志賀直哉『城の崎にて』あらすじ|生から死を見つめる、儚き思い。

スポンサーリンク

概要>電車に跳ねられ、後養生に城崎温泉にて療養をする。そこで観た蜂、鼠、蠑螈の生物たちの死に、自身の事故と人間の生き死について思う。自然の風景や人間の営みのなかに、偶然すら「あるがまま」心静かに生死を受け入れる死生観を漂わせる。

スポンサーリンク

登場人物

自分
電車に跳ね飛ばされ怪我をして、その後、城崎温泉を訪れ自然のなかで療養をしている。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
Amazonで志賀 直哉の小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。志賀 直哉作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。

あらすじ(ネタバレあり)

電車に跳ねられた私は、後養生で城崎温泉を訪れ死を身近に感じた。

山手線の電車に跳ねられ怪我をした。その後養生に一人で但馬たじま城崎きのさき温泉にでかけた。

背中の傷が、脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと医者に言われ、ニ三年、症状が出なければ心配ないと言われた。

事故以来、頭がはっきりせず、物忘れも多くなる。しかし気分は静まり落ちついたいい気持ちがした。

一人きりで話し相手はないので、本を読むか、書くか、山や人の往来を見るか、散歩で暮らした。散歩には町から少し登るといいところがあった。ヤマメがたくさん集まっている、さらによく見ると川蟹が、じっとしているのを見つけることもある。

秋の山峡を小川にそって歩くと、沈んだ淋しい考えになるが、それは同時に静かないい気持でもあった。

怪我のことをよく考えた。一つ間違えば、今頃は、青山墓地の下に眠っているところだと思う。顔の傷も背中の傷もそのままに、祖父や母の死骸の傍にあっただろう。今までは、死が遠いことと思っていたが、今ではいつそんなことが起こるのかは、わからないと思うようになった。

自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった。自分にはしなければならない仕事があるのだと思った。そんなことを考えると、自分の心は静まって、死が身近に感じられた。

蜂の静かな死や、鼠の生への努力を見て「あるがまま」でよいと考える。

二階の自分の部屋の脇が玄関の屋根に続いていてそこに蜂の巣があった。蜂は天気が良ければ朝から晩まで忙しそうに働いていた。まっすぐに細長い羽根を両方へ張ってぶーんと飛び立ち、咲いている花に群がっていく。よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。

ある朝、一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。

足を腹の下にぴったりとつけ、触角は顔へたれ下がっていた。生きている蜂たちは毎日、朝から晩まで忙しく、死んだ蜂には冷淡で気にする様子もない。三日ほどそのままになっていたが、雨が降り、一匹の蜂の死骸は雨に流されていき視界にいなくなった。その静かさに親しみを感じる。

それから間もないある午前、円山川から流れ出る日本海の見える東山公園へ行こうと宿を出る。あるところで橋や岸に人が立っていて、川の中に投げこまれた大きな鼠を見ていた。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとしている。

鼠は、首のところに七寸の魚串が刺し通されていた。

鼠は陸に上がり助かろうとするが、頭の上に三寸、喉の下に三寸、串が出ており串がつかえて上がれないところを子供や大人が、鼠を目がけて石を投げる。なかなか当たらず見物人は大声で笑っている。鼠は、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回っている。

自分は鼠の最後を見る気がしなかった。自分が願っている静けさの前には、ああいう苦しみがあるのが本当なのだと思った。自殺を知らない動物は死に切るまではあの努力をしなければならない。

自分の怪我も、致命的と言われた場合には、あの鼠と同じように、自分も努力をするだろうと思った。

今となっては、もしそうなったとしても、あまり変わらないようにも思う。傷が影響しても影響しなくても「あるがまま」でよいと思う。それで仕方のないことだと思う。

蠑螈の偶然の死で、生と死は一瞬の中にあり大きな差はない気がした。

それから暫くした夕方、小川に沿って上へ上へと歩いて行った。半畳敷ほどの石の上に黒い蠑螈いもりがいた。

蠑螈いもりを驚かして水へ入れようとして、小鞠こまりほどの石を取り上げ、投げた。狙うこともなく当たることなど考えていなかったが、蠑螈の反らした尾が静かにおりてきて両の前足の指がうちへまくれて前へのめっていった。石は思いがけなくも当たり蠑螈は死んでしまったのだ。

その気が全くないのに殺してしまった自分に嫌な気がした。全くの偶然で蠑螈にとっては全く不意な死であった。蠑螈の身になってその心持を感じた。可哀そうと思うと同時に生き物の淋しさを感じた。

死んだ蜂は、どうなったのか。雨に流されて土の下に入っていったろう。あの鼠はどうしただろう、海へ流されて水ぶくれになった体が海岸に打ち上げられたことだろう。

自分は、こうして生きている。感謝しなければならないと思った。しかし喜びの感じは湧き上がってこなかった。三週間いて、自分は城の崎を去った。

それから3年以上経ったが、脊椎カリエスになることだけは助かったようだ。

解説(ここを読み解く!)

療養先の城の崎で、心静かに蜂と鼠の死に「あるがまま」を想う。

部屋の窓から、蜂が一匹、死んでいるのを見ます。人間も同じかもしれない。

毎日、朝から晩まで休みなく働く人々の中で、死んでいく者。そして自然の体系のなかで葬られて、すると視界にはもう入らない。人々は日々の忙しさの中で死者に冷淡にならざるを得ないし、気を遣う時間も無い。そういうひとつの死を考えると確かに淋しいものだが、またそれは如何にも静かだと思う

死が極まった鼠が、生きようと努力するのを見ます。人間も同じことをするだろう。

自分が静かだと思う死の静寂の前には、苦しみや動騒どうそうがあり恐ろしいと思った。しかし、自殺を知らない動物は死に切るまでは生の努力をしなければならない、自分の怪我もあれに近いものだと思う。

自分の場合は、いろいろと自分で対応したし、致命傷でないことが分かり元気に快活になったが、致命傷であったにせよ、どちらにせよ本質的には、あの鼠と変わらないのではないか。そうならば「あるがまま」でよいと思う。

桑の葉が、一葉、風のないなかをヒラヒラヒラヒラとせわしく動きながら、風が吹いてくると、その動く葉は、ふっと動かなくなる。「生」と「死」の活動もそんなものだと思った。

生から死に向かう時間は不確実で、一瞬の偶然の差でしかないと思う。

自分は、偶然に死ななかった。蠑螈いもりは偶然に死んだ。

驚かそうと投げた石が、全く予想だにしなかったことに偶然にあたり蠑螈は死んでしまった。死は全く何の前触れもなく訪れることもある。さっきまでは生きていて、次の瞬間に死んでしまうように。

自分は偶然に死ななかった、感謝は必要だが偶然だと思うと、喜びの感じは湧き上がってこない。

人が生きていくことは、死に向かっていることでもある。その向かい方のなかに、さまざまな状態の違いがある。死の状態は確かに静かなものだが、死に向かう過程は、長く遠い間隔があるのではなく、生の感覚もあやふやなもので、ただ頭だけがはたらいている。

その意味では、生と死は両極端ではなく、遠いところにはないように感じる。

こころを静めたとき、「生」から「死」へ向かう、儚いときを感じた。

志賀直哉随筆集 (岩波文庫) | 志賀 直哉 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで志賀 直哉の志賀直哉随筆集 (岩波文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。志賀 直哉作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また志賀直哉随筆集 (岩波文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。

※志賀直哉のおすすめ!

志賀直哉『城の崎にて』あらすじ|生から死を見つめる、儚き思い。
志賀直哉『小僧の神様』あらすじ|少年の冒険心と、大人の思いやり。

作品の背景

志賀直哉の中期の作品である。明治、大正、昭和と日本が目まぐるしく動いた三つの時代を生きた小説家です。自由主義と人間愛を指向する白樺派の代表的な一人で、その作風は、写実的で、余分なものを省いた極めて簡潔なもので理想的な文章とされました。「城の崎にて」は 生きものたちの描写に死生観が細やかに描かれています。

1910年に『白樺』を創刊し、12年に実父との対立から広島県尾道に移住。13年に上京し素人相撲を見て、その帰りに山手線の電車に跳ね飛ばされる重傷を負います。東京の病院にしばらく入院して、その後、療養に兵庫県にある城崎温泉を訪れます。その事故の自らの体験を3年半後の16年に作品化、療養中に目に映る自然から生と死を観察しながら執筆した。

発表時期

1917年(大正6年)5月、白樺派の同人誌『白樺』にて発表。志賀直哉は当時、34歳。長い父との不和があり、14年に武者小路実篤の従妹と結婚をする。この結婚は、父との対立を極限とし志賀直哉は自らすすんで除籍され別の一家を創設する。そして17年の10月に実父との和解が成立している。それまでの心の生動は反抗と無関係ではなかったが、この事故で死と直面することで心の静まった描写となっています。