『草枕』と『三四郎』は兄妹!夏目漱石の遊び心と洒落っ気

猫枕読書会

夏目漱石『草枕』と『三四郎』は兄妹きょうだいであり、逆さま世界。
両作品の生みの親は、夏目漱石「文芸の哲学的基礎」である。

 どちらも、ヒロインをモデルに一枚の絵が完成する物語であり、『文芸の哲学的基礎』で語られる「文芸家の四種の理想」と深く関わっています。

  • 一人の男が、四人の女に「四種の理想」を見るのが『草枕』
  • 四人の男が、一人の女に「四種の理想」を見るのが『三四郎』 

探してみれば、他にも多くの類似点と相違点が有ります。どんな部分が似ていて、どんな風に逆さまなのか、できるだけ列挙してみました。
『草枕』『三四郎』が大好きな方向けのマニアックなリストです。
ぜひ、それぞれの作品解説と併せてお読みください。

  • ともに13章から成る作品。当然『三四郎』は新聞連載されたのですから、翌年改めて刊行された際に13章に分けられたのでしょう。
  • 主人公、『草枕』東京から熊本へ来た画工 『三四郎』熊本から東京へ来た学生
  • 季節、『草枕』春、『三四郎』秋。源氏物語でも行われた伝統の春秋対決です。

 さあ、漱石先生の遊び心を数えてみましょう!

詩画は不一にして両様なり

『草枕』6章で引用された、ドイツの詩人レッシングの言葉。
『草枕』と『三四郎』を決定的に分けた言葉ですから、最初にこれを挙げます。
「詩画は不一にして両様なり」
 最初の一行から時間が流れ始め、流れに沿って展開する詩や小説。
 一瞬間に留まり物事に展開は無いが、様々な要素が同時に空間に置かれた絵画。
詩と絵画は、全く違う性質を持つ、二つの芸術様式です。

『草枕』6章、このレッシングの定義に従わないことを表明し、詩と絵画、両方の性質を持つ小説を目指しました。絵画空間に様々な要素が同時に配置されているように、小説内に配置されている挿話に時間的な後先は無く、同時に起こっていると考えて良し。ピースを頭の中で組み合わせて、全体の文脈を考える、独創的な小説です。

『三四郎』11章、広田先生の不思議な夢でもって、レッシングの「詩画は不一にして両様なり」が表現されています。広田が20年程前に一目見ただけで脳裏に焼き付いた美少女の夢を見ます。出会った日と寸分違わぬ姿をしている彼女が、「あなたは大変年を御取りなすった」と彼に言いました。広田先生が「あなたは画だ」と言うと、少女は「あなたは詩だ」と応じます。
 時の流れと共に変化した男。絵画のように一瞬に留まった女。まるで男と女のように、「詩と絵画は別々である」と言うレッシングの説に従うのが「三四郎」です。つまり『三四郎』は、普通の小説と同じで、時間の流れに沿って物語が進行します。

物語の概要

 これからどんな話が始まるのか、という事を、端的に象徴的に、説明する箇所があります。

『草枕』2章、茶店の様子の情景描写。
絵画のような小説ですから、情景によってその全体を表しています。

 五、六足の草鞋わらじが吊るされていて、下には駄菓子の箱が三つ、五厘銭と文久銭が散らばっています。そこへ、雄鶏がこけっこっこ、雌鶏がけけっこっこと、と鳴きながら通りすぎます。
「五、六足の草鞋」は、五つとも六つとも数えることができる、芝居合戦で挙げられた文芸のことでしょう。順序通りに挙げると、

画工の「長良の乙女の和歌」「ハムレット」「長恨歌」
那美の「鏡が池の嬢様の伝説」「ハムレット」「サロメ」

三つの駄菓子の箱は、シテである三人の死者。
散らばった小銭は、間に明治維新を挟んだ時代の変化。
雄鶏と雌鶏は、先手画工、後手那美さんの芝居合戦。
という感じでしょう。この少し後、雄鶏と雌鶏に呼応するように、婆さんと源さんが「困るなあ」「困るよう」と掛け合っているのが面白いです。

『三四郎』1章、上京する途中、汽車内で出会った女と同室で一泊するという奇妙なエピソードが、これから三四郎が東京で体験する出来事を暗示しています。女に好かれたのだか、バカにされたのだか、訳の分からない話ですよ、ということでしょう。ついでに言えば「男の入浴中に、突然女が入って来るドッキリな場面」も、両作品の共通点です。画工と三四郎の反応の違いによって、二人の性格の違いを表しています。

矛盾する女

『草枕』3章、画工は那美の顔をじっくりと観察し、その表情の内に様々な「矛盾」を見出します。
『三四郎』2章、池の端で里見美禰子に出会った瞬間に「矛盾」を感じます。

 彼女達が抱える複雑な「矛盾」を単純化してしまえば、男性に対する矛盾する感情(男なんてろくでもない、でも愛されたい、愛したい)という事でしょう。これは両作品に出てくるイブセン、彼の代表作「人形の家」のノラが抱えていた感情と同じです。ノラは献身的に夫を支えてきたのに、夫は都合が悪くなれば彼女の味方をしてくれないのだ、と気付いてしまい最後は家を出て行きます。利己的な男に対する反感を持ち始めた、女の革命が始まる予感です。
 那美の「軽蔑の裏に、何となく人にすがりたい景色」は、離縁されたにも関わらず、大陸に渡る夫に金を出す彼女の複雑な気持ち。美禰子の「責任を逃れたがる人」は、彼女の身を引き受ける決断をしてくれない野々宮や、広田先生のような身軽な独身主義者への反感でしょう。
 矛盾せずに「統一」な感じのよし子は、決して妹を見放さない優しい兄の保護下に居るのです。何でも研究してしまう理学者の兄は、情愛が薄くなるはずだが、その兄がこんなに妹を可愛がってくれるのだから「兄は日本中で一番好い人に違いない」と絶大な信頼を寄せています。

ワキ僧

『草枕』7章、画工は、夢幻能に見立てた物語のシテである「水死した3人の女」をワキ僧として鎮魂するために、風流な土座衛門を頭の中で描きます。

『三四郎』3章、轢死した女、よし子、美禰子の3人の女の夢を見るので、三四郎も一応ワキ僧の役を与えられています。けれど無粋な彼は詩も画も出来ず、美禰子の絵葉書への返信は借金の礼状になってしまいます。そこで三四郎はカトリックの坊さんに転じて、キリスト教徒である美禰子の心を慰めるために、懺悔の言葉「我はわがとがを知る。わが罪は常にわが前にあり」を聞いてあげるのです。
 美禰子の懺悔は、二つの意味があるでしょう。愛の無い縁談結婚をする罪の意識と、三四郎を傷つけたことへの謝罪。けれど、この直前に彼女は、ヘリオトロープの香水を含ませた手帛ハンケチを三四郎の前に突き出して香りをかがせています。これは、(ほら、小川さんが選んでくれた香水、使っているのよ。)という媚態でしょう。相変わらず「矛盾」する態度の美禰子です。

三つの世界

『草枕』1章、冒頭文に出てくる「智・情・意」
この小説の主題は、「智・情・意」と文芸の理想です。

『三四郎』4章、人間の内にある「情・智・意」が外の世界に置かれました。
三四郎が名付けた三つの世界です。
 第一の世界 母の居る故郷
 第二の世界 大学の閲覧室(図書室)
 第三の世界 シャンパンと美女が居る世界

恋文

『草枕』5章、僧侶泰安からヒロイン那美に
『三四郎』2章、ヒロイン美禰子から野々宮に

松と椎

『草枕』は、能に見立てられているので、松の木
『三四郎』で、美禰子が二度名前を訊ねるのは、椎の木。けれど画家の原口は、松がたくさんある所に住んでいます。
 松VS.椎、陽樹と陰樹の代表選手。美的な松と実用的な椎。雑木林の管理が行われなくなっていくに従い、松の木は急速に消滅し、椎の木は増えているそうです。
 ※『マツとシイ』原田洋 磯谷達宏  岩波書店

ラファエロ前派

『草枕』ジョン・エヴァレット・ミレイ 「オフィーリア」
『三四郎』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 「The Mermaid」

 ラファエロ前派の絵画から、各小説のテーマにぴったりな作品が選ばれています。
オフィーリアの方は、改めて説明するまでもありません。
「The Mermaid」は、4章で広田先生の引越を手伝う三四郎と美禰子が、画帖を見ている場面に登場します。二人は同時に「人魚」「人魚」とささやき合います。人であり魚でもある「人魚」は、もちろん「矛盾」を表しています。

閨秀作家の「憐れ」と「Pity」

『草枕』の「憐れ」が日本最初の女性小説家 紫式部『源氏物語』から出たものだとすると、
『三四郎』では、「Pity’s akin to love」を、英国初の女性小説家アフラ・ベーン『オルノーコ』をサザーンが脚本にした句、と言う所から無理やりに挙げています。
なんとかして、紫式部VS.アフラ ベーン 国内初の閨秀作家対決をさせた訳です。
 与次郎は「Pity’s akin to love」を「可哀想だということは惚れたって事よ」と訳しました。なかなか良い訳ですが、広田先生に「不可いかん不可いかん、下劣の極だ」と言われてしまいます。広田先生ならどう訳すのでしょう?素直に訳せば「憐みは、愛に似ている」です。

男を試験する女

『草枕』9章
那美「だって、あなたと私は違いますもの」「ホホホホ解りませんか」

『三四郎』5章
美禰子「迷子の英訳を知っていらしって」「迷える子ストレイシープ——解って?」

二人とも、相手にバレないようにさりげなく男を試験しています。

男に金を貸す女

那美さんは元夫に、美禰子は三四郎に金を貸します。二人の貸し方もよく似ていました。
いったん貸さない素振りをしてから、後で強引に貸すのです。

女の怒りは紫色

『草枕』12章、元夫に紫色の財布を突き出した那美。この場面については、「謎解き草枕その4」で詳しく説明しましたので、そちらをご覧ください。

『三四郎』美禰子の怒りも紫色です。8章、美禰子は三四郎に三十円を貸した後、招待券を貰ったので「丹青会」の展覧会に一緒に行こうと言い出します。この展覧会場で、野々宮と三四郎に対する彼女の苛立ちが破裂します。「丹青」は赤と青、混ぜれば紫色でしょう。招待券をくれた画家、原口のモデルとされる黒田清輝は、「紫派」と呼ばれていました。