中 両親と私(一~十八)
中の<両親と私>では、故郷に暮らす両親と私が描かれます。
封建的な家制度がまだ色濃い中で、父親の考え方や家族の振る舞い、共同体の因習とともに、父親の先生への評価が示され、私は故郷を離れ、都市に生きて行こうと決意を強くします。それは明治後期の家族の崩壊であると同時に、近代人が故郷を喪失していく姿です。
「どっちが先に死ぬだろう」と会話していた先生と奥さんを私は思いながら、国へ帰ってきます。私は父の病気よりも父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思います。
私の卒業をとても喜んでくれる父。そしてまた私は先生と父親を比較します。
私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、かえって高尚に見えた。(中 一)
先生は、競争がもたらす不幸を知っているし、不徳義で得た成功を軽蔑している。それは先生の叔父が財産を横領したことや、大学を出た先生自身が犯した卑劣な過ちについて考えると、学問など役に立たないことを指しているのでしょう。
それに比べて、田舎では大学出を家族から出すことは誇りであり名誉なのです。明治の時代の一高から東大は超エリートであり、病を患っている父親としては安堵であり、自慢であり、将来を大いに期待しているのでしょう。
父親が言うには、余命僅かな病のなか私の卒業を迎えることができて良かったという。私は恐縮して俯向く、そして卒業証書を見せる。
それから私のために赤飯を炊き、客をもてなすという話を聞き、私はすぐ断わった。
ただ飲み食いを目的にやって来る田舎の客が嫌いだった。祝い事の酒席が好きだってことですよねぇ。確かにこういう宴会って、誰が主役かわかんなくなっていきますものねぇ。まぁそれが村の祝い方なんでしょうけれど・・・。
しかし呼ばないとでる陰口を気にしていた。両親の喜びは、私への愛情もあるが、世間体の方が大きい。主体は私よりむしろ、村という共同体である。それは義理事という決まりである。それが私には違和感がある。
「つまり私のためなら、止して下さいというだけなんです。陰で何かいわれるのが厭だからというご主意なら、そりゃまた別です。あなたがたに不利益な事を私が強いて主張したって仕方がありません」(中 三)
私の気持ちは理解できますが、親の立場からすれば、理屈っぽい話に聞こえますよね。
「何もお前のためにするんじゃないとお父さんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう」(中 三)
「学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなっていけない」(中 三)
すでに私は、田舎の共同体の慣習を嫌っています。それは、父親や母親への思いやりに欠けた言葉であることはわかっています。それでも共同体よりも両親よりも自意識の方が強いのです。
それは、一昔前の先生の時代、先生が故郷を居心地の良いものと考えていた頃と、私とではずいぶんに変わっています。これは当時の意識の目まぐるしい変化でしょう。
先生は親族との諍いで、故郷を捨てたのですが、私の時代は、人々は都市に移動し、自由を尊重し、故郷の慣習を忌避しながら生きる人が増えているのです。
ただ私は淋しかった。(中 四)
とあります。
上の<先生と私>では上野で「あなたも淋しい人ではありませんか」と先生から問われたときに、私は「淋しくなんかない」と答えていたのですが、このときの私は「ただ淋しかった」とあります。
蝉の声を凝と聞くと、悲しい思いが胸にせまってくる。
明治天皇のご病気の報と、死期が近づいている父親の命の儚さを思いながら、目まぐるしい東京で聞く電車の音に急がされる思いも同時にある。
田舎にいることの淋しさ。先生に会えない淋しさ。早く東京に帰りたいという淋しさ。私はすでに、都市に浸って生きており、こころは故郷にはない。
これは結局のところ、孤独になっていく人間の淋しさなのではないか。
やがて、明治天皇の崩御が伝えられ、父は、「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己も……」と衝撃を受ける。
私は天皇の崩御によって東京はどうなっているだろうと思った、先生に手紙を書こうとも思ったが、書いても仕方がないとも思ったし、返事をくれそうになかったからやめた。
友人から職業を紹介される。地方の教員の口で、これを断ると父母も同意した。父母はもっと良い口があるのだと考えていた。
広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体な人間に異ならなかった。(中六)
田舎の両親からすれば、東京で生きていくということ自体に、想像が及ばないのである。
「その先生は何をしているのかい」と父から聞かれて、私が「何にもしていないんです」と答えると、
父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。必竟 やくざだから遊んでいるのだと結論しているらしかった。(中 六)
ここでは私の父親は、自分の息子が先生と呼ぶその人間を怪しげな人物だと捉えています。少なくとも真っ当な生き方をしていないと考えているわけです。母は、私の仕事を先生に頼んだらよかろうと言う。
「小供に学問をさせるのも、好し悪しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」(中 七)
子供たちは故郷から旅立つ。親たちは生まれ住んだ土地を離れない。子が家を継ぎ、後をとり、守るという旧来の家制度は崩れていく。残される両親、その不合理を知りながら私は東京を目指す。そして父も矛盾ながらそのことを応援している。
資本主義社会の到来である。その時の両親と子供、家族の心理が会話の中に現われる。
私は母の言う通り仕事の周旋を先生に頼む手紙を書くが、一週間たっても先生から返事は来ない。そうして東京へ立つことにして日取りを決めた。
ところが、間際になって父はまた突然、引っ繰り返った。やがてよくなったが、心配のため出立をやめた。するとまた卒倒した。私は兄や妹に電報を打つ用意をした。
「どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくっちゃ」(中 九)
父の話すうまいものなど田舎にはない。例えば、牛鍋でしょうか、はたまたカステラでしょうか。私は滑稽であると同時に悲しくもなってきます。
私は兄と妹に手紙を書き、いよいよの時には電報を打つから出て来いと書きます。
やがてその時が来て兄と妹の夫が着く。他家に嫁いだ妹は自由が利かず、故郷を出ている兄とは家督を押し付けあっています。父は寝ながら新聞を読んでいた。
乃木大将の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。「大変だ大変だ」といった。(中 十二)
私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将と、それから官女みたような服装をしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。(中 十二)
乃木大将の夫人の名前は静です。先生の奥さんもまた静と同じ名前となっています。この作品のなかで与えられた数少ない名前です。
<忠>・<孝>とともに<貞>という女性の意識の比較も加わる。天皇に殉じた軍人とその妻、静。そして先生とその妻、静。
これは明治の軍人と知識人の異なる死と同時に、伴侶としての妻の比較も表しています。
このときに先生から電報が届く。ちょっと会いたいが来られるかと書いてあった。しかし私は父の病状から東京に行くことは不可能で、その旨、電報を打ち、詳細を手紙で綴った。
手紙を出して二日目に先生からの電報が届き、来ないでもよろしいとだけ書いてあった。
父の病気は最後の間際まで進んで来る。やがて父は時々、囈語をいうようになった。
「乃木大将に済まない。実に面目次第がない。いえ私もすぐお後から」(中 十六)
私の父親は、先生より少し上の世代でしょう。明治維新の記憶が色濃くあり、国民国家の意識も強くあるでしょう。当時の新聞読者をはじめ多くの人々が、明治天皇を、近代化に邁進した時代の象徴と捉えたことでしょう。
そうして、私の父がまさに死に向かおうとするときに、私は先生の手紙を受取る。それは分量の多いものだった。いよいよ父の死期が近づく、父は昏睡状態に入った。
私はその分厚さに何事かと思い驚く、同時に、病室の父が気にかかる。
最初の一頁を読んだ。
「自由が来たから話す。しかしその自由はまた永久に失われなければならない」(中 十七)
私はその意味を理解するのに苦しんだ。その時病室から、私を呼ぶ兄の声が聞こえた。父に最後の瞬間が訪れていると覚悟する。
そして再び、先生の手紙をめくって行き、ふと結末に近い一句が眼にはいった。
「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」(中 十八)
父は少し持ち直していた。私は夢中で医者の家へ馳け込み、父がもう二、三日 保つか聞こうとした。しかし医者は不在だった。私はすぐ俥を停車場へ急がせ、母と兄に手紙を残し、東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。
都度、回復してみせた父と比較して、まさに死を予感させた先生の手紙の内容。私の衝動的な行動は、故郷や両親と離れて生きようとする決断の瞬間といえます。まるで映画のワンシーンのようです。
先生を死なせてはいけない!先生、死ぬのは待ってください!
血縁上の実の父親を捨てて、思想上の精神的な父親として、私が先生を選ぶ瞬間です、それは同時に故郷を捨てて、都市を選ぶ瞬間でもあるのです。
下 先生と遺書(一~五十六)
そして下<先生と遺書>へと進みます。
先生は自身の過去を誰かに伝えたいとずっと考え続けていました。しかし、受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、この経験を生命と共に葬った方が好いと思っています。
先生は私に、その意義を見出したのです。もし私と言う一人の男が存在しなければ、語られることがなく、よって間接にも知識にはなることはないという。何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を語りたいという。
先生のこの言葉は、やや大袈裟な感じがしますが、先生の過去の経験を記したこの遺書が、生きる上で有益なものがあると考えているようです。
あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい(下 二)
この真面目というのは、作品のキーワードです。真面目を、目を背けずに真正面から物事を見据えること、としても良いかもしれません。もちろん何から目を背けないかといえば「暗い人世の影」からです。
そんな真面目な人間が少ないことに、先生は気が付いているのです。それは皮肉な言い方をすれば、文明開化に両手を挙げて賛辞するだけの軽薄な人間が多いということでしょうか。
この“暗い人世の影”とは、直接的にはKの影であり、それはエゴイズムに充ちた人間の世界ということ。それは先生の叔父のことであり、またKとの関係において自らが起こした“人倫に悖る”行為です。
先生は、私よりも昔の人間で、その分、道徳を重んじ育てられた人間のはずです。それなのに、先生の過去には何か残酷な記憶があるようでした。それは不可思議なこころが起こした人間の闇の部分を指しているのです。
それは先生自身の体験であり、まだ年若い私が持ちえない経験でもある。そして以前、私は絵巻物のように、目の前にそれを展開してほしいと先生に逼ったことがありました。
あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。(下 二)
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。(下 二)
真面目であること、現実の人生から生きた教訓を得たいと願っていること。その前提において、今残そうとしている先生の遺書は、人間の心の解剖書のようなものです。
先生は「こころ」とは何かをつまびらかにしようとしている。そして死と引き換えに、浴びせかけたその血を受けて、あなたの胸に新しい命が宿ることを願っている。
先生の死をもって、その体験をあなたに投げかけ、あなたがそれを真剣に受け止めることで、あなたのなかの新たな命としてほしいというのです。もちろん、あなたとは当時の読者であると同時に、未来の私たちでもあります。
まず、先生の生い立ちが記される。
先生は、今の私と同じころに、両親をほぼ同時に病気で亡くします。先生は茫然と取り残された。まだ若く、知識もなく経験もなく分別もなかった。
ここが不幸の始まりです。先生は一人男で宅には、たくさんの財産があり、鷹揚育てられました。
上と中では先生と表されますが、下では、先生のこと自体が遺書の形で語られ、一人称の「私」として話が展開されています。以降、私とは先生のことです。また説明の流れ上、先生という言葉も使用させていただきます。
私は叔父を頼る以外に方法は無く、叔父は私の世話をよくしてくれた。そして私は希望する東京へ出て高等学校に入った。父は先祖から譲られた遺産を大事に守っていく誠実な男で、茶道や花道や読書など上品な嗜好をもった田舎紳士だったが、叔父は事業家で県会議員でもあり、私の誇りだった。
そして、両親を亡くした私にとって、叔父はかけがえのない存在になっていた。
子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心の眼で、懐かしげに故郷の家を望んでいました。固よりそこにはまだ自分の帰るべき家があるという旅人の心で望んでいたのです。(下 五)
このころの先生には、故郷がありました。自身が帰属している根っこの部分、それは信頼できる血縁であり、心安らぐ共同体だったのです。自分はどこから来たのかと問われたときに、答えられる。つまりは帰ることができる場所、それが数代続く実家がある故郷です。
両親が亡くなり私の実家には叔父夫婦とその子供たちが住みます。やがて私は家を継ぐために結婚を薦めらますが、断りました。このときから私の世界は掌を翻すように変わります。
彼らの主意は単簡でした。早く嫁を貰ってここの家へ帰って来て、亡くなった父の後を相続しろというだけなのです。(下 五)
ここに旧来の家制度があります。財産と家を相続するために、嫁を貰って一人前になる。理屈は通っています。田舎の事情は解かるのですが、東京に出たばかりの先生は、まだ結婚など先のことは考えられずに、この急な要請を断ります。
その次に帰った時には、さらに話が具体化していて、その嫁というのは叔父の娘、つまり従妹であることがわかります。
これでは私は家督をつぐことになるが、同時に嫁の親である叔父とつながることになります。私は愛のない結婚などするわけにはいきません。私が断ると叔父は嫌な顔をしました。
東京へ出て高等学校に学ぶ当時の私は、当然、西欧の個人主義思想を学んでいることでしょう。そこには自由や独立の思想があったはずです。親同士の約束や財産の管理を目的とした旧来の婚姻のあり方と板挟みになる状態です。
三度目の帰省のとき、叔父たちの態度は、がらりと変わっています。私は叔父のおかしさに気づき、叔父と話し合う。そして分かったことは・・・
叔父は私の財産を胡魔化したのです。(下 九)
私は馬鹿でした。東京へ出ている間に、家の財産を叔父に横領されたのです。叔父は、私の財産を流用して事業の資金に充てていたです。そして下卑た利己心に駆られて結婚問題を私に向けたのです。私は叔父を許すことができません。
別の親戚がはいり私の財産の一切を纏めてくれました。しかし金額に見積もると予想より遥かに少く、訴訟も考えましたが、学生である私は長い時間のかかるのを恐れました。
そこで全てを金に変えて、故郷を離れる決心をします。
この一件で、叔父や血縁が嫌になり、一気に縁切りを考える点は、先生の感情的な一面が見受けられます。裏返すと騙され恥辱を受けたことへの憤りと、倫理感に対する強い潔癖性ともいえます。
叔父の顔を二度と見まいと心に誓い、自身を守ってくれた祖霊に感謝すると同時に、父と母の墓に参り二度と故郷に帰らないことを誓います。
親の財産はずいぶん減っており、若干の公債と遺産だけとなります。今でいえば、国債と預貯金ということでしょうか。
実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥し入れたのです。(上 九)
利子の半分も使えないってってことは、先生の実家は相当な資産家だったんですね。学生として生活するには充分以上のお金を一挙に先生は手にすることになったのです。
両親を同時に亡くし、学業を東京に求めるなか、遺産相続の過程で、信頼していた叔父の利己的な振舞で財産の多くを騙し取られたことが先生の心の大きな傷となっています。
それまでは故郷は温かい心持になれる場所でしたが、このことで血縁を失い、結果、地縁をも捨てることになり、先生は故郷を喪失し、孤独に包まれて都市を彷徨して生きることになります。
感覚的には、人に裏切られて誰も信じられず一人ぼっちということなのでしょう。逆に言えば財産だけが頼りとも言えます。
そして、この資産家であった先生の境遇が、すべての発端となってしまいます。先生は結局、ある惨劇で、大学を出て高学歴にもかかわらず、定職にも就かず、高等遊民として生きることになるのです。
これが青年と出会ったときの先生です。
話を進めますと、金に不自由のない私は騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかと考えますが、結局、静かな素人下宿を見つけることになります。
それはある軍人の遺族の住む家でした。何でも日清戦争の後に引っ越してきたが、淋しいのでいい人があれば紹介してほしいとのことでした。その家は未亡人と一人娘と下女だけでした。
未亡人は正しく判然した人でした。下宿を承諾され、私は早速その家に移ることになります。そして広さ八畳の一番、好い室に迎えられます。所謂、間借りですね。
当時の軍人未亡人の暮らしは、遺族年金だけでは生活は苦しい状態でした。さらに物騒なので、一室を信頼できる人にと、間借りを探していたのです。
戦争があり、戦争未亡人が生まれます。当時の民法では家督相続権は妻にはなく、子となっています。お嬢さんが嫁いでいくよりも入り婿をとる方が、この親子にとって都合が良いのです。こんなところにも当時の女性の立場であったり、戦争が影響しています。
室には花が活けられ琴が立て懸けてあります。私ははじめてお嬢さんと会った時、美しい異性の匂いを感じて、へどもどした挨拶をします。
「私の気分は国を立つ時すでに厭世的になっていました。(下 十二)
私の気分は沈鬱で、人間全般に対して猜疑心で固まり、神経は鋭敏になっています。つまり以前はあれほど鷹揚だったのに、あの叔父の一件から、小さなことを気にするようになっているのです。しかし、
私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。(下 十二)
とあります。
財産を横領され人間不信に陥り、故郷を捨て、ひとり、周囲に用心深い人間になっていますが、それでも愛については信じていたというのです。
金と愛は別というのは、違和感があるじゃないかと先生も矛盾に思うのですが、なぜか平気で両立していました。逆に言えば、愛に対しては、望みをつないでいたのかもしれません。
私は未亡人の事を奥さんと呼びます。奥さんは私を上品で、勉強家で、鷹揚だと褒めてくれます。奥さんは直感で私を信用してくれていたのです。
私は心が静まり、家族に慣れ親しんできます。奥さんともお嬢さんとも笑談をいうようになります。二人の温かなもてなしで、次第に心が開かれていきます。
私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。(上 十四)
やがて先生はお嬢さんを好きになります。先生の愛は、性欲ではなく精神性の高いものであり、それは宗教心とそう違わないと信じています。お嬢さんの顔を見ると自分が美しくなるような、お嬢さんの事を考えると気高い気分が自分に乗り移るようだと感じます。
後に表現される愛の理論家としての先生の姿です。
しかし奥さんへの警戒心は解かれてはいません。それは叔父の欺きと重なるからです。結果、母親に対して反感を抱き、娘に対して恋愛の度を増すという、三人の関係は複雑になっていきます。大人への警戒心といった感じでしょうか。
そして奥さんが私の国元の事情を聞きたがるので何もかも話してしまいます。二度と故郷へは帰らない。帰っても何にもなく、あるのは父母の墓だけと告げた時、奥さんは大変感動した様子を見せ、お嬢さんは私のために泣いてくれました。私も打ち明けて良かったと思いました。
それ以来、奥さんは私を自分の親戚のように扱ってくれました。
私は愉快に感じましたが、そのうちに猜疑心がまた起こってきます。奥さんが、叔父と同じようにお嬢さんを私と結婚させようとしているのではと考えます。
すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々しい唇を噛みました。(下 十五)
人間不信の先生は、自分が両親を亡くした孤児であること、つまり身軽だってことですね。そしてそれなりの財産家であること、さらに優秀な一高生であることなどから、奥さんは自分を取り込もうとしているのではと疑います。疑心暗鬼になっているわけですね。
しかし娘に対して強い愛を持っている私が、その母親に警戒をしてどうなるのかと思い、私は一人で自分を苦笑いする。
先生は、反射的に人間を警戒している自分に、苦笑いするのです。
しかし私の煩悶は、こんどはお嬢さんも策略家で、奥さんと二人で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、急に苦しくって堪らなくなるのです。
ここでは、先生の強い潔癖症や神経症を感じてしまいます。もちろん先生は叔父さんの欺きで植えつけられた人間不信が、大きな心の傷となっていることはわかります。でもお嬢さんまで疑ぐってしまうと、なかなか前に踏み出すことはできませんよねぇ。
とにかくこんなふうにして、自身の性格のなかに人への猜疑心を強く持ち、先生は人間を警戒しながら都会に暮らし始めたのでした。
私は、お嬢さんに思いを募らせていく。そして、思い切って奥さんにお嬢さんを貰う話をしようとしたことが何度かあったが、誘き寄せられるのが嫌で、叔父に欺された私は何があっても人には騙されまいとしています。
ある日、着物を買いに奥さんとお嬢さんと私と三人で日本橋に出かけ、級友に見られ、いつ妻を迎えたと聞かれ、非常に美人だと褒められたりもした。
私はその時に打ち明ければよかったと思うのですが、人を疑う心が塊のようになっています。奥さんのそれらしい話やお嬢さんの素振りも理解できず、機会を逸してしまいます。
それでもお嬢さんへの二.三の結婚話の意見を奥さんから求められた時には、まだ早いのではと話します。奥さんは口に出さないけれどお嬢さんの美しさや、ほかに子供がいないこともあり、ふさわしい相手でなければ手離したくないと考えているようでした。
先生は、強い人間不信と、お嬢さんへの宗教的な愛と、自身の未だはっきりしない将来と、そして奥さんの気持ちを理解できず、お嬢さんを貰うことを告げることなく時が過ぎていきます。
こうなってしまうと、先生は強い神経症の状態に入りつつあると言えるのではないでしょうか。次第に正しい判断はできなくなっていきますよね。
奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっている所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。(下 十八)
大学2年のとき、その男がこの家庭の一員となった結果は、私の運命に非常な変化を来しています。
もしその男が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。(下 十八)
奥さんは止せといいます。しかし私には連れてこなければ済まない事情が充分にあったので断行してしまいます。