夏目漱石『三四郎』里見美禰子と四人の男(ラストシーンに隠された主題)

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③広田萇が見た里見美禰子

「少し気がききすぎているくらいだ。これじゃつづみのようにぽんぽんする画は描けないと自白する筈だ」と広田先生が評した。『三四郎』13章

 美禰子を(気が効きすぎている、鼓の音のように間が抜けた素朴なところが無い女だ)と鋭く分析している広田先生の担当は、もちろん【真の理想】
 彼の唱えた「偽善と露悪」理論のうち、「優美な露悪家」の説明は、物語後半の三四郎に対する美禰子の行為を予言していました。

——昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違いないから、——そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行はやらなくなる」

夏目漱石『三四郎』7章

 「偽善」の形式を使って「露悪」をやる、「二位一体」の優美な露悪家。
 要するに、一見相手の為になるような行動を取りながら相手を攻撃する、という手の込んだ意地悪です。この「優美な露悪家」攻撃を美禰子から受けてしまう三四郎なのです。

 それは8章で起きました。野々宮は相手にしてくれないし、結婚を決めなければならない締め切り時間はどんどん迫ってくるし・・・美禰子のストレスが頂点に達したのでしょう。そこへ、相変わらずぼーっとマヌケな態度で三四郎が金を借りにやってきました。与次郎に言われるままに、美禰子の家までのこのこやって来た三四郎ですが、「ぜひ貸してください。」とも「いいえ結構、間に合っていますから」とも言わず、「借りても好い。――しかし借りないでも好い。」と言うのです。いったい何をしに来たのか解りません。彼の決められない態度に、美禰子はイラっとしたのでしょう。

 何だか貸してもらえないような空気になってしまい、三四郎は「借りて置けばよかった」と後悔します。気まずい雰囲気のまま、二人は外出します。歩きだしても三四郎は、帰るのか、美禰子に付いて行くのか決められません。そこで美禰子が「一所にいらっしゃい」と急にリードを取ります。銀行の前で来ると、通帳を取り出し、有無を言わせず三四郎に三十円を貸しました。
(貸してくれないのか・・・)と残念がっていたところ、一転して貸してもらえたのに三四郎は
いささか迷惑のような気がした」と感じます。どうしてでしょう?

 全く主体性を示さない三四郎が悪いのですが、美禰子の貸し方が、いかにも(貸すのも貸さないのも私の気分しだいよ)という感じで、馬鹿にされている気がするからですね。「親切に金を貸してやるという偽善」の形式を使って、「同年の男を愚弄するという露悪」の「二位一体の優雅な露悪家」攻撃、成功です。

 彼女の攻撃は、これで終わりません。次に、丹青会の展覧会の招待券を取り出して誘い、二人で絵画を鑑賞します。せっかく二人きりでの展覧会デートのチャンスなのに、ここでも三四郎は、ぼーっと受け身の態度で絵を見ていて、画家兄妹の画風の違いも分からないことが美禰子にバレてしまいました。この時美禰子は、わざと大きく目を見開いて驚いてみせ小声で「随分ね」と言って、一人でずんずん歩いて行ってしまいます。そして振り返って、離れた場所から三四郎の横顔を熟視しました。

 彼の横顔を見ながら美禰子は、(東京帝国大学生なのに、本当に何も解っていないんだわ)と考えたのでしょう。芸術を見る目も無ければ、人の心にも気付かない、怒って見せても反応しない三四郎に、がっかりしたでしょう。
 ちょうどその時、展覧会に居合わせた原口と野々宮に声をかけられたのです。野々宮が見ている前で、三四郎の傍に寄って耳元に口を寄せて何かを囁き、また野々宮のほうに戻って「似合うでしょう」と言う美禰子。再び「二位一体の優美な露悪家」攻撃です。ところが美禰子の予想以上に鈍い、けれども善良な三四郎には、その意味がよく理解できませんでした。

 後になって三四郎は「さっき何を云ったんですか」と聞きます。
美禰子「野々宮さん。ね、ね」「解ったでしょう」
三四郎「野々宮さんを愚弄したのですか?」
美禰子「あなたを愚弄したんじゃ無いのよ」「私、何故だか、ああ為たかったですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」

 女はひとみを定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。——必竟ひっきょうあなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼ふたえまぶたの奥で訴えている。

夏目漱石『三四郎』8章

 「必竟あなたのためにした事」とは、「三四郎に優越感を感じさせてやるという偽善」であり、同時に「野々宮の嫉妬心をあおる」という露悪的行為の理由として、(私が好きなのは野々宮さんなのよ)と三四郎に伝われば、「三四郎の自惚うぬぼれを罰することもできる」という、これもまた露悪的な「三位一体」です。広田先生が言うように、「気が利きすぎている」行為ですが、それほど計算せず、無意識にこれができてしまうほど、都会の近代人である美禰子なのです。ぼんやりした三四郎が相手になれるはずがありません。

 純朴な三四郎は、彼女の複雑で刺激的すぎる行為を消化することができないのか、黙り込んでしまいます。森の木陰で雨宿りをしながら、肩と肩が擦れ合う位にして二人は立ちすくんでいました。さすがに悪いことをした、と気付いた美禰子は「さっきの御金を御使いなさい」「みんな御遣いなさい」と雨音の中、言いました。