太宰治『走れメロス』あらすじ|死を越えた、友情の大切さを描く。

概要>妹の結婚のため親友の死を身代わりに帰ることを約束するメロス。走り続けるメロスに様々な障害と邪念がよぎる、それでも友との約束のため必死に走り約束を果たす。その信実は不信の王の心を打ち、勇者の姿に群衆も沸き立つ。明るく溌溂とした人間賛歌の物語

登場人物

メロス
親は無く妹と二人で暮らす、誠実で善良な羊飼いの牧人。
セリヌンティウス
メロスの竹馬の友で、シラクスの市で石工を営む。
暴君ディオニス
シラクスを統治する王で、孤独から家臣を不信で殺している。

あらすじ(ネタバレあり)

家臣や民を信じぬ王へ、死を覚悟でメロオスは糾弾する。

メロスは十六歳になる妹の結婚の品々を買いに、シラクスの市にやってきます。

そこで暴君ディオニスが家臣への不信から殺戮を繰り返していることに激怒する。

メロスは王に、人心を疑うは最も恥ずべき悪徳で、民の忠誠をも疑っていると非難します。

王は、自分も平和を望んでいるが人間は私欲の塊で信じられないと言います。

罪のない人を殺して、何が平和だ。メロスは死ぬ覚悟で反駁をします。

メロスは処刑されることになるが、妹の結婚式に出席するために王に3日間の猶予を願い出る。

そして必ず帰ってくる証に、竹馬の友のセリヌンティウスを人質に差し出すと言う。

王は、うそ話としてこれを承諾し、約束を破れば友を磔の刑に処するという。

約束を守ろうとするメロスに、立ちはだかるさまざまな苦難。

セリヌンティウスはメロスから事情を聞き、喜んで縄を打たれます。

メロスは村に帰り、急ぎ妹の結婚式を始め、新郎新婦の神々への宣誓が終わる頃に大雨となった。

妹には、疑うことや嘘のない家庭を築くよう、花婿にはメロスの弟になることを誇りに思うことを言い残して、 王に真実が存在することを証明し、微笑んで磔台に上るために村を発った。

友との約束を守り、そのために、村での幸せな暮らしを捨て、王城へ向けて返した。

メロスは、殺されるために、身代わりの友を救うために、名誉のために、矢のごとく走り出た。

途中、大雨で川が氾濫し橋が流されていたが、必死で濁流と闘い神の憐憫で渡りきることができた。

ほっとした時に、目の前に山賊があらわれ襲いか掛かられるが、これもなんとか退けた。

疲労が極限の中、諦めかけながらも再び走りだすメロス。

濁流を泳ぎ、山賊を退け、暑さで、メロスは動けなくなってしまった。

精も根も尽き果て、疲労の極限に達して、もうあきらめようとしました。

メロスは、全身全霊をかけて精一杯の努力をしたのだから仕方がない。

私は負けたのだ、醜い裏切り者だ、私もセリヌンティウスとともに死ぬ。

だからもうどうとでもなれと、疲れのあまり、まどろんでしまいます。

目が醒めて、岩の隙間から湧き出る清水で疲労が回復します。

メロスは友情と義務の遂行へのわずかな希望が生まれます。

信頼に報いるべく、正直な男として死ねるように神に願い、風のように走っていきます。

二人の友情は守られ確認しあい、王の心さえも動かしてしまう。

疾風のごとく刑場に突入したメロスを見て、友は解放されます。

メロスは、途中、邪念を抱き一度だけ、セリヌンティウスを裏切りそうだったことを告白します。

メロスは、友に殴れと言います。友は強くメロスの右頬を殴ります。

セリヌンティウスは、一度だけ友を疑ったことを告白し、殴れと言います。

メロスは、強くセリヌンティウスの頬を殴ります。

王は二人に近づき、真実は空虚な妄想でないことを証明してくれたと友情を信じ解放します。

群衆は王様万歳と叫ぶのでした。

解説(ここを読み解く!)

太宰の作品には最後に象徴的なものが多くあります。

この「走れメロス」の最後では、ひとりの少女が紐のマントをメロスにささげます。

そしてセリヌンティウスがマントを着るようにメロスに言い、「かわいい娘さんが、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなくくやしいのだ」と続きます。

作品の最期に「古伝説とシルレルの詩から」と記述されていますが、本作品は、古代ギリシャの伝説とドイツのシラーの詩をもとに創作されています。宗教結社のピタゴラス派の強い友愛の絆など複数の逸話が題材になっているようです。

『走れメロス』では、友情と信頼を守るためになりふりを構わない勇者メロスに対して、好意をいだき彼を守りたいと思う 純朴なかわいい娘さんとの関係性が、なんとなく太宰らしい感じがします。

道徳心を育てる明るく溌溂とした作品ですが、同時に、勇者こそが異性にも愛されるという話を最後に
添えるあたりが太宰らしいエンターティメント感で、物語を最後まで楽しませてくれます。

太宰治著「走れメロス」友情と信頼をテーマにした人間賛歌の作品です。

作品の背景

創作の発端となったとされる話として、太宰は、熱海の旅館で長く逗留し、心配した妻が様子を見てきてほしいと太宰の友人である檀一雄に頼みます。ところが太宰は、檀が預かってきた宿代や交通費まで飲み代に使い切ってしまい、檀を宿屋と飲み屋の代金の人質に残して師匠である井伏鱒二に金を借りるため自分だけ東京に帰ります。ところが数日待っても音沙汰なくしびれを切らした壇が井伏のもとに駆けつけると、二人は将棋をさしていました。激怒しかけた檀一雄に、太宰は「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」と言います。壇は、後に作品を読んで、このことが創作のきっかけになったのではと書いています。

発表時期

1940(昭和15)年5月、新潮にて発表。太宰治は、31歳。当時は、新進作家としての地位も定まり作品の発表が増える。30歳の時、井伏鱒二夫妻の媒酌で石原美知子と結婚式をあげ新居を甲府市に構える。長く苦しんだ薬物中毒の治療や小山初代との離別などの時期を経て、平穏を取り戻し新たな創作の意欲が充実している時期。

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