遠藤周作『沈黙』解説|弱き者の痛みを分かつために、神は存在する。

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神が存在するのならば、なぜ救わない。禁教令下の長崎で棄教を迫られ、拷問に耐え、殉教する信徒の苦悩に対して、宗教とは何か、祈りとは何か、救いとは何か、という信仰の根源的な主題を問う。神の存在と信仰、背教者の心理、キリストを絶対の神とするカトリックと八百神の自然に霊が宿るとする日本人。キリスト教作家である遠藤周作『沈黙』を解説する。

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あらすじ

島原の乱が鎮圧されて間もない頃、キリシタン禁制下の厳しい鎖国日本に、二人の若いポルトガルの司教が恩師フェレイラの消息を尋ねて、潜入をくわだてる。フェレイラはイエズス会の司祭で高名な神学者。二十年間、日本での布教に尽力したが、過酷な拷問に屈し棄教したとの報がローマにもたらされていた。

信仰の灯を絶やさぬため、死をかけて渡航を敢行し、澳門マカオで信用のおけない日本人のキチジローを案内役に監視の厳しいなか上陸、トモギ村の潜伏キリシタンに歓迎される。そこは隠れキリシタンの村で、洞窟で密かに祈っているが、司祭は存在せず、弾圧は厳しく、見つかれば処刑されると村人は話す。

ロドリコとガルペはパード神父レとして迎えられ、信仰の深さに感銘し、信徒たちに深い愛を感じる。村人たちは毎日、告解する。ここを起点にキチジローの出身の五島に向かう。

長崎奉行の井上筑後守ちくごのかみは、賞金をかけキリシタンをあぶりだす。村人は恐怖と密告の不信のなかで生活する。ロドリコとガルペは、信者たちが拷問され、処刑され、殉教する姿を見ながら活動の厳しさを知る。二人のパードレは追っ手を逃れ二手に分かれる。

ロドリコは棄教者キチジローの報奨金目当ての密告で捕らわれの身となり、弱き心のキチジローは涙ながらにロドリコの後を追う。既に捕らわれの身となっていたガルペは信者たちを救おうと命を落とす。

ロドリコは神の奇蹟を祈るが、神は「沈黙」を続けるままだった。狡猾にパードレたちを次々に転ばせる長崎奉行の井上筑後守は、かつて自身も帰依したキリシタンであったことを告げ、この国にはキリスト教はなじまぬとロドリコに棄教をせまる。卑屈で弱いキチジローは踏み絵を踏み、命乞いをしながら何どもロドリコに告解をする。ロドリコはキチジローを軽蔑する。

ロドリコは、ついにフェレイラに再会する。棄教したフェレイラは沢野という日本名を与えられ、キリスト批判の書を著していた。キリスト教は日本には根付かないとロドリコに説明し、民を救うために棄教を諭す。尊敬していたフェレイラの変節に、ロドリコは失望し祈りながら神の「沈黙」を嘆く。

やがていびきのような声が聞こえ、それが逆さ吊りのうめき声だと知らされ、司祭が棄教をせず、その虚栄心のために信徒が死んでいく事実を聞く。フェレイラは自身の辿り着いた信仰心をロドリコに説き、ついにロドリコは「踏み絵」を受け入れる。

そこに「踏むがいい」とする主の声を聞く。棄教をしたロドリコだが、自身の心のなかの真の信仰心をたずさえたまま、日本名の岡田三右衛門を名乗りながら、切支丹屋敷で生涯を終える。

解説

現世や来世のご利益と調和に左右される、あやふやな日本人の宗教心。

それぞれの国柄には、発祥の起源や成立の過程がある。古事記、日本書紀という神話があり、自然信仰や先祖崇拝の習慣を持つ日本、ギリシアやローマの神話、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教と信者が契りを結ぶ国。さらに中南米のアステカ王国やインカ帝国など世界には独自の文明やアニミズム的な信仰のかたちも多数ある。

スペインやポルトガルに始まった大航海時代、カトリック教会が海を渡り新たな大陸へ布教を行っていた時代。交易と奴隷貿易は植民地政策であり、勃興するプロテスタントとの戦いで、カトリック教会の普遍性を新大陸に広げることを目的とした。

日本は戦国時代の強固な武士集団を経て中央集権となり、既に神仏習合で神祇ちぎ信仰と仏教信仰が融合していたが、仏教勢力を嫌った信長の庇護の下、キリスト教が拡大する。

一転、キリシタンの蜂起と南蛮の日本への侵略を懸念した秀吉が、一五八七年にバテレン追放令を発布。

当時は南蛮貿易の利益を優先し黙認の状態だったが、一五九六年の「サン=フェリペ号事件」を契機に、態度を硬化させ、一五九七年に「日本二十六聖人殉教」が起こる。最高権力者、秀吉の命令による磔刑たっけいである。犠牲者はポルトガル人を中心に外国人六名と日本人の信者二十名であった。

家康の時代も当初、信仰の自由はあったが、次第に神道や仏教との軋轢、カトリックのスペインやポルトガルと対立するイギリスやオランダのプロテスタントの構図のなかで、一六一二年に「禁止令」が出される。

一六十四年に全国に拡大、教会の破壊と聖職者の追放を命ぜられる。三十七名が潜伏司祭となりフェレイラ教父もその一人。一六二九年以来の捕らわれの宣教師を雲仙普賢岳の熱湯で拷問。

宣教師たちのキリストへの宗教心の強さは、如何なる拷問にも屈しない。そのことで聖者の教えが大衆に尊ばれるようになる。このように綴った手紙を送ったのがフェレイラ教父である。

そのフェレイラ教父が「穴吊り」の拷問を受け、棄教をした。この教父は日本にいること二十年、地区長という最高の重職で長老。不屈の信念にあふれ、教会を裏切るとは信じられない。フェレイラに何が起こったのか?

一六三五年にローマで四人の司教が集まる、それはフェレイラの棄教という教会の不名誉の雪辱であり、ヨーロッパ人の眼から見れば世界の果ての小国で転宗させられた事実は、ヨーロッパ全体の信仰と思想の屈辱的な敗北だった。

ポルトガルの若い司祭、ガルペとマルタとロドリコの三人は、事の真相をその眼でつきとめようとする。恩師フェレイラが華々しい殉教を遂げたのなら兎も角、異教徒の前に犬のように屈従したのか。そして遂に日本への危険な布教を認められ、一六三七年、 “最後の司祭” として旅の準備にかかる。

この一六三七年に「島原の乱」が起こる。幕府軍と反乱軍の構図で、過酷な年貢の取り立てに対し納められない農民、改宗を拒んだキリシタンに対し熾烈な拷問、処刑を行った幕府の弾圧への反発から起こった、三万五千人のキリシタンたちの大規模な一揆である。

この一年後に「鎖国政策」となり、ポルトガル人は日本から追放される。若い三人の司祭たちは密入国をたくらむのである。一方、幕府では全員を仏教徒とする寺請制度や宗門人別改長を整備しキリスト教をあぶり出すため、踏み絵を踏ませる。

途中、マルタは病に倒れる。こうしてロドリコとガルペの二人は長崎に辿り着くのである。

裏切り者のキチジローを赦すことで、ロドリコはキリストの愛を知る。

常に登場するのがロドリコとキチジローです。ロドリコは、死をも覚悟して布教に訪れた日本で、キリストになぞらえるかたちで、主の思想や布教のかたち、ユダの裏切りから十字架にかかるまでを自身に投影します。

キチジローとは澳門マカオで出会います。澳門は、極東におけるポルトガルの拠点、支那と日本の貿易基地です。日本と支那を管轄する澳門のヴァリニャーノ神父は日本における布教は絶望的と言います。

キチジローは、卑屈で狡猾で信用のおけない嫌な人物として登場します。彼は一度、転んだキリシタンでした。聖画を踏んで棄教すると言い、放免され村に戻らなかった。兄妹は火刑になり殉教します。

ロドリコは「我々、司祭は、ただ人間に奉仕するだけのためにこの世に生まれてきたあわれな種族ですが、その奉仕がかなえられぬ司祭ほど孤独で惨めなものはない。」と教義的に捉えています。そして「汝等、全世界にきて、凡ての被造物に福音をべよ。洗わせらるる人々は救われ、信じぜざる人は罪に定められん」とキリストの教えを広めるイエズス会の方針を使命と考えています。

そして「日本人の百姓たちは私を通じて何に飢えていたのか?足枷を棄てるひとすじの路を我々の前に見つけた。仏教の坊主たちは彼等を牛のように扱う者たちの味方」としています。

キリスト教にとって仏教は邪教です。また困窮する人々を救うことなく、権力側についていると考えています。ただ信徒の熱心さは理解しますが、真のキリスト教の信仰心かどうかは疑問のようです。

キチジローは弱者で信念がなく意気地がなく意地汚い。そして案の定、報奨金欲しさにロドリコを奉行所に売ります。キリストを裏切った弟子のユダと同じなのです。

そのくせ常にロドリコを追いかけて告解をします。最初は聖職者として受け入れていたロドリコですが、密告されたことでキチジローを軽蔑します。

キリストの教え自体は尊いものですが、これがローマ教会となり権力を持ち、イエズス会は権威化します。組織化された巨大な教会集団は、神学の権威であり、布教活動が目的化します。カトリックは威厳を持つ強者の宗教でもあります。

ロドリコは、日本に辿り着き、学問や権威ではなく、実際に布教活動を行い、信徒の拷問や殉教を目の当たりにしながら、救うことのできない自分の姿に苦悩します。

生まれつき意思の弱いキチジローは「モキチは強か。俺のごと生まれつき根性の弱か者は、パードレ、この苗のごたるとです」と自分を卑下しながらも、「俺にゃ俺の言い分があっと。踏み絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏み絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの足は痛か」と言い訳します。

いつもキリストを追体験しながら強い司教であろうとするロドリコと弱さだけのキチジロー。ここに、この物語の本質があります。

ロドリコはキチジローをみて、主がユダに向かって言った「去れ、行きて汝のなすことをなせ」の意味を考えます。

「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」とロドリコは問います。

すると踏絵のなかの顔は「私はそうは言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの足も痛んだのだから」と語りかけてきます。

常にキリストを自身に重ね合わせることで、学問ではない現実に身を晒され続けるロドリコは、真の愛を知ります。やがて弱いキチジローを赦し告解を受け入れます。

ロドリコが棄教した後も、キチジローは告解を求め、ついにロドリコは聖職者では無い身にも関わらず、心のなかで告解を受けます。

「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」とロドリコはそう気づきます。それは主のユダへの許しであったとロドリコは理解し、同じようにキチジローに「安心して行きなさい」と唱えるのです。

本来、キリスト教は強き者の型にはまった宗教ではなく、弱き者に寄り添うものだったはずです。「心の貧しきものは幸せである」弱いキチジローこそが、神の存在が分かり、神を求めているのです。