芥川龍之介『羅生門』解説|悪を正当化するとき、人は真の悪になる。

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地震、辻風、火事、飢饉と災い続きの洛中で、どこにでもいる一人の下人が仕事を失い、生きるために悪行を為すまでの心理の変化を丹念に描く。人間は悪に向かうには、相応の合理がいる。死と背中合わせの極限の中、生を求めれば悪が正当化される。

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生きるために仕方ないという肯定が、悪に向かう勇気となる。

あらすじ

天災で洛中はさびれ、下人は仕事を失い羅生門で途方に暮れる。

ある日の暮れ方、一人の下人が羅生門で雨が止むのを待っています。広い門の下には、この男のほかに誰もいません。大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっているだけです。そんな荒涼とした風景描写で始まります。

この二、三年。平安の都は、地震、辻風、火事、飢饉と災いが続き、洛中はさびれてしまっています。仏像や仏具を打ち砕き、丹や金銀の箔がついた木をたきぎとして売るほど、人心は乱れています。

朱雀大路にある羅生門も荒れ果て、狐狸が棲み盗人が棲む。引き取り手のない死人を門の楼へ棄てる習慣さえ出来ています。誰もが気味を悪がって、この門の近くには来ないのです。

夕焼けどきになると、烏が真っ赤な空に胡麻をまいたように飛び、死肉をついばみに群がってきます。

下人は、石段の一番上に座り、ぼんやり雨の降るのを眺めています。主人から暇を出され仕事を失い、行くところも無く羅生門で途方に暮れていたのです。

明日の暮らしをどうにかしようとして、云わば、どうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを巡らせています。

どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。

選んでいるとすれば、飢え死にをするばかりである。選ばないとすれば、

盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

引用:芥川龍之介 羅生門

飢死にするか、盗人になるか。二者択一であることは分かっているが、積極的に肯定するだけの勇気がないのです。

盗人になる勇気はなく、一夜を過ごすため楼の上にいくと老婆がいた。

夕冷えのする京都は、寒い。下人はともかくも一晩、羅生門の上の楼で一夜を明かそうと考え、見渡すと梯子が目についた。

下人は門の上の楼へ上る、上はどうせ死人ばかりだろうと聖柄ひじりづかの太刀が落ちないように気をつけて登っていく。梯子の中段で上の様子をうかがうと楼の上から、かすかに火の光がさしている。さらに二、三段上ってみると、上では人の気配がして、何者かが火を 灯し、その火をそこここと動かしている。

下人は上りつめて、楼の内をのぞいてみる。噂通り、死体が無造作に棄ててあり、裸の死骸、着物を着た死骸、女の死骸、男の死骸があった。死骸は皆、土をこねて作った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、床の上に転がっていた。

死骸の腐乱した臭気に、下人は思わず鼻をおおった。しかし次の瞬間、下人の嗅覚を奪ってしまうほどの光景を見る。死骸にうずくまりながら、茶色い着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆がいた。

死人の髪の毛を抜く老婆に、下人は激しい憎悪を感じた。

老婆は、右の手に火を灯した木切れを持って、死骸のひとつの顔を覗き込むように眺めていた。髪の毛の長い女の死骸だった。

下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて一瞬、息をするのさえ忘れた。

すると、死骸の首に両手を駆け、長い髪の毛を1本ずつ抜き始めた。毛が1本ずつ抜けるに従って、下人の恐怖が少しずつ薄らいでいった。

そして、下人の心からは、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いてきた。いや老婆と言うよりあらゆる悪に対する反感が強さを増してきた。

この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死うえじにをするか盗人ぬすびとになるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。

引用:芥川龍之介 羅生門

それほどこの男の悪を憎む心は、勢いよく燃え上がりだしていたのである。

何故、老婆が死人の髪の毛を抜くのかは分からず、合理的には、それを善悪のいずれで片づけて良いかは分からなかった。

下人にとって、この雨の夜に、羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くことが許すべからず悪であった。悪を憎むあまり、下人は、さきほど盗人になる気でいたことなどはとうに忘れていた。

生きるために仕方なくやったことで、悪いとは思わないと言う老婆の合理。

下人は、梯子から飛び出し聖柄ひじりづかの太刀に手をかけ、老婆の前に歩み寄った。

慌てふためいて逃げようとする老婆の行く手を塞ぎ、掴み合いながらねじ伏せて、「何をしていた。言わぬとこれだぞ」と太刀を抜いて白いはがねを目の前につきつける。

老婆は黙り、両手を震わせ肩で息をしながら目を見開きおしのように黙っている。

下人は、「自分は検非違使の庁の役人などではなくただの旅の者だ。何をしていたのかを、それを己に話しさえすればよい」と言う。

老婆は「この髪を抜いて、かつらにしようと思ったのじゃ」と言う。下人は老婆の答が平凡なのに失望し、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑ぶべつとともに、心の中へ入って来た。すると老婆は、片手に死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、ひきのつぶやくような声で、口ごもりながら言う。

死人しびとの髪の毛を抜くことは悪い事だろうが、ここにいる死人どもは、皆、それぐらいの事をされても仕方ない人間ばかり。今、髪を抜いているこの女は、生きているときにヘビの肉を干し魚だと嘘をついて売っていた。

「わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」

引用:芥川龍之介 羅生門

そう言って、悪い事をする道理を、生きるために仕方がない合理としている。

下人は盗人になる勇気が生まれ、老婆の着物をはぎとり闇に消えた。

この話を聞いているうちに下人の心にはある勇気が生まれてきた。さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。

その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。

引用:芥川龍之介 羅生門

「きっと、そうか」老婆の話が終わると、下人はあざけるような声で念を押した。

「では、おれ引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」

引用:芥川龍之介 羅生門

そしてすばやく老婆の着物を剥ぎとり、足にしがみつく老婆を死骸の上へ蹴倒した。そしてまたたく間に急な梯子を夜の底へかけおりた。

老婆はつぶやくようなうめくような声を立て、梯子の口までいって下を覗き込んだ。

外には、ただ黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。下人の行方ゆくえは、誰も知らない。

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