夏目漱石『坊っちゃん』解説|正統とは何か?

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解説

主人公の坊っちゃんは理不尽なことが嫌いで、損得勘定ではなく、正しいことを貫き、後先を考えずに行動する人物像です。対する、狸や赤シャツ、野だいこは役職や金が大切で、うまく世渡りをする人間として描かれます。

生徒たちもそのような先生に教わるため、根性の無い卑怯ないたずら者たちになっています。坊っちゃんは学校の先生のあり方はもとより、生徒に対してもその心根を直そうとします。ここに対決の構図が生まれます。

なぜこれほどまでに、清は坊っちゃんを慕っていたのか。

新潟あたりの由緒ある家柄の清は、瓦解で没落したとされています。瓦解とは “幕府の瓦解”つまり、大政奉還により江戸の良き封建時代が崩れてしまったことを指しています。

『坊っちゃん』は明治三十九年 (一九〇六年) の発表です。すると清は作品のなかではお婆さんですから六十歳くらいでしょうか。清の娘時代は忠を尊ぶ良き時代なのでしょう。

坊っちゃんは小さい頃からいたずら三昧の気性が荒い男の子でした。比べて兄は行儀のよい子で、親は兄に将来を期待しています。そして兄は親に媚びる一面もあるようです。

親への孝行の大切さは知りつつも、自我が芽生えており、これが兄のような媚び方ではなく、坊っちゃんの素行はいたずらや気性の激しさばかりが目立ちますが、実は「曲がったことが大嫌い」で、そこを清は “真っすぐで、良い気性だ” とか “欲が少なくて、心が綺麗だ” と評価しているわけです。

自由や自我の美名のもと、西洋文化に侵されていく当時の日本人に対して、坊っちゃんは清廉な気質を持っており、それは忠や孝を知る由緒ある出の清の愛情で守り応援されている構図です。

自分のことは、清だけが分かってくれている

言い換えれば清以外は誰も分かっていないという意味になります。清は物語の随所に登場し、松山の人たちと比較されます。つまり清こそが<正しい生き方の手本>を知っている愛すべき人間だと言いたいのです。

では清以外はどうだったのか? それこそまさに、江戸から明治へと変わるなかで充満する当時の時代の風潮なのでしょう。

では<正しくない生き方とは何か> 物語は象徴として西洋かぶれの偽の合理性を押しつける赤シャツであり、そして権力に従う赤シャツ派となる「先生」であり、そんな先生に教えられた精神の曲がった「生徒」であり、「学校」というシステムや構造ということになります。

正統の言葉によせて、正直な生き方の価値を問う坊っちゃん。

「おれは、元は旗本で、旗本の元は清和源氏で、多田の満仲まんじゅう後裔こうえいだ。」とあります。そう、坊っちゃんは源満仲の子孫という訳です。山嵐も会津の出身のようです。

対する、赤シャツや野だいこは、西洋の様式や習慣を取り入れたキザで薄っぺらなシンボルでしょう。その描写は赤シャツの服装や西洋かぶれのカタカナ使いにあらわます。

この構図は佐幕派の会津(会津藩ー山嵐)や越後(長岡藩ー清)そして坊っちゃんは清和源氏の流れをくんでいますので本流です。比して象徴として西洋かぶれの赤シャツや権威主義の野だいことなります。

維新の強者の論理で近代化が急速にすすみ、合理化や機械化は貧富の差を生み、道徳や倫理は荒廃します。そして忠孝を重んじた儒教や武士道精神から形ばかりの四民平等となります。

近代化を急ぐ日本は同時に、良きものまで捨て去ってしまいます

良きものの象徴として坊っちゃんは赤シャツに立ち向かいますが、近代合理主義で確立された組織の原理や権力には勝てずに敗れてしまいます。

それでも絶対にくじけず、信念を通す坊っちゃんに、“やれー、やれー”とか “フレー、フレー”と読者の喝采が聞こえそうです。

卑怯は男子のすることではない。ましてや魂の隷属などはとんでもないという訳です。

それは明治という近代日本を生きた、漱石の思いだった。

それは明治の文豪であり国民作家である夏目漱石の時代への苦悩であり警鐘でした。

漱石はイギリスに官費で渡りたくさんの書物の購入に金を使い、日々の暮らしには困窮しながら文学や思想、哲学を学びます。金銭的には家族に多大な迷惑をかけながら西洋を探求します。そして神経症までなって、帰国をします。

そして気づいたことは自由や自我を享受しつつも、西洋にかぶれ大切なものを失っていく日本人の姿でした。日本人の身につけようとする自由や自我は、あくまで西洋から輸入された外発的なもので、日本人自らに沸き起こった内発的なものではないとします。

そんな憂鬱な気持ちのなか、<本統>とは何かを爽快で明るい物語に託しています。

江戸から明治・大正と生きた漱石や、坊っちゃんに喝采を送った当時の人々の心情を想像すると、功利的で自我肥大な現代社会への警鐘にも通じるものがあります。

漱石の『坊っちゃん』は、正義感とユーモアに溢れながら、西洋かぶれを痛烈に批判する作品です。

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作品の背景

主人公の坊っちゃんは、東京の学校を卒業したばかりの江戸っ子気質の血気盛んな無鉄砲で正義感の強い数学教師。『坊っちゃん』は、赴任先の松山の中学校で先生や生徒たちと繰り広げる痛快ユーモア物語。

坊っちゃんのつけたユニークな先生たちの渾名と悪戯好きな生徒達との熱血対決が繰り広げられ、先生や生徒達を通じての衝突や陰口、狡猾、痴情、義理人情などそれぞれの人間模様が、他の漱石の作品と比べて読みやすく大衆的で多くの人に愛されている作品です。

この痛快ユーモアのなかに、西洋の近代化を猿まねのように外発的に取り入れていく日本及び日本人に対して、西洋を学びその正体を見極めんとした漱石。自我や自由の言葉に隠れ忠孝や武士道など良きものを捨象していく日本人への警鐘をシニカルに捉え、本統を見つめる姿が表れています。

発表時期

1906年14年(明治39年)『ホトトギス』第九号第七号(4月1日発行)の「付録」として発表。夏目漱石は当時39歳。実際に漱石が高等師範学校の英語の嘱託として松山の中学校で1895年(明治28年)4月から教鞭をとった体験を題材にしています。

本作は10日足らずで書き上げたとされます。あえて登場人物の中で漱石は誰かと問われれば、唯一、学士である赤シャツということになると自ら話しています。シニカルに自分を赤シャツに喩えてみせる漱石に、厭世的にシニカルな態度で、本統の個人主義とは何か、日本とは何かを思う明治の文豪の気概を感じさせます。