太宰治『走れメロス』解説|愚かでもいい、ヒロイックに生きる。

政治を知らぬ純朴で正直者のメロス。人間不信で暴君となった王に対して、死を覚悟の正義感からの進言。そして友を人質に、試される友情。信実は不実を超えられるのか―未練の情、努力の空しさ、悪魔のささやき、望み薄き現実ー露わとなる人間の弱さ。馬鹿だ無理だ無駄だと、笑われてもいいから、ヒロイックに生きること。その完遂の先にこそ、勇者が生まれる。

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あらすじ

暴君、ディオニスを殺そうとするメロスですが、逆に囚われの身となります。妹の結婚を見届けて戻ることを条件に、メロスは無二の友人のセリヌンティウスを人質に差し出します。そして艱難辛苦を乗り越えて、約束を果たします。

信実が不信に勝つ!友情は死をも越える深い絆であることが確認され、メロスとセリヌンティウスは抱き合い、王もまた二人を称え、群衆も喝采に沸くという人間賛歌のお話です。

まずは主要な三人の登場人物、王様と、メロスとセリヌンティウスについて確認しておきましょう。

不信の先に暴君となった王、ディオニス

為政者である王、その性格は邪智暴虐じゃちぼうぎゃくされています。

邪智とは悪知恵が働き、暴虐とは乱暴な振舞い。人々は苦しみます、これは恐怖政治そのものです。

強い猜疑心から妻や子供や血縁や臣下や民さえも殺してしまいます。王 は「人間は私欲のかたまりだから信じてはならない」、そして「それを教わったのは、人間からだ」と言います。

人間は不実であり、結果的に、この偏執狂の王は、人間不信から人を殺し、シラクスの市は、暗い寂しさに包まれています。

邪悪に対して人一倍に敏感な正義の人、メロス

メロスは村の牧人で、笛を吹き、羊と遊んで暮す羊飼いです。邪悪が許せない直情的で、純朴な人間。

ゆえにシラクスの市を見て王の統治に激怒し、さっそく抗議するも即座に囚われ、16歳になる妹の結婚のために、親友セリヌンティウスを人質にその愛と誠が試されます。

そして人間の弱さや脆さを曝け出しながらも、信頼を裏切らないとする自分の誇りのため、約束を必死の思いで果たそうとします。

親友のために死をいとわない利他の人、セリヌンティウス

メロスとは竹馬の友で、メロスの身代わりとして命を差し出します。細かな描写はありませんが二人の関係は深い絆で結ばれているようです。

セリヌンティウスは、純真で正義感に満ちたメロスの愛と誠を理解し、死をも恐れぬ友情でメロスに信頼を寄せています。友との約束を疑わないという信念が、死をも超えさせています。

王の不信 VS メロスの信実

物語は、「メロスは激怒した」で始まります。

この唐突な始まりで、主人公は単純な性格であることが伝わります。対してディオニスは「邪智暴虐」の暴君です。

聞けば、王は身内や民を信じることができず、次々に殺している、メロスは許せず王に直談判に訪れます。そして「人の心を疑うことは最も恥ずべき悪徳であり、民の忠誠をも疑っている」ことを進言し、王を非難します。

ディオニスは、「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」そして「わしだって、平和を望んでいるのだが。」と答えます。

つまり王は、人間の不実こそが原因で、自分も被害者であり 孤独な心だと言うのです。

そこで、メロスは、

「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」と嘲笑し「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」と王を侮蔑します。純粋なメロスならではの言葉ですが、短絡な展開ですね。

メロスは当然、囚われて死刑に処せられることになりますが、必ず戻ることを誓い、村に帰り妹の結婚式を執り行うための時間を乞います。

王は、いぶかしく思います。

「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿はらわたの奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、はりつけになってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」と言い、不実が明らかになることを楽しむために、セリヌンティウスを人質に、三日の日没までに戻ることの猶予がメロスに与えられます。

さらに、ちょっと遅れて帰れば罪を許すと意地悪くささやきます。

太宰らしく、メロスに持ち前の自意識の高さと、現実の試練に直面したときの葛藤、そして利他の信頼に応えるべく、無私に走り続ける姿を描きます。順を追ってみます。

果敢な決断と人間の弱さの狭間で・・・

未練の情がよぎるが、振り払い出発する。

王との約束を守るために、結婚式を急ぎ、妹には嘘のない誠実な夫婦であることを約束させ、新郎には勇者の兄を持つことの誇りを花向けの言葉として、別れを告げます。

しかし幸せに包まれた心地よさ、このまま田舎暮らしをすることの未練の情にさいなまれます。それでもメロスは友を助けるために、殺されるために、名誉のために、矢のごとく走り出ます。

苦難を克服する、しかし限界が来る。

予期せぬ自然に行く手を阻まれる。昨夜の豪雨による川の氾濫で橋が流され、途方に暮れる。しかし力を振り絞り必死に川を泳ぎ渡ります。

すると今度は王様の使わした山賊に襲われます。その者たちも退け、自己の愛と誠を遂行しようと王城を目指しますが、精も根も尽き果て、照りつける太陽に疲労の極限に達します。

身体が動かず、ついに自己を正当化する。

疲労困憊で少しも動けなくなる。これほど努力したのだから、もうどうでもいいという気になる。

そうして、自分は不信の徒ではない、不幸な男なんだ、自分は永遠に裏切り者、地上で最も不名誉の人種としながらも、それを肯定して、最後は、悪徳者として生きてやろうかと考える。

諦めが襲い、悪魔の声がささやく。

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ていほうではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。

どうとも、勝手にするがよい。こうしてメロスは、うとうと、まどろんでしまいます。自己都合の諦めであり、尊厳を失う瞬間です。

ひと口の水で、わずかな希望が生れた。

かすかに湧き水の音が聞こえ、一口飲み、希望が生まれます。義務遂行へのわずかな希望です。わが身を殺して、名誉を守る希望です。私は信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。

走れ!メロス。「そして正直な男のままにして死なせて下さい」とゼウスに願う。

メロスは黒い風のように走る、はるか向うに小さくシラクスの市の塔楼が見えたところで、セリヌンティウスの弟子と出会い、すでに手遅れであることが伝えられる。

ここで発せられる

間に合う、間に合わないは問題ではない。
人の命も問題ではない。

というメロスの言葉。字義どおりに捉えれば物語が破綻する。では、どう捉えるのか?

それは「考えることより行動である」ということ。ここまで来れば、考える暇があれば、懸命に走れということである。

では何のために走るのか? 信頼してくれている友、セリヌンティウスのために走るのである。

頭のなかで  “間に合うか、間に合わないか”とか、その結果として “命が助かるか、助からないか” を考えることは不要なのだ。今は “ただ走り続けること”だ。

魂が、肉体を駆って、ただ走るということ 

ここできっと “走れメロス” という叫びは、天の声として、自身から、そして読者から、そして皆から発せられているはずです。

ここが物語のクライマックスであり、転換点です。

渇きをいやしてくれたひと口の湧き水は、精神と肉体を蘇らせている。ここで、メロスはより高次に上り、信頼に報いるために、肉体はメロスの魂を乗せて全力で走り続けた。

尊厳という魂が、メロスの肉体を駆って、友の待つ刑場へ連れていくのだ。

自利に、利他の思いが加わるとき  

ここで少し自利と利他の視点を考えてみます。

もちろん親友を人質に差し出している身勝手なメロスは全く利己的です。純粋ゆえに正義感に燃え、王に進言し、そして命を懸け、愛とか誠とか正義の偉大さを見せつけてやろうと走ります。

しかしそれは自分の名誉のためです。自分中心ですね。

前半では、単純で、単細胞なメロスの自利を描いています。しかし、それは湧き水の地点で転換します、そして弟子の言葉で、メロスの魂が叫びます。

まさに神がかりな力を授かるのです。ここで利他的なメロスが加速します。そしてどこからともなく「走れメロス」と聞こえるのです。自身を鼓舞する言葉であり、また、不思議な湧き水の力を得たメロスが、神の加護をさずかります。

信頼に報いなければならない、なりふり構わず全力で走ります。

メロスはほとんど全裸です、太陽が沈もうとするそのとき、今まさにはりつけになろうとしている友の待つ刑場に入っていく。セリヌンティウスは信じていた。

メロスは、弱い人間として一度、友を裏切ろうとした事実を詫び、そしてセリヌンティウスもまた一度、弱い人間として友を裏切ろうとした事実を詫びます。

群衆は喝采し、「あっぱれ、許せ」との歓声のなかで、王はセリヌンティウスとメロスを解放します。そして「信実とは空虚な妄想ではなかった」と言い、自分も仲間に加えてほしいと懇願します。

王の偏狂な猜疑心を、二人の友情がもたらした信頼、愛と誠と正義の力が変えたのです。

皆が賑やかに歌を歌い楽しむシラクスの市が戻ってきました。そして太宰らしいオチも忘れずに、露わになった身体を恥じらう若い娘がメロスにマントを捧げ、全裸のメロスは、我に返り恥じらいます。

解説

利他主義の難しさと崇高さを、生命力あふれる爽快な物語で描く。

この作品、太宰には珍しく明るく溌溂とした生命力があります。そこここに論理の破綻や矛盾がみられますが、そこは目をつむり、展開の早い話を楽しみましょう。勇者の物語のようですが、そこは太宰らしく人間の弱さ、戸惑い、巡、そして克己こっきなどの要素が配置されています。

そして自利の目に、利他の目も加わります。

最初は自己の名誉と誇りのために走ったが、湧き水を含んでからは、友情というセリヌンティウスの利他に応えるべく、自分の力だけではなく、自然の力、神の力に導かれて走り、ついに王を改心させ、群衆を沸かせる勇者となります。

信実が不実に勝つ、友情とは死をも越えるもの!

愛や誠の実践とは、人間の弱さやもろさを乗り越えるもので、それは信頼に応え、走り続けることで成し遂げられ、その行為は時に死をも超える価値なのです。それを完遂する人が勇者なのです。

それはメロスのように政治などを全く知らなくても、純朴で正義を誇りとする根源的な感情から発するものなのです。そして、その誇りある正義を実現させてくれたのが、セリヌンティウスとの友情であり、二人の信頼なのです。

王の親族、家臣、人々への不信に対して、メロスは友情を通じて王と人々に信実を証明してみせたのです。そこにあるのは、愚かと思われても構わないとするヒロイックな精神です。友情と信頼をテーマにした人間賛歌の作品です。

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作品の背景

創作の発端となったとされる話として、太宰は熱海の旅館で長く逗留し、心配した妻が様子を見てきてほしいと太宰の友人である檀一雄に頼みます。ところが太宰は檀が預かってきた宿代や交通費まで飲み代に使い切ってしまい、檀を宿屋と飲み屋の代金の人質に残して師匠である井伏鱒二に金を借りるため自分だけ東京に帰ります。

ところが数日待っても音沙汰なくしびれを切らした壇が井伏のもとに駆けつけると、二人は将棋をさしていました。激怒しかけた檀一雄に、太宰は「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」と言います。壇は、後に作品を読んで、このことが創作のきっかけになったのではと書いています。

いやはや物語の題材であるギリシアの伝説と、執筆のきっかけとなったエピソードはずいぶんと違いますね。

発表時期

1940(昭和15)年5月、新潮にて発表。太宰治は当時31歳。新進作家としての地位も定まり作品の発表が増える。30歳の時、井伏鱒二夫妻の媒酌で石原美知子と結婚式をあげ新居を甲府市に構える。長く苦しんだ薬物中毒の治療や小山初代との離別などの時期を経て、平穏を取り戻し新たな創作の意欲が充実している時期です。