
「人情」対決
①「人情」に耽る画工
3章 画工は就寝前に「竹影階払塵不動」を読み上げました。もうすぐ彼の幕が開きますよ、の合図です。3人の女の夢から覚めた真夜中、誰かが歌うような声が聞こえます。肌寒い春の夜、那美さんが庭で「画工の人情」を演じているのです。
気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛れ込んだのかと耳を峙てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜に一縷の脈をかすかに搏たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良の乙女の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
『草枕』3章
二人の男に懸想された「長良の乙女」。どちらか一方を選べば、争いになったり、一方を傷つけたりすると考えたのでしょう。それより自分が消えることを選びました。儚く消えた彼女ですが、美しい和歌を残しました。
秋づけば 尾花が上に 置く露の 消ぬべくも吾は 思ほゆるかも
本当は万葉集の和歌ですが、「長良の乙女」の気持ちになって意味を考えると、
(秋になって すすきの穂にかかる露が 儚く消えるように 私も消えてしまおうと思うのです)という感じでしょうか。「画工の人情」、長良の乙女の作った和歌を提示、それを那美さんが歌ってくれたということです。ここの解釈が、一番簡単です。最初ですから、例題みたいなものです。この先、どんどん難しくなります。
3章でようやく出会う画工と那美さんですが、その出会い方は、随分変わっていました。まず、夜中の庭を歌いながらうろうろしている彼女を目撃。彼はその姿を俳句に詠み、うとうと眠りかけているところへ、着替えでも取りに来たのでしょう、部屋にそっと忍び込む女の気配を感じます。この時那美さんは暗闇の中で、自分の衣類と一緒に、画工の枕元に置いてあった写生帖をそっと持ち出したはずです。翌朝、彼が風呂に入っている5分間の間に、またこっそり部屋に戻しておきました。そして風呂上り真っ裸の画工の前に、いきなり現れて、そっと着物を着せかけてくれました。この時初めて、二人はお互いの顔を見たのです。画工は、生まれたままの姿を見られてしまいました。部屋に戻った彼が写生帖を見ると、昨夜作った俳句に対して、添削のような返句のような句が書いてあるのを発見します。
この二人の出会い方、まるで顔も見ないまま、歌を贈りあい、暗闇の中で契り、翌朝ようやく相手の正体を見る平安王朝の恋人たちみたいでしょう?男女が逆転していますけど。和歌という文芸を花開かせた、宮廷貴族の恋の形式に敬意を払って、こんな出会いを那美さんが演出してくれたのです。 ところで那美さんの顔をじっくりと観察した画工は、何を思ったでしょうか。
それだから軽侮の裏に、何となく人に縋りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢の下から温和しい情けが吾知らず湧いて出る。どうしても表情に一致がない。悟りと迷が一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合な女に違いない。
『草枕』3章
2章で茶店の婆さんの顔をものすごく褒めているのに、那美さんに対しては、手厳しい。しかしここで、彼自身の弱点が露顕しています。那美さんの顔をけなすついでに、こんな事を言ってしまいました。
このゆえに動と名のつくものは必ず卑しい。運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。
『草枕』3章
この見解は、画家として偏りすぎですね。那美さんを見習って『遠羅天釜』でも読んだほうが良いでしょう。「静」と「動」両方の大切さが書いてありますから。
それでも画工の観察の目は確かです。那美さんの表情に、複雑な心境が表れていることは間違いありません。昔、志保田家で働いていた茶店のお婆さんの証言によると、「もとはごくごく内気の優しいかた」だったのが、馬子の源兵衛によると「この頃ではだいぶ気が荒くなって」とのこと。彼女の境遇を考えると、仕方のないことです。好きだった男との結婚を親に反対され、親が決めた男に嫁いだけれど、戦時下の厳しい経済で夫の務め先の銀行が倒産、離婚、実家に出戻り、村の人々に「不人情」「薄情」な女だと噂される。まだ20代半ばと思われる那美さんですが、当時の女性としては、苦しい立場です。封建的な親や世間の「不人情」に打ち付けられたのだから、自分も「不人情」で打ち返そうと、もがいているのかもしれません。
ただ表面的に見れば、彼女はなかなかの美人、粋でお洒落で、気の利いた会話ができる魅力的な大人の女性です。3章の終わり、画工は那美さんの後ろ姿をじっと見つめます。
「ほほほほ御部屋は掃除がしてあります。往って御覧なさい。いずれ後ほど」 と云うや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気に馳けて行った。頭は銀杏返に結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒繻子は片側だけだろう。
那美さんの髪型は、漱石作品では定番の銀杏返し、着物については「不断着の銘仙さえしなやかに着こなした」と12章に記述があります。銘仙というのは、着物の格としては木綿の次に低く、実直でカジュアル、レトロモダンな雰囲気の大胆な柄のものが多いです。引用文に、帯の描写があります。「帯の黒繻子は片側だけだろう。」これはおそらく裏側に黒いサテン地を使ったリバーシブルの半幅帯を斜めに折って、左右非対称に裏の黒を見せて結んでいます。粋で気取りのない着こなしの彼女の帯の結び方は、色っぽい“片流し”でしょうか。画工はその後ろ姿を見ながら、(あの帯は簡単に解けるのではないかしら)と誘惑を感じたに違いありません。この時の気持ちを正直に詠んだ句を13章で披露しています。
春風に 空解け繻子の 銘は何 ―『草枕』13章
(やわらかな春風に 自然と解けてしまいそうな繻子帯の あの粋な女は何者だろうか。)
4章 冒頭の部分は、すでに説明しました。「画工の人情・余韻」の4章ですから、いつもは非人情を気取る画工もずいぶんと「人情」に立ち寄ってしまいます。昼食を運んできた小女郎に、那美さんについて詮索する質問をしつこく浴びせます。昼食後も部屋でごろごろしながら、(もしあの銀杏返しに懸想したら・・・・)と英詩を思い浮かべたり、本当に恋をしてしまったらどんなに苦しいだろう、と想像します。
どこで読んだか忘れてしまいましたが、「那古井温泉」の「なこい」は、「恋するなかれ」の意味があるのではないか?という説がありました。「那美恋し」の意味で「なこい」ではないか?“という説もありました。どちらにしても、那美さんに恋をしてしまいそうな画工の気持ちが表われています。 そんな彼の気持ちを察してか、那美さんがお茶と羊羹を持って、部屋に来てくれました。二人は色々と話をします。画工が長良の乙女の詠んだ歌を「あの歌は憐れな歌ですね。」と言うと、こんなやり取りがあります。
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐れな歌ですね」
『草枕』4章
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏みませんね。第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
この会話の後、鶯が「ほーう、ほけきょーう。」と囀ります。すると那美さんが「あれが本当の歌です」と言ってのけます。どうやら彼女は、長良の乙女の和歌に、あまり共感できない様子。自己を犠牲にする儚く優しい女ですが、男二人のために死ぬ歌なんてつまらない。自然の美である鶯の囀りこそ歌なのだ、と言いたいのでしょう。そんな那美さんは「那美の人情」にどんな文芸を挙げるのか、10章で見ていくのですが、その前に休憩の9章で起きる重要な出来事について考えます。