芥川龍之介『おぎん』解説|みんな悪魔にさらわれましょう

スポンサーリンク
スポンサーリンク

作品の背景

江戸初期のキリシタン弾圧が舞台となっており、当時の世間の風潮を現代(明治以降)の作家がお伽話として創作している。もちろん現代の作家とは芥川龍之介のことである。

切支丹物で棄教がテーマゆえ、どうしても宗教的に構えてしまう。神道と仏教伝来をうまく神仏習合として、古事記、日本書紀そして自然信仰と祖先崇拝を融合させ、神社仏閣を宗教の場とする日本人。

江戸初期に弾圧されたキリスト教も、明治以降は再び活性化し、戦争を前後して、現代においてはキリスト教の祝祭を日常生活の催事にする日本人。融通無碍な宗教観を不分明なままに取り入れている。、

作品のなかに見る日本的な精神性、それは人倫で、孝行や両親への恩を捉え、これをキリスト教の教義と対立させる形で展開している。そして物語のキリスト教世界には、聖人や天使、悪魔が登場し、殉教と棄教の狭間で、天国と地獄を綱引きするような二項対立の構図におく。

当時の人々は宗門改めで強制的に仏教徒とされる。それ以上に、実父母、養父母を思う孝道を表わすことで大道とし、人として行う道義をおぎんに語らせることで、超宗教的な帰結をとっている。

ただあまり固く読むのは禁物だろう。面白く、楽しく風刺に富んだ奇譚として読んだ方が愉快である。

※尚、文中のPページ表記は新潮文庫版 短編集 奉教人の死:<おぎんP150-159>に対応している。

*芥川龍之介の日本の昔話を風刺した作品

芥川龍之介『桃太郎』解説|鬼が島は楽土で、桃太郎は侵略者で天才。
日本一有名なお伽話、桃から生まれた桃太郎が、犬猿雉を伴い鬼退治。でもこの話は少し異なる。芥川の『桃太郎』のあらすじと解説。鬼たちは平和で静かに暮らすなか、何故、征伐されたのか?侵略者なのに天才とされる理由を時代背景を通して考えます。
芥川龍之介『猿蟹合戦』解説|蟹は死刑!価値観は急に変化する。
誰もが知っているお伽噺「猿蟹合戦」のその後はどうなったのか。勧善懲悪や武士道精神は無くなり、蟹は法の下で裁きを受けます。そして理不尽で不条理にも、蟹は死刑の判決を受けてしまいます。時代が変わると価値観も変わるので、皆さん注意してください!

*シリアスな遠藤周作のキリシタン文学

遠藤周作『沈黙』解説|弱き者の痛みを分かつために、神は存在する。
禁教令下の長崎で棄教を迫られ、拷問に耐え、殉教する信徒たち。神が存在するのならば、なぜ救わない?遠藤周作のキリスト文学『沈黙』を解説。宗教とは何か、祈りとは何か、救いとは何かという信仰の根源的な問いのなか、なぜ神は沈黙を続けるのかを考える。

発表時期

1922(大正11)年9月、『中央公論』にて発表。芥川龍之介は当時30歳。芥川のジャンルにおける「切支丹物」のひとつだが、棄教を扱ったものとして異彩を放つ。江戸初期のキリシタン弾圧が舞台となっており、それを昔話として現代(明治)の作家、芥川龍之介が紹介する形をとっている。