夏目漱石『草枕』全ての謎と物語の構造を解く「謎解き草枕」その1

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②詩画は不一にして両様なり

『草枕』6章にこんな文章があります。

レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏しんりの状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次ていじに展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来きたり、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初から窈然ようぜんとして同所どうしょ把住はじゅうするおもむきで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排あんばいする必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情けいじょうを詩中に持ち来って、この曠然こうぜんとして倚托きたくなき有様を写すかが問題で、すでにこれをとらえ得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。

夏目漱石『草枕』6章

 ドイツの詩人レッシングの「詩画しいが不一ふいつにして両様なり」という言葉を引用しています。平たく言うと(詩と絵は、まったく別の性質を持つ、二つの芸術様式である)ということです。
 詩のような文章による芸術というのは、最初の一行から時間が流れはじめ、時間の流れに沿って、出来事が展開します。一方絵画は、一枚の絵画空間の中に様々な要素が同時に配置されていて、時間の流れは無く、出来事も展開しません。文章と絵画は、性質が全く違うのだ。というのが、レッシングの説です。

 漱石先生は、上記の引用文で「詩画は不一にして両様なり」に従わないのが草枕なのだ、と画工になり代わって宣言しています。草枕は、小説でありながら、絵画のような性質を持つ作品だ。時間の流れに沿って事件が展開するのでは、ない。すべては、同時に起こっている。
「時間の流れに沿って、事件が展開するのではない」
これが草枕の特徴です。だから初読の時は、さっぱり意味が分からなくて当然なのです。
初読の時は、どんな事が描いてあるのかよく把握して、2回目以降から推理しながら読みます。何度も何度も読み返すこと、その上で謎を解くことを要求している推理小説です。

 例えて言えば、草枕は、ジグソーパズルのような小説です。
ジグソーパズルを完成させるためには、一つ一つのピースにどんな絵が描かれているのか、どんな形をしているのか、きちんと把握しなければいけないでしょう。草枕も同じです。本文に何が書いてあったか把握した上で、頭の中でピースを並べかえて、読む必要があります。

 いやいや、草枕は漢詩とか俳句も有るのだから、内容を全部把握するなんて無理!と、思われるかもしれませんが、心配ありません。ややこしい部分は、すっと飛ばして読んでも大丈夫。そしてもちろん、物語を組み立てるためのヒントは、本文に書かれています。
 さあ、草枕パズルを完成させていきましょう!
一度も読んだことない、という人にもある程度分かるように説明していきます。

③芭蕉に導かれて

 ジグソーパズルには、ピースを当てはめる枠が必要です。物語の枠、最大のヒントだとはっきり分かる文章が、第1章にありました。


しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組能役者の所作に見立てたらどうだろう。

夏目漱石『草枕』1章

 この小説をどう読んだらいいのか、ということを教えてくれています。
 「見立て」、想像力を使ってそういうつもりで見る、ということ。「見立て」として代表的な例が、日本庭園の「枯山水かれさんすい」です。岩と砂利しか置いてない庭なんだけれども、そこに山が有り、河が流れている風景を想像してみてくださいね、という日本の遊び、文化が「見立て」です。かなりの想像力が必要でしょう。草枕を読む際にも、ある単語から思いっきり想像力を膨らませる必要が有ります。

 見立ては、二つ。見立て①「能の仕組み」 見立て②「能役者の所作」です。
 草枕は、下図のような三層の入れ子構造になっています。これが草枕パズルの枠です。

 さっそく、見立て①「能の仕組」を使った物語を組み立てましょう。
 能の仕組み、を知るための参考書として、
 安田 登 著 『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)
を挙げます。初心者の為にやさしい言葉で、能が実に魅力的に解説されています。ここは、安田登さんの御著書の受け売りを交えて、説明させて頂きます。

 お能には「現在能」と「夢幻むげん」の2種類があります。「現在能」の登場人物は、”生きている人”、対する「夢幻能」は、登場人物にかならず”死んだ人”、幽霊が出てきます。では草枕は、現在能と夢幻能、どちらに当てはまるのか?という疑問の答えが、数行後に有ります。

芭蕉という男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえな事と見立てて発句ほっくにした。  

夏目漱石『草枕』1章

 ここで読者は、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を思い出さなければいけません。芭蕉は能が大好きで、『おくのほそ道』は、お坊さんでもない芭蕉が、憧れの西行法師のコスプレをして「夢幻能」の「ワキ僧」になりきって、旅をする物語です。

 画工は芭蕉の真似まねをして、旅中の出来事を「夢幻能」に見立て、自分は「ワキ」の役を演じるつもりです。「ワキ」とは、脇役のワキではなく「分ける」のワキで、あの世とこの世の分け目にいる人です。ワキが旅先のいわれのある場所で、死者に出会います。夢幻能では、死者がシテ(主役)です。ワキの夢の中に、霊が現れることから「夢幻能」という名称になったとも言われます。死者の無念の声に耳を傾け、その恨みを晴らす。これが「夢幻能の仕組」であり、その目的は「鎮魂」です。

 ワキの役を演じると決めた画工は、シテに出会うために、異界に入ります。その場面も芭蕉の真似まねをしています。芭蕉は『おくのほそ道』の中で、那須に向かう旅中、突然雨に降られて不思議な異界に入っていきます。突然大雨大雪になることは、能ではよくあること。ですから画工も、この旅を能に見立てるぞ、と決心したとたんに大雨に降られます。雨の中を歩く彼が、どんどん夢幻能の異界へ踏み入って行くのが感じられるのが、次の文章です。

深くめる雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。

『草枕』1章

 画工は頭の中で、今歩いているところを能舞台への通路である「橋掛り」として見立てているのかもしれません。通路に沿って「三の松・二の松・一の松」舞台に近づくにつれて順に大きい松が置かれています。そして能舞台の背景には、必ず立派な松の木が大きく描かれています。草枕では、大事な場面でよく松の木が登場します。能の世界に見立てているからですね。