夏目漱石『草枕』完全解説!全ての謎と物語の構造を解く|謎解き『草枕』その3

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 「非人情」対決

 尼寺へ行け!

 「非人情」の被害者は、オフェリヤでしたから「非人情」対決はハムレットの一場面のパロディになっています。念のため『ハムレット』を最短でまとめます。

 デンマーク王子ハムレットの父である王が死んだ。王女であるハムレットの母は、すぐに王の実弟と再婚し、叔父が王位に就く。ハムレットの前に父の亡霊が現れ、自分は妻と弟の計略により殺された、復讐せよ、と訴える。周囲には狂気を装いながらハムレットは煩悶し続け、時を見て、ついに復讐を遂げ、死ぬ。

 オフェリヤ(普通はオフィーリアと表記)はハムレットの恋人ですが、復讐を計画するハムレットは死を覚悟していますから、もう結婚する気はありません。色々な理由をつけて、彼女に何度も「尼寺へ行け」と言います。その場面、ハムレットのセリフが次です。

 ちゃんと知っているぞ。きさまたちは、神から授かった顔があるのに、それを紅白粉べにおしろいで塗りたくり、まったく別物の仮面をつくりあげる。踊り狂う。尻をふる。甘ったれた口をきく。神の造ったものに妙な綽名あだなをつける。あげくのはては、とんでもないふしだらをしでかしておいて、「いけなかったの?」などとぬけぬけと。ええい、もう我慢が出来ぬ。おかげで気が狂った。結婚などいうものは、もうこの世から消えてなくなれ―(中略)さ、行ってしまえ、尼寺へ。

福田恆存訳「ハムレット」第三幕第一場

 父を裏切った母のせいで、女性不信になったハムレットの気持ち(女はチャラチャラしてふしだらだ、結婚なんてしたくないから、尼寺へ行け!)という訳です。この有名な場面の焼き直しのような物語を那美さんが演じます。
 そして今回は趣向を変えて、画工の目前で那美さんが演じるのではなく、那美さんの言動を噂話として聴くラジオドラマのような形式になっています。田舎の村で噂になったある騒動を、二人の証言者が語るのですが、同じ事件でも、証言者によって見え方が全く違います。5章で床屋の親方が語る「画工の非人情」、11章で大徹和尚が語る「那美の非人情」です。

5章 画工は、村の床屋で髭を剃ってもらいながら、髪結いの親方から、次のような噂話を聴きました。しかし酒に酔った親方の記憶、かなりあやふやです。途中で床屋に入ってきた、観海寺の小坊主が話を訂正してくれました。

髪結い親方の証言

  1. 那古井温泉の近所にある観海寺かんかいじの下っ端の坊主、苦みばしったいい男で、いかにも女にモテそうな泰安たいあんさんが、那美さんを好きになって、手紙を書いた。
  2. 手紙を受け取った那美さんが、観海寺の本堂で和尚さんたちがお経を上げているところへ現れ、「そんなに可愛いなら、仏さまの前で、いっしょによう」と泰安さんの首にかじりついた。
  3. とんだ恥を掻かせられた泰安さんは恥ずかしさのあまり、死んでしまった・・?・・(以下了念りょうねんさん訂正)泰安さんは、その後、発奮はっぷんして陸前の大梅寺だいばいじに本格的な修行に行った。そのうち悟りを開いて名僧になるであろう。
  4. 那美さんは、2.の奇行を理由に村の人々から「気狂きちげえ」「見境みさかいの無い女」と呼ばれているが、観海寺の和尚は、那美さんをいつも「えらい女だ」と褒めている。

 とても奇妙なエピソードです。那美さんは、ちょっと変わった女なんだ、ということで済ませずによく考えてみてください。下っ端とはいえ、一応は僧侶の泰安さんが、那美さんにラブレターを書いたのです。坊主が堂々と恋愛できるとは思えませから、那美さんと遊びで、秘密の恋でもするつもりだったのでしょう。那美さんは出戻りですから、軽く見られたのです。泰安としては、そんな遊び半分の気持ちで手紙を書いたのに、あろうことか那美さんは、本堂で他のお坊さん達と読経しているところに現れて、衆目の中、泰安に抱きついた。粋で大人な那美さんとならば内緒の恋ができる寸法だったのに、とんだ見当違い。破廉恥な彼女に大変な恥を掻かされました。死ぬほど恥ずかしかった泰安ですが、これを機に反省したのか、女に懲りたのか、より厳しい修行に出ることにしました。残された那美さんは村中で、色情狂のように噂され、笑われています。 『ハムレット』との違いは、(女がチャラチャラとふしだらだから・・・・・・出家してやる!)ということでしょうか。ふしだらな上に、尼寺にも行かず、周囲から「気狂」呼ばれ、非難の的となる那美さんですが、ただ一人、観海寺の大徹和尚さんだけは、彼女を褒めています。11章「那美の非人情」に飛んで、「大徹和尚の証言」を聴いてみましょう。

11章 

「大徹和尚の証言」


 「いやなかなか機鋒きほうするどい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安たいあんと云う若僧にゃくそうも、あの女のために、ふとした事から大事だいじ窮明きゅうめいせんならん因縁いんねん逢着ほうちゃくして――今によい智識ちしきになるようじゃ」

 大徹和尚の見方としては、那美さんの奇行は、泰安により厳しい修行の決意をさせるための方便ほうべんであったようですね。彼女は捨て身で彼に恥を掻かせ、自省じせいを促し、本格的な修行への覚悟を決めさせたのです。現場で見ていた大徹和尚には、那美さんの真意が伝わっていました。だいたい僧侶のくせに、女に手紙を書いたりして、ちゃらちゃらとふしだらなのは、まず泰安のほうです。ハムレットが「尼寺へ行け!」と激しく言ったように、ふざけた坊主に喝を入れた那美さんが狂気を装っているのも、やはりハムレットの真似をした芝居なのです。大徹和尚の言うとおり、”なかなか機鋒きほうするどい”「那美の非人情」でした。
 この芝居対決のエピソードを踏まえて、休憩の9章での二人の会話を見ていきます。ちょっと引用が長くなってしまいますが、とても含蓄のある対話なので、じっくりと読んで下さい。