芥川龍之介『猿蟹合戦』あらすじ|蟹は死刑、価値観は急に変化する。

概要>猿蟹合戦のその後、蟹はどうなったか?というお話。これまでの価値観だった勧善懲悪や武士道精神は無くなり、法の下で裁きを受けます。すると、蟹には理不尽で不条理でも、抵抗することができません。そして読者の皆さんこそが蟹なのですと忠告します。

登場人物


その後は、法廷で裁かれて死刑となり執行され、誰の同情も得れない。
臼・蜂・卵
蟹を手伝い共犯となり、それぞれ無期懲役の刑に処せられる。

あらすじ(ネタバレあり)

話し伝えられる昔話には、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話が日本だけでなく世界にあります。まず、標準を確認し、そして芥川の『猿蟹合戦』その後を味わっていきます。

標準的な「猿蟹合戦」のお話。

一般的に普及している物語は、蟹がおにぎりを拾い歩いていると、ずる賢い猿は拾った柿の種と交換しようといいます。柿の種を植えれば柿がたくさんなり、柿の種の方が得をするというのでおにぎりと柿を交換します。蟹は「早く芽をだせ柿の種、でなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら種を植えました。

成長して柿がたくさんなると、猿は木に登れない蟹の代りに自分が採ってやるという。そして自分ばかりが柿の実を食べ、蟹には熟していない青い硬い実を投げつけた。その柿に蟹は当たって死んで、甲羅が割れて子供がでてきます。

怒った子蟹たちは仇を討つために猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛の糞を集め仇討ちを計画する。猿の留守中に家へ忍び入り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れます。

猿が帰って来て、囲炉裏で暖まろうとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして、猿は火傷を負い、水で冷やそうと水桶に近づくと蜂に刺され、家から逃げようとすると、出入り口で待っていた牛糞に滑り転倒し、最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて猿は死に、子蟹たちは見事に親の仇を討ちました。

猿蟹合戦の蟹、臼、蜂、卵のその後は裁判の結果、実刑になっている。

芥川は、お伽噺の“猿蟹合戦”で、蟹が、臼、蜂、卵とともに怨敵の猿を殺した後、どんな運命になったかについて話されていないといいます。

話されていないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間に、蜂は軒先の蜂の巣に、卵は籾殻の箱の中に、それぞれ無事な生涯を送ったかのように装っているが、それは偽りである。

彼らはその後、警官に捕まり監獄に入れられた。

そして裁判を重ねた結果、主犯の蟹は死刑、臼、蜂、卵等の共犯は無期懲役となります。

お伽噺しか知らない読者は、納得がいかないかもしれないが、これが全くの事実である。

蟹自身の言によれば「握り飯と柿を交換した」が、「猿は熟柿を与えず、青柿ばかりを蟹に傷害を加えるようにさんざん投げつけた」と言う。

しかし、“蟹は猿との間に一通の証書も取り交わしていない”また“熟柿と交換するとは、言ってない”
また“柿を投げつけられたと言うが、猿に悪意があったかどうかの証拠は不充分である”とのこと。

弁護士も新聞輿論も各界も、無知と軽率からの蟹の私憤の結果だという。

そこで蟹の弁護に立った雄弁で名高い弁護士も「裁判官の同情を買う方法しか策が無いようだ」と言い「諦めたまえ」と言ったそうである。

新聞雑誌の輿論も、蟹に同情を寄せたものは、ほとんど一つもない。蟹が猿を殺したのは私憤の結果である。さらにその私憤は、己の無知と軽率から、猿に利益をせしめられたのを忌々しがっただけではないかとのことである。

優勝劣敗の世の中で、このような私憤を漏らすとは、愚者でなければ狂者であるとの非難が多かった。

商業会議所の会頭は、流行の危険思想にかぶれたのだろうと論断し、大学教授の某博士は倫理学上の見地から蟹が猿を殺したのは復讐の意志といい、復讐は善と称しがたいという。また社会主義の某首領は、蟹は柿とか握り飯とか私有財産を有難がっていたから臼、蜂、卵などと反動的思想を持っていた、事によると尻を押したのは国粋会かもしれないといった。某宗の管長某師は仏慈悲を知らなかったといい憐れむべきだったといい、わしの説教を聴かせたかったという。

各方面からも蟹の仇討ちには不賛成の声ばかりだった。

武士道も誉も通用せず、法治の精神のみゆえ貴方もよく考えて行動を。

たった一人、蟹のために気を吐いた酒豪兼詩人の代議士は、蟹の仇討ちは武士道の精神と一致すると言った。しかしこの時代遅れの議論は誰の耳にも止まらなかった。

読者は、悲しい蟹の運命に同情するかもしれないが、蟹の死は当然である。

それを気の毒に思うのはセンティメンタリズムであり、天下は蟹の死を是とした。

死刑の行われた夜、判事、検事、弁護士、看守、死刑執行人、教誨師は熟睡したそうである。さらに、夢の中で天国の門を見たそうである。

では、その後の蟹の家庭はどうなったか。蟹の妻は売笑婦になった、貧困のためか、性情のためかは判然としない。長男は、急に心を改め株屋の番頭をしている。次男は小説家になっていい加減な皮肉を並べている。三男は、何にも変われず蟹のままで、横ばいに歩いていると好物の握り飯が一つ落ちていて拾い上げた。それを猿がまた木から見ていた。

とにかく猿と戦えば最後、蟹は必ず天下のために殺される。読者の皆さんもたいていは蟹なんですよ。

解説(ここを読み解く!)

●仇討ちはご法度、法治主義にもとづく人間のありかたを学ぶこと。

ずる賢く忌々しい猿に、蟹と、臼、蜂、卵等が力を合わせて仇討ちをするというお伽噺で溜飲が下がったかに見える話ですが、その後を知らない読者に、芥川は、その後は悲惨なのだといいます。

最初から、弁護士は裁判官の同情を買うしかないとサジを投げていて、新聞輿論も同情は無く、“きちんとした証文もないし、熟柿をもらう条件なども無く”それは無知と軽率ゆえ、殺したのは蟹の私憤からだといいます。

この解釈に、経済界も学界も宗教界も同意で、それぞれの立場で都合よく評論をします。ひとり政治家が武士道精神があるとのことで同情しますが、時代遅れと一蹴されます。

さらに死刑執行をした関係者も全く罪悪感は無く、寧ろ良いことをしたとの考えです。

その後、蟹の家族は、バラバラになり三男に至っては、また握り飯を拾って同じことを繰り返そうとしており、学習能力すらありません。

つまり「猿蟹合戦」のお伽噺のその後は、勧善懲悪でも仇討ち礼賛でも無く、このようなことをしたら死刑になり、手伝えば無期懲役になり、家族も不幸になりますよというお話です。

まあその通りではありますが、ただどこかに少し寂しい人情の無い世の中な感じがします。

●“君たちもたいてい蟹なんですよ”の意味するところと生き方について。

芥川の猿蟹合戦は、お伽噺のその後日談として書かれますが、最後に、

とにかく猿と戦ったが最期、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。

でしめくくられています。

蟹とは、読者であるから一般の人々です。どちらかといえば、性格が素直で人を信じやすいということでしょうか。では猿とは、だれのことなのか。あるいは天下のために殺されるとは、どういう意味かとなります。

それは権力側であり当時の世の中を考えれば自ずと判明します。となれば、江戸時代のような仇討ちなどの無法は論外ながら、法律に訴え、寧ろそれ以上に、一般の人々は、より猜疑心を持ち、人を信頼せず、用心してかかれということになります。天下は絶対であり、全体主義の閉塞感すらします。

芥川は、司法、経済、宗教などの各分野の観点もおもしろく描き、武士道を重んじるひとりの政治家が一蹴され、仇討ちなど論外と論断する。蟹に全く同情の余地が無いといいます。

こうなれば、遠因として人情や世間や武士道精神など、良き慣習は失われていくのも当然です。

作品の背景

明治25年に生まれ、昭和2年に自殺した芥川ですが、富国強兵や殖産興業など日本の近代化は急速に進み、先進国と並ぶ国民国家を築きます。1873(明治6年)年に、仇討ち禁止の最初の法律が江藤新平の出した復讐禁止令です。近代国家として法治国家であることを内外に示す必要や、もとより幕末から維新期の派閥、政論の対立による紛争を完全に立ち切る必要もありました。

しかし同時に、強い皇国史観のなかでも、大正デモクラシーの民本主義の動きもありました。日清・日露そして第一次世界大戦の特需を経て一等国となりますが、その後、昭和恐慌となり日本は暗い時代に突入していきます。国粋主義もあれば大逆事件のような反動もある。猿蟹合戦の最期の「天下の読者に寄す、君たちもたいてい蟹なんですよ」のフレーズは、パロディにこめた皮肉でもあります。

発表時期

1923(大正12)年2月、中央公論社『婦人公論』3月号に発表。芥川龍之介は31歳。芥川は24歳で「鼻」を発表し、尊敬する漱石より絶賛され、その後、人気作家としての道を歩みます。日本の民話「さるかに合戦」を元に、後日談という形式をとっていますが、題材のなかに次第に閉塞していく時代状況がうかがえます。

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