太宰治『水仙』解説|芸術家は自分の才能を信じ、世評を気にせず。

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解説

周囲の媚びへつらいを嫌うのであれば、厳しい評価にもくじけるな。

静子は、他の人たちが自分をおもんぱかる媚びへつらいの数々で有頂天になり、そしてお気に入りの一枚を、小説家の僕の意見を聞くために訪れる。

この小説家は、静子が昔から憧れていた芸術家であり、彼からの評価への期待や、同じ芸術家としての生き方をしたい静子だったが、小説家のほうは静子の絵を見ることもなく冷たくする。静子は「才能が無いと宣告された」と感じたに違いない。

なぜ、小説家は静子の絵を見なかったのか?それは金持ちには芸術はできないと思っているのである。

そこで、芸術家になるために、静子は、おちぶれる生活をあえて行う。そして自暴自棄になり、身体を壊してしまい、絵を辞めて、夫の元にかえり憔悴しながら死んでいく。

芸術は、苦悩や葛藤にさいなまれながら創作するもので、この小説家のように流行はやって売れっ子でも、苦悩や葛藤は終わる事が無いはずである。世間の評価は良い時もあるし悪い時もある、芸術家は常に世にさらされる。

ここに、芸術に向かう者の心構え、酷評されても自分の才能を信じること。この酷評を克服する、あるいは無視できるかが芸術家には必要なのだ。

静子の描いた水仙の絵を、この小説家はなぜ破ったのか?

この小説家の金持ちへの敵対心は大きい。しかしそれ以上に、芸術家には、まずは世間の酷評に耐える、あるいは無視することが求められる。これで挫折をする程度ならば、芸術を目指す資格は無い。

芸術は金持ちの趣味や道楽ではないという、ひがみとともに、こだわりの自負心があるのだろう。

この小説家は「売れている作家」だ。つまり大衆の評価を得ており、その小説家が、静子の絵を見ずして、こっぴどくやっつけたことは決定的な意味を持つ。「金持ちは嫌い」という思想を持つこの小説家。芸術は、金持ちには分からない。金などが目標ではなく貧乏の薄汚い暮らしの中でこそ、芸術は見出せると考えている。

そして静子は落ちぶれることを選ぶ。しかし、取り巻きの贔屓目ひいきめに溺れて自分を忘れ、自暴自棄な生活を送ってしまう。小説家の僕は、専門家や周囲から良い評価を与えられたとしても、芸術家に必要な精神は常に、世間には気に入られようとはせず、阿諛追従あゆついしょうを期待してはいけない。

この小説家は、自戒の念を持っている。それは、静子夫人と再会した理由が「夫婦ともあなたの読者です」と言われ浮かれてしまい、流行作家と紹介されて、いい気になって失敗したことである。結果、シジミ汁の恥辱を受けた。ここで、やはり芸術家は貧乏な暮らしに徹するべきだと考える。

つまり「水仙の絵を破る」あるいは「水仙の絵を破られる」というのはどちらも芸術家の宿命なのだ。芸術に生きようとする者は、誰が破ったかは関係なく、破られることが必定ひつじょうである。「何故、破るのか」それは、世間の目とはそういうものだからである。

静子は天才だったのである。ただ欠けていたのは、強さである。自分に自信がなく、皆が媚びているように思えてしまったからである。芸術家は、批評に耐えて、より強く自身の才能を信じなければならない。ナルシズムが必要なのだ。

そうでなければ芸術が、人間の精神と肉体を闇におとしいれ、死に追いやってしまう。

水仙の花言葉は「自己愛」。太宰自身のナルシズムを連想させる。

水仙の花言葉は「自己愛」。ギリシャ神話の有名なナルシストの由来がある物語です。若さと美貌を持つナルキッソスは、アプロディーテの贈り物を侮辱します。アプロディーテは怒り、ナルキッソスを愛する者が、彼を所有できないようにします。そして ナルキッソスは、たくさんの女性たちに想いを寄せられても、冷淡な態度をとります。

ナルキッソスに恋をしたアメイニアスは、彼を手に入れられないことに絶望し、自ら命を絶ちます。森の妖精のエーコーもナルキッソスに恋をしますが、退屈だと思われて相手にされませんでした。悲しみのあまり姿を失い、声だけが残り木霊こだまになります。

そして復讐の女神メネシスは、そんなナルキッソスをムーサの山にある泉に呼び寄せます。水を飲もうとするナルキッソスは水鏡に映った自分に恋をします。水の中の美少年から離れられず、水を飲むこともできず、やせ細り死んでいきます。そこには水仙の花が咲いてました。水仙のことを欧米ではナルキッソス(Narcissus)と呼びます。

葛藤や苦悶の中に自己愛があり、そうして芸術を通して死を選んだ人間のみが芸術家であり、本当の天才なのだ。すると、この売れている小説家自身もまた同じループの上に自分を置く。

この作品に登場する “小説家” を太宰本人と考えると、ナルキッソスのように太宰本人の生き方を映しています。それこそが、煩悶と祈りなのです。結果的に、太宰も小説家という人間を演じて死んでしまいます。

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作品の背景

太宰中期の作品です。長く苦しんだ薬物中毒や自殺未遂などを経て、この3年前1939年に井伏鱒二の紹介で石原美知子と結婚し平穏な生活を取り戻します。洋画家・林倭衛はやししずえの夫人だった秋田富子が太宰に送った手紙をヒントに本作品は書かれています。

冒頭の「忠直卿行状記」は、太宰が尊敬した芥川龍之介の兄貴分にあたる菊池寛の作品。忠直とは松平忠直のことで徳川家康の孫のことです。暴君と称された忠直の心理に新しい解釈を与えたもので菊池寛の出世作です。太宰からみればひとつ上の世代の輝いている作家たちとなります。この作品を引いてきて物語は始まります。

発表時期

1942(昭和17)年「改造」5月号に発表。太宰治は当時33歳。昭和15年発表の「走れメロス」など明るく溌溂とした作品を発表し人気作家となっています。当時は大東亜戦争(太平洋戦争)が始まっていますが、太宰は病気のため兵役免除となり戦争中も執筆活動を続けています。