芥川龍之介『杜子春』解説|金持ちでも仙人でもない、正直な暮らし。

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杜子春は大金持ちになってみて金目当ての人間関係に愛想を尽かす。人間を超えた力を授かることを鉄冠子に願いでて俗世を超えた仙人の修行をします。“けっして声を出さないこと” それは感情を表に出さないことでもあります。数々の恐怖の試練に杜子春は堪えます。しかし地獄の責め苦にあいながらも我が子を思う母の愛情の深さを知り、ほんとうの人間の姿を知ります。こうして杜子春は人間らしく思いやりを大切に人の世で正直な暮らしを送ることの尊さを知ります。

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登場人物

杜子春
鉄冠子に大金持ちにされますが、金目当ての人間関係に嫌気がさし仙人を目指す

鉄冠子
杜子春を大金持ちにしたり、願いを聞き入れ仙人になる試練を与えたりします。

閻魔大王
地獄の王様で、仙人の修行を続ける杜子春にさまざまな責苦を与え続けます。

杜子春の両親
地獄で畜生道に落ちており、杜子春のせいで鬼たちから鉄の鞭で打たれます。

あらすじ

物語は杜子春の白昼夢のようです。芥川はこの児童向けの話で何を伝えたかったのでしょうか。
人生で出くわす様々な出来事ー試練、選択、決断、その先に辿り着く真理ーそんなことをファンタジーの世界で体験させます。

杜子春の最初の姿は、無垢であり、無知であるという純粋さ。

ある春の日暮れ、唐の都、洛陽の西の門の下にぼんやり空を仰ぐ一人の若者がいました。

名を杜子春といい元は大金持ちの息子でしたが、すでに 両親はなく、今は残された財産も使い果たし、その日の暮らしにも困る憐れな身分になっています。

この時点での杜子春の年齢は、十代の半ばくらいではないでしょうか。今の日本で言えば、中学・高校くらいでしょうか。

両親もなく、お金もなく、学問する機会もなく、結果、無垢であり無知ではあるが純粋な人間という設定で登場します。

その頃の洛陽といえば、天下一の繁盛を極めた都で、往来には人や車がひっきりなしで、まるで画のような美しさと描写されます。

杜子春は、絢爛な大都会に、ただ一人、孤独にたたずんでいるのです。

鉄冠子に助けられて、大金持ちになり、豪奢な年月を送るが…

お金がないことには、とても楽しめそうにありません。一文無しの杜子春はつまんないなぁ、これからどうしようかぁ。川にでも飛び込んで自殺してしまおうかなぁと考えています。

これって生きようとする意思も能力も全くありませんよねぇ。

そこに不思議な老人、鉄冠子があらわれて、杜子春は玄宗皇帝よりも大金持ちにしてもらえるのです。

老人は「お前は何を考えているのだ」と問い、杜子春は正直に「寝るところも無いのでどうしたものかと考えている」と答えると、老人は往来にさしている夕日の光を指さしながら、

「良いことを一つ教えてやろう、夕日の中に立って頭にあたるところを夜中に掘ると、いっぱいの黄金が埋まっている」と言って消えます。

老人の言葉通りに夕日に影を映し頭にあたるところを夜中に掘ると、おびただしい黄金が出てきて、杜子春は洛陽の都でも唯一の大金持ちになりました。

何故でしょうか、金とは何かを学ばせるためですね。

杜子春は立派な家を買って、贅沢な暮らしを始めます。蘭陵らんりょうの酒や圭州の竜眼肉りゅうがんにく牡丹ぼたんの花を庭に植えさせたり、白孔雀を飼い、玉を集め錦を縫わせ、香木の車、象牙の椅子と贅のかぎりを尽くしました。

すると噂を聞いて今まで道で行き会っても挨拶もしなかった友達が朝夕と遊びに来ました。半年経つころには、洛陽の才子や美人がやってきました。

杜子春はこの客たちを相手に毎日盛大な酒盛りを開きます。金の盃に葡萄酒を汲み、天竺生まれの魔法使いは刀を飲む芸を見せ、回りの十人の女たちは翡翠ひすいの蓮の花を、さらに十人の女たちはメノウの牡丹の花を髪に飾りながら笛や琴を奏します。

贅の限りを尽くしていますね。

都市の華やかな日々、物欲に溺れる齢の人々に愛想を尽かす。

楽しい交友のひとときですが、賑わいに群がるだけの人たちのようです。貧乏になると人々はさっと潮が引くように去っていきます

あまりにも贅沢な生活のため、一.二年のうちに貧乏になり毎日遊びに来ていた友達の足も遠のき、やがて門前を通っても挨拶一つしなくなった。三年目の春に一文無しになると、誰も杜子春に宿を貸すどころかお椀一杯の水も恵む者はいなくなりました。

杜子春はもう一度、あの洛陽の西の門の下でぼんやりと空を見ながら途方に暮れていると、あの片目の老人がまた現れました。

老人は「お前は何を考えているのだ」と問い、杜子春は正直に「寝るところも無いのでどうしたものかと考えている」と答えると、老人は

「良いことを一つ教えてやろう、夕日の中に立って胸にあたるところを夜中に掘ると、いっぱいの黄金が埋まっている」と言って消えます。

杜子春は翌日からまた天下第一の大金持ちになります。そしてまた贅沢を始めます。

都市の魅力なのか、若さのせいなのか、学習能力がないのか。杜子春は、二度、鉄冠子に大金持ちにしてもらいますが、同じように祝宴を開き、人々が集い、金が無くなると人々はまた 去っていきます。

冷たいというか、都合が良いというか、極端な態度ですね。

これでは真の友人関係など、望むべくもありません。杜子春は人間の薄情さに愛想を尽かします。

お金は意味が無く仙人になりたいと、弟子に願いでる。

洛陽の西の門に三度立つ杜子春に、「お前は何を考えているのだ」と片目の老人は同じことを問いかけます。

「お前の影が地に映ったら、その腹にあたるところを夜中に掘ってみるがよい」と言うと、杜子春は「いや、もうお金はいらないのです」とは言います。

老人は「ははあ、贅沢に飽きたと見えるな」といぶかしそうな顔で杜子春を見ます。杜子春は贅沢にではなく、人間に愛想が尽きましたと言います。

「人間は皆、薄情で、大金持ちの時は世辞も追従もするが、一旦貧乏になると、優しい顔さえしてくれません。大金持ちになっても何にもならないような気がする」と答えます。

すると老人は「若いのに物事がよく分かる男だ、では貧乏しても、安らかに暮らしていくつもりか」と言います。

すると杜子春は「弟子になって仙術を修行したいといい、老人が道徳の高い仙人だと思い、私の先生になって不思議な仙術を教えてください」と頼みます。

老人は「いかにもおれは峨眉山がびざんに棲む鉄冠子という仙人。物わかりがよさそうだから、二度まで大金持ちにしてやったが、それほど仙人になりたければ弟子にしてやろう」と言います。

杜子春が仙人を希望した理由は、富の前には首を垂れるが、貧乏になると目もくれない人々に不信や絶望感を抱いたからです。そして人間を超えた優秀な能力を身に着けたいと願います。

やや虫が良すぎますが、人間世界から脱出したい心持ちですね。

こうして人間であることを放棄して、仙人になることを杜子春は望んだのです。

強い意思を持つこと、恐れはすべては幻想であること

鉄冠子は杜子春と青竹に乗って大空を舞い上がり、春の夕空を峨眉山がびざんに向かいます。峨眉山は高くそびえ、人間は誰も訪れたことのない所で、深い谷に臨んだ一枚岩の上で静まり返り、一株の松の音が夜風に鳴っています。

鉄冠子は自分がいない間に「おまえは一人ここに座り、いろいろな魔性がたぶらかそうとするだろうが、どんなことが起ころうとも決して声を出してはならない。一言でも口をきいたら仙人にはなれない。天地が避けても黙っているのだぞ」と杜子春に言い残し去ります。

杜子春は「大丈夫です、命が無くなっても声は出しません、黙っています。」と鉄冠子に言います。

杜子春の前には、恐ろしい魔物たちが次々に現れて彼をおびやかします。

鉄冠子が去ってしばらくすると「そこにいるのは何者だ、返事をしないと命は無いものと覚悟しろ」と脅しつける声がします。杜子春はもちろん黙っていました

すると爛々と眼を光らせた虎が一匹、岩の上に躍り出て杜子春を睨み、ひと声高くたけりました。後ろの絶壁からは大きな白蛇が炎のような赤い舌を見せ下りてきます。

杜子春は平然と眉毛も動かさず座っていました

やがて虎と白蛇はいっせいに杜子春に飛びかかりました。虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるかと思った瞬間、虎と蛇は消え失せました。

杜子春はほっと一息しながら今度はどんなことが起こるかと心待ちに待っていました。

すると稲妻が闇を裂き凄まじい雷が鳴り、滝のような雨が降ってきましたが、それでも杜子春は恐れ気もなく座っていました。そして一本の火柱が杜子春の頭に落ちかかりました。

杜子春は耳を抑えて一枚岩にひれ伏しますが、目を開けると以前の通り晴れ渡っていました。

今度は金の鎧を着た厳かな神将しんしょうが現れます。手には三又の鉾を持ち、杜子春の胸もとに向けながら眼を怒らせて叱るのを聞けば「峨眉山は天地開闢かいびゃくの昔から神将の住まいだ、はばかりなく入ってきてけしからん、名をなのれ」と言います。

杜子春は老人の言葉通り、口をつぐんでいます。

すると向こうの山から無数の神兵が空に満ちて槍や刀をもって攻め寄ろうとしています。杜子春はわっと叫びそうになりましたが、懸命に黙っていました。

神将しんしょうは強情な杜子春に、三又の鉾を光らせてひとつきに突き殺しました。

しかし杜子春は、約束したことは守りぬくという強い意思を持つことを身に着けました。ただしこれは、もしかしたら仙人という名誉を得るためかもしれませんね。

地獄に落ちた杜子春は、閻魔大王のたくさんの地獄の責苦に耐える。

杜子春の体は岩の上に仰向けに倒れますが、魂は静かに体から抜け出し地獄へ下りて行きました。

杜子春はこの世と地獄の間の闇穴道あんけつどうを通り森羅殿の御殿に出てきました。前にいる大勢の鬼に引き据えられて閻魔大王の前に恐る恐る膝まづきます。

閻魔大王は杜子春に「何のために峨眉山の上に座っていた」と雷のような声で言います。

それでも杜子春は「決して口をきくな」という鉄冠子の戒めの言葉に従います。

怒った閻魔大王は、鬼どもに命じます。鬼どもは言いつけに従い、剣の山や血の池、焦熱しょうねつ地獄、極寒地獄などの地獄へ代わる代わる杜子春を放り込んでいきます。杜子春は剣に胸を貫かれ、火に顔を焼かれ、舌を抜かれ、皮をはがれ、鉄の杵につかれ、油の鍋に煮られ、毒蛇に脳味噌を吸われ、熊鷹に眼を食われ、際限のない責め苦にあわされます。

それでも杜子春は、我慢強くじっと歯を食いしばったまま、一言も口をききませんでした。

鞭うたれ苦しみながらも、わが子の幸せを願う母の愛情を知る。

鬼どもは呆れ、閻魔大王に「この罪人はどうしても、ものを言いません」と言上します。閻魔大王は、この男の父母を畜生道から連れて来いと命じます。

連れてこられたのは死んでから馬の姿にされた杜子春の父母です。そして口を開かない杜子春に向かって「この不幸者めが。父母が苦しんでも、その方さえ都合が良ければ良いと思っているのだな」と言い、閻魔大王は鬼どもに、二頭の馬の肉も骨も打ち砕いてしまえと凄まじい声で喚きました。

鬼どもは鉄の鞭で雨のように打ちのめしました。馬と化し畜生になった父母は、苦しそうに身を悶え眼には血の涙を浮かべいななきました。肉は裂け骨は砕け息も絶え絶えに倒れ伏したのです。

杜子春は必死になって鉄冠子の言葉を思い出して、目をつぶっていました。

鉄冠子は試します。

杜子春は、人間の感情を失くしてしまうことを、良しとするかどうか。非道になれるかどうかですね。

その時かすかな声が伝わってきました。「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら大王が何と仰っても言いたくないことは黙っておいで」と懐かしい母親の声でした。

杜子春は思わず眼をあきました。母親はこんな苦しみの中でも、息子に心を思いやって鬼どもの鞭に打たれても怨むこともしません、大金持ちになればお世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちと比べ何と有難いことでしょう。

杜子春は半死の馬の首を抱いて、はらはらと涙を流しながら「お母さん」と一声叫びました。

母の深い愛によって、杜子春に人間への信頼感が回復します。

金持でも仙人でも無く、正直な暮らしのかけがえの無さ。

その声に気がつくと、杜子春は夕日を浴びて、洛陽の西に門の下に佇んでいるのでした。

霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、すべてが峨眉山へ行かない前と同じでした。

「どうさな、弟子になってもとても仙人にはなれますまい」片目の老人は、微笑みながら言いました。

「なれませんが、私はなれなかったこともかえって嬉しい気がしますと老人の手を握り「いくら仙人になれても、地獄で鞭を受けている父母を見て黙っているわけにはいきません」と杜子春は言います。

鉄冠子は「もしお前が黙っていたら、お前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ」と言います。

確か、肉体はすでに峨眉山で朽ちていたはずです、はて?

そうです、ここで殺そうとしたのは魂ということになります。つまり杜子春は人間ではなくなるということです。

鉄冠子は「もう仙人にも、大金持ちにもなりたいとの望みはあるまい、ではこれから何になったらよいと思うか」と訊ねますと、杜子春は「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と晴れ晴れとした調子で答えます。

その言葉を忘れるなよ、と老人は云い残し、杜子春の新しい人生の出発を祝し泰山たいざんの南のふもとに一軒の家があり畑ごとやるので住まうがよい、今頃は桃の花が一面に咲いているだろう」と愉快そうにつけ加えました。

そこは洛陽から離れた田舎で畑があり、桃の花が咲き乱れているところです。人間らしい暮らしは都会にはありません、自然こそが桃源郷なのですね。

動画もあります、こちらからどうぞ↓