ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。(下 四十八)
Kと私の室の仕切りの襖が少し開いていて、Kの室を覗くと突っ伏していたのでした。私は「おい」といって声を掛けました。しかし何の答えもありません。
私は失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、私の全生涯を照らしました。
そうして私はがたがた顫え出したのです。
それは奥さんがKに私とお嬢さんのことを話した二日後のことでした。Kが死んだこのときに、先生の魂も死んでしまったのです。
Kの死によって、先生の生涯も死に覆われることを、先生は気づいているのです。
私宛の遺書が残しており、そこに自分の名前が書いてあるのではと絶望的になります。ところが遺書には私のことは何も書いてなく、自分は薄志弱行で到底、行先の望みがないから、自殺するとだけ書いてありました。
「薄志弱行」・・・そうです。Kは、ここでお嬢さんへの恋心を告白しています。でもこの意味は、恋敵となった私だけにしか理解できないことです。
私は、助かったと思いました。これほど、恐ろしい現実のなかでも、人間は無意識に自分の対面や世間体を優先する卑劣な本性をもっていることを示しています。
Kの遺書には今まで世話になった礼が加えてありました。さらに、奥さんへの詫び、つまり部屋で自害したことの詫びや国元への連絡の依頼などがありました。お嬢さんの名前はどこにも見えません。
私はすぐKがわざと回避したと気が付きました。これはKがお嬢さんを思いやる気持ちです。
そして最後に墨の余りで、書かれていたものは、
もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。(下 四十八)
Kは道を精進できなかった自分のせいで、つまり自分がお嬢さんに恋をしたせいで、友情が壊れることになったという自責の念があったのでしょう。
ここでいう「もっと早く」とは、時間の問題ではなく、心折れた自身への絶望が、こんな言葉を書かせたのでしょう。
あえて言えば、お嬢さんに恋心を抱いたときからとなります。Kの精進や信条からすれば、そうなりますが、ほんとうは「なぜ」の方、つまり「愛すること」の方に、Kの哲学は向かっても良かったはずです。それは、愛もまた神聖なもので、人間の生を苦しめるほどのものだからです。
しかしKは自意識が高い人間だったが故に、自尊心を失った自分を強く恥じているのです。
Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまいます。私はKの遺書を再び、皆に見えるところに戻します。つまりKと自分とは関係ないことがわかるようにするためです。Kの優しさに比べて、先生は最後まで自分のことだけを考えるエゴイストです。
私はKによって暗示された運命の恐ろしさを深く感じます。
起きてきた奥さんに知らせ、「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫まりました。それはKに詫まる事のできない私がとった行為でした。策を弄した先生の懺悔の言葉です。
奥さんは、Kの死を不慮の出来事としたことで、先生は安堵します。これもまた人間のこころの動き、つまり保身と言えるのではないでしょうか。
私がKの国元へ電報を打ちに出て戻ると線香が立てられています。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。泣くことを忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われることができたのです。
国元からKの父親と兄が来ました。私はKの遺骨を雑司ヶ谷へ葬ることを提案し了解を得ました。どのくらいの功徳になるかとは思いましたが、生きている限り、Kの墓の前に跪き月々私の懺悔をしたかったのです。
Kの父兄や知り合いや新聞記者から、Kがどうして自殺をしたのかと私は質問を受けます。この質問の裏に、
早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです(下 五十一)
それでも先生の良心は、恥の意識や自尊心に妨げられて、真実を告げることができない。先生の利己心が真実を告げることを避けさせます。
先生のKへの残酷な行為は、Kを死へ導いたという意味では、「お前が殺した」という先生の心の声は、嘘ではないはずです。
<K>の自殺を目の当たりにして、<先生>は自身の狡猾さで、友を死に追いやったことに悔恨の念を抱く。
こうして先生は、後の生涯、Kを殺したという罪の意識に苛まれ続けて生きることになります。
それから引っ越して、二ヵ月ほどして大学を卒業し、半年もせずにお嬢さんと結婚します。しかしこの結婚にはKの黒い影がつきまといます。この幸福が私を悲しい運命に連れていく導火線ではないかと思うようになります。
妻は二人で墓参りをしようと言う。妻は私と一緒になった顛末を述べて、Kに喜んでもらうつもりでした。私はただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
新しい墓と新しい私の妻と、地面の下に埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命のあざけりやののしりを感じたのです。それ以後は決して妻と一緒にKの墓参りをしない事にしました。
私は妻と顔を合せているうちに、突然、Kに脅かされるのです。
妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。(下 五十二)
妻を見るとKのことを思う。先生はつねにKへの罪悪感に苛まれる。
この状態で、もともと道徳的に育てられた先生にとって、平衡を保ちながら生きていくことは不可能でしょう。
しかし妻に何度も打ち明けようとしたができない。それは先生が告白すると、妻は自分が先生の気を引くために行った無意識の嬌態も、この不幸な出来事の一因であることを知り、傷つくことになる。
そうして妻の記憶に暗黒な一点を刻むことが忍びなかった。
先生は、持って生まれた性格や高学歴、叔父との出来事での人間不信、そして友情と恋愛の競争心からいびつな自我を形成した人間に変わってしまったことが分かります。
一年経ってもKを忘れることのできない私の心は常に不安となる。私はこの不安を駆逐するために、書物に溺れ猛烈な勢いをもって勉強をする。
世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。(下 五十二)
書物でも酒でも忘れることができない。
自分はわざとこんな真似をして己れを偽っている愚物だという事に気が付くのです。(下 五十二)
妻はどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼む。そして酒を止めるように忠告する。「あなたはこの頃、人が変わった」と言う。
どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。(下 五十三)
誰にも寄り添うことのできない孤独を感じ、同時に私はKの死因を繰り返し考えたのです。それは<現実>と<理想>の衝突という言葉だけでは言い表せないものでした。
私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。(下 五十三)
故郷を失い、恋を失い、友を失い、孤独に耐えられずに死んでいったK。
私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているという予感が胸を横切り始めます。
私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然 外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中に、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。(下 五十四)
強く煩悶し始めていく自分に、私は驚き、ぞっとする。
私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。(下 五十四)
その感じが私をKの墓に毎月行かせ、妻の母の看護をさせ、妻に優しくしてやれと命じます。
罪の意識から功徳を積む行為を重ねるが、結局、罪の意識を消すことはできない。
「人間の罪」・・・それは自分を騙した叔父たちや、道のためとしながらも養家や実家を欺いたK、男に頼って生きざるを得なかった未亡人の奥さんや、静のみせた無意識の嬌態、何もかもが人間の不可思議な「こころ」から起こることです。
そしてそのもっとも忌まわしい罪を犯したのが自分ではないかと感じる。
自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。(下 五十四)
私はそう決心して、生きた屍として今日まで過ごし、もう何年になるでしょう。私と妻は決して不幸ではありません、幸福でした。ただこの一点が妻には常に暗黒に見えたらしいのです。
そう思うと私は妻に対して気の毒な気がします。
こうして『こころ』に登場する世界は、先生が生きた明治という前近代の教え、すなわち儒教や仏教や武士道の考えと、近代の自由や独立といった個人主義の考えが混ざりあった状態です。
先生のKにとった行動は、人倫に悖る行為であり、侍であれば切腹ものでしょう。しかし武士ではない先生は、この恥と罪の意識を抱えて屍として生きているのです。この意識は本来の倫理感が高い人間ほど堪るはずです。
どうにかして抜け出そうとしても、恐ろしい力がどこからか来て、私の心をぐいと握り締めて動けないようにする。
そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。(中略)私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。(下 五十五)
それから私は自殺する決心をしたのです。(下 五十五)
私の内面は常にこうした苦しい戦いがありました。この牢屋をどうしても突き破ることができなくなったとき、
必竟 私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。(下 五十五)
何度か自殺を考えたが、妻を不憫に考えてやめます。妻と一緒に死ぬことも考えたが、妻の生を奪うことはできません。記憶してください。私はこんな風にして生きて来たのです。
私の後ろにはいつでも黒い影がくっついていました。私は妻のために命を引きづって世の中を歩いていたようなものなのです。
すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。
その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟 時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。(下 五十五)
私は妻にそういうと、妻は笑って取り合いませんでしたが何を思ったか、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。
私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。(下 五十五)
「古い不要な言葉に新しい意義を盛り得た」とはいかなる意味か?「殉死」つまり主君のために死ぬ考え方は、四代将軍徳川家綱のときに禁止されています。もうはるか遠い昔です。
そして約一ヵ月たち、御大葬の夜、合図の号砲を聞き、明治が永遠に去った報知のごとく聞こえます。それは乃木大将の永久に去った報知にもなっています。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ、殉死だという。
乃木大将が明治大君に忠を尽くし死んだ。先生が発した「殉死」という言葉は、なるほど「古い言葉」を持ち出してきています。
そして「新しい意義を盛り得た」とあります。この新しい意義とは先生が感ずる新しさなのです。
つまり漱石にとって新しいのです。それは、儒教や仏教や武士道の精神を受け継ぎながらも、西洋近代の自由や独立の個人主義の狭間で生きざるを得なかった、この二つの思いで葛藤した「明治の精神」つまりは明治という時代に生きた知識人の運命に殉じて死ぬのです。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残したものを読んだ。
西南戦争の時、敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のうと思ってつい今日まで生きていたという意味の句を見たとき、三十五年の間、死ぬ機会を待っていたという。
私は生きていた三十五年が苦しいか、刀を腹へ突き立てたのが苦しいか、どちらだろうと考えました。それから私は自殺する決心をします。
私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。(下 五十五)
軍人でない先生に、乃木さんの死んだ理由の信実の深さはわからないように、生きた時代が異なるあなたには私の自殺する信実の深さはわからないかもしれない。
それは明治と共に生きた先生が、明治が終ろとうする今、前近代と近代の思想の狭間で葛藤し苦悩した時代という、その運命に殉じる死である。
新たな時代に飛び立とする青年、そこには故郷、両親、共同体という前近代の関係性と決別し、自由と独立と己に充ちた個人主義の時代、つまりは大正やその後の時代を生きようとする時代感覚の差でもある。
私は妻を残して行きます。妻の知らない間にこっそりこの世からいないようにします。
私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として私より外に語り得るものはいないのですから、人間を知る上においてあなたにとって徒労ではなかろうと思います。
この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。死んでいるでしょう。
私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。(下 五十六)
そこにはこの時代に生きた人々の善い部分と悪い部分があるというのです。それもまた運命なのでしょう。
ただ妻には何も知らせたくないのです。妻の過去の記憶を純白に保存してやりたいのが私の唯一の希望ですから、妻が生きているうちはあなた限りに打ち明けられた私の秘密として、腹の中にしまっておいて下さい。
こうして物語が閉じられる。
余談だが、静はその後どうなったのか? 先生は、妻を純白のままにしておきたいと言った。乃木大将の妻 静ではなく、先生の妻 静は、先生の後を追うことはなく、残った財産も有り、生きたのだと思う。
先生の妻 静は、先生やKよりももっと現実的な人間であるような気がする。現実的とは頭の中の理屈で考えない人という意味です。
それでは最後に、先生はいかにして妻に気づかれずに死んだのでしょうか?
上の三章にこんな印象的な海の情景があります。
次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。
私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
強い太陽の光、自由と歓喜に充ちた私と、仰向けになり浪の上に浮かび思索する先生。
文中に「先生は振り返って私に話し掛けた」とありますが、先生の話した内容は書いてありません。
それに対して自由と歓喜に充ち、海のなかで私は踊り狂う。
この「自由と歓喜」は、まさに、「自由と独立と己に充ちた」状態でしょう。比べて、先生の仰向けで浪に揺られる姿は、孤独と苦悩から解放されたい心境なのでしょう。
私のほうは「愉快ですね」と大声を出す。上中下と読み終わって、もう一度、上のこの部分を読むと、まさに人間の儚い喜びと悲しみを感じてしまいます。
そう、多分、先生は鎌倉の海で、自殺したのでしょう。
小説『こころ』が届けたかったメッセージとは何か
恋は罪悪で神聖なもの。<K>と<先生>の死の理由を考える。
<K>は、なぜ死んだのか
お嬢さんを思う気持ちで、前へ進むべきか「迷っており」、退いてしまうことは「苦しい」。自分では解決できない感情であり、<K>にとって恋は道を妨げ煩わせるものですがどうすることもできません。
そして<先生>は殺傷力の高い止と知りながら、かつて<K>が放った「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉を残酷に浴びせかけます。
<K>は求道家で禁欲であることを常に自分に厳しく課して精進していました。自分を高め道を究めることこそがKの求める価値としています。
しかしお嬢さんへの恋心の惑いで、自身の信念を失くし、友の裏切りにあい、意志の弱い人間として死を覚悟します。しかし実際は、理想と現実の矛盾というだけでは言い表せない人間の孤独を感じての結果です。
自身が経験したことのない “恋” がきっかけで自分が修養してきた精神ががらがらと崩れ、<先生>からの一撃と、お嬢様の結婚を知り、薄志弱行と遺書に残します。
それは強い絶望と孤独に殺された自己でもあります。自分を愛せなくなったうえでの自己破壊の行為です。
こころは不可思議なもので、Kの強固な信念を難なく揺るがしたものが恋をするこころでした。だから、恋は罪悪で神聖なものなのでしょう。
<先生>は、なぜ死んだのか
<先生>は、自分は道徳を身につけている人間だと信じていました。
それが財産相続で、信頼していた叔父の横領にあい、人間不信になります。それでも愛だけは崇高なものと信じており、自身もその実践者のはずでした。
<先生>はお嬢さんに好意を持ち、それは信仰に近い愛でした。しかし、次第にお嬢さんの<K>への思いが気になる。先生のKへの友情はお嬢さんを奪われそうな怖れに変わり卑劣な裏切となる。
そもそも<先生>は<K>に大きな劣等感を抱いています。どこかにKを負かしたいとの願望もあったのでしょう。強い嫉妬が<K>への剥き出しの競争心となり、道義に反する策を弄してしまう。
結果として、唯一の希望であった愛さえも成就できず、人生を信じあえるはずの妻にさえこころを開くことができない。先生は、孤独の淵に沈み、いかにあがいても這い上がれないことを知る。そして厭世的で淋しい人間として屍のように生きていきます。
恋は人間のこころのエゴを曝け出す残酷さがあり、先生は救いのない闇のなかで自殺に導かれていく。これもまた自分を愛せなくなったうえでの自己破壊の行為です。
こころは不可思議なもので、友情に厚かった自分を最低の不徳義漢に陥れたのが恋をするこころでした。だから、恋は罪悪で神聖なものなのでしょう。
<先生>は人間のこころに訪れる不可思議を明らかにすべく手紙に綴り<私>に分析してみせます。
前近代の道義と近代の自我に、平衡を失くす明治という時代
明治という精神に殉死するとはどういう意味か?
明治の時代に “自由” や “独立” という自由主義や個人主義の思想が西洋から入ってきます。しかし前時代の儒教における忠孝貞の考え方や家制度、仏教の祖霊信仰や武士道精神も色濃く残っている。
人々は、これまで守られた日本の道義に背き、西洋からの上辺だけの思想に飛びついてしまう。それは自由と独立した己れという個人主義を受容れた時代の始まりと、その代償に淋しさという孤独とともに生きることを意味します。
<私>の目に映る先生は、東京という都会で俗物的な競争に塗れることなく、自我や独立心を持ち個人主義を貫き謳歌している生き方が魅力的に映ります。<私>は<先生>に敬意と憧れを抱いていた。
明治天皇が崩御され乃木大将が殉死した新聞を夫婦が会話する場面で、妻が「あなたも殉死なされば・・・」と何気なく言う。
明治大帝の崩御と、後を追った乃木大将は忠義の死である。この死は、前近代の武士道を重んじる新渡戸稲造や森鴎外は支持し、近代の個人主義の思想を学んだ志賀直哉や芥川龍之介は否定する。
まさに乃木希典の死は、忠君愛国として明治の精神に殉死した行為である。一方では自由で活気ある大正デモクラシーの民主主義・自由主義が溢れている、まさに切腹など時代遅れとする。
このなかで先生も“自殺” という方法で、明治の精神に殉死するという。それは、武人ではなく知識人としての死である。
個人主義思想を西洋から取り入れたものの、下卑た利己主義の形でしか修得できなかった人間の惨めな結果として、そしてその時代の運命としてのけじめをつける。
自我肥大した個人主義が、過ぎたエゴイズムの悲劇を生むのである。
俯瞰すれば国の存亡をかけた明治の二大戦争、日清戦争に勝利し世界の一等国の仲間入りを果たし勢いづく日本は、西洋近代化の成功に沸く。続く日露戦争には辛くも勝利するが、賠償金もなく、外債は大きく膨らみ、多くの死者を出す。
明治以来、近代国家の建設を急いだ日本。それまでの主君や家族を単位とした旧来の道義から、西洋の思想が入り流行っていく。そして個人主義こそが善きものとされる。
小説『こころ』の読後の絶望感は、これまでの思想が崩れ、新たな思想に沸くが、西洋の開化は外発的でうわべだけであり、従来の日本の善き部分が崩れ平衡感覚を失ってしまう不幸である。
歪んだ個人主義は、狡猾な利己心に向かい、道徳は失われる。文明開化の名のもとの西洋化の思想は、日本人にとってすべて善きものばかりではなかったのだ。
理想主義の<K>と個人主義の<先生>の先に、<私>は何を問われるのか。
<K>は禁欲的な理想主義者で、精神的な向上によって自己を実現しようとした。しかし意志は弱く淋しい人間だった。そして自分自身が壊れたときに、取りうる手段は自殺しかなかった。
<先生>は個人主義者で、人間らしく生きることを実現しようとした。しかし友を裏切る。その後は長く孤独と煩悶に生き、<私>に自らを曝け出し、厭世的で淋しい人生に自殺でけじめをつける。
<私>と<先生>は出会いからどこか惹かれ合っていた、同質のものを感じとっている。出会った頃の<私>は<先生>の思想を多いに有益と考えていた。
果たして<先生>の遺書を読んだ<私>はいかなる心持ちだったろうか。自我と個人主義、そして眼の前の損得で変わる人間の心の危うさを<先生>から学んだはずだ。
「あなたは真面目ですか」と先生は、私に問うた。
明治の開化、所謂、近代化は、現在のグローバル社会に続いている。個人主義の名のもとに、共同体は破壊され、競争により個々人の関係は寸断されていく。合理主義、効率主義、功利主義のもとでお金だけが幸せの基準となり勝者と敗者を選別する生きづらい時代。
文中で
「自由と独立と己に充みちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう。」
と先生は感慨深く言う。
人生において、対人関係において、利己が剥き出しになりそうなときに、徳義を守ることを自分の戒めにする。
相手の自由をきちんと認め、倫理に則った自己本位の個人主義として生きる。それは同時に孤独や不安という淋しさに向き合うことでもある。
『こころ』は人間のエゴイズムと孤独と死の問題を描いている。
「あなたは真面目ですか?」という問いかけは、善悪を含めた本来の人間の姿を真正面から真剣に見ようとする態度である。
遺書は確かに沈鬱なものだが、先生の半生を知り、そこから私は何を学ぶのか。死を選び私を信じて綴られた先生のこころに、人間を知るための灯が投げかけられているように感じる。
私は先生の遺書を読み、そして先生を回想する。これがループする。それが三部構成で描かれる。そこに私は、私たちは、先生の投げかけに、受け取れる答えをまだ持っていない。
人は、生涯、己の「こころ」に惑わされながら生きていくのだろう。
冒頭の『こころ』の宣伝文句のように、この作品で人間の心を捕らえることができ、そして自分の心を捕らえることができただろう。
漱石は、人間の精神の主は心であると同時に、人間には不可思議な謎があることを明らかにしてくれたのです。
資本主義の競争社会を生きることは、もう後戻りができない。価値が相対化する個人主義の社会は今後も加速していくだろう。
漱石にとって、自我と道徳の葛藤のなか辿り着いた境地が「則天去私」ではなかったのか。
自由や自我もまた、この国に続いてきた道徳の高潔さの下になければならない。
そこに殉ずるべく先生は死を選んだのである。それはニヒリズムとしての死ではなく、最後に自らを捨て天に殉じるということでもある。
惨めな先生の死を踏み越えて、次の世代は、新たな時代を生きていくことを、先生は、漱石は、私たちに願っていたのかもしれない。