夏目漱石『こころ』あらすじ|厭世的な心が、自死にむかう。

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概要>自由や自我の追求が、心のうちにある自己本位や独占欲を曝け出す。結果、人間不信に陥り厭世的な心持ちを引きずり淋しく生きさらばえる。恋や財産、友情など物我の関係で人は試練に出会う。<K>との出来事を語る<先生>の遺書を、<私>はいかに捉えたのか。

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登場人物


主人公の大学生、<先生>と出会い惹かれていく。やがて先生の遺書で全てを知る。
先生
高等遊民のような暮らしで、厭世的で淋しい人。その半生を<私>に遺書で明かす。

寺の次男で求道家、<先生>と同郷で大学も同じ。親に勘当され先生と共に下宿する。
先生の妻)
先生の下宿先のお嬢さん。結婚後の<先生>の変化に戸惑いながらも幸せに暮らす。
奥さん先生の妻の母)
軍人の夫を亡くし下宿を営む女主人、そこに<先生>が学生時代から世話になる。

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あらすじ(ネタバレあり)


上 先生と私(一~三十六)

私は、その人を常に先生と呼んでいた。(一~四)

私が先生と知りあったのは鎌倉の海岸だった。その時、先生は一人の西洋人を連れていた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。その後、何度も先生と会うが、挨拶したり話したりする機会はなかった。先生の態度は非社交的で、超然としていた。やがてある日、私は先生と話すことができ懇意になれた。

先生と別れるときに「これから折々にお宅へ行ってもいいですか」と聞くと、先生は単簡たんかんに「ええいらっしゃい」と言う。こまやかな言葉を予期した私は物足りない返事に少し失望する。ただもっと前に進めば、私の予期するあるものが眼の前に現われてくるだろうと思った。 私は、なぜ先生に対してこんな心持が起こるのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日に始めて解けてきた。先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せと警告を与えたのである。ひとの懐かしみを応じない先生は、ひとを軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたのである。

【解釈】<私>は、出会った始めから<先生>につよく惹かれている。この冒頭で、すでに<先生>は亡くなっていることを明らかにしており、回想が始まることを知らせている。そして<先生>は自分をひどく軽蔑していたことを読者に前置きしている。

故郷から東京に戻った私は、また先生の宅を訪ねた。先生は不在で、美しい奥さんが出てきた。その日は、先生は雑司ヶ谷の墓地にある仏へ花を手向けに行く習慣だという。

私は淋しい人間です、あなたもそうではないですか。(五~十)

先生は、雑司ヶ谷の墓地で私に会って驚く。私が、墓の形や墓標の文字の外国名に滑稽やアイロニーを表していると、先生は「あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね」と言う。もう少しすると木が黄葉して、地面は金色の落ち葉でうずまり綺麗だという。先生は月に一度は墓地に来る、そこには先生の友人の墓があった。

私はそれから時々、先生を訪問する。先生は何時も静かだった。私は先生には近づきがたい不思議があった。それでいて、どうしても近づかねばならないという感じが強く働いた。

人間を愛しる人、愛せずにいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱きしめることのできない人―これが先生であった。

墓参りを一緒したい私に向かって、先生は「私はあなたに話すことのできない理由があって、ひとといっしょにあすこに墓参りには行きたくないのです。自分のさいさえまだ連れて行った事がないのです」という。

先生は「私は淋しい人間です」という。そして「ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は歳をとっているので動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かにぶつかりたいのでしょう…」という。

そして私には、あなたの淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力が無いという。

【解釈】この回想の中で<私>は、<先生>への近づきがたい不思議と、近づかなければならないという感じが強く働くこと。そして心を閉ざす<先生>に惹かれた自分の直感的な感受性を頼もしく嬉しく思う。<私>は、漠然と “人間の心や感情への興味”を抱いており、それは<先生>も<私>に対して、同じ淋しい人間ではないかと同じ意識を共有できる人間として見ている。

私はそれからも先生に会いに行き、奥さんとも話すようになった。

先生のうちは、夫婦と下女だけで、行くたびに大抵はひっそりとしていた。「子供でもあるといいのに」と言う奥さんに「天罰だからできっこない」と先生が言う。それでも先生と奥さんは仲の良い夫婦だった。

私は、先生のいう「私たちは最も幸福に生まれた、人間の一対いっついであるべきはずです」の “ あるべきはず ” という言い方の意味が解らなかった。

とにかく恋は罪悪ですよ、そして神聖なものですよ。(十一~十四)

私は大学生だった。始めて先生のうちへ来た頃からずっと成長した気でいた。

先生は大学を出ているが、何もしないでどうして遊んでいられるのかと思っていた。

学問や思想もあるのに「私のようなものが世の中へ出て、口をいては済まない」という。疑問に思う私に奥さんは「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。まるで違っていました。それが全く変わってしまったんです」と書生時代とは変わってしまったという。

先生は奥さんとの美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そしてその悲劇が先生にとっていかに惨めなものであるかを、先生は奥さんに隠して死んだ。

先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。悲劇について何も語らない先生だが、私の記憶に残っていることがある。

ある時、花時分上野へ行った。そこで、一対の男女を見た。睦まじそうに寄り添う二人に「仲がよさそうですね」と冷評ひやかす私に向かって、先生は、「その冷評ひやかしのうちには、君が求めながら相手を得られない不快の声が交じっていましょう」という。そして「しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」と言われ驚かされた。

そして先生は、私が先生のところへ来る理由について、「何かが物足りないから、私の所に来るのだ。それは恋に上る階段であり、異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いてきたのだ」という。そして先生は「特別の事情で私はあなたに満足を与えられないので、あなたがよそへ行くのを希望している」と言う。

先生は、私を焦慮じらして悪いというが、私は先生の話が解らなかった。そして先生は「なぜ私が毎月雑司ヶ谷の墓地に埋まっている友人の墓へ参るか知っていますか」という。私には、先生の話がますます解らなくなった。

【解釈】<先生>は、淋しい。そして同質のものを抱えていそうな大学生の年齢の<私>に対して、大学生のころの出来事を打ち明けたい<先生>がいる。そして、当然ながら<私>には<先生>の淋しさが理解できない状況である。恋はなぜ罪悪なのか・・・

私は一途になりやすかった。学校の講義よりも先生の談話の方が有益だった。教授の意見よりも先生の思想の方がありがたかった。ただ独りを守って、多くを語らない先生の方が偉く見えた。

先生は私に「私が先生を思うのは熱に浮かされているだけで、熱が冷めると厭になる。これから先に起こるべき変化を予想すると、苦しくなる」と言う。私の先生への思いを信用できないのかと尋ねると先生は、「人間全体を信用しない」と言う。

「私は私自身さえ信用していない、自分で自分を信用できないから、人も信用できないようになっている。自分を呪うより外に仕方がないのです」という。

「そう難しく考えれば、確かなものなどない」という私に、先生は「考えたんじゃなくて、やったんです。やった後に驚き、そして非常に怖くなったんです」と言う。

そして「未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたい。今より一層、淋しい未来を我慢する代わりに、淋しい今を我慢したい」といい、自由と独立と己にちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう」と言う。

先生の人間嫌いは、友人の死と関係があると思う。(十五~二十)

私は、先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうと考える。

先生は、「その覚悟は生きた覚悟であり、その思想は、強い事実が織り込まれている。それは他人の事実ではなく、自分自身が痛切に味わった事実だ」と告白していた。

ある日、先生が不在で、私は奥さんと話す機会があった。世の中が嫌いな先生にとって「奥さんがいなくなるとどうなるのか」と尋ねると、奥さんは「私は先生を幸せにしているし、私ほど幸せに出来るものはいないと信じている。それでも先生は人間が嫌いになっている」と考えており、だから「人間の一人として、私も好かれるはずはない」と言う。

私は、誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。

奥さんが、「どうして変わってしまったのか」を確認しても、先生は、「何も言うことはない。何も心配する事はない。こういう性質になったんだ」というだけで取り合ってくれないという。奥さんは、「私に欠点があるのなら」というと、先生は「欠点はおれの方にあるだけだ」と言う。

そして、奥さんは少し思いあたる事があるといって話を始めた。

「それは先生が大学の時分、大変仲の好いお友達が一人あり、卒業する少し前に死んだというものだった。それは自殺だった」「そのことがあって後、先生の性質が段々と変わってきた」と言う。

【解釈】<私>は<先生>の最も身近な存在の奥さんに確認する。すると先生の性質の変化は、大学時代の友人が影響している可能性があると聞く、そしてそのことで人間が嫌いになり、奥さんに対しても静かな男となったという。そして、欠点はおれの方にあるという。

私は故郷の父よりも、先生に強く惹かれていた。(二十一~二十五)

冬が来て父の病気が思わしくなく、私は国へ帰った。

父は腎臓を病んでいた。私は先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。私は、先生宅で父の病状を話した後に、汽車で東京を立った。

父の病気は思ったほど悪くはなかった。父は床の上に胡坐あぐらをかいて気を強くしていた。兄は、職が九州で自由が利かず、妹は他国へ嫁ぎ、すぐには寄せられなかった。

一番便利なのは書生の私だった。私は、先生に手紙を書いて恩借の礼を述べた。そして父の病状が思ったほど険悪でないこと、眩暈も吐気もないことなどを書いた。

私は退屈な父の相手として将棋盤に向かいながら、東京の事を考えた。

私は、父と先生を比較してみる。両方とも世間から見ると大人しい男である。娯楽の相手としても物足りない父に比べ、肉の中に先生の力が食い込み、血の中に先生のいのちが流れているようであった。

東京に帰り、先生のうちへ金を返しに行った。先生は腎臓の病に詳しく気をつけるように言うと、「人間は健康にしろ病気にしろ、どちらにしても脆いですね」といい、「自然にころりと死ぬ人があれば、不自然な暴力であっという間に死ぬ人もいる。自殺する人はみんな不自然な暴力をつかうでしょう」という。

その年の六月に卒業する私は、論文のため四月いっぱいは先生の敷居を跨がなかった。

【解釈】東京で知り合った<先生>と故郷の<父>を比べると、<私>の血肉に<先生>のいのちが流れるよう思う。<私>はすでに自我の翼をもち、故郷の因習を離れ都市の自由と思想に放たれている状態である。

人間は急に悪人に変わるから恐ろしい。(二十六~二十九)

八重桜の散るころ私は自由になり、先生の家へ行った。私は、先生とれだって郊外へ出た。若い柔らかい葉をぎ取って芝笛を鳴らした。細い道が開け、何々園と書いてある中に入った。躑躅つつじが燃えるように咲き乱れていた。

先生は、私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりしたが、言葉の底には両方を結びつける大きな意味があった。

先生は、「君のうちに財産があるのなら、お父さんが達者なうちに貰うものはちゃんと貰っておくように。万一の事があった場合、いちばん面倒の起こるのは財産の問題だから」と言った。そして「みんな善い人ですか」と尋ねた。

私は「大抵は田舎者なので悪い人間というのはいません」と言うと、先生は「田舎者はなぜ悪くないのですか」と言い、「悪い人間という鋳型いかたに入れたような悪人は世の中にはいない、平生はみんな善人です。あるいは普通の人間なのが、いざという間際に、急に悪人に変わるから恐ろしいのです、だから油断ができないのです」と言う。

そして先生は「私は、親戚から欺かれたのです。父が死ぬ前は善人であった彼らは、死ぬや否や不徳義漢に変わったのです。彼らから受けた屈辱と損害を子供の時から背負わされ、死ぬまで忘れることができない。しかし私は個人に対する復讐以上のことを現にやっているんだ。人間というものを、憎むことを覚えたのだ。それで沢山だと思う」と言った。

先生は人を疑りながらも、人を信用し死にたい。(三十一~三十六)

私は、先生が心のどこで人間を憎んでいるのだろうかと疑った。その眼、その口、どこにも厭世的な影は射していなかった。

先生は私に「あなたは、腹の底から真面目ですか」と言う。

先生は、過去の因果で人間を疑っている。しかしひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか、と尋ねる。

そして先生は「適当な時機が来たら過去を残らず話しましょう」と言った。

私は大学を卒業し、先生の宅で御馳走に招かれた。先生は、「私は精神的に癇性かんしょうなんです。それで始終、苦しいんです」と言い、私は、それは神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、解らなかった。

先生は私に「お父さんの生きているうちに、相当の財産を分けてもらって置きなさい、それでないと油断ならない」と言った。

それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。

私は、心のどこかで父はすでに亡くなるべきものと覚悟していた。寧ろ、父が亡くなった後の母を想像して気の毒に思った。「どっちが先に死ぬだろう」と、先生夫婦のことを想い浮かべた。私は人間を果敢はかないものにかんじた。

人間のどうする事もできない持って生まれた軽薄を、果敢ないものにかんじた。

中 両親と私(一~十八)

故郷に帰り、私は父と先生を比較してみる。(一~六)

うちへ帰ると、父の様子は大して変っていなかった。卒業を喜んでくれる父と、先生の顔つきを比較した。私には先生の方が高尚に見えた。

去年会った時に余命が三月、四月だったが、起居たちいに不自由なくしているうちに卒業を迎えられたことを喜んでいる。父は、私の卒業前に死ぬだろうと思っていたようだった。

私の卒業祝いに赤飯を炊いて客を招くという。私は、飲んだり食ったりするのを目的としてやって来る彼らを嫌っていた。「東京と違って田舎はうるさいからね」と父は言った。「父さんの顔もあるんだから」と母が付け加えた。

「私のためなら止してください。陰で何か言われると厭だからと言うのなら、そりゃまた別です」と言うと、「学問をさせると人間が理屈っぽくなっていけない」と言う。

私は、父が平生へいぜいから私に対してもっている不平の全体を見た。

その予定の前に、明治天皇のご病気の報知があり、卒業祝いを中止した。父の元気は、次第に衰えていった。しばらくして崩御の報知が伝えられ時、父は「ああ、ああ、天子様もとうとうお隠れになる。己も…」と言った。

就職の口で、私は朋友からの地方の学校教員の誘いを断った。「大学を卒業すればどのくらい月給が取れるものか」とか、「卒業して何をされてますか」と聞かれた時に返事ができなくては肩身が狭いと父は渋面しゅうめんをつくり、母は「お前の先生という方にお願いしたらよいじゃないか」と言う。父の考えは、外聞の悪くないように私を片付けたかったのである。

「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。「何もしていないんです」と私が答える。父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。畢竟ひっきょうやくざだから遊んでいるのだと結論している。

【解釈】中_<両親と私>では、故郷や両親と私の関係が描かれる。封建的な家族制度の色濃い中で、父親の振る舞いや考え方、家を取り巻く周囲の因習が描かれ、故郷を離れ東京で暮らし大学を卒業した<私>にとっての故郷と東京、父親と先生の認識の違いが色濃くあらわれ、都市に生きて行こうとする個人として描かれる。

淋しそうな父の態度に、私は先生を思い出す(七~八)

父は明らかに死後のことを考えていた。「子供を学問させると、決してうちへ帰ってこない、これじゃ親子を隔離するために学問させるようなものだ」 学問の結果、兄は今遠国にいて、私は東京に住む覚悟を固くした。父の愚痴は不合理ではなく、一人残された母を思う父は淋しいに違いなかった。

そのくせ東京で好い地位を求める父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思うと同時に、おかげで東京へ出られるのを喜んだ。

私は、先生が私の就職の口などに取り合うまいと思いながら手紙を書いた。先生からは一週間経っても何の音信たよりもなかった。

私は先生の忠告通りに、財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。

九月始めになって、私は東京へ戻ろうとした。父の希望する就職を得るために行くようなことをいった。

父は「今の若いものは金を使う道だけ心得ていて、金をとる方は全く考えていないようだ」とか「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などと言った。

私は淋しそうな父と話しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまたおもい浮かべた。先生と父はまるで反対の印象を私に与えた。

【解釈】故郷から東京へ移動する。子が家を継ぎ守るという旧来の家族制度は次第に崩れていく。残される両親、<私>はその不合理を理解しながらも東京を目指す。そして父も矛盾ながらそのことを応援している。近代化で都市が急速に発展し人々を吸収する。その時の両親と子供、家族の心理が会話の中に現われる。

母と兄と妹の夫を囲み、私は父の病床を見舞った。(九~十五)

私がいよいよ立とうという時に、父がまた倒れた。

私は東京に立つのをやめて父の様子を見た。父は苦悶はないようだが、私は兄と妹に電報を打った。周囲の人々も集まって来た。

先生からの返事は来ず、母はもう一度と私に催促するが、私は手紙を出さなかった。

兄が帰ってきて、新聞を読む父をみて安心した。その後すぐ着いた妹の夫も楽観的だった。乃木大将が死んだときも、父は一番さきに新聞でそれを知った。軍服を着た乃木大将と、官女のような服装をした夫人の姿を忘れることができなかったという。

私は一通の電報を先生から受け取った。電報には会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあったが、父の病気のため東京に行く訳には行かなかった。

父の病気は、最後の一撃を待つ間際まで進んで来た。

父が黄色いものを吐いた時に、兄弟は、父の死んだ後のことについて語り合った。しかし遺言らしいものを聞くことはできなかった。そのうちに昏睡が来た。

私は手紙で、先生の死を知らされ東京に戻る。(十六~十七)

父は譫言うわごとのように「乃木大将にすまない。実に面目次第がない。私もすぐおあとから」と言い、母は気味を悪がった。なるべく皆を枕元へ集めておきたがった。

父の看病をしていると、郵便物が来て厚い分量の書留を受取った。

私は、自分のへやに戻り郵便物を見た。私は読み始めて読み終わらない前に、父はきっとどうかなると思った。先生の書いたものを落ちついて読む気になれず、最初の一頁ページを読んだ。

そこには、約束した先生の過去についてが記されていた。「過去を物語る自由が来たから話す。しかしその自由は、また永久に失われなければならない」と書いてある。

その時、私を呼ぶ兄の声が聞こえた。いよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した。父の様子が少しくつろいできて、私は手紙を無意味に頁を剥ぐっていき一句が眼に入った。

この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。死んでいるでしょう

私は、はっと思い、ざわざわと動いていた胸が凝結した。私は又、父の様子を見に病室の戸口まで行った。父の精神は存外、朦朧としていなかった。

私は時計を見ながら、汽車の発着表を調べて、車を停車場ステーションへ急がせた。そして母と兄へ手紙を書き、宅へ届けるように車夫に頼んだ。

そして思い切った勢いで東京行の汽車に飛び乗ってしまい、列車の中で、先生の手紙を始めから終いまで眼を通した。

【解釈】父親がまさに死に向かおうとするときに<私>は先生の手紙を受取り、既に先生が死んでいることを知り、汽車に飛び乗る。この衝動的な行動は、都度、僅かながら回復してみせた父と比較して、刹那な行動の中に<私>の故郷や両親を離れて生きていこうとする決断の瞬間といえる。