太宰治『ヴィヨンの妻』あらすじ|荒んだ戦後に生きる、妻の覚悟。

神におびえるエピキュリアン。都合の良い言い訳をする放蕩な夫 大谷の言動に生きていることを淡々とかみしめる妻。戦後の混乱の中、世間が道徳を見失い悪徳が避けられない時代に、生のみを肯定する新しい倫理。生きていくことを優先する時代感。

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登場人物


大谷の妻、夫の借金の返済に椿屋で働くことで自身の考えが変わっていく。

大谷
破天荒で無頼な詩人、いつも酒に酔って違う女性を連れている放蕩な夫。

あらすじ

放蕩三昧の大谷は、いきつけの料理屋からお金を盗む。

その日も夫は、泥酔して慌ただしく玄関をあけて帰ってきた。

ただ、「坊やはどうですか」と気遣うのはめずらかった。坊やは栄養不足のせいか発育も遅く言葉も充分でなく体も弱かった。医者に見せようにも、我が家にお金はなく私が添い寝をするだけだった。

突然、玄関から男女の叫ぶ声が聞こえる。聞けば、大谷が何かしでかした様子だ。

夫と男は、もみ合いになり夫はナイフをちらつかせ「放せ!刺すぞ」とかわして外に逃げていった。

男女は夫婦だった、私は二人を家の中に入れ夫の代わりに失礼や乱暴を詫び、言葉が詰まり涙する。常識と分別のある妻に驚いた夫婦は、「実は奥さん」とこれまでのことを話す。

男は上州生まれで、夫婦は二十年前に東京に出てきて浅草で奉公をして様々な苦労を経て、現在、中野駅の近くに小さな料理屋を営んでいるという。今は闇酒を仕入れて売っている。

大谷との出会いは、昭和一九年の春に或る年増女に連れられて初めてやってきたという。

この年増女は新宿のバーの女給で、お互い客を紹介しあう関係で、大谷もその一人だったという。

その時だけは女性が勘定を払ったが、その一か月後、大谷が一人で入ってきて、いきなり百円紙幣を出したことがあるが、後にも先にもこれきりで以降は三年間、一銭も払わずにお店の酒をひとりで飲みほすほどに飲んだ。

なぜか、私もご夫婦も呆れて笑ってしまった。

新宿のバーの秋ちゃんが言うには、大谷は男爵の次男で財産があり、頭が良くて天才。日本一の詩人で大学者で学習院から一高、帝大と進みドイツ語もフランス語も堪能で神様みたいな人間という。

大谷はお金は払わず、代わりに年増女の秋ちゃんや別の女性が払うことはあったが、十分な額ではなかった。やがて戦争になり、その時も大谷は店に訪れ空襲でも酒を飲む。終戦で闇の酒や食料をふるまえるようになり、今度は新聞記者たちと来るようになった。

そして、大谷はついに “どろぼう” をはたらく。

ご亭主が仕入れ用にと年末に集金した五千円を、店に来た大谷がわしづかみに出ていったとのこと。

なぜか私は、またも訳のわからぬ可笑しさがこみ上げ、笑い続けて涙がこみ上げ、大谷の詩の中にある「文明の果ての大笑い」のことを考えた。

多額の酒代の借金に、その返済方法に途方に暮れる私。

私は、お金の返済を約束して、夫婦にその夜は中野にひきとってもらった。

私と大谷の馴れ初めは、父が浅草公園の瓢箪池のほとりでおでん屋をしていて、私が手伝いをしていて、客だった大谷と付き合い始め、そして子どもが出来た。籍にも入っていない。

大谷はいつも外に出て飲み歩き、どこで何をしているか分からない。

たまに帰ってきても、私の体を抱きしめて「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい!たすけてくれ!」と震えうわごとを言ったりする。

とにかく私は坊やを背に、家を出て吉祥寺までの切符を買う。

電車の雑誌の広告に、夫が “フランソワ・ヴィヨン” という論文を発表しているのをみつけ涙が出る。

井の頭公園で少し休んでから中野へ向かい夫婦の店に行く。

ご亭主は不在だったが女将さんがいて、とっさに「お金は綺麗にお返し出来そうですの。今晩か、明日に見込がつきそうなので心配なさらないで。」といい、「確実にここに持ってきてくれる人があるので、それまで人質になって、ここにいることになっている。」と続け、そして店を手伝うと言ってしまった。

帰ってきた店のご亭主にも同じことを伝える。そうこうするうちに客が入ってきた。

客の下卑たひやかしにも、私は何なく下卑てこたえる。私は、羽衣一枚をまとって舞っているように身軽に立ち働き、自惚れかもしれないが店は異様に活気づき私は店の人気者だった。

奇跡は、この世の中にもたまには現れるもののようだ。

九時過ぎにクリスマスのお祭りの紙の三角帽で顔の半分を仮面で隠した男と、三四.五歳の綺麗な奥さんが入ってきた。私はすぐにそれが “どろぼうの夫” だと解った。私は、夫に挨拶をする、奥さんは、ご亭主に何か話があると言う。

私はご亭主を呼ぶと、ご亭主は「いよいよ来ましたね」と言った。

そして三人で店を出ていった。私は「万事が解決したのだ」と信じられてうれしかった。

男には不幸だけがある、僕は死にたくて仕様が無い。

三〇分ほどして、ご亭主が帰ってきて「お金は返していただきました」という。

聞けば、返してもらったのは昨日の五千円だけで、まだあと二万円ほどの借金が残っていると言う。私はご亭主に、ここで働いて返すことをお願いし了承いただく。

私は、店で働くのは妙案に思う。夫にも会えるし、おでん屋の経験もあり客あしらいもうまくできる。

聞けば、夫は昨夜どこかで泊まり、けさ早く綺麗な奥さんの営む京橋のバーを襲い、朝からウィスキーを飲み店で働く五人の女の子にクリスマスのプレゼントといって金を振る舞い、そしてデコレーションケーキや七面鳥を買い、知り合いを呼び大宴会を開いたようだ。

いつも金の無い大谷を不審がったバーのマダムが聞くとあの五千円の話だった。警察沙汰を心配しマダムが親身になりお金を立替えてくれたのだった。

ご亭主が「よくそこまでお見通しでしたね」と聞くので、私は「ええ、そりゃもう」と答えておいた。

それからの私の生活はまるで変わり、浮き浮きした楽しいものになった。

店に出るために髪を手入れし化粧品も揃え着物を縫い直したり、女将さんに足袋をいただいたり。朝起きて坊やと二人でご飯を食べて、坊やを背負い中野へご出勤となった。

お店での名前は “さっちゃん” で、椿屋のさっちゃんは毎日、目の廻るような忙しさで二日に一度は夫も店に顔を出し、一緒に楽しく帰ることもあった。

帰り道で「なぜはじめからこうしなかったのでしょうね。私はとても幸せです。」と語ると、大谷は「僕は、死にたくて仕様が無い。」と話し同時に「こわい。神様みたいなものが、僕が死ぬのを引きとめる。」と言います。そして「おそろしいのは、この世の中のどこかに神がいるという事。」と言う。

その後、私はある日、店のお客さんにあっさり犯されてしまいます。

私は、神がいるなら出てきてください!と思いますが、それでもうわべは同じように、また中野の店に勤めにでかけました。そして私は家を引き払ってこれからは中野のお店に住み込みでと思っています。

大谷は、自分のことを “エピキュリアンのにせ貴族” と書いている新聞に対して “神におびえるエピキュリアン” だと話します。

さらに “人非人” と形容されていることに、「今だから言うけれど “あの五千円” は、さっちゃんと坊やにいいお正月を過ごさせたかったからだ」と嘘をいいます。

私は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。」と言うのでした。

解説

ヴィヨンのような放蕩な夫を持った、妻の諦観。

タイトル「ヴィヨンの妻」のヴィヨンは、15世紀フランスの詩人です。パリに生まれパリ大学に入学するも、在学時から売春婦やならず者といった輩と行動を共にしていて無頼・放浪の生涯でした。

私が電車の中の雑誌広告に目をやると、夫が「フランソワ・ヴィヨン」の論文を発表しているのを見つける。私は<そのフランソワ・ヴィヨンという題>と<夫の名前>を見つめているうちに、自分はヴィヨンのような夫をもつ妻なんだと辛く涙をこぼしてしまいます。

返済のあてなどどこにもない「私」は、とにかくお店に行き、金の手立てはついたとその場を繕います。妻ひとりの力で返す方法は唯一 “椿屋で働く” しかありません。

奇跡が起こり、京橋のマダムが難を救ってくれますが、皮肉なことに、これは大谷の社交、つまりマダムとの個人的な関係です。大谷はマダムのヒモのような存在なのです。

しかし、ヴィヨンが詩人であったように、大谷もまた詩人として生計をたて、そのことは「私」も理解しています。雑誌の広告に出会ったことで、「私」は、夫の放蕩に対して “諦観” にも似た気持ちにもなります。

生きてさえいればいいと、確信する妻の覚悟。

しかし貧乏や放蕩に、泣いたり笑ってみたりすることでは解決できないことを知ります。“椿屋” で働く「私」は、次第に世間の見方が変わります。

広く見渡せば、戦後の復興の中で、生きることに精一杯の人々の姿ばかりです。椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人だと気づきます。お客さんばかりでなく路を歩いている人は皆、うしろ暗い罪を隠していました。

「夫などはまだ優しい方だ」と思うようになります。

女房が大谷と関係を結んでいることを知らぬふりする “椿屋” の主人。不景気の中、戦後の荒廃した人々の心。そこには、これまでの道徳や倫理は通用しません。

借金の返済のための料理屋の手伝いに、思いのほか “生” を感じる「私」は “覚悟” を決めます。

子どもを店に預け、客と接し、時にはチップをいただき、思いもよらぬ客との不幸な一夜はあったものの、夫と子どもたちと一緒に「私たちは、生きてさえいればいい」と確信します。それはすさんだ時代を生き抜くことへの強い覚悟です。

変わりゆく道徳や倫理と同時に、この夫婦に漂う世紀末の憐れ深さ。家庭の呪縛を描き、そして家庭の破壊を恐れながら、それを背負いながら創造する大谷の姿。

物語の大谷は、太宰の作品に登場する多くと同じように家柄が良く学識も高く有りながら反体制でドロップアウトする人間性で描かれて、そして神に問いかけ続けます。

それでも夫に寄り添い生きていく妻の覚悟が描かれています。

太宰治『ヴィヨンの妻』夫と添い遂げようとする気丈な妻の独り語りの作品です。

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作品の背景

太宰晩年の作品にあたります。1946(昭和21)年1月に再び戦後活躍の幕があがります。4月には戦後初の衆議院総選挙が行われ長兄の文治が当選。11月には疎開していた津軽から帰京します。東京の三鷹に住む太宰は、この小説の中で中野、吉祥寺、小金井と周囲の町が舞台にします。GHQの統制にありながらも積極的に創作活動を行います。

発表時期

1947(昭和22)年「展望」3月号に発表。後、8月に筑摩書房から刊行。太宰治は当時37歳。この年の春に「斜陽」のモデルとなる太田静子を訪ねます。また山崎富栄ともこの時期に知り合います。3月には、次女が生まれています。