芥川龍之介『鼻』解説|外見より内面の自尊心を、笑われる辛さ。

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傍観者の利己主義って、どういう意味?

顎まで下がる長い鼻を笑われ、気に病んでいた高僧の禅智内供ぜんちないぐが、やっとの思いで鼻を短くした。すると周囲は、以前よりもさらにずけずけと笑い、内供は何故なのか理由が分からない。内供は鼻が短くなったのがうらめしくなる。なぜ笑いの質が変わったのか? 外見よりも、それを隠そうとする内面にこそ、人はさげすみを含んだ笑いをこめる。高僧のように日頃、道を説き、見識が高いと思われている人であれば、尚更、人は笑うのだ。人間を知るうえで役に立つお話です。

解説

現代では、容姿とその人の生き方や仕事を結びつけるなどは許されません。外見を笑うことも、当然、失礼であってはならないことです。社会では非常識な行為です。

その前置きをした上で、芥川の『鼻』を読み解きます。宇治拾遺物語や今昔物語を題材に、大正の時代に創作された作品で、ここでは<人間の内面心理>と<コンプレックスとの向き合い方>という視点と同時に、第三者の自然に沸き起こる傍観者の利己主義が現れます。

舞台は池の尾(京都の宇治市池尾)の禅寺です。禅智内供ぜんちないぐといえば、宮中の内道場に奉仕する高僧ですが、この内供は大きくて長い鼻が腸詰のように顎のところまで下がっています。

内供には、弟子や雑用や世話係の十二、三の中童子ちゅうどうじや最も身分の低い僧の下法師しもほうしなどが仕えています。

一種、ほのぼのとした寺の情景を想像してみてください。しかし人間の本質がユーモラスかつ残酷に、描かれます。そこが、漱石がこの作品を絶賛した理由の一つかもしれません。

内供は幼少から五十歳を越えた今まで、ずっと長い鼻が苦になっていますが、表面では、さほど気にならないような顔をしています。

それは仏を仰ぎ慕う僧侶の身で、鼻のことなど気にしてはいけないと思うからではなく、鼻を気にしている自分を周囲に知られるのが嫌だったからです。

長い鼻を持て余した理由は二つあります。

ひとつには日常生活が不便なこと。食事をするとき、鼻が食器に入って邪魔で、上手く食べることができず、弟子に木のへんで鼻を持ち上げてもらいます。一度、弟子に代わった中童子ちゅうどうじがくしゃみをした拍子に手がふるえ、鼻を粥に落としたときなどは京都まで言いはやし伝えられたこともあります。

しかし不便よりも、鼻によって傷つけられる自尊心に苦しみます。

世間の人々は、こんな鼻の禅智内供だからこそ、俗でない事を幸せだと言います。あの鼻では、誰も妻になる女があるまいとか、あの鼻だから、出家しゅっけしたのだろうという者もいます。俗であればもっと不幸せになったろうと、内供の自尊心を傷つけるのです。

そこで内供は、自尊心を回復しようとします。鼻が短くなる方法を試すのです。

鏡の前で鼻が短くなる角度やしぐさを考えますがうまくいきません。同じような鼻の人間を見つけて安心しようとしますが、そのような者もいません。仏典の中にも探しますが、目連もくれん舎利弗しゃりほつをはじめ誰も鼻の長い人物はいません。

烏瓜からすうりを煎じて飲んだり、鼠の尿を鼻へなすったり、しかし何をしても鼻は依然として長いままです。

ある年の秋、弟子の僧が京都の医者から長い鼻を短くする方法を教わってきます。

内供は自尊心が高く、自分からはその方法を試すと言い出せず、察した弟子に、ぜひ試してみるべきと言われ、その熱心な勧告に聴従ちょうじゅうするということになります。

その方法は簡単で、湯で鼻を茹でて、その鼻を人に踏ませるというものです。

弟子はった湯に、顔に火傷をしないように折敷 おしき (=木で出来た角盆) に穴を開け、その穴に鼻だけを入れます。鼻は熱湯に蒸されます。茹でったら、弟子はその鼻を両足に力を入れて踏みはじめるのです。

鼻は痛くはなく、寧ろ、むず痒い感じで踏まれると気持ちが良いくらいです。しばらく踏むと粟粒のようなものが鼻に出来て、これを毛抜きで抜く。内供は不承不承に弟子のすることに従います。そうしてもう一度、同じように茹でて繰り返します。

すると鼻は嘘のように委縮して、なるほど短くなっています。顎の下まで長かった鼻は、今は僅か上唇の上で止まっています。

もうこれで笑う者はおるまい、内供は満足そうに眼をしばたきます。

内供はまた元に戻るのでは無いかと心配し、鼻に手をあてて確かめますが、その日も、翌日も鼻は依然として短い。内供はのびのびとした気持ちになります。

ところが二三日経って内供は、周囲が変わっていることに気がつきます。

池の尾を訪れた侍は前よりも一層可笑おかしそうな顔をするし、鼻ばかりをじろじろと眺めている。中童子などは、すれ違いに下を向いて笑いをこらえていたが、一度にぷっと大きく吹き出す下法師しもほうしすら、面と向かってはつつしんでいるが、内供が後ろを向くとすぐにくすくすと笑い出す

内供は、はじめは自分の顔が変わったせいだと考えます。もちろん中童子や小法師が笑う原因は、顔が変わったからでしょうが、笑う様子が違う。前は遠慮しながら笑っていたのに、今は、遠慮なくつけつけと笑うのだった。

――人間の心には互に矛盾むじゅんした二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸におとしいれて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

引用:芥川龍之介 鼻

引用の終わりに<傍観者の利己主義>とあります。

内供の鼻が長いことを知っているから、僧俗は短かくなったことが可笑しいのです。当り前ですが、最初から短ければ可笑しくないし、内供の鼻が長かったことを知らない人は、可笑しくはないのです。

つまり、長い鼻の内供を知っている人が、短くなったことを笑っているのです。

これは内供への侮辱となり、内供は自尊心を大いに傷づけられる。

短い鼻が可笑しいのではなくて、長い鼻を短くした内供を笑っているのです。

人間の心にある矛盾した二つの感情。他人の不幸に同情していた人間が、幸せになると、今度は物足りない気持になる。するともう一度、不幸におとしいれたい気になるというのです。その時に敵意すら抱くようになる。

芥川は<傍観者の利己主義>と言い、人間は残酷な一面を持っていることを暴きます。

この話は、仏の道を修業し説く僧の世界であり、高僧と、弟子、中童子、下法師というお寺を中心にした上下関係の話になっているところが面白い。目下の者は、隙あれば目上の者の非を笑いたいのです。

鼻が短くなったことの笑いは、僧俗から内供に向けられた敵意です。訪れる侍や、中童子や下法師の笑いの質が変わっています。

内供の長い鼻のときの笑いは、外見上の異形の笑いです

顎の下まで届く腸詰のような長い鼻を笑う時、人間はそれほど徳の高い生き物でもなく、皆と同じでない異形を笑います。根底には優越感があります。まして相手が高僧で、身分が低く修行中の弟子や中童子や下法師、そして俗世の人々にとって<外見上の異形>が笑いの対象になる。けっして良い事ではありませんが、現実です。

内供の短い鼻のときの笑いの本質は、さげすみや嘲笑あざわらいが含まれます。

普通の鍵鼻くらいになったのですから、間違いなく形状が可笑しいのではありません。では何が可笑しいのでしょうか。高僧ともあろうに俗な気持ちが可笑しいのです。

弟子は「内供は仏様の罪を受けるぞ」と陰口をたたき、悪戯な中童子は、長かった内供の鼻を支えたあの木の片で「鼻を打たれまい」と囃子ながら犬を追いかけます。

ここには、外見よりも内面を笑われることで、自尊心を傷つけられる辛さがあります。

これは見慣れると気にならないということではなく、<内面の自尊心>をひどく傷つけられる訳ですから残酷です。これは傍観者の利己主義が相手を中傷する行為です。

世間の人々の内面を知り、精神を病まないような<コンプレックスとの向き合い方>は必要ですね。

ある朝、再び長くなっている鼻に気づき、内供は、晴れ晴れとした気持ちになります。

鼻は、元通りの長い鼻に戻るのですが、やっと安堵できました。

幼少から五十を越えた今まで、他人の目を気にしてばかりの小心者の自分から、一種の開き直りで、現実を受け入れ過ごすことの清々すがすがしさを発見します。内供は「長い鼻を明け方の秋風にぶらつかせ」ます。気持ちがよさそうですね。

無神経な社会にならないよう意識することは大切ですが、その前提として傍観者の利己主義がある以上は、他人の目を気にすることなく自身のあるがままに誇りをもって、強く生きることの大切さを教えてくれるお話です。

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