武者小路実篤『友情』解説|恋愛と友情の葛藤に、辿り着いた結末は?

スポンサーリンク
スポンサーリンク

解説

熱烈な片想いと失恋、残酷な三角関係での友情のあり方。

『友情』は、野島の杉子への熱烈な思いが延々と語られ、そして破れるまでの上篇(一~三五)と、巴里に行った大宮と杉子との手紙の往還のなか、恋の思いを告白する杉子と、ついに友情のなかで恋を選ぶ大宮の苦悩と幸福が綴られる下篇(一~一二)からなる。

何故、熱烈な恋が破れなくてはならなかったか。

野島の思いが成就する見込みは全くない。自由恋愛は、自身の意志のなかに将来を賭す以上、明確な自身の考えを表すことは正当である。

野島は誇り高いが、それは自分に尽くしてくれるか否かという基準からで、うまくいっているときは気分が良いが、無視されると機嫌が悪くなる。ただの我儘である。杉子にはそのような性癖が見通せる。野島は、いろいろと自分を分析しているが、結局はエゴで幼稚で自分しか見えていない。

大宮との比較において、家柄や裕福さ、作家としての名声、性格や運動のことなど考えればすべての点で劣っている。逆に、大宮は杉子の熱情によって、女性としての気持ちや覚悟を深く知ることができ、杉子と生きることの大切さを知る。

寂しさに堪え、立ち上り、仕事で決闘することを誓う野島を応援する作者。

大宮の書いた小説は、野島に打撃を与える。野島は、泣き、感謝し、怒り、わめく。そしてやっとの思いで読み上げて、大宮から貰ったベートーヴェンの石膏のマスクを庭石に叩きつける。そして野島は大宮に手紙を書く。

獅子だ、孤独な獅子だ。そして吠える。仕事の上で決闘しよう。(中略)君よ、僕のことは心配しないでくれ、傷ついても僕は僕だ。いつかは更に力強く起き上がるだろう。

引用:武者小路実篤 友情

こうして野島は、神が与える試練と捉え、淋しさから芸術を生み出すべく奮起する。親友だった大宮のエゴを認め、それに耐え、打ち勝とうとする野島の勇気に対して作者は応援をしている。

読者は野島の恋が成就しないことは自明かと思う。であれば『友情』は何を言いたいのか?ここに読者は『こころ』の先生とKとお嬢様の関係の中にある<絶望>と<厭世>と<死>という漱石の小説世界と比較することだろう。

一人の人間の現実(=ここでは野島の失恋)にあって、如何に出来事を整理し納得し回復し未来に向かうかとの話になる。杉子の野島への評価や印象が変わらないとすれば、野島には諦めと奮起しかない。

大宮の存在は、親友ゆえに残酷だが、他の誰かよりは唯一、救われる存在なのかもしれない。そう割り切ることは難しいが、そう思うことで奮励努力するのである。そこに神が守ってくれる。

実篤が自らつけた序文に、人間愛と理想主義がうかがえる。

巻頭に実篤の自序がある、そこには一九二〇・一・一四と記されている。

野島の失意と再起の誓いに、著者がみずから付けた序文が箴言となっている。

小説『友情』が<白樺派>の理想主義的な恋愛論と友情論を描いた代表作であり、人間としての成長や発展を念願するものであることが、この冒頭の文で凝縮されている。引用すると、

人間にとって結婚は大事なことにはちがいない。しかし唯一のことではない。する方がいい、しない方がいい、どっちでもいい。同時にどっちもわるいとも云えるかもしれない。しかし自分は結婚に就いては楽観しているものだ。そして本当に恋しあうものは結婚すべきであると思う。しかし恋にもいろいろある。一概には云えない。

引用:武者小路実篤 友情

として、ホイットマンを真似して、

失恋する者も万歳、結婚する者も万歳と云っておこう。

引用:武者小路実篤 友情

と結んでいる。「友への義理よりも自然の義理の方がいいことは『それから』の代助も云っているではありませんか」と杉子は、夏目漱石の『それから』(1909年/明治42年)を引用する。前年の『三四郎』も含めて、明治から大正にかけての女性の自由な恋愛の流れがある。

同時に、『こころ』(1914年/大正3年)が『友情』の5年ほど前に刊行され、<先生>と<K>と<お嬢さん>をめぐる恋の葛藤の末の<K>の自殺や、<先生>のその後の自死などを踏まえれば、杉子という当時の先端的な自由恋愛をする女性は、『こころ』の<先生>とは異なり、『それから』の<代助>の自然な義理を選ぶことを懸命に嘆願している。

野島は、自己を利する考えのみに想念を巡らせている、これは利己主義の片想いであるといえるだろう。しかし、恋の熱が高ければ仕方がない。対して、杉子は自由な思いのままに大宮への思いを告白し積極的である。当時の女性たちの西洋化を取り入れた自我の解放でもある。

杉子の大宮への熱き思いを伝えると同時に、大宮の自然の心から人を恋する思いを促す行為でもある。大宮は、野島の友情と杉子の思いという難題に真摯に対応している。 『こころ』の <K>とは異なり、野島は片想いを経験し失恋するが、淋しさから立ち直り、一層奮起する若者として描かれる。

漱石を敬愛する白樺派の実篤(さねあつ)は、作品を通して<友情>と<恋愛=(あるいは失恋)>における若者の在り方を届けたかったのだろう。

Bitly

※白樺派のおすすめ!

志賀直哉『正義派』解説|真実を告げる勇気と、揺れ動く感情。
志賀直哉『清兵衛と瓢箪』解説|大人の無理解に屈せず、飄々と才能を磨く少年。
志賀直哉『范の犯罪』解説|妻への殺人は、故意か?過失か?
志賀直哉『城の崎にて』解説|生から死を見つめる、静かなる思索。
志賀直哉『流行感冒』解説|パンデミックの時にこそ、寛容の大切さ学ぶ。
志賀直哉『小僧の神様』解説|少年の冒険心と、大人の思いやり。
武者小路実篤『友情』解説|恋愛と友情の葛藤に、辿り着いた結末は。

作品の背景

青春時代の恋愛と友情がテーマとなっている。武者小路実篤の父は子爵、母は公家の出身。学習院中等科六年の明治三十五年に、二歳上級だった志賀直哉が落ちてきて、隣のクラスになった。それから急速に仲良くなる。高等科に進むと叔父にすすめられて『聖書』を読み、トルストイ、仏典を読んだ。博愛主義、禁欲主義、社会救済の思想から影響を受け<世間とたたかう>ことを考えた。東京帝国大学哲学科に進むが中退、その後『白樺』を創刊。

『友情』は白樺派の理想主義的な恋愛と友情を描いた代表作である。明治から大正へと時代が変わり、大正デモクラシーのなか自由闊達な生き方とそれゆえに彷徨える思いを青春の恋愛や友情をテーマに描いている。恋愛感情の葛藤とともに、作者は恋人を奪った大宮を認め、同時にそれに打ち勝って生きようとする野島についても勇気を称えている。

因みに、武者小路実篤(1885年/明治18年5月12日生)、志賀直哉(1883年/明治16年2月20日生)で志賀が武者小路より2歳年上である。作品の通り、志賀が落第してきた。大宮を志賀直哉、野島を武者小路実篤とみたてる。実篤自身の実体験であろうが結婚については、志賀直哉は、大正3年に武者小路実篤の従妹としている。

発表時期

1920年(大正9年)4月、以文社より単行本が刊行、初出は1919年10月16日に大坂毎日新聞に掲載され12月11日まで連載された。武者小路実篤は当時36歳。作者の青年期から壮年期に入るころの作品である。前年(大正8年)は『白樺』十周年となる。

武者小路実篤は、学習院出身の青年たちを中心に1910年(明治43年)に雑誌『白樺』を創刊、その中心メンバーとなる。他に志賀直哉、有島武郎、里見弴などがいる。自然主義に対して、大正デモクラシーの自由の空気を背景に理想主義・人道主義・個人主義を貫く。理想郷を建設すべく宮崎県に「新しき村」を設立、その後、埼玉県に移転する。

武者小路実篤の作品で最も愛読されている『友情』は、100年前の作品であり、青春の書である。武者小路実篤の『友情』と『愛と死』は長く愛読され、日本の近代文学をつうじて夏目漱石の『坊ちゃん』、川端康成の『伊豆の踊り子』と共に多くの読者を持つ。