芥川龍之介『藪の中』その真相に涙する「文芸的な、余りに文芸的な」嘘

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三人とも嘘つき!叙述ミステリー

 藪の中での殺人事件、当事者三人が嘘をつく、叙述ミステリーです。
が、作品の構成に注目して丁寧に読めば、事件の真相と主題が見えてきます。

 まず、死体の第一発見者、容疑者を逮捕した検非違使けびいしの役人、被害者の家族等の証言により
事件の様子と、容疑者、被害者の情報が集まります。

  • 山中の馬なぞには入れない、藪の中。烏帽子をかぶった、胸もとに突き傷のある男の死体発見。(その傷口には一匹の馬蠅がべったり食いついている
  • 死体の傍らには縄が一筋と櫛が落ちていて、周辺の草や竹の落ち葉は一面に踏み荒らされていた。
  • 容疑者は、名高い盗人 多襄丸たじょうまる。被害者の持ち物だった弓矢を所持。落馬して、うんうん唸っているところを逮捕された。馬は、被害者が連れていた妻が乗っていた馬であるようだ。多襄丸は女好きで、神社にお参りに来た女と少女が殺された事件も、彼の仕業であるらしい。
  • 被害者の身元判明。あるおうなが自分の娘の婿むこに間違いない、と確認。
  • 被害者は、金沢武弘(26歳)若狭の国府の侍。優しい気立てで、怨恨を受けるはずはない。
  • 武弘が連れていた妻、真砂まさご(19歳)は行方不明。男にも劣らぬくらい勝気だが、まだ武弘の他には、男を持った事はない。浅黒い、小さい瓜実顔うりざねがお眼尻めじり黒子ほくろ

 事件関係者たちの証言で、注目したいのは、当事者三人の性質です。
(第一発見者の意味ありげな言葉については、後で触れます。)
 三人の性質を単純に抜き出すと、

  • 多襄丸 女好き
  • 真砂  勝気
  • 武弘  優しい

 となりますが、注意が必要です。
 言葉の上では、たった一言で表される彼らの「性質」ですが、その実態「本質」を見究めなければいけません。その「本質」が真相を見抜くヒントになります。しかし当人たちは、嘘をついて自身の「本質」を隠すという構成の話なのです。

 多襄丸の本質は既に明らかです。彼を逮捕した放免によると、多襄丸は鳥部寺にお参りきた女と少女を殺したようですから、「女好き」と言っても「色好み」なんてものではなく、暴力的な卑しい肉欲の持ち主、というのが、その実態です。

 では、真砂の「勝気」の実態は?多襄丸のような挿話はありません。代わりに外見の特徴が述べられています。「瓜実顔」は平安時代の美人の条件ですが、「浅黒い肌」にたくましさを「目尻の黒子ほくろ」になまめかしい色気を作者は添えたのでしょうか。それにしても真砂の母である媼の言葉『これは男にも劣らぬくらい勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。』がなんだか奇妙に感じられます。「勝気」であるのにもかかわらず、今のところは武弘以外に男を持った事が無いのだ、と言っているようにも聞こえます。真砂の「勝気」とはいったいどんなものなのか、要注意です。武弘の「優しい気立て」についても媼の証言からは、詳しいことは分かりません。
 という訳で、ヒントは

  • 多襄丸 女好き(と言っても、卑しい肉欲の持ち主)
  • 真砂  勝気(?)
  • 武弘  優しい(?)

 3人の本質に注意しながら、証言を順序通りに読みます。
 彼らは「自身の本質を隠す嘘をつく」という点にだけ気を付けましょう。

①「女好き」な多襄丸の白状

 多襄丸は、昨日の昼すぎ、金沢夫妻を見かけた。女の顔が「女菩薩のように見え」て、「たとえ男を殺しても、女を奪うと決心した」と言っています。菩薩に見えた女を犯そうとは、なんという罰当たり。だから馬から落ちたのでしょう。

 多襄丸は、この若い夫婦を山の中へ連れ込む作戦を実行しました。古塚で発見した宝物を山に隠してあるので、安い値段で売りたい、と儲け話を武弘に持ち掛けたのです。武弘は、欲に目が眩んで、まんまと騙されました。彼は、山中の藪の中に連れ込まれ、あっという間に組み伏せられ、杉の木に括りつけられてしまいます。口に竹の落葉を詰められ声も出せません。

 次に多襄丸は、その藪の中へ真砂を連れ込みました。夫が杉の根に縛られているのを見つけた途端に真砂は、懐から小刀さすがを引き抜きます。山賊相手に小刀ひとつで立ち向かうとは、確かに「勝気」な女です。この時の立ち回りで、周辺の土が踏み荒らされ、真砂の櫛が落ちたのです。結局多襄丸が真砂の小刀を打ち落とし、縛られている夫の前で手ごめにします。で、その後どうなったか?多襄丸の証言を引用します。

 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女をあとに、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのようにすがりつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男にはじを見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうもあえぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)

多襄丸の白状

 驚くべき展開です。「勝気」な真砂が、自分を辱めた男にすがりつくとは!
 さっさと立ち去ろうとする多襄丸に、わざわざ真砂みずかすがりつき「どちらか一人死んでくれ」と男達に決闘を促します。二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらい、と貞淑ぶった滅茶苦茶な言い訳をしていますが、彼女の本音は「生き残った男につれ添いたい」―­­―生き残った男がたとえ卑しい盗人でも、彼女は全く気にしない。強いほうにつれ添いたい。

 真砂の母の言葉の意味が、ここで解けます。真砂の「勝気」の本質とは、敗者を捨て、勝者に寄り添うという事だったのです。武弘より強そうな男を見つけた真砂が、今その「勝気」な本性をあらわにしました。
 で、彼女の発言を聞いた多襄丸はどうしたか?

わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴かみなりに打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭ねんとうにあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、いやしい色欲ではありません。

多襄丸の白状

 「卑しい色欲」しかない盗人、がその本質を隠そうと、嘘をつきました。彼は「たとえ殺されてもこの女を妻にしたい」なんて事は思いません。卑しい色欲しかないので、コトが済めば、女に用は有りません。縛った武弘をそのままにして太刀、弓矢、馬を奪って、さっさと逃げたはず。武弘は烏帽子を被ったまま死んでいたのですから、男同士の決闘は行われなかったのです。

 けれど、多襄丸には真砂の発言がよほど愉快だったのでしょう。そこから「女のために武士と決闘する己」の華麗な物語を思い付き、語ってみたのでしょう。どうせ、極刑です。卑しい色欲しかない盗人として死ぬより面白い。そうそう、彼は検非違使の前で、盗人猛々しく偉そうな口を利いてましたね。
 この部分こそが本当の「多襄丸の白状」です。

どうせ女をうばうとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀たちを使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派りっぱに生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)

多襄丸の白状

 この言葉、そっくりそのまま彼自身に当てはまります。
 多襄丸は太刀を使わずに、武弘を殺しました。夫の目の前で妻を犯す、という蛮行によって。言い換えれば、もうひとつの「腰の太刀」を使って殺したのです。なるほど血は流れない、武弘は立派りっぱに生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、実際に刺殺してしまった真砂が悪いか、多襄丸が悪いか、どちらが悪いかわかりません。