芥川龍之介『蜘蛛の糸』解説|因果応報の慈悲と利他の難しさ

利他のススメ

犍陀多カンダタは地獄に落ちて苦しむが、以前、一匹の小さな蜘蛛の命を助けたことがある。お釈迦様のご慈悲で下りてくる一本の細い銀色の蜘蛛の糸。これ幸いと糸につかまり上っていく犍陀多だが、下を見れば地獄の亡者たちも一本の蜘蛛の糸に群がって上にのぼろうとする。犍陀多の変わらぬ利己心から糸は切れ、もとの地獄へ落ちていく。お釈迦様は慈悲深い眼差しで悲しく思われる。利他の難しさを教えたほんとうは怖い話なのです。

解説

『蜘蛛の糸』の主題は、<利他の大切さ>とともに<利他の難しさ>です。

理解や認識を越えて、行動や実践が伴うことの難しさです。この犍陀多カンダタが置かれた状況下で、相手の利益を思いやることができるとなれば、「利他の心」を持つということはかなり難しいことなのです。

この作品は児童雑誌『赤い鳥』に寄稿されたものですので、子供向けには<利他の大切さ>は単純明快で良いと思います。

利他の大切さを学ぶために、極楽と地獄を設定し、因果応報でお釈迦様のお慈悲で蜘蛛の糸を垂らされたが、自己本位で自分だけ助かればとの理由で、糸は切れて地獄に舞い戻りしましたと言う話です。だからこれではいけませんよ、利他の心は大切ですよとなります。

因果応報と利他の難しさを説く仏教的な教えにもとづいたお話。

大人の視点で深堀りして読んでみると、逆に<利他の難しさ>にも読めてしまいます。

読者の多くは、犍陀多の置かれた状況下で利他の行動を実践することはまず無理でしょう。物語の理屈で言えば、読者の多くは利他の精神がないことになります。犍陀多と同じ人種なのです。

この物語には二つの話が含まれます。

ひとつは、因果応報です。

犍陀多カンダタは、唯一、以前に一匹の小さな蜘蛛の命を助けたことがあります。そこでお釈迦様は蓮の池にいた蜘蛛の銀色の一本の細い糸を地獄の底へ垂らされます。善行は身を助けるわけですね。

人殺しと大泥棒の罪で地獄に落ちた犍陀多に、お釈迦様は救いとして小さな蜘蛛の「糸」という最も細くて脆くて弱そうなものを選ばれます。但し、お釈迦様の傍らにいる極楽の蜘蛛の糸です。

地獄でうごめきもがく犍陀多に向けられたお釈迦様の慈悲です。地獄の闇夜に輝く銀の蜘蛛の糸はまさにひと筋のひかりです。

この因果応報としての仏教の道理を説き、良いことをすれば良いことが必ずかえってくる。そしてお釈迦さまは犍陀多を観察されているのです。

もうひとつは、利他の難しさです。

犍陀多のこの状況下、利他の精神を発揮することはほぼ無理でしょう。もともと犍陀多は非情な大悪党のようですし、悪事を重ねた生涯で一度だけ小さな蜘蛛を踏みつけなかった事、その程度の利他でしかないわけです。

お釈迦様の慈悲の気持ちも察することなく、当然ながら犍陀多カンダタは自分の利益だけを追求します。

蜘蛛の糸をつかみながら上へ上へのぼり始めます。犍陀多は「しめた」と笑います。このまま地獄から抜け出せ、もしかしたら極楽へいけるかもしれないと思います。

しかし見下ろせば、糸の下には数限りない罪人たちが自分の後を何百、何千とのぼってきています。自分一人でさえ切れそうな細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数に耐えることが出来ましょう。もし切れてしまえば、自分はもとの地獄に逆落としになります。

犍陀多カンダタは大きな声を出して「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれの者だぞ、下りろ」とわめきます。

その途端、急に犍陀多のぶら下がっているところから、ぷつりと音を立てて切れて、あっというまに、まっさかさまに地獄へ落ちていきました。

仏教の六道にある地獄は、最も下位です。殺生をした極悪な人間が堕ちるところです。地獄の底の血の海で、犍陀多は、他の罪人と一緒にただ浮いたり沈んだりしています。地獄はまっ暗で、恐ろしい針の山がぼんやり光っています。まさに地獄絵図です。

犍陀多は糸が切れそうと心配する。この状況下、犍陀多が利他の精神を持つことは不可能でしょう。

翻って考えれば、お釈迦様の蜘蛛の糸ですから人間が一人つかまっても、何百人つかまっても切れることはないのでしょう。お釈迦さまは試し願いをかけられたのですが、無駄でした。

犍陀多に利他の心など、芽生えようはずもありません。

自分ばかりが地獄から抜けだそうとする犍陀多の無慈悲な心が、相当の罰をうけて地獄へ落ちたのをあさましく思われます。

お釈迦様が一部始終を見て、悲しそうなお顔をなさりながらまたぶらぶらとお歩きになります。

蓮の花は玉のように真っ白で真ん中の金色のずいからは好い匂いがあたりへ溢れる浄土と、三途の河や針の山の地獄の景色。まさに極楽と地獄。犍陀多には絶望しかないのです。

善く行い、善く生きる戒めになっています。ほんとうは怖い話なのですね。

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