芥川龍之介『芋粥』解説|夢は叶う時より、願い続ける時が幸せ!

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下級役人の五位ごいは「一度で良いから好物の芋粥を腹いっぱい飲んでみたい」と願い続けており、或る饗宴でその思いを口外してしまう。聞きつけた利仁は五位に飽きるほどの芋粥を振る舞うが、いざ目の前に用意されると五位は食欲が無くなってしまった。人間にとって欲望は、生きる糧であり大切なものだが、人知れず願う時こそ楽しい。他人に叶えてもらってもつまらないし、それで実現しても幸せになるとは限らない。

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芋粥を飽きるほど飲めても、幸せにはなれない。
他人に実現してもらうより、秘かに願い続けるほうが幸せ

解説

小説『芋粥』は前段と後段に分かれます。前段は五位ごいの人物像が描かれ「飽きるほど芋粥を飲みたい」という欲望を夢想しているところまで。

しかし、五位が夢想してゐた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となつて現れた。その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである。

引用:芥川龍之介 芋粥

後段はその夢想が現実となり、五位の心境はどう変わったのかということです。

①五位の人物像と下等な人間という集団の残酷さ

五位ごいは摂政に仕える四十代の風采のあがらない下級役人で、背が低く、赤鼻で、眼尻が下り、口髭は薄い。頬がこけ、あごが細く、唇は・・・・と欠点を上げれば際限がなく、五位ごいはうだつの上がらないつまらぬ男です。

周囲は五位ごいに関心を持たず存在感はありません。下役は五位に何か言いつけられても誰も言うことを聞かず、無視するのです。

上役にいたっては冷淡な表情で、手真似で用事を申しつけ、犬のような人間以下の扱われ方です。

それでも五位は腹を立てた事がなく、意気地のない臆病な人間です。

同僚も皆、一様に侮蔑しています。五位の風采をからかい、話し方を真似し、顔かたちを評して物笑いにする。別れた女房やその浮気相手を悪意をもって話題にします。

それでも五位は全く無感覚で何を言われても顔の色さえ変えない。あまりに悪戯いたずらがこうじると「いけぬのう、お身たちは」と言う。

以上のような五位の風采や職場の対人関係の何とも痛々しい描写です。

五位は周囲の軽蔑の中で犬のような生活を続けています。見すぼらしい着物で刀も柄の金具も黒鞘の塗も剥げかかり、赤鼻で草履をひきずり猫背で歩き、通りがかりの物売りまでもが莫迦にします。

ある日、子どもたちがむく犬を打ったり叩いたりしているところをみつけ「もう堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いであろう。」と声をかけます。

すると子供たちは上眼を使い蔑むように「いらぬ世話はやかれとうもない」と言い、高慢な唇をそらせ「何じゃ、この赤鼻めが」と言います。五位は言わなくても良いことを言って恥をかいた自分が情けなくなります。

このいじめの対象の五位を、丹波からやってきた無位の青年の侍だけが、

世の中のすべてが急に本来の下等さをあらはすやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味いちみの慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……

引用:芥川龍之介 芋粥

と思い「本来の下等さをあらわす」という人の世の憂いを歎き、五位に同情します。

②「芋粥」への夢想と芥川の欲望に対する見解

そんな五位ごいですが、芋粥いもがゆに異常な執着を持ってると紹介されます。

この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥いもがゆと云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。

引用:芥川龍之介 芋粥

芋粥とは山の芋を切込んで、甘葛あまづらの汁で煮た粥の事。当時、このうえなく美味しいものとして、天子様の食膳に上せられるほどでした。五位のような身分の者の口には年に一度、最高位の客人の饗宴の時に、ほんの僅かに喉を潤す程度、飲めたくらいです。

芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支さしつかへない程であつた。

引用:芥川龍之介 芋粥

五位は「芋粥を飽きるくらいに飲んでみたい」というのが唯一の欲望で、その為に生きているといっても過言ではないと強調されます。

人間は、時として、みたされるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂わらう者は、畢竟ひっきょう、人生に対する路傍の人に過ぎない。

引用:芥川龍之介 芋粥

芥川は、ここですでに物語の結論めいたことを記しています。

五位のこの欲望を肯定します。「一生を捧げてしまう」こともあると言います。例えば「絵描きとして生きたい」と考えた人は、満たされるか、満たされないか分からないその欲望(≒夢)に一生を捧げてしまうことがあります。それを “絵描きなんかになったって・・・” と愚かに笑う者は、結局、その人間は人生を生きていないのだと言うのです。

風采の上がらない五位に対して、この欲望を大いに認めているわけです。

③現実となったときの気持ちの変化と後悔

五位が夢想した「芋粥を飽きるくらいに飲んでみたい」という願いが、現実のものとなります。

結論を先に言えば「芋粥を飽きるくらい飲む」という欲望は実現されますが、叶えられてしまったことで、その唯一の欲望は失くなってしまいます。

ある年の正月二日、年始の大饗宴が執り行われ残り物を五位も相伴しょうばんします。大饗宴といっても昔のことゆえ品数は多くても碌なものはありません。ただその中に例の芋粥があったのです。

五位は毎年この芋粥を楽しみにしていますが、今年はとくに人数が多いので自分が飲めるのはいくらもありません。五位は飲みあけた碗をみながら「いつになったら飽きるほど芋粥が飲めるのだろうか」つぶやきます。

すると「飽きるほど芋粥を飲まれたことが無いそうな」とあざ笑いながら鷹揚おうような武人の声がします。同じ基経に仕える越前の権力者の藤原利仁ふじわらのとしひとで、肩幅の広く背が高い逞しい大男でだいぶ酔いがまわっています。

利仁は「お望みなら、利仁がその望み叶えましょう」軽蔑憐憫を一つにしたような声で言います。

五位は衆人の視線が自分の上に集まっているのを感じ、答え方一つで、又、一同の嘲弄ちょうろうを受ける。どう答えても、結局、莫迦ばかにされそうな気がする。

五位は躊躇ちゅうちょしながらも「いや……かたじけなうござる。」と答えます。

この五位の一言で、利仁の悪戯な企みで運命が決してしまうのです。

この問答を聞いていた者は、皆、いっせいに失笑しますが、五位は、衆人のなか恥ずかしながらも芋粥を思うと夢心地でした。

四五日経った午前、利仁と五位は二頭の馬に乗り二人の付き人を連れて出発します。

利仁は加茂川の河原に沿って粟田口あはたぐちへ通う街道を行き、粟田口を越え、山科へ。関山を後に、三井寺の前に来ます。ここで利仁は五位に敦賀まで行くことを伝えます。当時は盗賊が横行した物騒な時代です。利仁は勇ましく馬を進ませ、意気地の無い五位はとぼとぼついて行きます。

突然、利仁が野狐を捕まえ来客を報せる伝令として敦賀へ走らせます。五位は狐さえ思いのままにする野育ちの利仁の顔を仰いでみました。

利仁の館に着き、五位は寝つけない長い夜を明かします。時間が経つのが待ち遠しいという気持ちと、夜が明けると「芋粥を食う時が来る」ということが、そう早く来てはならないような気持と、この矛盾した二つの感情で落ち着かない気分になります。

外の庭では下人に山芋を一筋ずつ持ってくるよう指示が出ます。

あまり早く芋粥にありつきたくないという心持ちが強くなる。こんなに安々と容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。

引用:芥川龍之介 芋粥

翌朝、眼がさめると広庭に二三千本の切口三寸(9cm)、長さ五尺(1.5m)の大きな山芋があります。
さらに五石(900リットル)が入る五斛納釜ごくのうがまが五つ六つ。若い下女が何十人となく働いています。

五位はこの巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で芋粥になる事。そして自分がその芋粥を食う為に、京都からわざわざ越前の敦賀まで旅をして来た事を考えます。

これほど情けないことはない、すでに食欲は半減しています。

一時間後、五位は利仁やしうと有仁ありひとと共に朝飯の膳に向います。目の前にあるのはなみなみと海の如くたたえた恐るべき芋粥です。

五位はあの積み上げた山芋を何十人かの若い男が勢いよく切り、下女たちが釜へすくって入れ、芋のにおいと甘葛あまづらの匂いを含んだ芋粥を見た時に、未だ口にしていないうちから既に、満腹を感じます。

「芋粥を飽きるくらいに召しあがったことが無いそうですね、どうぞ遠慮なく召し上がって下され」しうと有仁ありひとはそう言い、童児にいいつけて芋粥を膳の上に並ばせます。

「父も、こう言っているので遠慮などは全く無用です」と利仁は意地悪く笑いながら言います。

五位は弱ります、遠慮なく言えば 芋粥は一碗も吸いたくない。それを今やっとの思いで半分平らげた。これ以上飲めば吐き出しそうだし、飲まなければ利仁や有仁の厚意を無にすることになる。

そこで半分の三分の一を飲み干し「何とも、かたじけのうござった。もう充分に頂戴しましたので」と言いました。

一昨日おととひ、利仁が枯野の路で手捕りにした野狐もいました。利仁は狐にも芋粥を食べさせてやります。

五位は芋粥を飲んでいる狐を眺めながら、前の彼自身をなつかしく心の中でふり返ります。

それは、多くの侍たちに愚弄されている彼である。京童きょうわらべに「何じゃ、この鼻赤めが」と罵られている彼でした。ぼろをまとい飼い主のないむく犬のように、朱雀大路をうろついてあるく憐れむべき孤独な彼であった。しかし、同時に、芋粥を飽きるほど飲みたいという欲望を唯一人、大事に持っていた幸福な彼でした。

引用:芥川龍之介 芋

この瞬間、五位の「芋粥を飽きるくらいに飲みたい」という欲望は失くなってしまいます。

④「芋粥」の話に思うこと

利仁の厚意は、上流階級の者が、下級の者に対して行う施しのようで、悪意すら感じ、五位への蔑みと憐れみに満ちた見世物的な行為です。

意気地なしの五位は「かたじけない」と答えたばかりに願いが現実となりますが、この欲望は他人の権力によって満たされます。夢は、自分で叶えることに意味があり、この結末では昔のように欲望のままでいた方が幸せだったのです。

「芋粥」を題材に人間は<欲望>が必要であること。時としてそれが生きる支えになるとされます。それを傍観者的に嘲ってみたり笑ったりする者は生きている価値さえないと作者は言います。

どんなに周囲からその性格や外見、風采など蔑まれても「芋粥を飽きるまで飲みたい」という欲望を持っている五位は、生きる目的を持っていました。

そして芋粥に執着する五位は、権力で膳立てされるよりも、ささやかなりとも芋粥への思いを抱き続けながら、生きていくことの方が良かったことを振り返ります。

利仁の猛者ぶりが強く出ていますが、厚意に隠れた憐れみや侮辱で人の欲望を奪ってはならないこと、あるいは人の世は、そのような事が起こってしまうことが描かれます。

しかし同時に、五位は精神的な理由からであれ、腹いっぱいの芋粥を食べることはできませんでした。

五位は他人の力で叶えられるよりも、願い続けていることの幸せを知ったのかもしれません。

五位の富に羨むことなく、精神的な自由が叙述の中心となっています。

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