夏目漱石『三四郎』里見美禰子と四人の男(ラストシーンに隠された主題)

猫枕読書会

 この小説内で起こる唯一の事件、それは独身だった里見美禰子が結婚したこと。その過程の美禰子を見つめた四人の男による報告書のようなもの、がこの小説です。ですから、ラストシーンでまとめとして、等身大に描かれた美禰子の絵「森の女」の前に、四人の男たちが集合します。

——広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人よったりはよそをあと回しにして、第一に「森の女」の部屋にはいった。(『三四郎』13章) 

 
 四人は「森の女」を見て、一言ずつコメントを述べます。絵の感想は、そのまま美禰子に対する言葉です。四人各自が里見美禰子をどう見たか、を端的に表現しています。
 どうしても4人、必要でした。
 然るべき理由があります。

スポンサーリンク

四人の男と四種の理想

  1. 『三四郎』は『草枕』と兄妹きょうだいであり、逆さま世界として描かれた作品である。
  2. 『草枕』は、夏目漱石『文芸の哲学的基礎』の小説版である。
  3. よって『三四郎』も『文芸の哲学的基礎』と関係がある。

 という、三段論法です。漱石作品を読む際にガイドブックとなる、
夏目漱石の講演『文芸の哲学的基礎』(青空文庫で読めます)で語られるのが、
「文芸家の四種の理想」です。

〈夏目漱石の文芸家の四種の理想〉
  • の理想】感覚物(自然と人間)そのものに対する情緒。
  • の理想】感覚物に対して情が働く。愛、徳義的情操(忠、孝、義侠心、友情等)
  • の理想】感覚物に対して智が働くことによって、情を満足させる。
  • の理想】感覚物に対して意が働く。荘厳に対する情操 

 上記の【四種の理想】という観点から里見美禰子を評価するために、四人の目が必要でした。
 という訳で、本文の順を追って、四人のコメントに表れる【四種の理想】と里見美禰子を照らし合わせてみましょう。

①佐々木与次郎が見た里見美禰子

「すてきに大きなものを描いたな」と与次郎が言った。『三四郎』13章

 絵の出来具合ではなくその大きさを評価したところが、彼の役割に合致しています。与次郎の担当は【壮の理想】(自らの意志を発揮して何かを成し遂げようとする)という観点で、里見美禰子の意志と勇気を称えています。
 与次郎と美禰子は、ある意味で似たもの同士でした。自分の意志を実現するために熱心に活動していたけれど失敗してしまった、という意味で。
 佐々木与次郎は、高等学校の英語教師広田先生を、東京帝国大学の教授にしようという運動のためあれこれ画策していました。そのやり方や結果はともかく、彼は意気盛んに運動していたのです。
 そんな与次郎が、美禰子を評してこう述べていました。

「(前略)女だって、自分の軽蔑けいべつする男の所へ嫁へ行く気は出ないやね。もっとも自分が世界でいちばん偉いと思ってる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすよりほかに方法はないんだから。よく金持ちの娘や何かにそんなのがあるじゃないか、望んで嫁に来ておきながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬のできない人の所へははじめから行く気はないんだから、相手になるものはその気でいなくっちゃいけない。そういう点で君だのぼくだのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」

夏目漱石『三四郎』12章

 与次郎の読みどおり、美禰子は「夫として尊敬できる人」との結婚を望み、そのため彼女なりに時間制限ギリギリまで頑張っていたのです。いつも落ち着いた態度の美禰子でしたが、彼女の置かれた状況は、時間的に追い詰められた猶予の無いものでした。

 美禰子は早くに両親を失くし、家族は兄がひとりだけ。見かけは和風でも、内装は洋風で暖炉のある立派な居間がある家に、兄とふたりで暮らしていました。美禰子が持っている預金通帳に入っているのは、両親の遺産を兄と分けた金でしょう。
 美禰子の兄、里見恭介はもうすぐ結婚をすることになっていました。彼は自分が結婚する前に、妹の縁談をまとめるつもりで、画家の原口にも頼んでいました。推測するに、家にお嫁さんを迎えるので、美禰子の居場所は無くなるのです。明治時代、職も無い23歳の独身女性の選択肢は結婚しか無いのでしょう。結婚といえば、周囲が世話してくれる縁談、お見合いが普通だった時代です。
 
 けれども美禰子は、広田先生から英語を習い、バイオリンを弾き、日曜礼拝に行くキリスト教徒。彼女の住む家のように、外見は日本人でもかなり西洋化された女性です。縁談ではなく、自分で結婚相手を見付けたいと思っていた、ということがうかがえます。当時としては、勇気ある発展した考えです。彼女は、現代で言えば「婚活」をひとりで頑張っていたのです。

 その美禰子の意志が表れ、が名刺です。彼女は、ただ名前と住所だけを記した名刺を持っていました。三四郎と三度目に出会った時に、手渡しています。お見合いに名刺は必要ありません。初めからどこの誰だかよく知っているのですから。まさに三四郎とのように、偶然の出会いをした機会を逃さないように、名刺を準備していたのでしょう。

 しかしタイムリミットに間に合わず、美禰子は諦めて縁談を受けることになりました。10章で画家の原口のモデルを務めながら、
「でも兄は近々に結婚しますよ」と報告した時
「おや、そうですか。すると貴方はどうなります」と聞かれて
「存じません」とまるで他人事のような返事をしていました。が、この時すでに美禰子の縁談は決まっていました。よし子が断ったために回って来た縁談を受けたのです。にも関わらず「私も近々に結婚するのです」と言わなかった美禰子の心中が、察せられます。この直後、三四郎がやっとの思いで「あなたに会いにいったんです」と告白しますが、もう遅かったのです。人力車に乗った立派な男が、彼女を迎えに来ました。彼が縁談の相手でしょう。

 もし、先によし子がこの縁談を断らずに結婚してくれれば、事態が美禰子の望み通りに展開する可能性も有ったかもしれません。
 美禰子が”夫として尊敬できる”大本命は、よし子の兄、野々宮宗八でしたから。