夏目漱石『草枕』全ての謎と物語の構造を解く「謎解き草枕」その1

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⑥「憐れ」を求めていにしえ

 「憐れ」を求めて始まるのが、見立て②「能役者の所作」に見立てた物語です。
 能役者とは誰のことか?
 答えは、12章にあります。

「あの女は家のなかで、常住じょうじゅう芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。」

夏目漱石『草枕』12章

 あの女、那美さんはいつも芝居をしている。つまり画工は、彼女の所作を芝居として見ているわけです。草枕の初読時、誰もが那美さんの言動は脈絡が無く、意味不明だと感じると思います。彼女は「狂印きじるし」などと村の人々から呼ばれているので、言動が少々おかしくても気にしない読者もいるかもしれませんが、それはミスリードです。彼女の言動で変なところは、すべて芝居をしているせいなのです。なぜ那美さんは芝居をしているのか?
答えは、4章のはじめにあります。

 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗きれいに掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥ようだんすが見える。上からゆうぜん扱帯しごきが半分れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚はくいんおしょう遠良天釜おらてがま伊勢物語いせものがたりの一巻が並んでる。昨夕ゆうべのうつつは事実かも知れないと思った。

夏目漱石『草枕』4章

 3章で温泉宿に着いた画工が案内された部屋は、那美さんがふだん自室として使っている部屋でした。日露戦争が始まり、宿にお客がまったく来なくなっていて、開店休業の状態だったため、掃除された客室が無かったのです。「昨夕のうつつ」とは、画工が宿泊した最初の夜、深夜に目撃した那美さんの奇行のことです。翌朝、朝寝坊して朝風呂の後、部屋に戻った画工が戸棚を開けると、当然中には那美さんの衣類や本が入っています。本は「遠良天釜おらてがま」と「伊勢物語いせものがたり」でした。
遠良天釜」(一般的には遠羅天釜おらてがまと表記)も伏線なので、後で回収されますが、
ここで注目なのは「伊勢物語」です。これを見て画工は、那美さんとの間で、”ある事”が始まったのを知りました。

 「伊勢物語」は昔々の歌物語。その書名が初めて文献上に現れるのが、
「源氏物語」第17帖「絵合えあわせ」の巻、平安貴族たちが「絵合えあわせ」という優雅な遊びをする巻です。
どんな遊びかというと、二手に分かれて、絵を出し合ってその優劣を競います。絵を競うと言っても、その絵は物語の一場面を描いた「物語絵ものがたりえ」であり、実際には絵の裏にある物語を比べて、どっちの物語が感動できるかを競います。
 「伊勢物語」はこの絵合えあわせに登場して勝ちました。回を重ねる絵合ですが、帝の前での最終戦で勝利したのは、光源氏が須磨に流された時分に描いた、寂しい海辺や住まいの絵でした。それまで様々な「物語絵」で感動を競ってきたのに、最後は、光源氏の身の上に起きた左遷で味わった、わびしい暮らしぶりに皆が「あはれ」を感じます。

 たれ異事ことことおもほさず、さまざまの御絵の興、これに皆移り果てて、あはれにおもしろし

紫式部『源氏物語・絵合』

 この源氏物語の「絵合」にそっくりな遊びが、画工と那美さんの間で暗黙のうちに行われます。絵合(えあわせ)」を真似まねた「芝居合(しばいあわせ)」です。似せたところは「絵合」が絵の優劣ではなく、絵が表現している物語で感動を競っているように、「芝居合」も芝居が表現する物語で感動を競っています。感動、つまり「あはれ」です。「あはれ」は、対象に同情、同調、共感、感情移入するということでしょう。
「憐れ」と漢字表記しているけれど、画工が求めているのも、やはり「あはれ」の情でしょう。「あはれ」の文学といえば、「源氏物語」なのです。

⑦「竹影階払塵不動ちくえいかいをはらってちりうごかず

 二人が行う芝居合しばいあわせの主旨を説明します。もう一度、三人のシテを思い出してください。直接的な死因は、すべて水に飛び込んでの自死ですが、彼女たちを死へと追い詰めた背景に何があったでしょうか?

 「長良の乙女」二人の男に懸想けそうされ、選べずに身投げをした彼女は、まさに「人情」のせいで死んだと言えるでしょう。
 「オフェリヤ」は『ハムレット』のヒロインです。ハムレットは叔父と母の裏切りによって女性不信、人間不信、そして復讐をなかなか決意できなくて自己嫌悪、もうこの世自体が嫌になってしまいます。ハムレットの煩悶はんもんを近代的な自我の始まりだとすれば、この悲劇は哲学的な物語です。しかしオフェリヤからすれば、急に「非人情」になった恋人に、もう結婚できないから「尼寺へ行け」と言われたのです。正気を失い、小川を流れて死にました。
 「鏡が池の嬢様庄屋しょうやの娘であった彼女は、家に逗留とうりゅうしていた虚無僧こもそうに恋をしましたが、親に許してもらえず、鏡が池に身を投げた。彼女は親の「不人情」のせいで死んだのです。

 「人情・非人情・不人情」の被害を受けて死ぬことになった3人のシテ、彼女たちの鎮魂も兼ねて、芝居合のお題は「人情・非人情・不人情」の三本勝負、先手画工、後手那美です。
「人情・非人情・不人情」に関係する物語を二人が暗黙の内に提示し、那美さんがその一場面を演じてくれます。演技を担当するのは、「画工編」「那美編」両方とも那美さんです。「画工編」も、彼の頭の中をテレパシーのように読み取って、那美さんが演じます。彼女に色々な演技をさせて、その顔に「憐れ」が浮かぶのを見ることが、芝居合の目的です。

 鋭い読者は、この時点で、もうお気付きかもしれません。
シテの死因は「人情・非人情・不人情」ではなく、「情・智・意」ではないか?
その通りです。
 しかし、二人の芝居合を観戦すると、どう考えても、お題を「人情・非人情・不人情」だと勘違いした、としか思えません。「非人情」がお気に入りの画工と、「不人情」と噂される那美ですから、シテの死因の特定を間違えたのです。この根本的なミスのせいで、二人の芝居合しばいあわせは「憐れ」を引き出せずに終わります。

 二人の芝居合「人情・非人情・不人情」がどのように配置されているかを掲示しますので、よくご覧ください。有難いことに、各章にひとつずつ収まっていて分かりやすいです。ついでに全13章の簡潔な概要としました。

  • 1章 尻餅をつく画工、天狗岩に行く手を阻まれる。異界に入る。
  • 2章 茶店で休憩 婆さんの話を聞く
  • 3章 画工「竹影階払塵不動」3人の女の不思議な夢を見る 画工の「人情」
  • 4章 画工の「人情」余韻
  • 5章 画工の「非人情」
  • 6章 画工の「非人情」余韻
  • 7章 画工の「不人情」
  • 8章 画工の「不人情」余韻
  • 9章 休憩 地震が起こる 那美「竹影階払塵不動
  • 10章 那美の「人情」
  • 11章 那美の「非人情」
  • 12章 那美の「不人情」 藤村操の死
  • 13章 天狗岩をかえりみる。現実世界に出る。那美の顔に「憐れ」が浮かぶ。

 画工編は、悠長に余韻を楽しむ章を挟んでいます。能の「序破急」と同じように、はじめはゆっくりです。9章は休憩時間ですが、地震が起こる事と二人が重要なことを話しあう大切な章です。「休憩の9章」と覚えてください。

 3章と9章に「竹影階払塵不動」という言葉があります。これは温泉宿の近所にある観海寺の和尚、大徹が書いた禅語の書で、画工が泊っている部屋(=那美さんの自室)に飾ってあるのですが、大事な役割があります。

(ちく)(えい)(かい)(はら)って(ちり)不動うごかず()」――月の光に照らされた竹の影が風に揺れて、まるで石段を掃くように動いているが、(ちり)は少しも動かない。このような自然が示す「動」と「静」のように、日常生活に忙しくても心静かに落ち着きを保ちましょう、というような意味です。
 この言葉は(さあ、もうすぐお芝居が始まりますよ。心静かにしてください。)という上演の合図として使われています。1回目は画工。2回目は那美さんが読み上げて、それぞれの幕が開きます。

 次回から、二人の芝居合の様子を具体的に説明します。説明の順序についてですが、章の順序どおりではなく、同じお題で二人が出し合う芝居を見比べながら進みます。
「人情対決」「非人情対決」「不人情対決」の順です。毎回、間に「休憩の9章」を挟みます。
 いよいよ、草枕の本題に入ります。読者は、芝居を鑑賞しながら、画工の「屁の分析」をしなければいけません。「非人情」な態度で格好つけてるけど、よく読むと突っ込みどころのある人物です。(続く)

 

続きはこちら⇒「謎解き草枕」その2

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