
①それだ!それだ!それが出れば
13章 画工は那美さんの家族と一緒に、川舟に乗って山を下りて、汽車の駅へ向かいます。同時に夢幻能に見立てた世界から出て、現実世界に戻ることになります。駅に向かう目的は、戦争に行く久一さんの見送りです。しかし那美さんは、生きて帰ることができないかもしれない従弟に、ちっとも同情の気持ちがありません。
「久一さん、軍さは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。
『草枕』13章
「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。
「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。
「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、
「そうさね」
と軽く首肯う。老人は髯を掀げて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。
「そんな平気な事で、軍さが出来るかい」と女は、委細構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。
「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談とも見えない。
「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」
出征する久一さんに向かって「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」なんてことを聞く那美さんです。兄さんは、妹の性格をよく理解していて、冗談抜きで「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」と言っています。もし彼女が戦争に行くならば、武勲を立てて英雄として死んでやる、という勢いで行くのでしょう。久一さんの様子には、そういう勇ましさが全然感じられない。「そんな平気なことで、軍さが出来るかい」と那美さんに言われてしまいます。
でも大人しい久一さんは、別に英雄になりたくて積極的に戦争に行くわけではないでしょう。どちらかと言えば、忠心の気持ちで仕方なく行くのです。己のために死ぬのではなく、他のために惜しい命を捨てる。その気持ちだって美しい。那美さんがつまらないと嫌った「長良の乙女」と同じです。「善の理想」に気付くならば、久一さんの姿に「憐れ」を感じるはずですが、今の那美さんには、それが見えません。
「生きて帰っちゃ外聞がわるい」と思ってしまうところに、彼女の心情が表れています。世間の不人情さが、身に染みているのです。画工が10章で述べるとおり、出戻りの自分に冷たい世間に「勝とう、勝とう」焦る気持ちがあるせいで、自己を犠牲に他を思いやるような人の優しいところが、見えなくなっているのでしょうか。どうやら、愛とか忠心という徳義的情操が働く「善の理想」に、那美さんが心動かされることはないようです。
漱石は講演で強調しています「4つの理想は平等の権利があるが、好みは人それぞれ違う。」彼女が「善の理想」を好まないからと言って、非難することはできません。
「先生、私の画をかいてくださいな」と注文する那美さんに、彼女の後ろ姿を詠んだ「春風にそら解け繻子の銘は何」の句を書いて見せると「もっと私の気象の出るように、丁寧にかいてください」と文句を言われてしまいます。画工は「あなたの顔はそれだけじゃ画にならない」と言い返しますが、那美さんの言うとおりなのです。彼女の見た目の美しさではなく、その気性に注目して彼女の好みに合う文芸を提示しなければ「憐れ」は浮かばないのです。
川船で下りながら、遠くに山々の景色が見渡せます。画工は、旅のはじめ、自分が転んで尻餅をついた時に見上げた、あの天狗岩を探してみました。
「天狗岩はあの辺ですか」
『草枕』13章
「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」
那美さんには禿げているように見えるのに、画工は天狗岩の辺り見て、凹んでいて日影になっているから、濃い色に見えるのだと言っています。しかし画工も1章では、禿げている、禿山だと言っていたのですよ。これはどういうわけでしょう?
「非人情」が口癖の彼でしたが、画工として真に「非人情」的に物を見る、とはどういうことなのか、やっと理解できたのです。彼のように洋画家ならば 非人情=智 を使って、色や光を分析的に観察しなければいけません。
一行は舟を下りて、駅に到着しました。出発の時間まで茶店で蓬餅を食べながら、画工は汽車論を考えます。「汽車」を「スマートフォン」に言い換えると、21世紀の私たちにも、ぴったりです。
汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。
『草枕』13章
いよいよプラットフォームで久一さんと別れる瀬戸際になっても、那美さんは「死んでおいで」と言い放つばかり。出発の時間が来て、汽車の戸が閉められ、久一さんは車室の窓から首を出しました。
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練のない鉄車の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
『草枕』13章
茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
待ち望んでいた那美さんの「憐れ」は、不意に現れた野武士風の元夫の顔を見た時に、突然浮かびました。彼は一瞬顔を見せるだけで、なぜ彼女の「憐れ」を引き出すことが出来たのでしょう?最後の謎です。
まず、この元妻に金を出してもらってまで、わざわざ満州に行く元夫は、どういう人間を想定して描かれているのかを考えてみます。12章で那美さんと画工が、元夫について話をしていました。
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
『草枕』12章
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善くあたりました。あなたは占いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下から来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解せぬ。
この会話と時代背景からして、彼は当時「大陸浪人」と呼ばれた人たちの類であることが推察されます。彼らの目的は個人的経済活動のため、政治的運動のため、色々です。那美さんも「あの男は貧乏して、日本に居られないからって」とか「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」と言っています。
ただ「今結んだ口元には、微かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解せぬ。」との含みを持たせているので、本当は何か知っているのかもしれません。
少ない情報から考えてみます。もしこの貧乏している夫が「金を拾いに」大陸に渡ろうとしているならば、彼女の「憐れ」は、落ちぶれた夫に対する同情の気持ちということになります。
しかしそれでは、久一さんの出征に最後まで「死んでおいで」と言い放つ、「意地っ張り、ちょっと意地悪な那美さん」が強調されている事と、どうも辻褄が合いません。
離婚したとはいえ元夫との別れだから、さすがに彼女も感極まった、なんて安易な理由はありえません。『草枕』は普通の小説ではないのです。
だとすると、元夫が大陸に行く理由は、金ではなく「死にに行く」。つまり命懸けの政治活動のためということであり、那美さんはその姿に心動かされて「憐れ」を浮かべた、ということになるのでしょうか・・・?今ひとつ、はっきりしません。