川端康成『骨拾い/掌の小説』あらすじ|冷徹な眼が、虚無を見る。

十六歳で訪れた最後の肉親である祖父の死。通夜に青い人玉が飛び立ち、焼き場で骨を拾う。燃え屑の温気が強く、いやな臭いがする。生と死。とうとう一人になった私のことを、村人たちは好奇心をまじえ同情する。悲しむのは私だけだろう。そうして今、五十一歳になる私はまだ生きている。

登場人物


十六歳で経験した祖父の死を十八歳で書き残し、五十一歳で文章を整え再び読んでいる。

祖父
私の最後の肉親で、盲いた眼で侘しい介護生活を送るが病気で亡くなり荼毘に付される。

あらすじ

主人公の私は、十六歳の時に祖父の死に際し喪主として葬儀を執り行う。その情景を十八歳のときに思い起こし描写する。時を経て五十一歳になった私が改めてそれを読み、少し文章を整えながら写し取ったものが『骨拾い』である。

最期の肉親である祖父との別れ、骨拾いの日に見た静かな死の世界。

両親を失い、姉を失い、祖母も失った川端にとって祖父・三八郎は、最後の肉親であり長い介護の後に死を迎えている。

七月の暑い夏の日の葬儀は、看病ずくめの苦労や喪主としての責任もあり精神も肉体も疲労困憊している。私は鼻血を出して気を失い白昼夢の中にいる。その鼻血は祖父の死が、私にもたらした痛みであるように感じた。

真夏の強い光の中で、冷たく静かな死の世界を描く。

谷にある二つの池。下の池は銀をかしてたたえるように光を放つ。上の池はひっそりと山影を沈めて死のような緑が深い。生と死の強いコントラストを捉える。

鼻血が草むらや笹に落ちしずくが動き出そうとする、まさに幻想である。

日光は直接には射し込まないが、日光を受けた緑の裏がまぶしい。油蝉が鳴きしきり、みんみんが叫び出す。眩しく騒がしい山の喧騒のなかでこそ静寂を感じる。ここは現実と黄泉の境なのか。異次元の時空が止まった瞬間のようだ。

この「針一本落としても崩れそうな、七月の正午前」の描写は、まさに後年の川端文学を象徴する末期の眼で見た世界の入り口だろうか。

蝉の喧騒、緑の圧迫、土の温気うんき、心臓の鼓動が頭のなかの焦点にかたまり発散していく。そして空に吸い上げられるようだ、とある。

この『骨拾い』の最初の文章は、祖父の骨拾いの時の幼い川端が見た情景だ。

淡々と続く通過儀礼の中、十六歳で孤児となった心象風景を描く。

墓場からの出入りのばばあの呼ぶ声で、朦朧もうろうとした気分から私はぎくんと立ち上がり、祖父のお仏が上がった焼き場に戻り、骨拾こつひろいを行う。

ここからは儀式の流れと心象の描写が続く。生を受けて、死を迎えた。通夜のとき、魂は青いほのおの人玉となって天空に、肉体は荼毘にふされ骨は墓に眠る。

主人公は孤児となった心境を、その通過儀礼のなかに噛みしめる。

渋紙しぶがみをもみつぶしたようなてのひらの上の白紙に、喉仏のどぼとけがのせられ幾人かの眼が集まる。焼けた骨の中から喉仏を探し骨箱に入れる、故人が生きた証を最後に再確認する作業、他の骨を次々に入れていく。

私は思う。「なんてつまらないことだ」と、祖父がめしいた眼に喜びをたたえ外から帰ってくる私を待つ姿を想いうかべる。そして今まで見たこともない小母おばが立っているのを不思議がる。

皆で墓に向かう、村の墓場とは別のところにある石塔の並んでいる家の墓に来たときに、

「私はもうどうでもよい。ごろりと転がって青空を呼吸したかった。」とある。

喪主としての役割をだいたい終え、通夜を執り行い、火葬を仕切った安堵とともに緊張がほぐれたのか、あるいはついに天涯孤独の身になったことの諦観の境地に入ったのか。

祖父の骨はいちばん高い石塔のところの深い穴に入れられた。骨壺の深く落ちる音がした。

あんな石灰質を先祖の跡に入れたとて、死んではなにもない。忘れられていく生。

心の思いである。主人公の私は骨を石灰質と呼んでいる、物質なのだ。死んでしまえば人は忘れられていくだけだ。

ばばあは石塔に水をかけ、線香は煙っているのに強い日光のせいで影がない。花が萎れている。皆が瞑目めいもく合掌する。

ひととおり儀式は終わる。私はまた頭がふうっとなる。

お祖父さんの生―死。

私は右手に持った骨壺を力強く振ってみる。からからと骨が鳴った。

旦那はお気の毒な人だった。お家のためになった旦那だった。村に忘れない人だ。そんな祖父の話を、人々が帰り道で口々に言う。

止めてほしい。悲しむのは私だけだろう。

参列者が引揚げて家に残った身内連中も、残された私がこれからどうなるのかと、同情のうちにも好奇心をまじえているように思われる。

Amazon.co.jp: 掌の小説(新潮文庫) eBook : 川端康成: 本
Amazon.co.jp: 掌の小説(新潮文庫) eBook : 川端康成: 本

解説

川端の末期の眼が、十八歳のときから生き続けている。

小説の最後に、川端が五十一歳のときにこの十八歳の文章を少し整えながら写し取ってみたという後書きのようなものが続いており、そこに、

自分では十八歳の時のものを五十一歳で写し取っていることに、いくらか興味がある。まだ生きていることだけでも。とある。

そしてこの「骨拾い」の前に「故郷へ」という文章を書いており、つながりのある部分が紹介される。

そこには祖父がいた村を「お前」と呼びかけているが、そのお前(=村)に向かってあれほど固く誓ったのに家屋敷を売ることに承知し、家から長持ちや箪笥が商売人の手に渡り、家は貧しい渡り者の宿となり、その後は燐家の狂人を入れる牢に使われた、とある。

土蔵のなかのものは盗まれてゆき、墓山は削り取られ、祖父の三回忌もが近づいているのに、

仏壇の位牌は鼠の小便にころがっているだろう。と最後に締めくくられる。

自伝的な小説であり、情緒に流されることなく冷静に鋭くものごとを見ているが、家や村の共同体から孤絶され、風化してしまうことを覚悟している強い喪失感である。

そして川端は天涯孤独な境遇となり、虚無感を抱かせると同時に「霊魂」の存在を願わずにいられなくなる。川端自身が自ら<孤児根性>と蔑みながら鋭敏な感受性を持つようになる。

そして十九歳(大正六年)で一高生となり、翌年にこの<孤児根性>の自分を「憐れむ念」と「厭う念」のなか伊豆の旅をして、湯ヶ島の思い出とその後の初恋、伊藤初代の破婚の苦悩のなかで<孤児根性>を克服する『伊豆の踊子』が生まれる。

処女作『十六歳の日記』や『葬式の名人』にみる川端の幼少から少年期。

川端少年の境涯は、康成が二歳の時、父・栄吉が結核で亡くなり、三歳の時に同じ病気で、母・ゲンが亡くなる。幼い時に両親を亡くし祖父母にひきとられる。しかし七歳の時に、その祖母が亡くなった。また康成が十一歳のとき叔母に預けられていた姉・芳子が十四歳で亡くなった。ここで、康成の唯一の肉親は祖父だけとなる。(*年齢は数え年)

中学一.二年生から小説家を志し処女作とする『十六歳の日記』は、祖父の死の予感におびえ写しておきたく書いたものとしている。寝たきりの祖父と二人暮らしである。白内障で盲目の祖父は、耳も遠くなり寝返りもできない。祖父への少年らしい愛情と死への嫌悪が描かれる。川端はこの『十六歳の日記』を唯一の真摯な自伝であるとする。

そして祖父・三八郎が七十三歳で亡くなる。川端は<私は父母の命日を覚えず、弔う気持ちもないけれども、この祖父の墓だけは私の胸にある>と語っている。

この時のことを『こつ拾い』として十八歳で書き、五十一歳で少し文章を整え写し取った。

祖父の葬儀の日、多くの弔問客の最中に突然鼻血を出し、裸足のまま庭に飛び出し樫の木陰で仰向いて血の止まるの待った。翌日の火葬の時も再び鼻血が出て帯で鼻を押さえて山へ駆けたという。出血がなかなか止まらず、草の葉にぽとぽと落ちて黒い帯と手が血だらけになった。

『葬式の名人』のなかでも、「鼻血が出たのは生まれて初めてと言ってよかった」とある。祖父の死から受けた心痛で鼻血が出て、気が挫け自分の弱い姿を見せたくなく、喪主の自分が出棺近くにこのていでは皆にすまないと無意識で飛び出したとある。

『末期の眼』については、芥川龍之介の<遺稿>のなかにある。

自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るからである。

親交の深かった小林秀雄は、川端のこの日記を「川端自身が一番優れた鑑賞者である」とし、「少年がただ真摯に生きてるという最小限の才能を以って描き出したものが、人間の病や死や活計の永遠の姿であるとは驚くべきことではないか」と評した。

※掌の小説をもっと読む!

『骨拾い』あらすじ|冷徹な眼が、虚無を見る。
『白い花』あらすじ|死を見つめる、桃色の生。
『笑わぬ男』あらすじ|妻の微笑は、仮面の微笑みか。
『バッタと鈴虫』あらすじ|少年の智慧と、青年の感傷。
『雨傘』あらすじ|傘が結ぶ、初恋の思い出。
『日向』あらすじ|初恋の思いと、秋の日向。
『化粧』あらすじ|窓から見る、女性の本性。
『有難う』あらすじ|悲しみの往路と、幸せの復路。

作品の背景

川端は「大半は二十代に書かれている。多くの文学者が若い頃に詩を書くが、私は詩の代わりに掌の小説を書いたのだろう、若い日の詩精神はかなり生きていると思う」と述べています。大正末期に超短編の流行があったが永続はせず、川端のみが洗練された技法を必要とするこの形式によって、奇術師と呼ばれるほどの才能を花開かせます。

大正十二年から昭和四、五年に至る新感覚派時代で作品の大半はこの時期に書かれています。内容は、自伝的な作品で老祖父と初恋の少女をテーマにしたもの、伊豆をテーマにしたもの、浅草をテーマにしたもの、新感覚派としての作品、写生風の作品、さらに夢や幻想の中の作品など幅広い。

発表時期

1971年(昭和46年)、『新潮文庫』より刊行される。「掌の小説」(たなごころのしょうせつ)あるいは(てのひらのしょうせつ)とルビがふられる場合もある。川端が20代のころから40年余りに亘って書き続けてきた掌編小説を収録した作品集。短いもので2ページ程度、長いもので10ページに満たないものが111編収録される。改版され全総数は127編になる。