今村夏子『むらさきのスカートの女』表紙の絵のスカートが紫色じゃない理由

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猫枕読書会

 今村夏子 著『むらさきのスカートの女』は、人の心と現代社会が描かれた、芥川賞受賞の純文学である。けれど、このトリッキーな小説をいったんミステリーだと思って、読んでみて欲しい。ミステリーの形式を借りて描かれているし、テーマも見えてくるから。

 どんなミステリーかといえば、意図的にミスリードを誘う叙述ミステリーだ。こう言うと、どうせ「むらさきのスカートの女」と「黄色いカーディガンの女」は同一人物だと言うのだろう、と思われるかもしれないが、そうではない。この点については、作者の今村夏子さんも受賞の際の会見で、「同一人物だと想定して書いたわけではない」と答えられた。

 この小説の叙述トリックを解くヒントは、最初に与えられている。本の表紙、榎本マリコさんによるイラストである。水玉模様のスカートから足が四本出ている。


この四本の足の持ち主はいったい誰なのか?
と、考えることが、叙述トリックを解くことになる。

 スカートが紫色ではないので、むらさきのスカートの女の足ではない。
この四本の足は「権藤チーフ」と「黄色いカーディガンの女」の足だ。
大人しく足を揃えているほうが権藤で、
足を開き気味に立っているのが黄色いカーディガンの女。
では、誰の胴体から生えた足なのか?というところまで考えれば、
もちろん「権藤チーフ」ということになる。

「むらさきのスカートの女」と「黄色いカーディガンの女」という鮮やかな存在に目を奪われてしまうが、物語の真の語り手は権藤であり、彼女の心を描いた小説である。しかし彼女は、始終「黄色いカーディガンの女」という仮面を被っている。時々、物語の破れ目から「素顔の権藤」が顔を覗かせるので、読者は見逃さないように十分に気を付けて読まなければいけない。
 権藤の性格と、彼女がこの物語を始める動機が語られている箇所が次だ。

 違う。思い出した。今度こそわかった。むらさきのスカートの女は前に住んでいた町のスーパーのレジの女の人に似ているんだった。わたしがすごくしんどかった時、ふらつきながらおつりを受け取ったら、「大丈夫?」といきなり声をかけてきた人。次の日行ったら今度は「まいど」と言った人。おかげでその次の日からは行けなくなった。

 つい最近、隣町の図書館に行ったついでに懐かしのスーパーをこっそり外から覗いてみた。相変わらずその人はレジに立っていた。制服のバッチが一個増えていて、とても元気そうだった。
 
 つまり、何が言いたいのかというと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている。

『むらさきのスカートの女』今村夏子

 友達が欲しい。けれど他人と関わることが怖い。人と話すことが苦手、恥ずかしがり屋で内気な権藤。ありのままの自分では、友達を作る事ができないと考えている。だから不器用で鈍くさい点だけは、自分と似ているけれど、はるかに能動的でちょっと強引で乱暴な「黄色いカーディガンの女」という仮面を被ったのだ。

 叙述ミステリーにおいて典型的なパターンは、語り手=犯人であること。もちろん読者には、それを知らせずに、事件の経緯だけを語る。推理小説としてフェアであるために、決して嘘を吐いてはいけない。しかし、犯人である語り手が持つ強い殺意や犯行後の恐怖心といった感情は徹底的に伏せて、事実だけ、行動だけを淡々と語る。そこが叙述ミステリーの難しいところ。読者はどうしても、曇りガラスを通して物を見せられているようなモヤモヤ、違和感を感じてしまう。

 この小説は、叙述ミステリーが陥る難所を、逆に利用して面白くなっている。語り手は、自分の感情だけを正直に、前面に出す。むらさきのスカートの女に対する異常なまでの関心と、何としても彼女と友達になろうとする執念だけは、隠さない。その代わりに、語り手の行動や事実については、嘘つき放題で、読者を怖がらせる。
 実際に起きた事実は、おそらく次のような単純なことだったに違いない。

 ホテルの客室清掃の仕事をする権藤は、友達が一人もいないどころか、ほとんど存在さえ認識されていなかった。彼女の楽しみは、クリームパンを買って公園のベンチで食べること。しかし周りで遊ぶ子供たちは決して、権藤に近寄らない。彼女はいつも孤独だ。
 ある日、権藤の職場に日野まゆ子という新人が入って来た。「彼女と友達になれたら」という期待を抱くが、権藤は声を掛けることもできない。一方日野まゆ子は適応能力抜群で、あっという間に仕事を覚え、他の同僚達と親しくなり、権藤の手が届かない存在になってしまった。
 ところがまもなくして日野は、所長と不倫の関係を持ち、ホテルの備品を盗んで小学校のバザーで売ったという疑惑をかけられ、職場を去った。

 この小説において、解くべき叙述トリックは、見せかけの語り手「黄色いカーディガンの女」が、真の語り手「権藤チーフ」と同一人物でありながら、別の人格を持つ想像上の、物語中のキャラクターであるということ。典型的叙述ミステリーの逆さま。これを具体的に読者に解らせる描写がある。現実の権藤は下戸であるのに対して、黄色いカーディガンの女は、酒が飲めるという設定なのである。