梶井基次郎『檸檬』あらすじ|レモン爆弾が私の憂鬱を吹っ飛ばす快感

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解説>私の心をおさえつける得体の知れない不吉な魂のせいで、私の生活は蝕まれ街を彷徨する。店で見つけた一顆の檸檬の単純な色、匂い、重さ、形。この完璧な檸檬が私を重苦しい憂鬱から爽快な気持ちにしてくれる。色彩を思い描きながら読み進む感覚の世界。

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登場人物


京都に住み、身体の調子も悪く借金も気になり焦燥にかられる主人公

あらすじ(ネタバレあり)

得体の知れない不吉な魂とは何か。

主人公の私は、肺尖カタルや神経の衰弱、そして借金に追われる貧乏な生活を送っています。

それは、若さからくる将来への不安感、そこで引き起こされる焦燥感や嫌悪感。

なにか体にこびりつくような心身の疲労を通して、感受性だけが鋭く研ぎ澄まされていきます。

今まで自分が幸福に感じた美しい音楽や、美しい詩の一節にも、こころは休まることなく、街から街へ
彷徨い続けていきます。

私が、好きになったものは、花火。そして日常生活の中の色彩。

そんな私は、見すぼらしいけれど美しいものに、強くひきつけられます。

街ならば、よそよそしい表通りよりも、生活臭のある裏通りに、

雨や風にさらされ蝕まれ、やがて土に戻るような場所。

そこに、大きな向日葵やカンナが咲いていたりすると、尚更に良いと思えます。

住んでいる京都に、仙台とか長崎とか違う街の、違う風景を重ね合わせ、その幻想の中に、
自分を見失ってしますことを楽しんでいます。

そして、日常のちょっとしたものが好きになります。

例えば、駄菓子屋で売っている花火のセット、安っぽい絵具で赤や紫や黄や青が着色され、
縞模様が束になったもの。ねずみ花火が輪になっているのもなぜか心をそそられる。

また、びいどろの色ガラスで、鯛や花のデザインをほどこしたおはじきや南京玉。

びいどろを、なめた時のかすかな涼しい味、ほのかな爽やかな詩の美しさのような味覚を感じる。

安くて、贅沢で、美しく、媚びてくるものが、私を慰めてくれます。

生活が、蝕まれていないころには、丸善が好きだった。

以前の私は、書店の丸善が好きでした。

そこにあるヨーロッパから輸入された舶来のものや高級なもの。
かつては、赤や黄のオーデコロンやオ-ドキニン。

洒落た切子細工や、典雅なロココ趣味、浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。
煙管、小刀、石鹸、煙草などのデザインやフォルムなどの造形を見ていました。

それは、先進的でモダンでお洒落な象徴。そうして、高価な鉛筆1本を買う贅沢を楽しみました。

ところが今は、そんな丸善の全てが重苦しい場所になっています。

ふと果物屋に、檸檬を見つける。私は、あの檸檬が好きだ。

私は、駄菓子屋や乾物屋を過ぎ、果物屋で足をとめます。

その果物屋では、黒い漆の台の上に果物が、彩り豊かにボリュームたっぷりに並んでいました。

夜は、周囲の飾窓の光をさえぎり、そこだけが暗く、店頭の電燈が驟雨のように果物に浴びせかけられ、絢爛で、ひときわ美しかった。

そしてそこに、珍しく檸檬があった。私は、あの檸檬が好きだ。

レモンイエローの絵具をチューブから搾り出して固めたような単純な色、丈の詰まった紡錘形の恰好。

私は、檸檬をひとつだけ買います。

檸檬を握った瞬間から、幸せな気持ちになった 。

そうすると、あの不吉な塊が、檸檬を握った瞬間から緩んできてとても幸福になりました。

肺を病み、熱を帯びた身体に、浸み透っていく檸檬の冷たさが、とても心地よかったのです。

鼻に近づけ匂いを嗅ぐと、生産地カルフォリニアを思い起こし、強い匂いが鼻を刺激します。

ふかぶかと胸いっぱいに、匂やかな空気を呼吸すると、病気の身体が元気になるようでした。

そうして、幸せな気分で街を軽やかに興奮に弾んで闊歩します。

丸善に入り、檸檬の爆弾を仕掛ける 。

丸善の前に来ます。平素は避けていたのだけれど、その時はずかずかと入って行きました。
そうすると、今まで私の心を満たしていた幸福な感情は、まただんだん無くなっていきます。

香水にも、煙管にも心は向きません。
集の棚でも、重たいものを取り出すのがつらい。

以前は、あんなに私をひきつけた画本にも興味がなく、手当たり次第に画本を積み上げ、
奇怪で幻想的な画集の城をつくりました。

そして頂に檸檬を据え付けてみます。

檸檬の色彩は、ガチャガチャした色の諧調を、紡錘形の中へ吸収し、カーンと冴えかかっていました。

私は丸善の棚へ、黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて出ていきます。

評価(おすすめポイント!)

不吉な魂で彷徨うなかで、発見する懐かしい色彩感。

不吉な塊とは、梶井基次郎の肺結核からくる死への不安や借金苦、あるいは、なかなか得られなかった小説家としての評価などもあるのかもしれません。

この塊は、街をさまよいます。

これまでは、丸善の舶来ものの造形美が趣味で憧れでした。それが今では、全くそそられません。
より普通だったり俗っぽいもの、自然や日常のモノにある色彩の感覚に寧ろ安らぎを感じます。

小さいころの遊び道具や、京都の伝統の祭りや行事のなかの色彩が、美しく頭の中を巡っていきます。

そして、街を彷徨している中で、夜の闇に、ぽつりと佇む果物屋を見つけ、そこに檸檬がありました。

ひとつの檸檬の色や形、重さに心身的な安らぎを感じます。

檸檬は、全てを凝縮してくれた完璧なものだったのです。

檸檬の一顆で、紛らわされる不可思議な快感。

檸檬のもつ単純な冷覚や触覚や視覚、そして重さが、病んだ精神や肉体をとても癒してくれます。

かつて耽溺した画集などは、触り見ることも億劫で、画集を積み上げ、城に見立て、その頂に檸檬を
据え付けて出ていきます。

それは秘かに、豊かさや舶来の象徴としての丸善を無きものにする企みでした。

10分後、気詰まりな丸善が爆発するのを連想しとても愉快な気持ちになります。
そして活動写真の看板画が、奇体な赴きで街を彩る京極を下っていきます。

檸檬に、世の中の全ての不吉なものを閉じ込めて、その全てを幸せに凝縮して吹き飛ばす不思議。

何という無邪気なたくらみ、そして美しいたくらみなのでしょう。

梶井基次郎著「檸檬」色彩を楽しみ五感で感じながら読みたい作品です。

作品の背景

『檸檬』の原型は、1924(大正13)年に書かれた習作『瀬山の話』。その後の三高時代の自身の内面をまとめてみたり、以前の日記の中の草稿などから「檸檬」として独立させます。梶井の代表作というだけでなく、感覚世界を強く描き出したところは日本文学の傑作として小林秀雄、鈴木貞美、三島由紀夫など多くの作家たちに評価されています。登場する果物店「八百卯」も「書店・丸善」も今は無いが実在した。

発表時期

1925(大正14)年1月、同人誌『青空』に掲載。梶井は24歳の時。その後、単行本として1931(昭和6)年5月、31歳の時に武蔵野書院より創作集『檸檬』刊行。この表題作、中に17編の短編が収録されている。