてくるのね。そしてそのひとつひとつ違うものが熱源みたいになって、ひとりひとりの人間を動かしているの。もちろん私にもそれはあるんだけれど、ときどきそれが自分の手に負えなくなってしまうんだ。(二部_16)

メイはそう言い、何とか人に伝えたいけれど、みんな聞いているフリだけして聞いてくれない。そしてひどく苛々して滅茶苦茶なことをすると言う。

「ねえ、ねじまき鳥さん、私は自分が汚されているとかそういう風には感じないわよ。私はただそのぐしゃぐしゃに近づきたかっただけなの。私は自分の中にあるそのぐしゃぐしゃをうまくおびきだしてひきずりだして潰してしまいたかったの。そしてそれをおびき出すためには、本当にぎりぎりのところまで行く必要があるのよ。(二部_16)

汚されてしまうか、引きずりだして潰してしまうかは大きな違いだが、そのためにはぎりぎりのところまで行く必要があるというのだ。

悪の系譜と記憶、そして翻弄される名もなき人々。

村上作品では、『ねじまき鳥クロニクル』に初めて暴力描写が登場する。最も巨大な暴力、それは戦争だ。日清・日露戦争の英雄たちを描いた司馬史観から後の世界。誤った指導者の下に繰り広げられた国家としての総力戦であり、前線での悲惨な肉弾戦という近代戦争の惨劇である。

本田さんと、後に生還した間宮中尉を登場させ、戦場での非人間的な行為の数々が人間の精神や肉体を破壊していく過程を描く。

日本と満州、蒙古とソ連、この北方の戦いのハイライトとなるノモンハンの戦場。ボリスの指示で蒙古兵が山本に行った皮剥ぎの残忍な殺しの目撃と、外蒙古の兵隊に平原にある深い井戸に放り込まれ生死を彷徨った経験の二つを軸に、時空を越えて満州周辺における戦時下の残虐な出来事と戦争の記憶を読者に強い印象として伝える。

その戦場での<井戸の底と水の話>は、現在の空き家の庭の<井戸の底と水の話>と遠い記憶で繋がっている。

本田さんに言われて沈思黙考した井戸は、空き家の所有者を辿ると、終戦までは北支にいた名の知れた大佐で陸軍のエリート軍人でかなりの勲章もあったが、同時に、戦時捕虜を五百人も処刑したり、農民を何万人も強制労働させたりして極東軍事裁判を怖れてピストル自殺をした。その後も映画女優が不幸な自殺を遂げた因縁のある土地だった。

この部分は、この井戸を通して遠い過去と現在が繋がっていることをあらわしており、点ではなく直線上に思考することの大切さを示唆する。国境の地で本田は間宮(当時 少尉)に告げている。

「少尉殿はこの我々四人の中でいちばん長生きして、日本で死なれます。ご自分で予想なさっているより遥かに長生きされることになります」(一部_12)

その遠い過去の満蒙の地での日本の軍隊での会話が井戸を通じて蘇るようである。

間宮は本田に霊能力があると考える。そしてトオルは本田さんと繋がり、本田さんの死後に形見分けにやって来た間宮さんと繋がっていく。綿谷家の反対を押して僕とクミコが結婚することができたのは、父親が本田さんを霊能者として崇めており、彼の推薦に従ったからだった。そして結婚後も本田さんと月に一度会うことを義務付けられた。

その綿谷家が高く評価する<神がかり>な霊能力を持つ本田さんが心臓発作で亡くなると、本田の言う通り七〇歳の今も生きている戦友の間宮中尉を登場させて、満州と外蒙古の国境地帯での情報活動やノモンハン戦を捉え、いたずらに死者を増やした軍の上層部と、戦火の中で残虐さを露わにして、変貌する兵士を描いている。

クミコの父親は東京大学を優秀な成績で卒業し、運輸省のエリート官僚になる。しかしプライドが高く独善的だった。命令することに馴れ、自分の属している世界の価値観を微塵も疑うことなく、ヒエラルキーが全てだった。上にはかしこまるが、下には踏みつけることをいささかの躊躇を感じない。クミコの母親もまた高級官僚の娘で、どうしようもない見栄っ張りだった。

クミコは小さい時に祖母のところに預けられ溺愛されるが、呼び戻すときに祖母はひどく興奮し気持ちを高ぶらせクミコを思いきり抱きしめたかと思うと、次の瞬間、みみずばれができるくらい物差しで彼女の腕を打った。

この多重人格の恐ろしさを、クミコは子供のころに感じている。

クミコは心を下界から閉ざした。そんなクミコの面倒を見た優しい姉は食中毒の事故で死んでしまった。クミコは家庭の中で屈折した複雑な少女時代を送った。

そして綿谷ノボルこそが、この邪悪な思考システムを継承した人間なのだ。

兄の綿谷ノボルは不自然で歪んだ少年時代を送った。弱肉強食の階級社会でエリート以外、生きている意味は無いという父親の考えで育てられた。東大を卒業しイエール大学で二年、そして東大の大学院から経済学者になる。テレビにも出演しマス・メディアは喜んで彼を受け入れ、彼も喜んでマス・メディアを利用した。彼は大衆を扇動する術を身につけており、大衆の感情を喚起することができた。彼は仮面を被り自己を偽ることができる。

彼は本質的には下劣な人間であり、エゴイストだった。ただ明らかに有能な人間だった。しかしトオルは彼の言説は一貫性がなく、深い信念に裏付けられた世界観も持っていないと見破った。

物語では邪悪の系譜を綿谷ノボルが引き継いでおり、クミコの精神世界を弄び、汚し損なおうとしている。さらに無知な大衆をテレビを通じて、騙して味方につけていく。

トオルはこの邪悪さに対して、全力で闘い、倒さなければならないと考える。

綿谷ノボルという<邪悪>と、トオルの闘いについて。

綿谷ノボルが選民として、トオルを侮辱し、そして人々を侮蔑する場面がある。

トオルがはじめて綿谷ノボルと会った時に、クミコの結婚のことを報告し、法律事務所を辞めて自分自身を模索していると説明すると、ノボルは結婚は妹のクミコの問題だから反対する理由はなく、寧ろこうして話をする時間が無駄だという。トオルは自分とは正反対の側にいる人間だと評する。そしてクミコが失踪して困惑したトオルが、三年ぶりにクレタとともに綿谷ノボルに再会した時には、洗練され新しい仮面を手に入れていた。ノボルはクミコに男ができたので籍を抜くべきだと、呪縛をかけるようにトオルに対してこう言う。

今の君には仕事もなく、これから何をしたいというような計画もない。はっきり言ってしまえば、君の頭の中にあるのは、ほとんどゴミや石ころみたいなものなんだよ(二部_3)

何かが隠されていると直感するトオルは、綿谷ノボルを下品なサルの島にたとえ、徹底抗戦する意思を伝える。

「でも僕はあなたが思っているほど愚かじゃない。僕はあなたのそのつるつるしたテレビ向き、世間向きの仮面の下にあるものを、良く知っている。そこにある秘密を知っている。(中略)僕はつまらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩きかえします。そのことはちゃんと覚えておいた方がいいですよ」(二部_3)

そしてトオルは井戸の中で、クミコとの出会いや初めてのデート、結婚生活、妊娠、そして札幌出張にあわせた堕胎手術のことなどを思い出し、夜明け前に井戸の底で夢を見る。その夢は広いロビーの大型テレビの画面で綿谷ノボルが演説をしている。世界は複雑に見えても動機は単純で、それが何を求めているか・・・・・・・・・・・、それだけである。動機というのは欲望である、という。

「愚かな人々は、永遠にその見かけの複雑さから抜け出すことはできません。そしてその世界のありようを何ひとつ理解できないまま、暗闇の中でうろうろと出口を捜し求めながら死んでいきます。彼らはちょうど深い森の奥や、深い井戸の底で途方に暮れているようなものです」(二部_8)

綿谷ノボルはマスコミの世界でオピニオンリーダーとして重宝がられ、同時にそれはトオルに語っているようだ。

トオルは井戸の底の深い闇に包まれる、肉体は意識を中に収めるためのただの殻ではないのかと感じはじめる。そして夢というかたちを取っている何か・・を体験する。

ロビーから客室に向かう廊下で、「顔のない男」が「今は間違った時間です。あなたは今ここにいてはいけないのです」と言う。しかし僕は前にはだかり、制止する僕の影である「顔のない男」を押しのけて208号室に辿り着く。

208号には僕に奇妙な電話をかけてきた謎の女がいた。「私が誰なのか、あなたは本当にそれを知りたい?」と訊ねてくる。「私はあなたのことを知っているし、あなたも私のことを知っている。でも私は私のことを知らない」と言う。そして、

「あなたが私の名前をみつけることさえできれば、私はここを出ていくことができる(中略)もし奥さんをみつけたいのなら、なんとか私の名前をみつけてちょうだい」(二部_8)

と言うと、ふと我に返ったように言った。

もしあの・・男があなたをみつけたら、きっと面倒なことになる。あの・・男はあなたが考えているよりも遥かに危険なのよ。あなたを本当に殺してしまうかもしれない。そうしても不思議はないような男なの」(二部_8)

さらに女の声は性的に誘う声に変わる。そこに誰かの気配がして、女は僕を引き<壁抜け>をする。そして<こちら側>の深い井戸の底に戻っていた

あの女はクミコだったのだ・・・・・・・・・・・・(二部_18)

僕はどうしてそれに気がつかなかったのだろうと思う。

そして一年半近く行方不明になっていた猫が帰ってきた。体は頭から尻尾の先まで乾いた泥がこびりついていた。これはきっと<あちら側>の異界から<こちら側>の現実の帰ってきたのだ。それは祝福すべき前兆で新しい名前をつけた。

そして猫に、いいか、お前をもうワタヤ・ノボルなんかじゃなくサワラなんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、と教えた。

クミコの手掛かりが分かった時点で、消えた猫も帰ってきたのです。

綿谷ノボルは何かのきっかけで暴力的な力を飛躍的に強めます。そしてテレビやメディアを通じて広くその力を社会へ向けていきます。

不特定多数の人々が暗闇の中で無意識に隠しているものを、外に引き出そうとしている。それを政治家としての自分のために利用しようとしている。それは本当に危険なことなんだ。彼の引きずりだすものは、暴力と血に宿命的にまみれている。そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐに結びついている。それは多くの人々を結果的に損ない、失わせるものだ(三部_36)

クミコは自分の血筋に暗い秘密が潜んでいることを自覚し孤独に暮らしていたが、僕と結婚したことで不安を忘れ回復していくかに思えた。しかし過去に置いてきたはずの闇の力に引き寄せられ、綿谷ノボルの所に行った。それは妊娠と堕胎がきっかけだったとトオルは思う。

君が僕の側の世界から、綿谷ノボルの側の世界に移ったということだ。(三部_38)

クミコは<こちら側>の世界ではトオルと平穏な結婚生活を送っているが、<あちら側>の世界では綿谷ノボルに汚されている。

だからクミコが<こちら側>の世界にいるときに、トオルと語り合う場合には普通の状態だが、<あちら側>のクミコは変貌する。その乖離について彼女は何の罪悪感も持っていない。しかし混乱の中で次第に、クミコは<あちら側>の世界の闇に閉じ込められ、そこから救いだされることを求めていた。だからトオルに姿を明かすことはできないのだ。だから「私の名前をみつけてちょうだい」とメッセージを送り続けたのだ。

失踪した妻は、綿谷ノボルによって精神を汚され、肉体を損なわれかけている。

トオルはクミコの魂を闇の中から救い出すために、自分自身の心の中の深い井戸の底に座っている。トオルは自身の体の奥深くから<あちら側>の世界に行き208号室の閉じ込められたクミコを救い出すために綿谷ノボルと闘うことを決意する。

これは異界に入っていき、精神世界のなかで、トオルと綿谷ノボルの闘いを意味する。

ねじまき鳥クロニカルのメッセージについて。

僕が笠原メイに自分の名前を「オカダ・トオル」と名乗ると、あだ名をつけてと言わて、僕は<ねじまき鳥>と名乗った。

この<ねじまき鳥>は実在する鳥なのだけれど姿は見えない。でもその辺の木の枝に止まってちょっとずつギイイ、ギイイイと世界のねじを巻いている鳥だ。

さらにクロニカル(年代記)として近現代の為政者や軍令部のエリートたちの悪と無名の兵隊や市井の人々の静かな世界について、悪を「ねじ緩め鳥」とし、悪によって緩められたねじを巻く「ねじまき鳥」の記録として描いている。

ねじまき鳥がねじを巻かないと、世界が動かないという。でもそのことを誰も知らない。世の中の人はみんなもっと立派で複雑で巨大な装置が、しっかりと世界を動かしていると思っている。でもそんなことはない。簡単なねじで、ただそのねじを巻けばいい。

でもそのねじは、ねじまき鳥にしか見えない

村上春樹にとって「深い森の奥」や「深い井戸の底」こそが大切で、そこが<こちら側>と<あちら側>あるいは、<表層>と<深層>の境界で、人間を感じ、考え、真摯に見つめあい共振しあえる場所であり行為であるとしている。

綿谷ノボルはその行為を、うろうろと途方に暮れるゴミや石ころのような人生だとする。

綿谷ノボルのようにエリートで強い力を持ってはいるが、思考の一貫性がなく知的なカメレオンのような態度の不気味な人間。大衆を先導し誤認識を与えることを喜びとする人々を、遠い日満やノモンハン戦争の記憶の中で上層部と服従する兵士の記憶をたどり、その結果がもたらした不幸な歴史と紐づけている。

それは綿谷ノボル的な偽の正当性との闘いであり、トオルは再び訪れた208号室で雌雄を決する。

綿谷ノボルに暗闇でバットで致命的な一撃を加える。それは戦争の遠い記憶の中で日系の指導教官と士官学校の中国人生徒を撲殺したバット、そして札幌のギター弾きと新宿で再会し後をつけたアパートで肩を打たれたバットと繋がり、綿谷ノボルへのスウィングは静かで平穏な暮らしを守るためだった。

トオルの一撃は綿谷ノボルに致命傷を与える。それは脳味噌の臭いであり、暴力の臭いであり、死の臭いだった。邪悪を退け殺す。すべては終わる。正体を僕は見ようとする。たがクミコはそれを制止して部屋からどこかに行ってしまう。

そして壁を抜けて井戸の底に戻る。それは同時に現実に演説中の綿谷ノボルが脳溢血で倒れた場面だった。そして最後にクミコから生命維持装置を外されて殺される。

僕のまわりには水があった。(三部_37)

それはもう涸れた井戸ではなかった。水が湧いてるのだ。あそこで起こったことは現実のことだろうかと僕は思う。大丈夫、もう心配することはない。たぶんすべては終わったのだ。しかしどうして突然に水が湧き出たのだろう?

そして次第に水が増えてきて、僕は大変なことになってくる。溺れて死んでしまうかもしれない。そこで、あの笠原メイが登場して言う。

「かわいそうなねじまき鳥さん」(中略)「あなたは自分を空っぽにして、失われたクミコさんを一生懸命救おうとした。そしてたぶんクミコさんを救うことができた。そうね?そしてあなたはその過程でいろんな人たちを救った。でもあなたは自分自身を救うことはできなかった。そしてほかの誰も、あなたを救うことはできなかった。あなたは誰か別の人たちを救うことで力と運命をすっかり使い果たしてしまった。」(三部_37)

そんなメイの言葉に対して、僕は思う。

僕はこうして井戸をよみがえらせ、そのよみがえりの中で死んでいくのだ。そんなに悪い死に方ではないと僕は自分に言いきかせてみた。(三部_37)

暴力に暴力で返す。静かで平和なねじを巻き続けるための<ねじまき鳥>たちの闘いである。それは、<邪悪>と闘い、大切なものを守ることの大切さを問いかけている。

メイの七通目の手紙に、工場の敷地の池に住む十二羽の「アヒルのヒトたち」のことがふれられる。(アヒルのヒト・・・・・・というのは表現としてヘンだけどと前置きをして)

アヒルというのはとても愉快なヒトたちなのです。じっと見ていてもあきないのね。どうしてほかのみんながこのヒトたちにそんなに興味を持たないで、わざわざ遠くまで出かけてお金を払ってつまらない映画なんか見るのか、私にはもうひとつよくわからない。(中略)まじめに一生けんめい生活していて、しかもひょっとコケちゃうんだな。そういうのってすてきよね。(三部_38)

メイのいる山中のかつら製造の工場は十二月になると氷が張る。メイの同僚の女の子は氷が張ればスケートをするという。アヒルの足は水かきのためで、氷の上に着地すると滑ってコケる。「また氷かよ、しょうがねえな」とぶつぶつこぼしながらも、冬は冬で楽しく生きているみたいだという。

私はそういうアヒルのヒトたちのことが好きです。(三部_38)

とメイは言う。こんな幸せな気持ちはずいぶん長いあいだ経験していなかったという。

この感動はトオルが叔父に言われて十一日間、新宿で流れ行く人々を無感動に観察したのと逆の心象である。メイの認識と新宿でのトオルの認識は正反対である。

メイは前章でトオルの叫びを夢の中で聞き、裸になって白い月の光にさらす。そして体のいろんな部分を月の光にあてる。そしてアヒルと自分との間でおこった温かい幸福の気持ちを考える。おまじないやお守りのように。そしてゆっくりと精神も肉体も大人へと成熟していくような感じになり涙する。

メイは幼く純粋だが危険でもある。それはメイがゲームとしてバイクの後ろから男の子を目隠したことで男の子が転倒し死んでしまったことからも、死を現実として受け止めるためにトオルとの会話が必要だった。思春期は生のすぐ近くに死がある。ただメイもまたそこを通り抜けようとしている。

メイの口癖は「私の言っていることわかる?」だ。

そして最後の別れの言葉をメイはトオルの手紙に綴る。

さようなら、ねじまき鳥さん。うまく言えないけれど、私は林の中のアヒルのヒトたちと一緒に、あなたが温かく幸せになることを祈っています。もし何かがあったら、また私のことを遠慮なく大声で呼んでくださいね。おやすみなさい。(三部_38)

権力や暴力に晒されながらも、ひたむきに懸命に生きる市井の人々。そこにあるささやかだけれども素晴らしくかけがえのない人間の営みや幸せ。そういうものを守るために<ねじまき鳥>は闘わなければならない。

最後に<ねじまき鳥>の僕が、笠原メイに別れを告げる。

さよなら、笠原メイ、僕は君が何かにしっかりと守られることを祈っている(三部_39)

こうして僕は、笠原メイをはじめたくさんの人々と出会い試練を乗り越え悪を倒し、闇に包まれた<あちら側>の世界から光の射し込む<こちら側>の世界にクミコを取り戻すことができた。

こうして物語は閉じられる。第一部と第二部はアメリカで執筆されている。そして第三部が日本で執筆される。アメリカではクェート侵攻の名のもとに行われた湾岸戦争、日本では未曽有の破壊的な阪神淡路大震災が発生し、そしてまさに心の暗部が表出したオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こる。この二つの事件は村上に大きな衝撃を与えた。

それは村上文学の初期の特徴としての<デタッチメント>から、この社会の根幹を支えている名もなき人々のために闘う<コミットメント>へと変わる転機となった。

※村上春樹のおすすめ!

村上春樹『風の歌を聴け』解説|言葉に絶望した人の、自己療養の試み。
村上春樹『1973年のピンボール』解説| 魂の在り処を探し、異なる出口に向かう僕と鼠。
村上春樹『羊をめぐる冒険』解説|邪悪な羊に抗い、道徳的自死を選ぶ鼠。
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』解説|閉ざされた自己の行方、心の再生は可能か。
村上春樹『ノルウェイの森』解説|やはり、100パーセントの恋愛小説。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』あらすじ|生きる意味なんて考えず、踊り続けるんだ。
村上春樹『眠り』解説|抑制された自己を逃れ、死の暗闇を彷徨う。
村上春樹『国境の南、太陽の西』あらすじ|ペルソナの下の、歪んだ自己。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』あらすじ|時空を繋ぐ、人間の邪悪との闘い。
村上春樹『スプートニクの恋人』あらすじ|自分の知らない、もうひとりの自分。
村上春樹『海辺のカフカ』あらすじ|運命の呪縛に、どう生き抜くか。
村上春樹『アフターダーク』あらすじ|損なわれたエリと危ういマリを、朝の光が救う。
村上春樹『1Q84』あらすじ|大衆社会に潜む、リトル・ピープルと闘う。
村上春樹『パン屋再襲撃』解説|非現実的で不思議な、襲撃の結末は。
村上春樹『象の消滅』解説|消えゆく言葉と、失われる感情。
村上春樹『かえるくん、東京を救う』解説|見えないところで、守ってくれる人がいる。
村上春樹『蜂蜜パイ』あらすじ|愛する人々が、新たな故郷になる。
村上春樹『品川猿の告白』解説|片想いの記憶を、熱源にして生きる
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ/ライ麦畑でつかまえて』あらすじ|ホールデンの魂が、大人のインチキと闘う。
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー/華麗なるギャツビー』あらすじ|狂騒の時代、幻を追い続けた男がいた。
カポーティ『ティファニーで朝食を』解説|自由を追い求める、ホリーという生き方。