芥川龍之介『杜子春』あらすじ|金持ちでも仙人でもない、正直な暮らし。

概要>杜子春は、大金持ちになってみて、お金目当ての人間関係に愛想を尽かし、鉄冠子に願いでて俗世を超えた仙人の修行をするが、地獄で母の我が子を思う愛情の深さを知り、人間らしく思いやりを大切に、人の世で正直な暮らしを送ることの尊さを知ります。

登場人物

杜子春
鉄冠子から大金持ちにされますが、金目当ての人間関係に嫌気がさし仙人を目指す
鉄冠子
杜子春を大金持ちにしたり、願いを聞き入れ仙人になる試練を与えたりします。
閻魔大王
地獄の王様で、仙人の修行を続ける杜子春にさまざまな責苦を与え続けます。
杜子春の両親
地獄で畜生道に落ちており、杜子春のせいで鬼たちから鉄の鞭で打たれます。

あらすじ(ネタバレあり)

洛陽の賑わいの中、お金が無く途方に暮れる杜子春の前に老人が現れます。

ある春の日暮れ、唐の都、洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰ぐ一人の若者がいました。

名を杜子春といい、元は大金持ちの息子でしたが、今は財産を使い尽くしその日の暮らしにも困るほどの憐れな身分になっていました。

その頃の洛陽は、天下一の繁盛を極めた都で、まるで画のような美しさでした。

杜子春は、腹は減るし、泊るところもないし、こんなことで生きるくらいなら、いっそ川へでも身を投げて死んでしまおうかと思いをめぐらせていました。

するとどこからか彼の前に、片目の老人が現れていました。

老人は「お前は何を考えているのだ」と問い、杜子春は正直に「寝るところも無いのでどうしたものかと考えている」と答えると、老人は「良いことを一つ教えてやろう、夕日の中に立って頭にあたるところを夜中に掘ると、いっぱいの黄金が埋まっている」と言って消えます。

杜子春は大金持ちになり放蕩を尽くし、お金目当ての人々が集まってくる。

老人の言葉通りに、夕日に影を映し頭にあたるところを夜中に掘ると、黄金が一山出てきて、杜子春は洛陽の都でも唯一の大金持ちになりました。

大金持ちになった杜子春は、立派な家を買って、贅沢な暮らしを始めます。蘭陵の酒や圭州の竜眼肉、牡丹の花を庭に植えさせたり、白孔雀を飼い、玉を集め錦を縫わせ、香木の車、象牙の椅子と贅のかぎりを尽くしました。

すると噂を聞いて、今まで見向きもしなかった友だちが朝夕遊びに来ました。半年経つころには、洛陽の才子や美人がやってきました。

杜子春は、この客たちを相手に、毎日酒盛りを開きます。金の盃に葡萄酒を汲み、天竺生まれの魔法使いは刀を飲む芸を見せ、回りの十人の女たちは翡翠の蓮の花を、さらに十人の女たちはメノウの牡丹の花を髪に飾りながら笛や琴を奏します。

金を使い果たすと人々は離れていき、また老人と会い同じ経験をします。

ところがお金が尽きた3年目の春に、杜子春が一文無しになると、誰も杜子春に宿を貸すどころかお椀一杯の水も恵んでくれるものはいなくなりました。

杜子春は、もう一度、あの洛陽の西の門の下でぼんやりと空を見ながら途方に暮れていると、あの片目の老人がまた現れました。

老人は「お前は何を考えているのだ」と問い、杜子春は正直に「寝るところも無いのでどうしたものかと考えている」と答えると、老人は「良いことを一つ教えてやろう、夕日の中に立って胸にあたるところを夜中に掘ると、いっぱいの黄金が埋まっている」と言って消えます。

杜子春は翌日からまた、天下第一の大金持ちになります。そしてまた贅沢をし始めます。牡丹の花に、白孔雀に、刀を飲む魔法使い、すべてが昔の通りで、夥しい黄金もまた三年経つとすっかり無くなってしまいました。

金は意味が無いので仙人になりたいと、鉄冠子に膝まづき弟子に願いでる。

「お前は何を考えているのだ」片目の老人は、三度、杜子春の前で同じことを問いかけます。同じ会話が繰り返されそうになりましたが、杜子春はその言葉を遮りました。「いや、もうお金はいらないのです」と杜子春は言います。老人は「贅沢に飽きたと見えるな」といぶかしそうな顔で杜子春を見ます。杜子春は「贅沢にではなく、人間に愛想が尽きました」と言います。

杜子春は「人間は皆、薄情で、大金持ちの時は世辞も追従もするが、一旦貧乏になると、優しい顔さえしてくれません。大金持ちになっても何にもならないような気がする」と言います。

すると老人は「若いのに物事がよく分かる男だ、では貧乏しても、安らかに暮らしていくつもりか」と言います。

すると杜子春は「弟子になって仙術を修行したいといい、老人が道徳の高い仙人だと思い、私の先生になって不思議な仙術を教えてください」と頼みます。

老人は「いかにもおれは峨眉山に棲む鉄冠子という仙人。物わかりがよさそうだから、二度まで大金持ちにしてやったが、それほど仙人になりたければ弟子にしてやろう」と言います。

杜子春は大地に額をつけて、何度も鉄冠子におじぎをします。

杜子春は鉄冠子から仙人の修行を試され、いかなることも耐え続けます。

鉄冠子は、杜子春と青竹に乗って大空を舞い上がり、春の夕空を峨眉山に向かいます。峨眉山は高くそびえ、人間は誰も訪れたことのない所で、深い谷に臨んだ一枚岩の上で静まり返り、一株の松の音が夜風に鳴っています。

鉄冠子は、自分がいない間に「おまえは一人ここに座り、いろいろな魔性がたぶらかそうとするだろうが、どんなことが起ころうとも決して声を出してはならない。一言でも口をきいたら仙人にはなれない。天地が避けても黙っているのだぞ」と杜子春に言い残し去ります。

杜子春は、「大丈夫です、命が無くなっても声は出しません、黙っています。」と鉄冠子に言います。

鉄冠子が去ってしばらくすると、「そこにいるのは何者だ、返事をしないと命は無いものと覚悟しろ」とおどしつける声がします。杜子春は、もちろん黙っていました。

すると、爛々と眼を光らせた虎が一匹、岩の上に躍り出て杜子春を睨み、ひと声高くたけりました。後ろの絶壁からは、大きな白蛇が炎のような赤い舌を見せ下りてきます。

杜子春は、平然と眉毛も動かさず座っていました。

やがて虎と白蛇はいっせいに杜子春に飛びかかりました。虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるかと思った瞬間、虎と蛇は消え失せました。

杜子春は、ほっと一息しながら今度はどんなことが起こるかと心待ちに待っていました。

すると稲妻が闇を裂き凄まじい雷が鳴り、滝のような雨が降ってきましたが、それでも杜子春は恐れ気もなく座っていました。そして一本の火柱が杜子春の頭に落ちかかりました。

杜子春は、耳を抑えて一枚岩にひれ伏しますが、目を開けると以前の通り晴れ渡っていました。

今度は、金の鎧を着た厳かな神将が現れます。手には三又の鉾を持ち、杜子春の胸もとに向けながら眼を怒らせて叱るのを聞けば「峨眉山は天地開闢の昔から神将の住まいだ、憚りなく入ってきてけしからん、名をなのれ」と言います。

杜子春は、老人の言葉通り、口をつぐんでいます。

すると向こうの山から無数の神兵が空に満ちて槍や刀をもって攻め寄ろうとしています。杜子春はわっと叫びそうになりましたが、懸命に黙っていました。

神将は強情な杜子春に、三又の鉾をひからせてひとつきに突き殺しました。

地獄に落ちた杜子春は、閻魔大王からのたくさんの地獄の責苦に耐える。

杜子春の体は、岩の上に仰向けに倒れましたが、魂は静かに体から抜け出し地獄の底へ下りてきました。

杜子春は、この世と地獄の間の闇穴道を通り森羅殿の御殿に出てきました。前にいる大勢の鬼に引き据えられて閻魔大王の前に恐る恐る膝まづきます。

閻魔大王は杜子春に「何のために峨眉山の上に座っていた」と雷のような声で言います。

それでも杜子春は「決して口をきくな」という鉄冠子の戒めの言葉に従います。

すると鬼どもは閻魔大王の言いつけに従って、剣の山や血の池、焦熱地獄、極寒地獄などの地獄へ代わる代わる杜子春を放り込んでいきます。杜子春は、剣に胸を貫かれ、火に顔を焼かれ、舌を抜かれ、皮をはがれ、鉄の杵につかれ、油の鍋に煮られ、毒蛇に脳味噌を吸われ、熊鷹に眼を食われ、際限のない責め苦にあわされます。

それでも杜子春は、我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口をききませんでした。

閻魔大王は馬に変わった両親に責苦を加え、杜子春は母の声を聞きます。

鬼どもは呆れ、閻魔大王に「この罪人はどうしても、ものを言いません」と言上します。閻魔大王は、この男の父母を畜生道から連れて来いと命じます。

連れてこられたのは二頭の痩せ馬に顔は父母のものでした。そして口を開かない杜子春に向かって「この不幸者めが。父母が苦しんでも、その方さえ都合が良ければ良いと思っているのだな」と言い、鬼どもに二頭の馬の肉も骨も打ち砕いてしまえと凄まじい声で喚きました。

鬼どもは鉄の鞭で雨のように打ちのめしました。馬と化し畜生になった父母は、苦しそうに身を悶え眼には血の涙を浮かべいななきました。肉は裂け、骨は砕け息も絶え絶えに倒れ伏したのです。

杜子春は、必死になって鉄冠子の言葉を思い出して目をつぶっていました。

その時かすかな声が伝わってきました。「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら大王が何と仰っても言いたくないことは黙っておいで」と懐かしい母親の声でした。

母親はこんな苦しみの中でも、息子に心を思いやって鬼どもの鞭に打たれても怨むこともしません、大金持ちになればお世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちと比べ何と有難いことでしょう。

杜子春は、半死の馬の首を抱いて、はらはらと涙を流しながら「お母さん」と一声叫びました。

金持でも仙人でも無く、正直な暮らしをすることのかけがえの無さを知る。

すると、杜子春は夕日を浴びて洛陽の西に門の下に佇んでいるのでした。

かすんだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、すべてが峨眉山へ行かない前と同じでした。

「どうさな、弟子になってもとても仙人にはなれますまい」片目の老人は、微笑みながら言いました。「なれませんが、私はなれなかったことも、かえって嬉しい気がします」と老人の手を握り「いくら仙人になれても、地獄で鞭を受けている父母を見て黙っているわけにはいきません」と杜子春は言います。

鉄冠子は「もしお前が黙っていたら、お前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ」と言います。

鉄冠子は「もう仙人にも、大金持ちにもなりたいとの望みはあるまい、ではこれから何になったらよいと思うか」と訊ねますと、杜子春は「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と晴れ晴れとした調子で答えます。

それを忘れるなよ、今日限り、二度と目の前に現れまいと言って「泰山の南の麓に一軒の家があり畑ごとやるので住まうがよい、今頃は桃の花が一面に咲いているだろう」と愉快そうに老人はつけ加えました。

解説(ここを読み解く!)

●金銭の欲で友人との関係を失い、名誉の欲で人への思いやる心を失う。

杜子春は、元は金持ちの息子ですが財産を使い果たし憐れな身分になっているところを、鉄冠子の不思議な力で、二度、大金持ちにしてもらいます。それでも、すぐに放蕩を尽くしそのお金も使い尽くします。そして、金のある時と無い時の人間関係に愛想をつかします。

かといって、洛陽は賑やかな都ゆえ貧乏は選べず、鉄冠子の弟子になりたいと懇願して修行に入ります。絶対に声を出してはいけないという戒め通り、幻想の中、峨眉山にでてくる虎や蛇、火柱などにも耐え、さらに殺されて地獄に落ちさまざまな責苦にあっても口を開きません。

しかし血の海で畜生になっている両親を鬼たちが鉄の鞭で痛めつけ、苦痛に喘ぎながらも「話せない理由があるのなら、話さなくて良い。あなたが良いことが、母も良いことだ」との言葉に耐えきれず杜子春は「お母さん」と叫びます。

すると鉄冠子は、もし無言でいたら杜子春を殺そうと思っていたことを打ち明けます。

●どう生きるのか、正直に暮らし人間らしく生きていくことの大切さ。

杜子春は「仙人になれなく嬉しく思う」と言い、鉄冠子は「ではこれからどうやって生きていく」と訊ねると「人間らしく、正直な暮らしをするつもりです」と杜子春は答えます。鉄冠子は杜子春に泰山の南の家を与えます。そこは洛陽から離れた田舎で畑があり、桃の花が咲き乱れているところです。

杜子春の人間としての成長は、金持ちの家柄なのに貧乏になり、死のうかと思っているところで、お金持ちにしてもらうが、金を使い果たすと、人間関係は変わり、人は金が目当てで付き合っていることを知ります。二度も同じことを繰り返し、杜子春は人間に愛想を尽かします。

そこで、俗世を超越する仙人を目指し修行を志します。そこは金や感情は入らず厳しい修行です。杜子春は、その修行を乗り越えていきますが、最後に母親の愛情の深さに、人間のいたわりや思いやりの大切さを知り仙人にはなれないけれども、寧ろ、そのことを喜び尊びます。そして正直に暮らすことを選びます。鉄冠子は愉快になり、桃の花が咲く泰山の麓の畑のある家を杜子春に授けます。

老人は、老師で徳のある人物で、夢の中で杜子春にお金持ちや仙人の修行を経験させ、道徳のある人間へと育ててくれました。

杜子春は、児童向けの小説です。大金持ちになり豪奢をして暮らす虚しさ、また世離れして、思いやりやいたわりの心を失うよりも人の世の中で、人間らしく正直に暮らしていくことの大切さを教えています。

作品の背景

芥川龍之介の作品を、初期、中期、晩年の3つにわけると「杜子春」は初期の作品になります。大正7年に「鼻」で、漱石に絶賛されその後、新聞や雑誌からの依頼が多くなります。このころに鈴木三重吉がはじめた雑誌『赤い鳥』の創刊号に「蜘蛛の糸」を寄稿しはじめての児童文学にかかわります。以後、大正9年に「杜子春」を発表します。李復言の『続玄怪録』及び牛僧孺編の『玄怪録』双方に収録されたとされる伝奇小説『杜子春』を童話化したもので、内容は題材とは大きく異なり2/3以上は芥川自身の創作となっています。

発表時期

1920年(大正9年)、児童向け短編小説『赤い鳥』に発表された児童向けの短編小説。芥川龍之介、28歳。前年の大正8年に海軍機関学校嘱託を辞し大阪毎日新聞社の社員として専業作家となり、大正9年3月に長男、比呂志が誕生。名付け親は菊池寛である。作家としてまさに充実していく時期の作品です。

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