太宰治『お伽草紙/瘤取り』あらすじ|性格は、人生の悲喜劇を決める。

概説>戦時中、安全を求め転々と疎開する家族、落下する焼夷弾に防空壕の中で子ども抱きあやしながら絵本を読み聞かす傍ら太宰流の新説、お伽噺し。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」を1作ずつ紹介。その創作意欲と、子どもに向ける愛情を思う。

登場人物

右の頬に瘤があるお爺さん
とにかくお酒が大好きで気のいいお爺さん、瘤を孫のように大切にする。
左の頬に瘤があるお爺さん
金持ちで学問もあるお爺さん、瘤が出世の妨げ、嘲笑のもとと気にしている。
読み手(太宰)
防空壕のなかで、子どもに絵本を読み聞かせながら新作お伽噺を創作。

あらすじ(ネタバレあり)

話し伝えられる昔話には、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話は日本だけでなく世界に
あります。まず、典型を確認して太宰流の新説を味わっていきます。

典型的な「こぶとりじいさん」のお話。

隣り合わせに住む二人のお爺さん。一人は「正直お爺さん」もう一人は「意地悪お爺さん」。正直お爺さんは、温厚で右に瘤があります。意地悪お爺さんは乱暴で、左に瘤があります。

ある日の晩、正直お爺さんが、山で鬼の宴会に出くわし踊りを披露します。鬼たちは大喜びで、また来るようにと右の瘤を取って身代にしました。

それを聞いた瘤が気になる意地悪お爺さんは、鬼の宴会で踊りを披露するが滅茶苦茶にひどい踊りで鬼の不評をかいます。鬼は怒り勘違いして預かった瘤を返してやるといい意地悪お爺さんの右の頬に瘤をつけます。

「正直お爺さん」は瘤がなくなって幸せに、「意地悪爺さん」は瘤がふたつになったというお話。

新説、太宰の瘤取りは、お爺さんは酒好きで孤独だけど人好き。

お酒の好きなお爺さんがいました。

お爺さんは家では浮かぬ顔をしていますが、別に悪い家庭ではなく、お婆さんは昔はなかなかの美人で、まじめに家事をしています。息子は阿波聖人のようで、品行方正、酒もたばこもやらず近所の人も畏敬するほど。

つまりお爺さんの家庭は実に立派な家庭です。ただお爺さんが浮かぬ顔をするのは、酒好きでなかなか家では飲みづらく家族もそう酔人の相手をしてはくれないからでした。

お爺さんの楽しみは、天気の良い日に酒をもって剣山に上り、岩上で気兼ねなく酒を飲むことでした。

お爺さんの右頬には瘤があります。五十歳を越えたころ瘤ができ「こりゃいい孫が出来た」と言うのですが、息子の聖人は「頬から子どもは生まれない」とか、お婆さんも「命にかかわるものはないでしょうね」と言うくらいで関心を示してくれません。

寧ろ近所の人があれこれと心配してくれるのでした。

お爺さんは、殊のほか瘤を孫のように大切に扱い、瘤に語りかけたりして心を和ませています。

ある日、剣山に登ったところ、突然、珍しい春の夕立がきてお爺さんは林の中に雨宿りに入ります。しばらくしてお爺さんは、ほろ酔いで寝てしまいます。

目を覚ますとそこに鬼がいます、そこでまずは鬼の分析に入ります。

夜がきて春の下弦の月に目を覚ますと、もう夜になっていて驚きます。

見ると林の奥にこの世のものとも思えぬ景色が展開されています。鬼と言うものが、どんなものか実際には見たことが無いので、ここで<読み手である父>は、鬼の注釈をいれます。

読み手の父の注釈は以下の通り>

××××鬼、××××鬼(注:当初は×にはアメリカやイギリスが入っていましたが削除されました)と憎むべき形容で、鬼とは醜悪な生き物の意と思っていると、一方では“文壇の鬼才”とか“文学の鬼”などとあるのでつけられた方はさぞ怒るだろうと思っていると、意外にも奇怪の称号を許容されているにもかかわらず、まんざらでもないようで真意が分からない。

鬼にもいろいろいるものだと日本百科事典で調べてみたいが、私は今、防空壕のなかでそれどころではない。と結び、物語に戻ります。

お爺さんの阿波の手踊りに喜ぶ鬼は、身代に瘤を預かります。

お爺さんの目の前には、酒宴をしている赤い鬼たちがいました。お爺さんは最初は驚きますが、そこは酒のみ同士。気分も良く度胸の良いところを見せてくれます。

鬼たちが気持ちよさそうに酔っていると、お爺さんも喜びます。お酒飲みという者は、利己主義ではなく隣家の喜びも自分のものとする博愛主義者です。

お爺さんはこの酒に酔った赤ら顔の鬼どもを、剣山の隠者のように温和であると思います。

金棒なども持っていない。鬼たちは竹林の賢者ではなく愚ではあるが、それでも仙人と言えるのではと考え、そこは酒飲みの友好で、ともに楽しく喜ぼうとします。

鬼たちは円陣をゴロゴロと転がり、踊りのつもりだろうが知能の程度に芸の無い事が甚だしい有様です。
これが“文学の鬼”とか“文壇の鬼”と称えられる鬼の姿かと思うとお爺さんはおかしく思います。

あまりに下手な踊りなので、そこでお爺さんは阿波の手踊りを披露します。喜ぶ鬼たちにお爺さんは、
さらに調子に乗って踊ります。

お爺さんは、ほろ酔いの勇気と親和の情がある。鬼たちはキャッキャと喜びます。

ぜひまた月夜に来てほしいという鬼たちは、その約束を守らせるために、身代にお爺さんが大切にしている瘤を預かろうとむしり取りました。 瘤は孤独なお爺さんの唯一の話し相手だったのですが、無くなってしまうとすっきりした頬も悪くないと、のんきに思うお爺さんでした。

左の頬に瘤を持つお爺さん、あまりに立派すぎるのが災いする。

もうひとり近所のお爺さんも、左頬に瘤をもっていました。左の瘤のお爺さんは、お金もあり品もあり
学問もある立派な方で、近所の方は「旦那」とか「先生」と呼んでいます。

このお爺さんは瘤が邪魔で、この瘤が出世の妨げ、嘲笑の元になっていると強く思っています。若い奥さまと美人の娘さんがいますが、二人ともこの瘤を無遠慮に話題にして笑います。

お旦那のお爺さんは厳格で、そんな時には「うるさい」と言い、頬の瘤に落胆します。

酒のみのお爺さんの話を聞いたお旦那のお爺さんは、同じように月夜の晩に剣山に入り、鬼の酒宴に臨みます。まるで出陣の武士のごとく、眼光鋭く、口をへの字にむすび気合を入れて、天晴れの舞をみせ感服させようとします。

あまりの意気込みに、踊りは失敗に終わりました。

鬼たちは、頼むから止めてくれと閉口し逃げ出します。慌てるお旦那のお爺さんは、「この瘤をどうか、取って下さいまし」と追いすがります。

聞き間違えた鬼たちは「何、瘤が欲しいのか」と酒のみのお爺さんの瘤を、お旦那の爺さんの右頬につけました。お旦那のお爺さんは瘤がふたつになり村に帰っていきました。

解説(ここを読み解く!)

新説、太宰の瘤取りは、性格の違いが人生の悲喜劇をつくる。

気の毒な結果になってしまいました。左の頬に瘤のあった旦那と呼ばれるお爺さんは、別段、悪者でもなく、いや寧ろ立派な方だったのですが、緊張のあまり気負いすぎて踊りがうまくいかなかっただけです。

もちろん、酒のみのお爺さんも、家族も、剣山に住む鬼も誰も悪くはありません。

典型的な「こぶとりじいさん」のお話では、悪いことをした人が悪い報いを受けると言う結末になりますが、この物語はだれひとり不正をした人はいないのです。

では、この話から日常倫理の教訓を言えと詰め寄られたら、「性格による悲喜劇というものであり、人間生活には、いつも、この問題が流れている」ことをあえて教訓とします。

防空壕で子供に絵本を読み聞かせながら書かれた新説、お伽噺。

冒頭の前書きに、

物語を創作するというまことに奇異なる術を体得しているのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨなどと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、
その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられているのである。

当時は、日本の敗戦は濃く、容赦なく傷痍爆弾が落とされ、日本人は安全を求めて逃げ惑っていました。太宰は、この「お伽草子」を防空壕の中で、子どもたちを守りながら原稿を握りしめていました。

生命の危険に晒されながらも、子どもたちには絵本を読み聞かせ、胸中では太宰流に、日本古来の昔話に新解釈を加えている。

それは、戦争という極限の有事の中にあってもひるむことなく、大人たちへ向けての風刺に満ちた創作活動を続ける太宰の気概でもありました。

作品の背景

太宰晩年の作品にあたります。昭和20年3月に「前書き」と「瘤取り」の執筆にかかりますが、東京大空襲となります。その後、甲府市の妻の実家へ疎開を決断し、5月から「浦島さん」「カチカチ山」、6月から「舌切り雀」が書かれます。7月7日未明、ついに疎開先も焼夷弾攻撃をうけ、妻の実家も全焼。
知人宅に身を寄せ、28日、妻子をつれて東京を経由して津軽に向かいます。31日、津軽金木町の太宰の生家に着きます。『お伽草紙』の巻頭にも記されている通り、太宰はこの話を防空壕の中で子どもをあやしながら書き上げていきます。

発表時期

1945(昭和20)年10月、筑摩書房から刊行。短編小説集として「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編を収める。太宰治は、36歳。まさに戦火が熾烈を極めるなかでの創作活動です。空襲が激しくなり、物資の欠乏から作品発表の場が制約されていく中、これほどの創作活動を展開した文学者は文壇にはいませんでした。

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