手記は、私と先生の過ごした時間を時系列に紐解いていきます。
ある花の咲く時分、私は先生と上野公園へ行くと、そこに男女のカップルがいた。
睦まじそうに寄り添う新婚の二人に「仲がよさそうですね」と冷評す私に向かって、先生は、その冷評しには、君が恋を求めながら相手を得られない不快の声が交じっていましょうという。
そんな風に聞こえましたかと私が言うと、聞こえました・・・
しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか(上 十二)
と言われ、私は何のことかと驚く。
私はこの言葉と、先生が毎月、雑司が谷に墓参に行くこととが繋がる。そして、先生の人間嫌いは、友人の死と関係があるのではと考えます。
とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ(上 十三)
と先生は私に言い、私は先生の話がますます解らなくなる。
この上野公園は、先生が学生時代に親友のKに対して「向上心のない奴は、馬鹿だ」と決定的な一撃を放った場所なのです。Kの思いが、先生は頭から離れない。先生の心を壊してしまった記憶の場所なのです。
<先生>は淋しい。そして近づいてくる<私>に対して、過去の出来事を打ち明けたいと考えている。当然、<私>には<先生>の淋しさが理解できない。
恋はなぜ罪悪なのか・・・そして神聖なのか・・・
先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。(上 十二)
先生の悲劇を奥さんは知らない。先生は惨めな悲劇を奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。(上 十四)
ここには、先生が私を惹きつける理由が示されています。
私は学校の授業が退屈なのでしょう。高邁な理想への疑念でしょうか。あるいは教授もまた出世欲にかられた人間だと思っているのかもしれません。それに比べて、実際の経験から生まれたらしい先生の思想に私は惹かれています。
そして「独りを守って」という意味は、俗世に汚れることなく、競争や功利から無縁な孤高な人格者という意味なのでしょう。
余談ですが、これはまるで漱石先生とたくさんの弟子たちの関係のようですね。
これに対して先生は私に「熱に浮かされているだけで、熱が冷めると厭になる。これから先に起こるべき変化を予想すると、苦しくなる」と言います。そして、私の買い被りに対して迷惑だし、苦しいと感じている。
「私の先生への思いを信用できないのですか」と尋ねると、先生は「人間全体を信用しない」と言う。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」(上 十四)
と言う。
人間を信じられないと考えている先生。人のこころは、ときに理性を超えて、制御不能となり、動いてしまうことを知っていて、何より自分自身がそうなのだから、人間全体が信じられないのでしょう。そして人間の移ろいやすい不可思議な「こころ」というものを呪っているのでしょう。
「そう難しく考えれば、確かなものなどない」という私に、先生は「考えたんじゃなくて、やったんです。やった後に驚き、そして非常に怖くなったんです」(上 十四)
と言うのです。
そして「未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたい。今より一層、淋しい未来を我慢する代わりに、淋しい今を我慢したい」という。何だか、先生の訳ありなことだけはわかりますが、それが何なのかは私はわからないのです。
そして、
自由と独立と己に充みちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう(上 十四)
と先生は言います。
この作品の主題です。西洋文明を受け入れた「自由と独立と己に充ちた現代に生まれた我々」
自我を尊重する個人主義と言い換えてもいいし、自己本位が優先されると言っても良いと思います。この言葉にある「現代に生まれた我々」とは、江戸の昔ではなく明治という新時代に生まれた我々ということになります。
文明開化以降に、個人主義そして資本主義社会のもとで過激になっていく競争、その結果、必ず人々は孤独になっていくことを漱石は予見しているのです。
私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。(上 十五)
私は、先生の人間観というものは、どこから来るのだろうと考える。先生は「それは他人の事実ではなく、自分自身が痛切に味わった事実だ」と告白していた。
こうして漱石は、学問としての思想ではなく、現実の生のなかでの思想を語る。理想が現実にさらされた時にどうなるのか? 剥き出しのエゴのなかで、心のままに、言葉として、態度として、現れた時に、いかなる危険を孕んでいるのかを物語っていくのです。
そうした折に、私はまた奥さんと二人で話す機会があり、なぜ先生が人間嫌いになったのかと尋ねます。すると奥さんは、自分も嫌われている一人と返答し、それを打ち消す私との会話の中で私の理屈をうまく、きりかえします。
自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。(上 十六)
後に静と呼ばれる奥さんの人柄がここに現れています。奥さんとの会話で「あなたは学問をする方だけあって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなすことが」と私はやりこめられます。
しまいには、「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。」と言われる。
奥さんは深い理解力をもっているが、難解な言葉づかいはしない。物静かで心優しく、素直な女性として描かれる。
さりげない表現だが、男女の違いと言っても良いかもしれない。女性は男性よりも思慮深さと遠慮を大切にしている。男性の方が、議論が活発だが、ときに言葉は無力であり、暴力的でもあり、すべてを伝えきれない虚しさを露わにしてしまう。
その時に私は奥さんから、先生の様子が変わってきた始まりは、親友の変死からではないかと打ち明けられる。
ここに「変死」という言葉が出てくる。奥さんも不思議さは感じている。しかし親友一人を亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうかと、私に尋ねている。
奥さんは先生の変わった理由を薄々、感づいているのではと読者は思う。もちろんすべては知らないが、先生と親友との間のことで、それは自分と先生との婚約に何か関係しているのではということも、密かに感じているのではと読者には思えてしまいます。
そうして私は、先生の思想の根底に強烈な恋愛事件を仮定してみる、それは先生と奥さんの間ではなく、あの雑司が谷に眠っている誰だか分らぬ人の墓、と関係があるのではないかと推測するのです。
冬が来て、腎臓を病む父の病気が思わしくないようで、私は国へ帰ることにした。私は先生の宅で父の病状を話し、旅費を借りて東京を立った。
ここで、私の故郷の父親と先生とが比較されます。それは田舎と都会の比較でもあります。そして田舎の慣習や因習と、都会の進取の思想との比較でもあります。
父は思ったより元気で、床の上に胡坐をかいて気を強くしていた。兄は職が九州で自由が利かず、妹は他国へ嫁ぎ、すぐには寄せられなかった。
一番便利なのは書生の私だった。私は先生に手紙を書いて借りた金の礼を述べた。そして父の病状が思ったより悪くないこと、眩暈も吐気もないことなどを書いた。
私は父と将棋盤に向かいながら、東京の事を考えた。 このあたりは当時の、つまり明治末期の田舎の状況を知ることができます。
私の故郷の場所は明示されていませんが、田舎の因習や習俗が残っており、親はその共同体のなかで生きています。
私は東京の事を考えた。そうして漲る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。(上 二十三)
東京のことを思うと私の活動意欲は高まる、何か燃焼したいという若いエネルギーでしょう。それは先生といることで強められているように感じる。
私は田舎に住む親と東京にいる先生を比べる。その評価は、両方とも世間から見ると大人しい男である、しかし父は、娯楽の相手としても物足りない。
肉のなかに先生の力が喰い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。(上 二十三)
と評する。
私は先生に心酔している状況が、強く描かれています。家族や血縁や共同体のなかにはいない人物なのでしょう。まさに師と仰いでいる状況ですよね。
都市の目覚ましい近代化と同じように、そこに集う人々も活力にあふれ、街は人の心を魅了しています。先生はそんな東京の都会的な教養豊かな知識人の象徴なんでしょうね。私は田舎の実の父親よりも、東京にいる思想上の先生の方に精神的なつながりを感じている。それは私の血肉となるほどに有益なものなのでしょう。
憧れとして、個人主義の思想を実践している姿を先生に見ているのでしょう。まさに「自由で独立している己れ」です。そして先生に多くの影響を受けている私もすでに独立の翼をもち、故郷の因習を離れ、都市に放たれたい気持ちでいっぱいです。
やがて東京に戻り、先生の宅へ金を返しに行きます。
先生は腎臓の病に詳しく、気をつけるように言うと「人間は健康にしろ病気にしろ、どちらにしても脆いですね」といい、「自然にころりと死ぬ人があれば、不自然な暴力であっという間に死ぬ人もいる。自殺する人はみんな不自然な暴力をつかうでしょう」と意味深なことを、また言います。
その年の六月に卒業する私は、論文に忙しくなる。そしてやっと八重桜が散り初夏となるころに自由の身となります。
久しぶりに先生の宅へ伺い、先生を散歩に誘い出します。大自然の中でのんびりしているときに、先生が私に問いかける。
「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」(上 二十七)
先生がどうして遊んでいられるのかと、かねてから不思議だった私の方でも先生に思い切ってたずねてみた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」(上 二十七)
すると先生は、元は財産家だったのだが・・・という。さらに私の父の病気と結びつけ、財産分けについて心配する。
私が「田舎者ばかりだから、悪い人間はいない」と答えると、
「田舎者はなぜ悪くないんですか」(上 二十八)
と言い、そして、
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」(上 二十八)
と先生は言う。真意をよく理解できなかった私が、再びたずねると、
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」(上 二十九)
と言う。そして先生は、自分を執念深い人間だと言って、
「私は他に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。(上 三十)
と言う。
謎多き先生だったが、金にまつわる大きな問題があることが分かる。
後に明かされるが、これは、先生が学生の頃に、信頼する叔父に騙され財産のほとんどを横領された過去の出来事を指している。
先生の父親が死に、母親も父親を追いかけるように死ぬ。思いがけず両親を亡くし、一人残され孤児となった先生。尊敬していた叔父は、両親が死ぬ前は善人であったが、死ぬや否や不徳義漢に変わったというもので、彼らから受けた屈辱と損害を子供の時から背負わされ、死ぬまで忘れることができないという。そしてまだその復讐をしていないというのだ。
これが先生の人間への不信感の正体だ。そのうえで、先生はさらに奇妙な発言をする、
私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」(上 三十)
私は慰めの言葉も出ず、さらに大きな不思議を感じる。
先生は、心のどこで、一般の人間を憎んでいるのだろうかと考える。
私は、思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けているが、どうしてもわからない部分があり、そのことを無遠慮に先生に問うてみた。
すると先生は<思想や意見>と<自分の過去>は別だと説明するが、私は納得ができず、
先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです(上 三十一)
と詰め寄っていく、すると先生は「あなたは大胆だ」と言うが、私は
「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」(上 三十一)
と食い下がる。すると先生は、「あなたは本当に真面目なんですか」と念を押し、
私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」(上 三十一)
と問い質す。
謎多く、また私にとって、要領を得ず、じれったかったが、先生のこころが動いた。
先生は過去の因果で人間を疑っている。しかし何とかして、人間への信頼心を回復したいと願っている。だから先生は誰かに過去の善悪を包み隠さず語りたいと考えている。
そこには「真面目」という態度が必要なのだ。これも本作品のキーワードだ。
ここでいう「真面目」とは、人間の本性にきちんと向き合い、いかに自らの判断を持つかということと捉えれば、ある意味で内発的な意識である。
つまりは「自由と独立と己に充ちた」という思想の本質を自ら捉えることではないだろうか。
そして、「適当な時機が来たら過去を残らず話しましょう」と付け加える。先生は死を意識している。それこそが先生にとっての唯一の孤独からの解放だからなのだ。
私は卒業した。当時の大学の卒業は7月である。先生の家で卒業祝いの御馳走に招かれた。卒業後の進路を奥さんにたずねられ、財産があると思っている私は、すぐに働く意識がない、先生にかぶれているとも言える。
きっと私は、教師や役人などの地位や金や名誉を得ることよりも、先生のように倫理や思想や愛情などに、価値の重きを置きたいのだろう。
そして数日後に故郷に帰る予定で、9月になったら東京に戻ろうと考えていた。
先生は私の父親の病気と財産分けのことを再び念を押し、さらに先生と奥さんのいずれが先に死ぬかなどの話題になったが、奥さんは老少不定と笑談を言う。 それでも先生は、
容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。(上 三十五 )
死の話題を続ける先生だが、やっとその話題が終わり、私はお暇をする。挨拶をして格子の外へ足を踏み出し、玄関と門の間にある木犀の一株が、行手を塞ぐように、夜陰に枝を張っている。
私は、来たるべき秋の花と香を想い浮べた。先生の宅と木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。
偶然その樹の前に立って、次の秋に思いを馳せた時、今まで格子の間から射していた玄関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は一人暗い表へ出た。
この部分は、私が先生とあった最後の日となります。そして何度も繰り返しますが、上の文章は回想のなかで書かれたものです。
木犀は秋に花をつけ、香を放つ。私は先生の宅とこの木犀とを、つまり先生のこころと花とその香りを忘れえぬものとしている。玄関の電燈がふっと消えた。命の灯が消えたのです。
先生のこころの奥底を私は思い、静かな心で偲びます。
私は人間を果敢ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。(上 三十六)
「こころ」とは何と不可思議なものなのだろう。こうして上<先生と私>が終わる。