村上春樹『かえるくん、東京を救う』あらすじ|見えないところで、守ってくれる人がいる。

解説

片桐の日々の気持ちを救ってくれた、かえるくん。

かえるくんが片桐と一緒に東京を壊滅から救う物語ですが、かえるくんが救ったのは、社会で必要な仕事をもくもくとやる片桐のような名もなき善良な人々です。逆の言い方をすれば、片桐がかえるくんを通して救われるファンタジーです。

3つの同心円で考えると、中核のego<自我>とそれを包む周りから見えるself<自己>があり、いちばん外側に<社会>があるとします。

私たち一人ひとりは<自我>+<自己>を持ち、<社会>と関係を持っています。

<自己>は、<自我>と<社会>のあいだに挟まれています。つまり私たち一人ひとりは<自我>と<社会>のふたつの圧力を受けながら周りから見える<自己>を変化し続けています。同時にこの一人ひとりの集合体が私たち社会です。

「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時にぼくは非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです。」(182P)

純粋なかえるくん=<自我>+<自己>、非かえるくんの世界は、<自我>のなかにある隠れている部分です。<社会>から認識されているかえるくん=<自己>には見えない部分です。

「目に見えるものが本当のものとはかぎりません。ぼくの敵はぼく自身の中のぼくでもあります。ぼく自身の中には非ぼくがいます」(182P)

意識には、表層意識だけではなく潜在意識があります。自分が理解している<表層的=目に見えるもの>が本当のものとは限らない。ぼく自身の中のぼくに在る邪悪な部分が、ぼくの敵であり、自分が気づかない<潜在的=表に現れていない>そんな<非ぼく=邪悪なぼく>がいるという訳です。

そして村上文学ではお馴染みの<こちら側の世界><あちら側の世界>が出てきます。<こちら側の世界>=純粋なかえるくん、<あちら側の世界>=非かえるくんの世界です。そしてユング心理学のように夢や幻覚や妄想というものを物語化していきます。

その物語が『かえるくん、東京を救う』です。かえるくんとは、片桐の意識の中核のego<自我>であり、一般的に、会社や他者という<社会>から認識されている片桐のself<自己>があります。

そして深層部分のもうひとつego<自我>である<あちら側の世界>に行って地底の巨大なみみずから東京を救うのですが、物語では、責任と名誉のために生死を賭け、片桐の応援を受けて、かえるくんは、みみずくんと闘い地震を阻止することができました。

そして夢<=あちら側の世界>から「機関車」に乗って現実<=こちら側の世界>に片桐は帰ってきて静かに眠りにつきます。

かえるくんに必要なのは、筋道の通った勇気ある人々の応援。

かえるくんは、実際に闘う役は自分が引き受けるが一人では闘えない。片桐の勇気と正義が必要だと言います。

「かえるくん、がんばれ。大丈夫だ。君は勝てる。君は正しい」(165P)

と応援が必要だというのです。励ましてほしいというのです。

ここで登場する<地震>を起こすみみずくんは何かと考えてみます。<地震>自体はプレート同士のぶつかり合いですから善悪などありえない。だとすれば原因となるみみずくんとは、このファンタジーな物語において何なのかとなります。こんな文章があります。

誤解されると困るのですが、ぼくはみみずくんに対して個人的な反感や敵対心を持っていうわけではありません。また彼のことを悪の権化だとみなしているわけではありません。(161P)

かえるくんは、みみずくんは世界にとってはあってかまわない・・・・・・・・・ものだと思っています。

地震を起こそうとするみみずくんを悪の権化とは考えていない。ただ放置できない危険な存在になったという。感情の沸点のようなものがあり、みみずくんの心と身体は、長いあいだに吸引蓄積されたものが、化学作用によって憎しみに変わるという。ここでのわざわいを起こす原因は、憎しみが沸点に達したということです。

この闘いは危険が伴うことであり、うまくいってもいかなくても誰も同情してくれない孤独な闘いだとかえるくんが言うと、片桐は思っていたことを言いつのります。

「私はとても平凡な人間です。いや、平凡以下です。頭もはげかけているし、おなかも出ているし、先月40歳になりました。(中略)誰にも尊敬はされない。職場でも私生活でも、私のことを好いてくれている人間は一人もいません」(171P)

さらに、口べたで、人見知りし、友達もいず、運動神経はゼロで、音痴で、ちびで、包茎で、近眼で、乱視だって入っているひどい人生です、と延々と続きます。

片桐は40年の年月で、心と身体に吸引蓄積されたものがあるようです。片桐は「何のために生きているのか。その理由もわからない」と言います。まさに沸点に達し憎しみに変わるかもしれない心情の片桐の潜在意識こそが巨大なみみずくんなのです。そしてそれを打ち破るために現れたのがかえるくんなのです。

壮絶な闘いの末に、かえるくんは、みみずくんという邪悪な潜在意識を打ち破ることはできませんでした、それでも引き分けに持ち込みました。バランスを保てたのです。

センチネルに奉仕する人々への感謝や讃辞を惜しまない良識の社会構造。

村上は言います「気づいてないでしょう、この世界、誰かが守ってくれているんです」と。

この世界には人知れず、この世界のために、日夜働いている人がいて、この世界はそんな人々によって守られ支えられているという。

バブルに舞い上がる狂乱な人々に対して、普通の人々が黙々と行い続ける確かな仕事の信頼こそを大切にする。過去に『ダンス・ダンス・ダンス』では<文化的雪かき>という言葉が登場します。

誰もやりたがらないけれど、誰かはやらなければ、後で誰かが困ること。そのことを一人で黙々と評価など期待せずにやること。見渡せば、公共的な施設のインフラの点検や補修を担う仕事や、医療や介護のワーカーの現場など他にもたくさんあります。

物語では、片桐がその一人なのです。そこで、かえるくんから筋道の通った勇気ある人として、強い信頼を得たのです。

そうして片桐は夢の中で、かえるくんを助け応援します。片桐は自身の仕事に対して自負心を再認識し自信と誇りを取り戻したようです。

一般的に見聞きする政治や経済の光景は、人々への偽善的なメッセージを放つ口先だけの人々が多くいます。さらに新聞やテレビが別の意図をもって拡散していきます。

しかし現実の社会は、日常を安全や安心に動かしてくれている見張り番のような、名もなく目立つこともない多くの人々によって支えられています。

私たちは神戸の震災やオウムの事件を経験し、一瞬にして社会が変わることを目の当たりにしました。社会は蓄積されていく様々な憎しみで膨れ上がり、突然に大きな口を開けた不幸に見舞われることもありますが、それでもその日常の中で秩序を維持しようと見張り、守ってくれる人々のいる社会に感謝し讃辞を送り続けなければなりません。

村上は、かえるくんとみみずくんとの闘いを比喩として、自我(ego)と社会(下界)に圧される自己(self)の変異の中で、日常を安全に安心に送るために必要不可欠な仕事や活動で不断に見守っている人々(≒センチネル)に敬意を表する関係の構造を考えているのだと思います。

それは社会の構成単位となる私たち一人ひとりが、カオスに立ち向かい秩序を維持しようとする、良識のバランスを保つことの大切さでもあります。

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作品の背景

連作短編集の『神の子どもたちはみな踊る』の一篇。本短編集は、1995年1月の阪神・淡路大震災および同年3月にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の影響を色濃く表している。表題作の「神の子どもたちはみな踊る」は、オウム真理教のテーマを強く感じさせるが、『かえるくん、東京を救う』は神戸の震災を強く想起させるものとなっている。

地震を防ぐために、地下に棲む「みみずくん」に立ち向かう背丈2mにもなる「かえるくん」が、普通のサラリーマンの「片桐」の声援を受けて闘うファンタジー物だが、現代社会を支える名もなき人々を尊び、良識ある静かな人々に支えられてこの世界が成立していることをメッセージする。

発表時期

2000年(平成12年)2月、新潮社より刊行された。村上春樹は当時、51歳。当初『新潮』1999年8月号から毎月5篇の短編が「地震のあとで」という副題付きで連載された。2002年2月、文春文庫として文庫化、「after the quake」と表記される。

表題作「神の子どもたちはみな踊る」のほか「UFOが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「タイランド」「かえるくん、東京を救う」「蜂蜜パイ」の全6篇を収録。巻頭にドストエフスキーの『悪霊』一節と、さらにジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』の一節を引用している。英語版は2002年8月に『after the quake』でクノップ社より刊行。訳者は、ジェイ・ルービン。