夏目漱石『こころ』解説|自由と孤独の時代をいかに生きていくか

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自分本位の追求が、心のうちにある利己を曝け出す。信頼した叔父から金を騙し取られ強い人間不信に
陥り、恋の独占欲で親友Kを裏切ってしまった自己を恥じ、罪の意識に苛まれ、結果、生ける屍となる。
人は金銭、友情、恋愛などにおいて自我と葛藤する。明治を生きた文豪、夏目漱石は近代人の苦悩を
見つめる。それは道義に反した個人主義者の孤独で淋しい生き方だった。 <先生>の遺書を<私>たちはいかに受け継いでいくのか。

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登場人物


主人公の学生、<先生>と出会い惹かれていく。やがて先生の遺書で全てを知る。

先生
高等遊民のような暮らしで、厭世的で淋しい人。その半生を<私>に遺書で明かす。


寺の次男で求道家、<先生>と同郷で大学も同じ。親に勘当され先生と共に下宿する。

静(先生の妻)
先生の下宿先のお嬢さん。結婚後の<先生>の変化に戸惑いながらも幸せに暮らす。

奥さん(先生の妻の母)
軍人の夫を亡くし下宿を営む女主人。そこに<先生>が学生時代から世話になる。

動画もあります!こちらからどうぞ↓

解説

『こころ』は、上<先生と私>中<両親と私>下<先生と遺書>の三部で構成されます。

上と中は私の手記で、下は先生の遺書となっています。上には伏線が多く張られ、中を挟み、下で回収されます。読み終わると、再び上に戻ってくる構造になっています。

そこには、明治という近代化を急いだ日本と、その時代を生きた漱石がいます。

儒教や仏教、武士道という従来の日本を支えていた道義と、自由や独立という新たに日本を覆った西洋の個人主義思想の狭間で苦悩し、孤独と淋しさが自己を破壊する姿を描きます。

新聞掲載を経て単行本の発行にあたり、漱石は、「自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。」と宣伝文を自ら書いています。まさに人間の不可思議な心を解剖するように、こころの変化が細やかに描かれていきます。長くなりますが、よろしかったらお付き合いください。

上 先生と私(一~三十六)

上の<先生と私>の時点で、読者は先生がすでに亡くなっていることを知ります。上は、下の<先生と遺書>で明らかになる先生の半生と自殺の理由を受けての私の追想の手記となっています。

冒頭、

私はその人を常に先生と呼んでいた。(上一)

という有名な一節から始まります。先生という言葉には、尊敬と哀惜あいせきの念がこめられています。この尊敬は、後にわかるのですが、俗世間で名のある人、例えば地位や名誉や金銭的な成功者への尊敬ではなく、むしろ逆で、先生という人は無職ですから地位も名誉もありません。

俗事を横目に生きる孤高の人の印象です。政治家でも企業人でも大学人でもありません。つまり私が先生と呼ぶのは、金儲けや出世競争という功利主義にひたっている人ではないのです。

しかし高い教養と自意識を備えた人。そういう人が私にとっての理想の人なのでしょう。だから先生なのです。そして、死を選択した先生の気持ちを私は遺書を読んで知り、それゆえに人間の儚さというものに、深い悲しみを持っています。

先生との出会いは鎌倉の海岸でした。海水浴で人がごったがえすなか、猿股姿の西洋人と一緒だった日本人、それが先生です。

当時の西洋人は体の部分を隠す、いわゆる水着をきていたので、猿股いっちょの白人って、一風変わっていて、とっても目立ったことでしょう。こうして、先生に西洋文明への造詣や近代合理主義の思想の知識、同時に高等遊民的な謎を備えさせています。

高等遊民とは、品性があり、高学歴で、資産が多くある、働かなくても生きていける人たちです。ただし、西欧の貴族階級のような家柄ではなく、維新に勃興したいわば成金のような新興の人たちです。

漱石の作品『それから』の代介も高等遊民ですが、小説『こころ』に登場する先生は、定職がなく、お金はあるのですが、こちらの方は、その肥大化した自我によって、道義に反する行為をして、孤独の苦悩を味わうディストピアなお話です。

話を元に戻しますと、私はこの先生のことを

どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人かおもい出せずにしまった。(上 二

と記されます。

この<私>は先生の手記を綴る青年です。繰り返しになりますが、上の<先生と私>は回想のなかで書かれています。つまり、手記に表している私が、昔の先生の印象を振り返っているのです。

ですから、「どうもどこかで見た事のある顔」という表現は、以前に会ったことはないのですから、私は先生に対して既視感、デジャビュがあったことになります。

最初からミステリアス感、全開です。 それから近づきになって先生のうちを訪問するようになります。

『こころ』という作品は1914(大正3)年4月20日から新聞にて連載が始まり8月11日に終わります。つまり、新聞小説なのです。

1868年の明治維新から数えて46年後で、この時の読者は日清・日露、ふたつの戦争の勝利を経験しています。年号は大正ですので、明治という世の出来事を感慨深く思ったのではないでしょうか。そうしてヨーロッパを中心に7月には第一次世界大戦がはじまっています。

それは国を開いて富国強兵や殖産興業という西洋の近代化に追いつくことでの勝利と言えるかもしれません。確かに西欧列強の餌食になる危機を回避できた明治人の雄姿です。しかし光の部分だけでなく、西洋文明が日本にもたらした影の部分もあるはずです。

当時の人々の上にあった運命がどのようなものだったのか、時代を異にする私たちは、タイムスリップをして読む必要があるのかもしれません。

私と先生が出会うのは1907(明治40)年ごろだと思われます。「私」は書生とあるので旧制高等学校で、当時の学校制度では20歳前ということになります。若く、そして自己を主張し理想に燃え、人間としていかにあるべきかを考えたことでしょう。

一方、「先生」の大学時代の悲惨な出来事は、日清戦争後の1895(明治28)年以降と想定されます、そして先生が死んだのは、そこから10年余り後と推察されますので37歳くらいでしょう。

近代化は、西洋から取り入れた物質文明の開化だけではなく思想の開化でもあります、それは従来の儒教や仏教、武士道の考えからの解放でもあり、新たに自由主義や個人主義の考えが広がります。

この時代から価値観が変わります。どう変わるかと言うと、西洋文明を取り入れた個人は、「自由で独立した己れ」となります。自己本位という、いいかたも近いかもしれません。作品を貫く主題です。
それは文明の語源でもあるcivil、つまり「市民の」「都市の」という個人化や都市化を表しています。

小説『こころ』の主人公は、青年の私なのですが、物語の中心部分となる下の<先生と遺書>では、遺書は先生によって書かれた一人称なので、下で登場する私は先生ということになります。

上中と下の「私」を切り分けて読むことが必要です。そうしないと、私っていったいどの私って感じになってしまいますから注意してください。

青年の私が憧れる、個人主義の思想を学んだ先生なる人物は、自意識の高い知識人として描かれます。しかし道義に背き、ゆがんだエゴイズムにより誰にも語れぬ過去を持ちます。

先生は、ある悲惨な体験をして、これまでの価値である道徳からの恥の感覚と罪の意識に苛まれ、最後には自殺を選び、その半生を遺書に表わします。先生の遺書は、人間とは何か、心とは何かというようなもので、青年の私へ受け継がれることになります。

物語は、行き過ぎた個人の利益の追求が、何をもたらすのかという警鐘を鳴らしています。

「自由で独立した己れ」とは、とても耳障りの良い言葉です。しかしこの考えの先には、作法を間違えれば、ニヒリズムの穴に堕ちてしまう自分が待っているのです。

追想の中、私はその先生の謎を、その悲劇を遺書で知ったのです。

いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく価値はないから止せと警告を与えたのである。ひとの懐かしみを応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたのである。(上 四)

心を決定的に病んでしまった先生は、自分を軽蔑しながら、孤独と淋しさのなかで屍のように生きています。

人間を愛しる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分のふところろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。(上 六)

「先生」の人物評です。人間らしく生きたいと願う先生ですが、ある惨劇がそれを許しません。

自我肥大した利己主義がもたらした苦悩、これが精神を病んだ近代人の姿です。それは競争社会がもたらした結果なのです。

近代化は産業化であり資本主義社会への移行です。人々は平等の名のもとに苛烈な競争原理のなかに組み込まれます。現代の日本はどうでしょうか。厚顔無恥で嘘つきな政治家や知識人や専門家がいて非常識や不道徳がまかり通っている。

その多くはきっと名誉欲や権力欲そして金銭欲でしょう。普通に生きる人々の方が彼らより何百倍も素晴らしいはずなのに、まるで勝者と敗者のような扱いをされ、社会は道義を失っていく。

しかし最初の頃は、私はその先生に、どこか魅力を感じ、また謎めいた人として見続けていた訳です。

物語に戻ると、やがて私は先生と近づきになり、家へ訪れるようになります。二度目の訪問でも先生は留守でしたが、美しい奥さんに応対され出先を教えてもらう。

先生は毎月、雑司が谷の墓地にある仏へ花を手向けに行く習慣だと聞いて、ヨシ自分も行ってみようとなるわけです。そこで会うことができて、「先生」と声をかける私に、「どうして……、どうして……」と先生は驚きます。そりゃ驚きますよねぇ。誰も知らないはずの過去を思索する自分の前に、突然、現れるのですから・・・・

墓の形がいろいろとあったり、墓標の文字に外国名を読ませようとアテ字になっていたりするのをみて、私がおもしろがったり、皮肉を言ったりしていると、先生は

「あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね」(上 五)

と言う。この時の青年には、確かに死は身近にはありませんでした。

墓地には一切衆生悉有仏性いっさいしゅじょうしつうぶっしょうと書いた塔婆とうばが建っています。これは「人は皆、仏になりうる」という意味ですから、きっと先生は、自分に「仏性」、つまり仏になることができる「こころ」ってものを持っているのか・・・としみじみ思っているのでしょう。

やがて地面は金色の落ち葉でうずまり綺麗だという。墓地には先生の友人の墓があった。私は先生に惹かれて近づいていくが、その時の心境として

私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。(上 六)

と記されます。

ここでも「近づきがたい不思議」というミステリアスな雰囲気が醸し出されています。
そして「どうしても近づかなければいられない」そんな啓示のようなものを感じています。

因みに上六とありますので、4月20日の新聞掲載スタートから六日目ということになります。

鎌倉の海岸での最初の出会いだけでなく、月命日で友を墓参するという先生に近づきがたい不思議を思うと同時に、この孤高のなかに秘められた謎を知りたいとする仕掛けが施されます。

さらに、

こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感がのちになって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。(上 六)

とあります。

この執拗に先生に興味を持った私という青年もまた不思議な存在ですよね。でもまぁ「私」は「先生」に同じ匂いをかぎ取っていたということなのでしょう。つまり「私」もまた自意識が高く、自己を大切にしながら生きていきたい人間なのです。

「自由と独立した己れ」という自己を探しをしている青年ということなのでしょうか。と同時に、当時の自分を今、振り返れば、自分もまた孤独だったということです。

この私は、同時に当時の新聞読者でもあります。この物語、あなたもご興味ありませんか?と投げかけているようです。漱石は、西洋の文明開化の光と影を読者にも共有したいのです。

つまり、明治の近代化を批判しているのです。外発的な思想の開花は、借り物にすぎない。日露戦争に勝利し一等国民として舞い上がる日本を、漱石は1908年、小説『三四郎』で、広田先生に日本は「滅びるね」と言わせました。競争化する社会のなかエゴイズムが増大し、道義を失い崩壊する日本社会を予見していました。

話を戻します。

私は先生と一緒に墓参りをしたいと言うと、先生は理由わけあって一緒はできないと拒み、自分のさいさえ連れて行った事がないという。

そして、先生は「私は淋しい人間です」(上 七)という。

下で明らかになる恋の三角関係。そこには、嫉妬と競争心のなか、剥き出しのエゴによって騙し討ちでつかんだ幸せの虚しさ、うしろめたさ、恐ろしさ、そして絶望感のなかで先生は生きているのです。

私はそれからも先生に会いに行き、奥さんとも話すようになります。

先生は奥さんとひっそりと暮らしています。「子供でもあるといいのに」と言う奥さんに「天罰だからできっこない」と先生が言う。 天罰・・・うん?

わたくしの知る限り先生と奥さんとは、仲のい夫婦の一対いっついであった。(上 九)

外見には、仲睦ましく暮らす夫婦として映っているが、

「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」(上 十一)

と先生は言う。この “あるべきはず” ・・・うん?って感じですよね。仲が良いの良くないの、幸せなの、それとも幸せではないの・・・

やがて私は大学生になります。当時の学校制度では二十歳です。以前にくらべると私はずっと成長した気でいます。一人前になった気分なんです・・・。

先生は大学を出たあとも仕事をしていないようだ。私は学問や思想もあるのに、世間に知られていないのが惜しいと思う。また何もしないでどうして遊んでいられるのかと思う。

私は大学生になってことで、先生がさらに身近に感じはじめたのかもしれません。先生は「私のようなものが世の中へ出て、口をいては済まない」という。疑問に思う私に、奥さんは「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。まるで違っていました。それが全く変わってしまったんです」と先生の書生時代を語る。