村上春樹『羊をめぐる冒険』解説|邪悪な羊を呑み込み、自死を選ぶ鼠。

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そして謎を解くために、羊をめぐる冒険が始まる。

なにか謎のファクターがあるということだ。

政界、財界、マスコミ、官僚組織、文化、その他想像もつかないもの。権力から反権力まで。この組織を先生は戦後、一人で築き上げた。

我々の組織は官僚組織ではなく、一個の頭脳を頂点とした完全機械(上_204P)

そして組織は、大きく分ければふたつの部分で成立していて、

前に進むのが『意志部分』で、前に進ませる部分が『収益部分』だ。(上_205P)

先生の死後、人々が分割を求めて群がるのは『収益部分』だけで、『意志部分』は誰も欲しがらない。意志は分割できず、百パーセント引き継がれるか、百パーセント消滅するか。『意志』とは、空間を統御し、時間を統御し、可能性を統御する観念だ。

自己認識の否定だ。認識こそが幻想なんだ。(上_206P)

認識の否定、言語の否定。存在は独自的な存在ではなくただのカオスなのだ。そして、

「君たちが六〇年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたが故に完全な失敗に終わった。つまりこの質量が変わらないのに、意識だけを拡大していけばその究極にあるのは絶望しかない」(上_207P)

そして先生の五回の幻覚のうち四回まで羊が現れる、その羊は背中に星を背負った栗色の羊だ。

それが僕の写真の羊と同じであるというのである。だからその羊を捜さなければならないという。

私はその羊こそが先生の意志の原型を成していると思うんだ(中略)「おそらく羊が先生の中に入りこんだんだ。それはたぶん一九三六年のことだろう。そしてそれ以来四十年以上、羊は先生の中に住みついたんだ」(上_209P)

そして羊の写真を手に入れたルートを教えることができないなら、僕が羊を探し出すようにという。

そうして僕は、“毎晩、神様に電話をかけている” という運転手に、神様の電話番号を教えて貰い新宿まで送ってもらった。その後の秘書からの連絡で、先生の具合が急に悪くなり二ヵ月の期間は一ヵ月に縮められた。

家に帰ってガールフレンドと話すと、「かまわないわ。あなたのごたごたは、私のごたごたでもあるのよ」と少し微笑む。

「どうしても行くしかなさそうだな」と僕はあきらめて言った。彼女は微笑んだ。「きっとあなたのためにもそれがいちばんいいのよ羊は美味く見つかると思うわ」(上_233P)

「羊を探しましょう」「羊を探しだせばいろんなことがうまくいくわ」(上_245P)

そして僕たちは、名前のない猫に、「いわし」と名付けてくれた “神様に電話をかけている運転手” に猫を預けて、飛行機に乗って千歳空港に着いた。

羊抜けを経験した、数奇な運命の羊博士の話。

札幌に着いて僕は写真の風景をあたり、彼女は羊についてあたる。彼女は主な羊牧場の分布と羊の種類を調べるために図書館へ。ホテルは彼女が「ドルフィン・ホテル=いるかホテル」を選んだ。フロント係は、左手の小指と中指は第二関節から先がなかった。僕は偽名を書いた。翌朝は八時に目を覚まし、観光課や様々な観光案内所を巡り訪ねたが、簡単には運ばなかった。彼女の方も徒労に終わった。

三日目も四日目も無為に過ぎ去り、五日めと六日めが過ぎ去った。

それから<鼠、連絡乞う 至急 ドルフィン・ホテル406>という新聞広告を出し、二日目はホテルの部屋で電話を待ったが芳しくなかった。フロント係(は支配人でもあった)の話ではホテルの前身は「北海道緬羊会館」という。ホテルには緬羊に関する資料があり、支配人の父親は緬羊会館の館長で、世間では「羊博士」と呼ばれていた。

写真を見せると、支配人は覚えがあるという。そして天井近くの額を手に取り見せた。その写真は、鼠からの写真と構図がそっくりだった。

「だからいるか・・・ホテルにするべきだって言ったじゃない」と彼女はこともなげに言った。(下_46P)

支配人は私の父親に訊いてみてくださいという。父親は羊博士という。

羊博士は東京大学農学部を首席で卒業し、農林省に入省。その後、朝鮮半島に渡って稲作を研究。一九三四年、東京に戻り陸軍の若い将校から中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて、羊毛の自給自足体制の確立を要請される。羊博士は緬羊増産計画の大綱をまとめた後、翌年、満州に渡るが、そこから転落が始まる。

一九三五年の七月、博士は緬羊視察にでかけ行方不明になった。一週間たって羊博士はやつれ果てた姿で戻って来た。それから彼が、羊との間で精神的な行為があったとされた。それは羊と交霊したというのだそして彼は東亜の農政の中枢から追放された。

「羊は、私の中から去ってしまった」「しかし、かつては私の中にいたのだ」と。(下_52P)

一九三七年、農林省を辞し北海道に渡って羊飼いとなったという。実際に羊博士と会う。七十三歳で身長は一六五センチ、髪は長く真っ白だった。

「一九三七年の春にあなたから逃げ出した羊のその後の足取りを知っています」と僕は話す。

「君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられたというものを想像できるか?」と羊博士が訊ねた。「わかりません」と僕は言った。「地獄だよ。思念のみが渦巻く地獄だ。一筋の光もなくひとすくいの水もない地底の地獄だ。そしてそれがこの四十二年間の私の生活だったんだ」(下_61P)

それは、羊から置き去りにされた世界だった。

羊博士は一九三五年に “背中に星の形がある羊” が夢に現れて、私の中に入ってもいいかと訊ねられて、構わんと言った。

「人の体内に入ることのできる羊は不死であると考えられている。そして羊を体内に持っている人間もまた不死なんだ。しかし羊が逃げだしてしまえば、その不死性は失われる」(下_64P)

“背中に星の形がある羊”は運命を変え、世界を一変させる。羊が体内に入り大きな力をえる。そして羊がいなくなった後は、思念を放出することができず残り続け苦しめる。

羊博士は、羊との交霊を神の恩恵と考える中国大陸北部の考え方を知らず、日本の近代の本質を成す愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何ひとつ学ばなかったことだとし、羊についても同じ。生活レベルからの思想が欠如していたことが原因という。

そしてその羊が日本に一緒に来た目的を、僕が問うと、

「わからんのだ。羊は私にはそれを教えなかった。しかし奴には大きな目的があった。それだけは私にもわかった。人間と人間の「世界を一変させてしまうような巨大な計画だ」(下_65P)

「ある朝、目が覚めるともう羊の姿はなかった。その時になって私はやっと『羊抜け』というものがどういうものかを理解することができた。地獄だよ。羊は思念だけを残していくんだ。しかし羊なしにはその思念を放出することはできない。これが『羊抜け』だ」(下_66P)

僕は、羊博士から抜け出た後の話をした。

そして、今度は新たな人物を、その組織の上に置くつもりだと羊博士は言う。

羊博士は僕に「写真の土地と場所が九年間、暮らした牧場であり、ある金持ちに牧場付きの別荘として売った」と言う。そして羊博士は、僕たちの前にもう一人、あの牧場について質問をしに来た人がいるという。

それは鼠だった。そして羊博士は言った。

「あの羊に関わって幸せになれた人間は誰もいない。何故なら羊の存在の前では一個の人間の価値観など何の力も持ち得ないからだ。しかしまあ、君にもいろいろと事情があるんだろう」(下_71P)

十二滝町の緬羊牧場の歴史と、山の別荘の持ち主の鼠。

最初の開拓民が十二滝町に来たのは明治十三年の初夏。総勢十八人で、アイヌの青年を道案内に雇った。札幌から旭川に、さらに塩狩峠を越え北へ導かれ、川にあたり東に進んだ。そして五日目、札幌から二六〇キロの地点に辿りつく。川にちなみ十二滝町と名付けられた。

明治三十五年に村営の緬羊牧場が作られた。羊は政府からタダ同然で払い下げられ、アイヌ青年が牧場の責任者となった。そんな歴史だった。

僕と耳の美しい彼女は、十二滝町に着く。

町には二百頭あまりの緬羊がいて全部サフォークという品種。一人しかいないという飼育係に写真のことを尋ねた。写真にある山の上の牧場も羊もうちのものだというが、背中に星のある羊だけは違うという。山の上の別荘には、持ち主が住んでいる。春、雪解けが始まる前の三月にやってきたという。五年ぶりのことらしい、なぜ五年ぶりに来たのか理由はわからないという。

山の別荘の持ち主、それが鼠だった。

僕は、鼠の父親が北海道に牧場を持っていたことを思い出した。

翌日八時に、緬羊管理人のジープで別荘に向かう。山の勾配が急になり、S字カーブが多くなり、原生林となった。空気の温度が何度か下がった。道の左側には、大地が虚無に陥没したような巨大な谷だった。きわどいカーブを抜け、円錐形の上に近づくと垂直な岩の壁に変わった。

不吉なカーブの場所で、管理人と別れ僕たちは歩いた。三十分ばかり歩いて広い大地に出た。一本のまっすぐな道が白樺の樹海を貫いていた。それから十五分歩いて湖のような広い草原に出た。草原の上を黒い雲が流れその先に切り立った山が見えた。

不吉なカーブは、現実と異界の境界点。この先は、死霊の棲む霊界。

間違いなく鼠の写真に写っていたのと同じ山だった。

正面に古い木造の二階建ての家が見えた。四十年前に羊博士が建てて、鼠の父親が買い取った建物だ。管理人から聞いた鍵の置き場所から、部屋に入り確かめる。誰もいないが、ひと冬越せるだけの燃料と食品は揃っていた。僕らは鼠が戻るのを待つことにした。疲れた僕は眠り、彼女は食事の支度に台所に消えた。

六時に眼を覚ますと、耳の美しい彼女はいなかった。僕は本能的に彼女はこの家を去ったと感じた。

妻がアパートを出て行ってしまってから彼女に巡り合うまでの二ヵ月あまり、いやというほど味わったあの空気だ。(下_155P)

そしてその孤独が、異常なほどの空腹感をもたらす。鼠が帰ってくるのを待つしかない。

耳の美しい女の子は、未知の世界への案内人である。と同時に、境界点を越えて彼女を連れてきたのは、僕の強い自己本位の性格を再確認させる要素になっている。

羊男の姿を借りて「案内人」が現れて、「僕」に意見する。

時計が二時の鐘を打ち、ドアにノックの音がする。ドアを開けると、そこに羊男が立っていた。

羊男は背丈は百五十センチ、猫背で、足が曲がっていた。頭からすっぽり羊の皮をかぶっていた。腕と脚の部分はつぎはぎされた作りで、頭部を覆うフードも作りものだったが、二本のくるくると巻いた角は本物だった。

耳の美しい女は、羊男が追い返したという。彼女は、いるかホテルに戻ったという。

「うん、台所のドアから顔を出して、あんた帰った方がいいって言ったんだ」「どうして?」羊男はすねたように黙り込んだ。(下_169P)

羊男は異界との媒介者です。ここから先は「僕」と「鼠」の二人きりになる必要があるのです。

「君が出て行った方がいいって言ったら、黙って出て行ったんだね?」「そうだよ。女が出ていきたがっていたから出ていった方がいいって言ったんだ」「彼女は望んでここまで来たんだ」「違うよ!」と羊男はどなった。「女の方が出ていきたがっていたんだ。でも自分でとても混乱していたんだ。だからおいらが追い返したんだ。あんたが女を混乱させたんだ」羊男は立ちあがって右の手のひらでテーブルをばん・・と叩いた。(下_170P)

耳の美しい女の子の役割は、不吉なカーブまでの案内役。それを混乱させたのは「僕」だと、羊男は意見しているのだ。

「あなたのことは今でも好きよ。でも、きっとそういう問題でもないのね。それは自分でもよく分かっているのよ」(上_38P)

これは離婚して出て行った妻の言葉。同じことが、離婚した妻と「僕」の間にも起こっている。

「本当のことを言えば、あなたと別れたくないわ」としばらくあとで彼女は言った。「じゃあ別れなきゃいいさ」と僕は言った。「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」(上_42-43P)

自己本位な僕には、離婚した妻と同じように、耳の美しい女の子の気持ちを理解できていない。羊男には、この思いが分かるのだ。

「あんたが女を混乱させたんだよ」「とてもいけないことだ。あんたは何もわかってないんだ。あんたは自分のことしか考えていないよ」(下_171P)

羊男の姿を借りた「鼠」の霊は、僕の人間性を非難する。僕は、異界へ入っていく準備を始めていく。

「友だちを探しているんだ」と僕は言った。「知らないねえ」(中略)「背中に星の印がついた羊のことも探しているんだ」「見たこともないよ」と羊男は言った。(下_172P)

そして僕は思う。

ジェイ、もし彼がそこにいてくれたなら、いろんなことはきっとうまくいくに違いない。全ては彼を中心に回転するべきなんだ。許すこと憐れむこと受け入れることを中心に。(下_178P)

それはもう戻すことのできない故郷の時間、そして鼠との対話が始まる。

ほんとうに稀なほどの弱さを持つ、そんな人間がいるということ。

僕は、必ず鼠が現れると思って待つ。そこに鼠がやってきた。

「君はもう死んでいるんだろう?」「そうだよ」と鼠は静かに言った。「俺は死んだよ」(下_220P)

「簡単に言うと、俺は羊を呑み込んだまま死んだんだ」「本当にそうしなきゃならなかったんだよ。もう少し遅かったら羊は完全に俺を支配していただろうからね。最後のチャンスだったんだ」(下_223P)

本当に稀なほどの弱さを持つということは、どういうことなのか。

「キー・ポイントは弱さなんだ」と鼠は言った(中略)「全てはそこから始まっているんだ。きっとその弱さを君は理解できないよ」(下_224P)

多くの人間は相対あいたいするものについて、当然のように一方を優位に考える。例えば、強さ>弱さとなる。当たり前のように、多くの人が弱い人間は駄目だという捉え方。しかし現実にはどうしようもなく弱い人間が存在すると鼠は言う。

「弱さというのは遺伝病と同じなんだよ。どれだけ分かっていても、自分でなおすことができないんだ。何かの拍子に消えてしまうものでもない。どんどん悪くなっていくだけさ」(下_225P)

それは全てに対する弱さで、道徳的な弱さ、意識の弱さ、そして存在そのものの弱さ。

僕はそれは一般論だといい、弱くない人間なんていないぜという。しかし鼠はほんとうの強さと同じくらいに本当の弱さも稀であり、その弱さを持つ者は、たえまなく暗闇にひきずりこまれていく弱さを体験するし、そういうものが実際に世の中に存在することを実感する。

本当に稀なほどの弱さを持つ人間、それが鼠なのである。

入り込んでくる邪悪と、完成されるアナーキーな観念の王国。

その弱さに “星の斑紋の羊” の影が忍び寄ってくる。“羊”は混沌で虚無で邪悪で、“星の斑紋”はその観念の継承者の象徴であり、そこで統治されるアナーキーな王国の記号である。羊は、そのような本当に稀に存在する弱い人間から全てを奪い、全く違うものに代えてしまう。

「全てだよ。何から何まで全てさ。俺の体、俺の記憶、俺の弱さ、俺の矛盾…羊はそういうものが大好きなんだ。」(下_226P)

そして代えられたものは、もったいないくらいに立派なもの。あらゆるものを呑みこむ坩堝るつぼ美しく、おぞましいくらいに邪悪。

意識も価値観も感情も苦痛も、みんな消える。宇宙の一点にあらゆる生命の根源が出現したダイナミズムのように、途方もなく大きなエネルギーを有している。

そうなるともう本人は邪悪の支配から抗うことは出来ない。

鼠は右翼の先生が死んだ後に権力機構を引き継ぐことになっていた。その後に何が来ることになっていたんだ、と僕が訊ねると

「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」(下_228P)

鼠はそうなりたくなかった、鼠は羊を呑み込んだまま、命を絶つことを選んだ。

俺はきちんとした俺自身として君に会いたかったんだ。俺自身の弱さを持った俺自身としてね。君に暗号のような写真を送ったのもそのせいなんだ。もし偶然が君をこの土地に導いてくれるとしたら、俺は最後に救われるだろうってね」「それで救われたのかい?」「救われたよ」と鼠は静かに言った。(下_223P)

そして「羊をめぐる冒険」が、伝えたかったこと。

戦後日本を生きる人々にとって、そもそも国家や国体は手触りもなく不明瞭だ。結果、アイデンティティの喪失に陥る。人々は個を失いながらも、自分探しをする。

ただ我々(このブログを読んでいる人々が日本人の場合)は、日本人である。また村上春樹作品をアメリカやヨーロッパの国々や中国やアジアの国々の人々が読んでいれば、それはその国に帰属するというアイデンティを有している。しかし過度の自由は逆に格差を生み出し、我々を分断する理由にもなっている。

そのなかでこの作品は、もう少し理性的な側面で捉えられている。平たく言えば “生き方” であり、精神的なものである。それも一般論ではなく、形而上的な観念の深い問いがある。

アナーキーな観念を拒否した鼠がいう。

「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・・・・」(下_228P)

そして、鼠は僕に訊ねて、僕の答えを笑う。

「君は世界が良くなっていると信じるかい?」「何が良くて何が悪いかなんて、誰に分かるんだ?」鼠は笑った。「まったく、もし一般論の国というのがあったら、君はそこで王様になれるよ」(下_228-229P)

そして続ける。

「羊抜きでね」「羊抜きでだよ」(下_229P)

邪悪な羊は存在し、必ずしかるべき対象に憑依して、アナーキーな王国を造るのだ。そして、意識も価値観も、感情も苦痛も、全て消されてしまう

例えば民主主義は、どうだろう。一般論で語れば民主主義しか選択余地はないが、実際には不平等や不条理はたくさんあるではないか。つまりここでは、保守とリベラルの二項対立が過度に進めば 、最後は “星形の斑紋を持った羊” という強い権力者が勝ってしまうようになる。

それは煩悶し続ける無垢な鼠のような人間にこそ、“星の斑紋の羊” は容赦なく憑依し、邪悪な強き者に変貌する。のっぺりとしたアナーキーな世界である。しかし、“ほんとうに稀なほどの弱さ”を持った鼠が、この羊に抗い、死を選ぶことで、悪の系譜を断ち切ったのだ。

「人は羊つきになると一時的な自失状態になるんだ」「そこから彼をひっぱり出すのが君の役目だったのさ。」(下_242P)

弱いということは、決して悪い事ではなく、その弱さを受容れて、喪失を受容れて、絶対的な悪に、招き寄せられることなく生きて行かなければならない。

“昼の光に、夜の闇の深さはわからない” そういったニーチェは、カントの道徳的な理性を批判した。それでも「羊をめぐる冒険」では、邪悪が入り込み欲望が支配する現象界(これは現在のシステム化された政治やメディアが牛耳る欲望資本主義の世界)に、理性が支配する叡智界を求めて抗いながら倫理的な自死を選ぶという設定となっている。

我々は、その両方で生きて行くしかないことを知っている。しかし黄金律の配合方法までは知らない。

「我々はどうやら同じ材料から全くべつのものを作りあげてしまったようだね」(下)_228P)

鼠の催した十二時の茶会を合図に、山荘は爆発し全ては消えた。僕は羊博士と話す。

「僕はいろんなものを失いました」「いや」と羊博士は首を振った。「君はまだ生き始めたばかりじゃないか」「そうですね」と僕は言った。(下_249P)

僕は故郷に戻り、秘書からの小切手を「ジェイ」に渡し、名前だけの共同経営者になる。鼠と、ジェイと僕。この場所で育まれた紐帯は思念として永遠となる。

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