太宰治『きりぎりす』あらすじ|お別れします、妻から夫への告白。

概説>売れない画家をひたむきに愛して支えたかった19歳の私と、成功し俗っぽく醜くなったあなたの姿に別れを告白する24歳になった私。変わらない私と変わってしまったあなた。きりぎりすとは、どのような思いでつけられたタイトルなのか。

登場人物

私(妻)
19歳で貧乏な画家と結婚し、成功し俗っぽくなった夫に24歳で別れを告げる。

あらすじ(ネタバレあり)

あの時の私だけが、あなたを理解し支えられると思った。

私の家では、父も母も、弟ですらあなたに対する評判は悪いものでした。

あなたが、両親や親戚に愛想をつかされていることや、お酒を飲んだり、画家といっても展覧会への出品
の実績がなかったり、左翼らしいとか、美術学校をほんとうに卒業しているのかわからないとか、人相が
悪いなどさんざんでしたが、私は、あなたに嫁ぐことを決めていました。

私は、あなたの絵をはじめて見た時、体が震えてしまうほど感動するものがありました。

私だけが、あなたの絵を、そしてあなたを理解できる人間だと思いました。

貧しいころが良かった、成功したあなたは醜い人間になってしまった。

淀橋のアパートでの2年間は、とても楽しく暮らせました。貧しかったけれど、その分、料理を工夫したり、やりくりの計画が幸せでした。私の本領を充分、発揮することが出来ました。

私は、あなたは死ぬまで貧乏で、俗世間に汚されず、過ごしていく方だと思っていました。こんな世の中でも、一人ぐらいはそんな美しい人がいるはずだと私は信じて生きてきました。

そんな気持ちのときに、あなたに出会ったのです。あなたの本当の素晴らしさは、きっと誰もわからないだろうから、私がお嫁に行ってあげようと思ったのです。

私は、あなたこそが天使だ思っていました。

やがてあなたの個展が評判になり、人々に愛されるようになりました。そのこと自体は、私も願っていたことだし、うれしかったのですが、次第にあなたは、俗っぽくなっていかれました。

突然の出世に、私は不吉なことが起こらぬよう神様にお願いをしました。

あなたは人の陰口を言いだし、唯我独尊になり、つまらぬおしゃべりをするようになっていきました。

急に金持ちになり、小さなアパートに住んでいることを恥ずかしがり、三鷹の大きな家に移りました。
そこで、家財もたくさんに揃えて、まるで成金みたいになっていかれました。

そんな成功したあなたをみて父や母も上機嫌になっていきました。

やがて賞などもいただき、あなたは、ますます金に固執するつまらない人間に変わっていきました。

私は間違えていない、あなたは早く躓いたほうががいい。

私は、お金などなくても心のなかで大きなプライドをもって、こっそり生きていきたかったのです。

今のあなたは清貧でも憂愁でもない、ただの我儘な楽天家に変わってしまいました。そして、とてもお金に細かくうるさく、うそつきな人間に変わりました。

成功とはこんなことでしょうか、躓けばよい、悪いことが起きればよいと私は思ってしまいます。

人間の誇りはいったいどこへいってしまったのでしょう。

私は、自分がどこが、どのように間違っているかが分からず、あなたとお別れします。

解説(ここを読み解く!)

私と夫の心情の変化を、手紙という形式で、女性の告白体で書かれた内容です。

しかし、太宰自身が、自分と鏡に映るもう一人の自分を「私」と「あなた」に分け、独白体で現実と理想、主体と客体、本心と嘘(道化)の対極で書いた作品だと捉えると、

背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。縁の下で鳴いているのですけれど、それが私の背筋の真下あたりに鳴いているので、なんだか私の背骨の中で、ちいさいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。

まさに、名声を得ていくにつれて、苦手で嫌いなうわべの社交をするために、大きな声ではしゃぎ、その場の都合で二枚舌を使い、平気で嘘を言う変わってしまった自分を、背筋の下の“こおろぎ”に喩え、たとえ幽かな声でも人間の本質を暴き苦しむ誰かに救いをおくるために創作を続ける変わらぬ自分を、背骨の中の“きりぎりす”に喩えます。

この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうと思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。

有名になり、お金もたくさん稼ぎ、知人も増えたけれども、自分はどこか変わってしまっていないか。

たとえ世間が何と言おうとも、たとえ世間と違う考えでも、自分が正しいと考えることを、私は、自分の背骨の中にきちんと信念を持って生き続けていたいと思う。

清貧で、憂愁で、孤高を保ちながら創作していく姿を忘れないこと。

『きりぎりす』は、妻の独り語りにこめながら、実は太宰自身の葛藤や自戒をこめた作品といえます。

作品の背景

太宰中期の作品にあたります。前年の昭和14年1月に井伏鱒二夫妻の媒酌で、石原美知子と結婚式をあげ、新居を甲府市に構えます。9月には東京府下三鷹村下連雀(現三鷹市)に移ります。これまでの自殺未遂や薬物中毒などを克服し生気がみなぎり、国民新聞社短編小説コンクール賞、第四回透谷文学賞副賞、さらに昭和15年には「走れメロス」など明るく溌溂とした作品を発表、講演を頼まれることも多い時期でした。文士の親睦会などにも出席し常連となっています。こんなエピソードも作品の心象の中に、盛り込まれています。

発表時期

1940(昭和15)年「新潮」11月号に発表。太宰治は、31歳。新進作家としての地位も定まり作品の発表が増えた時期。随筆もこの時期、多数発表した。

タイトルとURLをコピーしました