芥川龍之介『地獄変』解説|残酷対決! 独裁者 vs 芸術家

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作品の背景

この物語の語り手とは誰か?「大殿様に二十年来ご奉公した」家来と記されている。堀川の大殿様の老家臣である。きっと独裁者のたくさんの所業を御側で目撃し事実を知っているであろう。

別の言い方をすれば、支配者の側に属する人間。支配者に追従する視点と捉えても良いのではないか。

支配者であり為政者である大殿様の振る舞いは、常に絶大な権力で、たとえ偽善的であっても、その真意を明かされることも阻止されることもない。そして残念なことに、世の人々の多くも、支配者が偽善的であろうと自分たちにとっての損得しかない。

それはシニカルな芥川の眼に映る社会の流動的な評価という考え方も成り立つかもしれない。

「物に騒がない大殿様もあのときばかりは、さすがに驚きになった」とある。

大殿様の評価は、最初は権現と見まがうほどの偉大と評されていたが、良秀の娘への恋情を見破られ、また、娘がその危機から逃れたあたりから残酷さをみせ、しかし実際に地獄を見て、喉の渇いた獣のように喘ぎつづけている。所詮、その程度なのである。

語り部は、そのことを淡々と記している。あたかもそれが支配者の常であるように。

ただ権力の強さの分だけ、残酷さは凄まじい。良秀の要請に応え、牛車を燃やすことを、その中に、良秀の愛娘を、自分の思いのままにならなかった小女房を生贄にしようと考える。

それに比して、最初から嫌われ者の自意識過剰な絵師の良秀は、溺愛する娘をできるなら我が元へ返して欲しいと何度も懇願するが、大殿様に拒否され続ける中で、その行く末を予感している。さすればその苦悩を地獄変の中心となる構図に据えて、最高の芸術に高めようとする。

予想通り大殿様は良秀が見たいと願う燃える牛車の場面を、良秀の娘で実現する。その苦悩は良秀を奈落に落とすが、同時に芸術家としての恍惚を沸き立たせる。そして娘の死と引きかえに描き上げた「地獄変」の屏風絵は末永く素晴らしい芸術として語り草となった。

道徳を冒瀆した良秀は、縊れた死によって終わりを迎える。その墓は雨風に晒され人々の記憶にないが、そこには「地獄変」の魂の芸術画が残された。天才作家の人生を暗示している。

芥川が十一歳の時、母親は死ぬ。狂人だったと作品『点鬼簿』にあり、絵を描くと画中の人物は狐の顔をしていたとある。芥川の作家としての時間は十二年であり、この『地獄変』は初期の作品である。遺作となった作品『歯車』のなかにも、良秀の運命に思いを寄せる箇所がある。

芥川自身も三十五歳の若さで精神を病み服毒自殺をはかる。なぜ精神の闇のなかに入っていったのか。常人には知る術もない。しかし芸術が、芥川の存在の拠り所であることは違いない。

人間は死んでも、芸術は生き続ける。現実の芥川はそうではあるまいが、少なくとも精神のありようとしては肉親や親子の関係よりも芸術は優先するものとして、自分を置こうとしている。愛情や道徳よりも芸術への思いが勝ることになる。

死して後世に普遍的な作品とその名を遺すということもあろうが、寧ろ、芸術がそれほどに精神を究極の淵に追い込み、残酷の中で存在するということなのだろうか。

この作品を書いた時点は、結婚をして生活にもゆとりができ物心両面で豊かであった。しかし、その豊かさにあって自分は何処に向かうのかを知りえていたのだ。 こうして芥川の作品は、後世の人々の人生の上に、箴言を与え続けてくれる。

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発表時期

1918(大正7)年5月、大阪、東京の毎日新聞に連載され、翌年、新潮社刊行の作品集『傀儡師』に収録。日本古典の説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事」および『古今著聞集』から、独自に創作する。芥川龍之介は当時26歳。芥川はこの年、2月に結婚、3月に大阪毎日新聞の社友となり生活状態も良くなる。生活的にも芸術的にも最も幸福な時代。作家への意欲も高まっていく