三島由紀夫『憂国』あらすじ|大儀に殉ずる、美とエロティシズムと死。

スポンサーリンク

概要>反乱の汚名を着せられた青年将校と、彼らの大義に自らも殉じる。死して生を輝かせるために命を捨てる武士道の精神。愛する若妻との最後の永遠の契りを交わし、様式美としての切腹を完璧に行う。死後半世紀、日本人とその民族の尊厳を世界に示す。

スポンサーリンク

登場人物

武山信二中尉
近衛歩兵一聯隊勤務、二・二六事件を起こした親友の逆賊の汚名に懊悩のすえ自害。
麗子
武山の夫人、軍人の妻としてなんどきでも死を覚悟することを黙契し夫君に殉ずる。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫) | 由紀夫, 三島 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで由紀夫, 三島の花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。由紀夫, 三島作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。

あらすじ(ネタバレあり)

昭和十一年二月二十八日、二・二六事件の二日目に、武山信二中尉は、親友が反乱軍に加入したことに懊悩を重ね、皇軍が相対する事態となる情勢に痛憤し、自宅八畳の間において軍刀にて割腹自殺を遂げ、妻の麗子夫人も夫君に殉じて自刃を遂げる。

中尉の遺書には只一句のみ「皇軍の万歳を祈る」とあり、夫人の遺書は「軍人の妻として来るべき日が参りました」と記されていた。中尉は享年三十歳、夫人は二十三歳。

武山信二と麗子は結婚し、軍人とその妻として死を覚悟の黙契を交わす。

結婚の記念写真は、軍服姿の中尉は軍刀を左手に突き右手に脱いだ軍帽を提げて、雄々しく新妻をかばって立っていた。新郎の凛々しい顔立ちと、新婦の白い打掛姿の美しさはたとえようもなく、写真を見た人々は美男美女ぶりに感嘆の声を漏らした。自刃の後、写真の新郎新婦は、間近の死を透かし見ているようであった。華燭の典を挙げてからわずか半年に満たなかった。

二人は、四谷青葉町に新居を構え、第一夜を過ごした。信二は、軍人の妻たるものはいつなんどきでも良人おっとの死を覚悟しておかねばならないと言い、妻は、懐剣かいけんを膝の前に置き黙契が成立した。

二人とも健康な若い肉体を持ち、その交情は激しかった。最初の夜から一か月を過ぎると麗子は喜びを知り、中尉もそれを知って喜んだ。これらのことはすべて道徳的であり、教育勅語の「夫婦相和シ」の訓えに叶っていた。

神棚には、皇太神宮の御札とともに、天皇皇后陛下のご真影が飾られ出勤前は深く頭を垂れた。厳粛な神威に守られ、身も震えるような快楽に溢れていた。

武山中尉は大儀に殉じ自らの死を決め、麗子の良人に従う覚悟に安らいだ。

二十六日の朝、惨劇の後、中尉は集合ラッパを聞き軍刀をもって雪の朝の道へ駆けだし二十八日の夕刻まで帰らなかった。麗子はラジオのニュースでこの突発事件の全貌を知る。

麗子は、中尉の顔に死の決意を感じ後を追う覚悟ができている。彼女は、ひっそりと身の回りの物を片づけた。脳裏に浮かぶ死は少しも怖くはなく、良人おっとの肉体と同じように快適な死へ連れて去ってくれるのを固く信じた。

麗子は良人おっとの友人の何人かが、決起した人々の中に含まれており、すでに死んでしまったことをラジオのニュースで知った。そしてそれは、はじめは維新のために決起したと見られたものが、反乱の汚名を着せられつつあることをつぶさに知った。いついくさが始まるか知らなかった。

二十八日の夕刻、帰ってきた中尉は、無精髭に覆われて別人のようにやつれている。頬が落ち、光沢と張りを失っている。

加納も、本間も、山口も、麗子もよく知る良人おっとの友人だった。彼らは新婚の武山をいたわり行動を伴にさせなかったが、明日にも勅命が下り反乱軍の汚名を着るだろう。

武山は部下を指揮して彼らを討たねばならず、そんなことはできないと言う。

麗子には、中尉は悩みを語っているのに逡巡がないこと、つまり死を覚悟していることが分かっていた。中尉は二日にわたる懊悩の果てに、我が家で美しい妻と心の安らぎを覚えた。妻が言外の覚悟をしていることがすぐにわかった。

自分の肉の欲望と憂国の至情はひとつのものと考え、至上の喜びを味わう。

中尉は「いいな、俺は今日腹を切る」と言い、麗子は「覚悟はしておりました、お供をさせていただきとうございます」と言う。中尉は「よし。一緒に行こう。但し、俺の切腹を見届けてもらいたいんだ。いいな」と言う。

目の前には苦痛も死もなく、自由な、ひろびろとした野が広がるように思われた。

中尉は、軍服を脱ぎ湯に入る。麗子は、火鉢の火加減を見、酒の燗の支度をする。中尉は、風呂で髭を剃り、温められた体が苦悩が癒されて、死を前にしながら楽しい期待に充たされているのを感じた。自分の肉の欲望と憂国の至情はひとつのものと考えた。

剃られた顔はふたたび美しく輝いた。その顔は、中尉の所有を離れ、軍人の記念碑の顔になっていた。

麗子は手早く顔を直していた。頬は花やぎ、唇は潤おいを増し悲しみの影はなかった。

「ここへ来い」と中尉は言った。それから麗子は良人に抱かれた。悲しみの情緒と喜悦きえつ、涙のしずくが次々と目尻から光って流れた。妻が風呂に入っている間、中尉は、肉の欲望が死に向かっているように感じられ、渾身の自由を味わった。

心も体も、さわぐ胸も、これが最後の営みだという思いに湧き上がった。

「お前の体を見るのも最後だ。よく見せてくれ」と中尉は言った。忘れがたい風景を心に刻んだ。

「見せて・・・私にもお名残りによく見せて」麗子は定かでない声音こわねで言った。

こうして二人は至上の喜びを味わった。若い美しい肉体の隅々までがひとつになった。

美しい妻の姿に、身を捧げてきた皇室や国家の幻を見るような気がした。

「さあ、支度をしよう」それは決然たる調子だが、温かな優しい声だった。水の流れるように淡々とそれぞれの支度にいそしんだ。

素肌の上に軍服をきちんと着た中尉が風呂からあらわれた。「皇軍万歳 陸軍歩兵中尉武山信二」とだけ書いた遺書が見られた。中尉は、軍刀を携え、麗子は白無垢の帯に懐剣をさしはさみ遺書をもって、神棚の前に並んで黙禱した。掛け軸の「至誠」はそのままにした。

中尉は、床柱を背に正座して軍刀を膝の前に横たえた。麗子は畳一畳いちじょうを隔て端座たんざした。

中尉は、押し殺した声で「介錯がないから、深く切ろうと思う。見苦しいこともあるかもしれないが怖がってはいかん。どのみち死というものは、傍から見たら怖ろしいものだ。それを見てくじけてはならん。いいな」と言った。「はい」と麗子は深くうなずいた。

中尉は、戦場の死と同等同質の死の姿を妻に見せるのだ。

妻の美しい目に、自分の死の刻々こくこくを看取られることは、香り高い微風に吹かれながら死に就くようなものである。

目の前の花嫁のような白無垢の美しい妻の姿に、自分が愛しそれに身を捧げてきた皇室や国家や軍旗や、それらすべての花やいだ幻を見るような気がした。麗子もまた、死に就こうとする良人おっとの姿を、この世にこれほど美しいものはなかろうと思って見つめた。

うなじをつらぬき血がほとばしり、青々とした刃先を立てて静まった。

「じゃあ、行くぞ」とついに中尉が言った。麗子は畳に深く身を伏せてお辞儀をした。

軍刀の尖を五六寸あらわし白布を巻き、軍服の襟のホックを外した。ボタンを外し、胸が、ついで腹があらわれ、右手に軍刀の白布握りをとり、鷹のような目つきで妻をはげしく凝視し、刀を前へ廻し、腰を持ち上げ、上半身が刃先へのしかかるようにして体に力をこめた。一瞬くらくらしたが、やがて意識が戻る。思わずうめきかけたが下唇を噛んでこらえた。

これが切腹というものかと中尉は思っていた。天が頭上に落ち、世界がぐらつくような感覚だった。麗子は、駆け寄ろうとする自分と戦っていた。とにかく見なければならぬ。見届けねばならぬ。それが良人おっとが麗子に与えた職務である。

中尉は、右手でそのまま引き廻そうとしたが刃先は腸にからまりながら全身の力を込めて引いた。三四寸切れた。ふと見ると、刃がすでにへその下まで切り裂いているのを見て、満足と勇気を思えた。ようやく右の脇腹まで引き廻したとき嘔吐が激痛を攪拌かくはんして傷口から腸が弾け出た。それは、健康な、いやらしいほど生き生きとした姿で、喜々としてすべり出た。肩で息をして、目を薄めにあき、口からよだれの糸が垂れた。

顔は生きている人の顔ではなかった。目はくぼみ、肌は乾いて、美しかった頬や唇は、土色になっていた。麗子は、良人の最期の、もっとも辛い、空虚な努力をまざまざと眺めた。ふるえる刃先がようやく裸の咽喉いんこうに触れ、最後の力で、いきなり刃へ向かって体を投げかけ、刃はうなじをつらぬき静まった。

麗子は、良人の信じた大義の苦味と甘味を自身も味わえることを喜んだ。

麗子は、火元をしらべ、ガスの元栓をしらべ、火鉢の埋火うめびに水をかけて消し姿見の前へ行った。化粧に時を費やした。頬は濃い目に赤をはき、唇も濃く塗った。

階段をあがると中尉は、血の海の中にうっぷしていた。のどから立っている刃先が、秀でているような気がする。中尉の屍のかたわらに座って、袖で唇の血を拭って、別れの接吻をした。

死骸から一尺ほど離れたところに座り、懐剣かいけんを帯から抜き、澄明な刃を眺め、舌をあてた。磨かれたはがねはやや甘い味がした。

麗子は、遅疑ちぎしなかった。良人おっとのすでに領有している世界に加わることの喜びがあるだけだった。麗子は、良人の信じた大義の本当の苦味と甘味を、今こそ自分も味わえるという気がする。

麗子は、咽喉元のどもとへ刃先をあてた。一つ突いた。浅かった。刃を横に強く引く、口のなかに温かいものがほとばしり血の幻で真赤になった。彼女は力を得て、刃先を強く咽喉の奥へ刺し通した。