夏目漱石『こころ』解説|自由と孤独の時代をいかに生きていくか

スポンサーリンク

私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。(下 十九)

Kは私と同じ新潟の出身で幼馴染、浄土真宗の坊さんの子です。次男のため中学の時に医者の所へ養子にやられ、医学を学ぶことが条件で、学資を貰って東京に出てきます。

以前は同じ下宿でした。つまりKと私は一高、東京帝大の同級生です。

二人は実際偉くなるつもりでした。ことに寺に生まれたKは意志が強く、常に精進という言葉を使い、私は心のうちでKを畏敬しています。

二人はともに明治の立身出世の精神を持っているのです。

Kは医学の勉強はせず、実家の影響もあり、宗教や哲学をきわめはじめます。それでは養家をだましているのと同じだろうと私が詰なじると、

道のためなら、そのくらいの事をしても構わないというのです。(下 十九)

ここでKのいう「道」とは、まさに哲学や宗教を学んだ先に、煩悩を捨て覚りをひらくということなのでしょう。

年若い私たちには、この道のためという言葉が尊く響き、私はKの考えに賛成しました。

Kは私と同じ科へ入学し養家からの送金で、道を進み始めます。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、Kの心にありました。

Kは夏休みに国へ帰らず、寺の一間を借り勉強し坊さんらしくなっていきます。彼は手頸てくび珠数じゅずをかけており、日に何遍も珠数の輪を勘定している。彼は聖書を読み、コーランにも興味を持ちます。

二回目の夏は帰省したが何も変わったことはありませんでした。三回目は、これは私が永久に父母の墳墓を去ろうと決心した年でしたが、Kは郷里へ帰らず養家ようかへ手紙を出し、自分からいつわりを白状してしまいます。

養父はカンカンに怒り、親を騙す不届きものとして学資を止められ、実家のほうからも厳しくなじれます。そうして月々の学資に困るのですが、それでもKは自分一人ぐらいどうかできなければ男でないような事をいいました。

帰国に応じないKは、養家の感情を害すると共に、実家の怒りも買うようになります。私は当然、Kを応援します。最後は、Kは養子縁組を切られ、学資は実家のほうで弁償され、実家の方はKを勘当します。

 Kは働きながら勉強を続けます。しかし経済的に苦境に陥っていくKの焦りは甚だしく、段々、健康と精神に影響しはじめ、感傷的(センチメンタル)になってきます。

自分だけが世の中の不幸を一人で背負っているようなことを言い、神経が衰弱していきます。

私は彼の気持ちを落ち着けるのが第一だと考え、身体からだを楽にした方が良いと言うと、

Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。(下 二十二)

そのために窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。私はKと一緒に住んで、共に向上のみち辿たどって行きたいと提案し、Kを家に連れてきます。

ここで<K>の性格と状況を整理しておきます。

<K>は、求道家で禁欲的。道を極めるために肉体の苦痛や精神の苦難をいとわないとするが、同時に親に勘当され学資が止まり、苦学しながら学問するが、神経は衰弱しきっており、感傷的になり淋しく孤独であった。

そしてKもまた、このとき先生と同じ故郷喪失者となってしまったのです。

先生は、Kの強情を知っているので、「共に学びたいから」と言って、Kのプライドを傷つけないよう注意しながら、同じ宿に住むべく、自分の座敷に続く控えの間の四畳にKを迎えます。

この時、奥さんは反対します。理由は、「気心が知れない人は嫌だ」だとか、「私のために悪いからよせ」と言うのです。

私は、「最初はだれでも気心は知れない」と返すと、奥さんは「あなたは違っていた」と言われ、先生はおかしく思います。

また「私のために悪い」とは、先生のためという意味です。先生にはその意味が理解できず、「なぜ私のために悪いのか」と聞くのです。

世間を知る大人の女性として、男二人と年頃の美しい娘、さらには娘の母親として、何かが起こることは予想がつくのです。このときから奥さんは不要ないさかいを心配しているのです。

お嬢さんと奥さんと先生の三人の関係を築きつつある中で、第三者を招き入れることに、懸念があったのです。しかし先生には、何もわからないのです。先生という人は、純粋すぎるのか、鈍感なのか、想像力がなさすぎるのか、この奥さんの考えが分からないのです。

きっとこの時の先生は、幼いときからの友人で、互いに学び偉くなろうと、競争心はあったものの、Kを思っての友情からの気持ちの方が強かったのでしょう。あるいはまた、経済的に困窮しているKに対して、経済的余力がある先生がなせる優越的な行為だったのかもしれません。

奥さんにKの健康や養家ようかや実家のことを話し、このままでは人間が偏屈になるといって説き伏せ、奥さんにもお嬢さんにも強引に頼みこんでしまいます。

このことが、後に大きな悲劇になるわけです。

そしてKはのっそり移って来ます。私がKに向かって新しい住まいの心持ちはどうだと聞いたときに、彼は一言悪くないといっただけでした。

仏教の教義で養われた彼は、衣食住の贅沢を不道徳と考え、精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。Kが禁欲生活を続ければ、肉体的そして精神的な破綻を招く恐れを先生は感じたのです。

私は蔭に廻って奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話すように頼みました。(下 二十五)

私は自分が中心になり女二人とKをとりもとうとする。当初のKは、あんな無駄話をしてどこが面白いと言い、心の中でKが私を軽蔑していることがよく解りました。

それでも私はKを人間らしくするのが第一と考えます。そして異性の傍に彼を座らせる方法を講じます。

次第にKは、自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆく。そして女はそう軽蔑すべきものではないなどと言ったりします。今まで書物で城壁を築き、うちに立て籠もっていたKの心が打ち解けてくるのを見るのは、私にとって何よりも愉快でした。

しかし、やがて気になることが起こってきます。

ある日、帰ってくるとKのへやにお嬢さんとKが二人だけで話しをしていました。一週間後にまたKとお嬢さんが一緒に話しているのを見ます。その時、お嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。

お嬢さんがKと二人で話し、私を見てただ笑う。お嬢さんは、女性に共通のこととして、くだらないことによく笑いたがりました。

先生は、お嬢さんはKと何を話していたのか、お嬢さんとKが親しくなっているのではと思い始め、こころのバランスを崩し始めます。なるべくKと話してくれるように頼んだのは私なのに、私はKとお嬢さんとの関係を疑り始めます。奥さんが心配したとおりになってきたのです。

先生はKに、嫉妬してきます。こうなってくると先生が、ほんとうに思いやりのある人なのか疑わしくなってきます。すくなくとも、先生の人間不信の猜疑心は、金だけでなく愛の方面でも十分、強い状態となっていきます。

この先生という人物は、自分に自信がなくて勇気のない男と言えるし、非常に思い込みが強く、焼餅というか嫉妬深いですよね。

あるとき先生とKは二人で房州を旅します。

そのころKの神経衰弱はだいぶよくなっています。反して、先生の方は段々過敏になって来ています。先生はKの落ち着きが自信に見え、Kの安心がお嬢さんに対してなら許すことができないと考えます。

先生は思い切ってKに自分の心を打明けようとしますが、うまくいきません。

今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種をもたないのも大分いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学の余習よしゅうなのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。(下 二十九)

「道学の余習」とは、道徳上の慣習のようなもの、つまり当時は皆、女の話などしないということです。あるいは「一種のはにかみ」、つまり話すことの気恥ずかしさ。古い慣習上の教えが、だ先生の若いころの意識には色濃くあったのです。

さらにKは道を究める修養の精神が強い男で、先生は、Kがお嬢さんに好意を持っているとは考えられません。しかし・・・

容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。(下 二十九)

Kは、容貌も、性格も、先生よりもずっと素晴らしい。学歴は言うに及ばずで、私はKの比較にはなりません。つまり先生はKに劣等感を抱きはじめるのです。

Kからは愛とか恋とかいう話は起こらない。先生はKも同じようにお嬢さんを思っているのではと考え、心配が大きくなるばかりです。

道中、鯛の浦を見物する。ここには日蓮の生まれた誕生寺たんじょうじという寺があり、Kと先生は住職に会います。Kは日蓮のことを私に話しかけますが、私は暑くてくたびれていて、Kとお嬢さんのことで頭がいっぱいで、取り合わなかったのです。

そのことをKは快く思っていませんでした。すると、

精神的に向上心がないものは馬鹿だ(下 三十)

と私を軽薄なものとしてやりこめます。精進して向上しようとするKにとっては当然の主張でしょう。
しかし私はお嬢さんの事を思い、考えていたので、Kの侮辱に近い言葉を笑って受け取れられません。

私は、その時 “人間らしい” という言葉をしきりに使いました。Kは自分のどこが人間らしくないのかと私に聞くのです。そこで、

君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。(下 三十)

と言うと、

彼はただ自分の修養が足りないから、ひとにはそう見えるかも知れないと答えた。(下 三十)

ここでいう「人間らしさ」とは、自分らしさを尊重して自由に生きる姿でしょう。先生にとって「人間らしさ」とは自分に素直な気持ちです。しかしKは禁欲的で精進すると言いながら、本当の心を見せないと先生は考えているのです。

Kは、きっとお嬢さんへの気持ちが芽生えているはず。しかし異性に心動く自分を否定し、道を行くことを強行しようとしている。

そのことが「人間らしいのに、人間らしくない事を言う」という意味です。

それに対して、Kの「修養しゅうようが足りないから」という言葉は、言い換えれば、異性への気持ちという邪念を持つ自分への戒めでもあります。

Kは既にこのとき強い葛藤のなかにいたのです。

房州の旅から帰ると、なぜかお嬢さんの態度が、前と変っているのに気が付きます。すべて私の方を優先して、Kを後廻しにするように見えたのです。夏が過ぎて九月頃になると、またKの方に多くお嬢さんの態度が傾いていくように見える。

それからお嬢さんのKに対する態度が、だんだん平気に行われるようになってくる。お嬢さんを独占したいと思っている私には、それが普通以上のことに見える。

ここはお嬢さんが悪意を持ってかけひきをしているというよりも、先生に対して、自分に気を引かせるための仕草だと捉えるべきでしょう。

十一月の寒い雨の日にへやに帰ると、Kの部屋は暖かそうな火鉢が起こしてあり、自分の部屋は火種さえ尽きていた。そして私は不愉快になる。そのときKは居なかった。私は賑やかなところへ行きたくなり外に出て歩く。するとKと一緒にいるお嬢さんをみかける。お嬢さんは赤い顔をして挨拶をする。

そして私は面白くない心持ちで自暴やけになって歩き、へやに帰って来る。

私はKに向かって、お嬢さんと一緒に出たのかと聞くとKは偶然出会ったという。お嬢さんにも問いかけようとすると、お嬢さんは笑った後、あててご覧なさいと言うのです。

私はそれをKに対する私の嫉妬にしていいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚みなしてしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。(下 三十四)

これはお嬢さんの媚態と言えます。男性の気をひこうとする女性の態度でしょう。ただ決して悪質な策略ではなく先生を意識してのものでしょう。

しかし先生にとってお嬢さんの行為が、Kへの嫉妬心となり、結果、Kとの競争心をあおられることになっていきます。

先生は、お嬢さんへの思いを相手に言おうかと考えます。ここでの相手とは、お嬢さんではありません、奥さんの方です。私は奥さんにお嬢さんをくださいと言おうとしたが、もしお嬢さんがKに心を傾けているのなら、言っても仕方がないと思う。

つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠うえんな愛の実際家だったのです。(下 三十四)

お嬢さんが自分に好意があり、相思相愛でなければならないという高い理想を持つ愛の理論家で、それなのにその愛に対して何も実行できない世事にうとい愛の実際家というわけです。

確かにそうなのかもしれませんが、「愛の理論家」とか「愛の実際家」とか言っても、なかなか相手には伝わらないですよねぇ。先生と言う人は、とかく頭で考えがちな人ですよね。

結局のところ、学歴や財産も含めて、自意識が高くジコチューな人間だったのではないでしょうか。

さらに私は、お嬢さんに直接に言う事は許されないという考えが強くあります。同時に、当時の女性は、自分の思ったことを遠慮せずに口にする勇気はないと私は思っていた。だから奥さんを通じてお嬢さんの気持ちを知ろうと考えます。

こうして一人でいろいろと思いをめぐらす人だったんですね。

尚、親が子の結婚を許可するという慣習の悪弊がここにも表れています。明治の民法(772条)では二十五歳以下の女性の結婚には親の同意が必要とあります。

年が新たまったある日、奥さんとお嬢さんが留守の時に、Kはお嬢さんへの思いを私に告白します。

彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。(下 三十六)

Kから恋を告白される。私は魔法で化石にされたように動けなくなる。それは、恐ろしさのかたまり、苦しさの塊りで、呼吸もできないほどでした。

そして、すぐ失策しまった、せんを越されたなと思う。

私の心はどうしようという念にき乱される。

私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機がおくれてしまったという気も起りました。なぜ先刻さっきKの言葉をさえぎって、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落てぬかりのように見えて来ました。せめてKのあとに続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。(下 三十七)

そうして、私はたまらず外に出て正月の町を歩き廻りながら、

どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋がつのって来たのか(下 三十七)

と考えます。

同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。(中略)彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼にたたられたのではなかろうかという気さえしました。(下 三十七)

とても普段、「道」とか「精進」とか言っているKとは思えない。そして意思が強く一途なKが恋の相手となることに驚き、そして恐れてもいます。

これまではKはかけがえのない親友であり、学業の上でのライバルでした。しかし、このことでKは絶対に負けることのできない敵、そう恋敵こいがたきになるのです。

そして先生は必死になるのです。

私はKにこの告白が私だけに限られたものか、奥さんやお嬢さんにも通じたものかどうかを確認します。そして私だけと知り、少し安心しました。

私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。(下 三十九)

つまり、Kは私だけに告白した限りでとどめるのか、それとも奥さんやお嬢さんに告白することも考えているのかという意味です。しかしKは何も答えません。

そうしたある日、Kは図書館にいる私を散歩に誘います。Kは私にどう思うかというのです。

彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです。(下 四十)

私に批評を求めたのです。Kに向って、なぜ私の批評が必要なのかと尋ねると、Kは自分が弱い人間であるのが恥ずかしいといいました。

迷っていて、自分で自分が分からないので、私に公平に批評してほしいというのです。迷うとは、進んでいいか退くべきかを迷うのだ、とKは私に説明しました。

この「進む」とはこの恋を前に進むことであり、「退く」とはこの恋を諦めるということになります。私が、退こうと思えば退けるのかと彼に聞くと、彼はただ苦しいと言います。この「苦しい」とは、退くのが苦しい、辛い、まさに恋に悩む姿です。

実際に苦しむ彼を見て、相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事をしてやったか分りません。

Kが理想と現実の間に彷徨ほうこうしているのを発見し、私は、ただ一打ひとうちで彼を倒します。純粋なKに対して、策を練り続けた先生が打ち負かすのは簡単なことでした。

私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました(下 四十一)

Kが房州で私に使った言葉を、そのまま彼に投げ返したのです。それは、復讐以上に残酷な意味をもっています。Kに軽蔑の気持ちを言い返したというレベルではなく、Kの精進の心を知っての言葉ですから、Kの受け取り方によっては人格をこなごなに破壊する言葉になる訳です。

私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。(下 四十一)

Kが日頃、話す精進の言葉には、禁欲の意味もあるはずです。さらに、道のためにはすべてを犠牲にするというのが彼の信条ですから、摂欲や禁欲は無論、恋そのものも道の妨害になるのです。

ここで先生は残酷かつ狡猾なエゴイズムで、決定的にKを打ち負かします。精神的な道の修養を信条とするKに対して言行不一致をついたのです。

しかしまだこの時点では、いつものKに戻ってほしいという気持ちが込められています。

私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。(下 四十一)

「単なる利己心の発現」つまり、そこには友情のかけらもなく、Kにお嬢さんを諦めさせるために私は、この言葉の暴力を使ったのです。

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」(下 四十一)

同じ言葉を繰り返し、その言葉がKの上にどう影響するかを見つめます。これほど冷静かつ狡賢い態度はありません。

「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」(下 四十一)

Kはぴたりとそこへ立ち留まり、地面の上を見詰めています。

ここでKは、意志の弱い自分の無力感に打ちのめされます。

そしてKは「もうその話は止めよう」とお願いをする。

「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」(下 四十一)

さらにここで、先生は「覚悟」という言葉を使います。決定的にKを追い込んでいく言葉です。

この「覚悟」の二文字の解釈が、先生とKで異なります。そのことが後の決定的な悲劇となるのですが、ここで先生使った覚悟の意味は、まさに「平生の主張のとおり君の心でそれを止めるだけの覚悟」つまりは、Kの精進する力をいまこそ強く実践すべきだという意味です。

道を妨げるものを排除する意志の是非を問うたのです。

彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。(下 四十一)

この「覚悟ならない事もない」というKの覚悟は、死を意味しています。しかし、先生には、そんなKの気持ちは少しもわかっていません。恋の競争に勝つことに必死なのです。

Kに勝利したと考えた先生は、その晩、穏やかに眠りますが、突然、名を呼ぶ声で眼を覚まします。

すると襖が空いていて、洋燈ランプあかりを背中に受け、Kが立っています。顔色や眼つきはわかりませんでしたが、Kは私に「もう寝たのか」と聞きます。

寝ていた私は「何か用か」と聞き返します。するとKは「聞いてみただけだ」と言います。この言葉は、孤独のなかで友に別れを告げる最後のサインだったのでしょう。

恋をするこころは素晴らしいはずなのに、Kにとっては、迷いと辛さのなかで一人、自殺の決意をした瞬間だったのでしょう。襖が閉じられ、再び、暗闇が訪れます。

一夜明けて、先生の方はKの言った「覚悟」という意味に、違う解釈をしはじめます。

私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図に思い込んでしまったのです。(下 四十四)

Kの「覚悟」とは、Kが思いきってお嬢さんへ恋の告白をすることだと考えます。決断力のあるKは、すべての疑問、煩悶、懊悩を一度に解決する最後の手段を胸の中に秘めていると思ってしまうのです。

私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。(下 四十四)

そこでKより先に、Kの知らない間に奥さんに話をしようと考えます。そして仮病を装い、奥さんと話す機会をうかがいます。そして・・・

私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。(下 四十五)

奥さんはそれほど驚いた様子も見せず、いくつかの問答の後、「宜よござんす、差し上げましょう」と言いました。

「差し上げるなんて威張った口の利きける境遇ではありません。どうぞ貰ってやって下さい。ご存じの通り父親のない憐れな子です」と向こうから頼むくらいです。

そしてお嬢さんの気持ちを心配する私に対して、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」と簡単に承諾を得てしまいます。

ということは奥さんは、お嬢さんの気持ちを知っていることになります。やはり奥さんは以前からお嬢さんと先生の縁が結ばれることを願っていたのでしょう。

こんなことなら、早く先生は奥さんにお嬢さんを下さいと言えばよかったじゃないか。ということになりますよね。

こんなやり方では、先生の恋は、ほんとうにお嬢さんに向けたものなのか、それともKとの競争に勝ちたかったのかが分からなくなります。

しかしこれが、前近代の男女のあり方であり、婚姻の因習があり、そして倫理感が強く愛の理論家たる先生の運命だったのでしょう。

先生がKに先んじて結婚の話を申し出たことで、事態は恐ろしい方向へ向かいます。

しばらく外に出て、家に帰った後、Kに会います。

私はその刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなったのです。(下 四十六)

しかし向こうの部屋には、奥さんとお嬢さんがいます。そんなことはできません。もしKと私が荒野に二人きりであれば、良心の命令に従ってその場で彼に謝罪したと思います。

何にも知らないKはただ沈んでいて、奥さんはいつもより嬉しそうでした。お嬢さんはきまりが悪く同じ食卓に並びません。私は奥さんの顔つきで事の成行きをほぼ推察しました。

卑怯な私は自分からKに説明するのが厭で、また倫理的に弱みがあり、つまりKを裏切り出し抜いたことを自分で認めている私には、とても説明はできませんでした。

五、六日 経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したか、なぜ話さないのかと、私を詰るのです。

そして「道理でわたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。いつもは親しくしているのに、こんな大事なことを黙って知らん顔をしているのは」といい、私は奥さんがKに告げたことを知ります。

Kはこの最後の打撃を落ちついた驚きで迎えたようでした。

これは、とどめの一撃ですね。Kは私の結婚を聞いて、私がKに示した友情は、すべてが騙しだったことを知るわけです。

奥さんが「あなたも喜んで下さい」とKに話した時、彼は「おめでとうございます」と言い、そして、「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。

私はその話を聞いて胸がふさがるような苦しさを覚えました。奥さんの話の後もKは私に普段通りに接していたので、私は気が付かなかったのです。

彼の超然とした態度は外観だけにせよ、敬服にあたいすべきものでした。彼と私を比べると、彼の方が遥かに立派に見えました。

この経緯には、先生のKを負かそうとする狡猾なやり口と剥き出しの利己心を感じると同時に、こころというものが人間にもたらす恐るべき本能的な策略を感じさせます。

「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」(下 四十八)

さぞKが軽蔑しているだろうと思って、一人で顔をあからめます。しかし今更Kの前に出て、恥をかせられるのは、私の自尊心にとって苦痛でした。

先生を大きな恥の意識が襲い、それが、何もKに言わない態度となるのです。自尊心を傷つけられるのを、ただ恐れるという狡く卑しい人間の態度です。