小林多喜二『蟹工船』あらすじ|地獄の虐使に、決起する人々。

スポンサーリンク

概要>「おい地獄さ行ぐんだで!」人権を剥奪され蟹工船に従事する人々の非人間的な生活と、その苦悶の連続から発生した未組織労働者のストライキの経緯を過酷な船内の描写とオホーツク海の荒涼たる漁場での死闘を通して伝えるプロレタリア文学の傑作

スポンサーリンク

登場人物

蟹工船で北洋漁業に向かう人々
東北や北海道の貧困層から主に募集された百姓、坑夫、漁師、土方、学生、貧民街の少年。
蟹工船でストライキを先導する代表たち
学生あがりが二人、吃りの漁夫、「威張んな」の漁夫、芝浦、火夫、水夫などの面々。
監督
浅川という名前で、会社側の人間として非情なまでに蟹工船の漁夫たちを酷使する。
船長
船を運航する責任ある立場だが、会社の意向を剥き出しの浅川に逆らえない。
会社側の人々
監督、船長、雑夫長、工場長など会社側の人間で、蟹工船に乗り込み指図する。
駆逐艦の人々
オホーツク海での蟹工船の操業を護衛し、国策最優先でストライキを鎮圧する。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) | 小林 多喜二 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
Amazonで小林 多喜二の蟹工船・党生活者 (新潮文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。

あらすじ(ネタバレあり)

国家の一大事業と鼓舞され、蟹工船には貧しい人々が乗り込んで来た。

「おい地獄さぐんだで!」蟹工船「博光丸」は出航しようとしていた。

この漁に乗り込む人々は、漁夫と雑夫たちである。皆、貧窮な人々だった。

雑夫は、十四、五の少年で、学校に行けない函館の貧民窟の子供たちや、南部岩手や秋田出身の母親に連れられた身分の貧しい百姓の子供たち。漁夫には、秋田、青森、岩手から来た「百姓の漁夫」も多かった。皆、食えずに、追われてくる者たちだった。

彼らは「金を残して」内地くにに帰ることを考えているが、陸を踏むと函館や小樽で金を使い果たし、内地くにへ帰れなくなる。すると雪の北海道で「越年おつねん」するために自分の身体を安い値でまた売る。それを何度も繰り返しているのだった。

夕張炭鉱で七年も坑夫をした男は、ガス爆発事故で坑道の壁がふさがれ仲間が死に、自分も危うく死にそうになり鉱山から漁の仕事に流れてきたが、蟹漁の厳しさも同じようなものであった。

他に職工たちもいた。春になり仕事がなくなるとカムサッカへ出稼ぎに出た。どっちの仕事も「季節労働」だった。漁夫の仲間には、北海道の奥地の開墾地や、鉄道敷設の土工部屋、食いつめた「渡り者」や酒だけ飲めればいいというような者もいた。

こういうばらばらな者たちを集めることは、雇う側にとって都合が良かった。当時、函館の労働組合は、共産主義運動のため蟹工船、カムサッカ行きの漁夫のなかに組織者をいれることに死に物狂いであった。

「サロン」には、「会社のオッかない人、船長、監督、警備にあたる駆逐艦の御大、水上警察の署長さん、海員組合の人間」がいた。

漁夫たちの居場所は船底の薄暗い悪臭がただよう「糞壺くそつぼ」の穴だった。区切られた寝床にゴロゴロと人間が蛆虫うじむしのようにうごめいて見えた。

漁業監督を先頭に、船長、工場代表、雑夫長がハッチを下りて入って来る。

監督の浅川が、「この蟹工船の事業は、国家の一大事業で、日本帝国人民と露助の一騎討ちの戦いであり、日本国内の行き詰った人口問題、食糧問題に対して重大な使命を持っている。この大きな使命のために帝国の軍艦も守ってくれる。今流行りの露助の真似をして、共産主義運動を真似するものは日本帝国を売るものだ。よく覚えておくように」と口を切った。

秩父丸を救助せず乗員を見殺し、学生上がりは他人事ではないと思った。

ずっと遠い右手に祝津の燈台が見えた。留萌の沖あたりから雨が降り出してきた。

稚内に近くなりうねりが出て来て、せわしなくなった。宗谷海峡に入った時はギク、シャクした。風は益々強くなり、マストは釣竿のようにたわみ、波は船に暴れこんできた。

オホーツク海へ出ると、海の色はもっと灰色がかり、寒さが刺し込んできた。函館から出帆した他の蟹工船は離れ離れになっていた。

蟹工船は母船で、川崎船を八隻のせていた。この船で蟹漁をする。船員も漁夫も、川崎船が波に取られぬように縛りつけるために自分等の命を「安々」と賭けねばならなかった。カムサッカの海は、「よくも来やがった」と待ち構えているように見えた。

仕事が終わると、皆は「糞壺くそつぼ」の中に順々に入り込んできた。

今朝の二時頃だった。秩父丸からのSOSに船長が助けようとすると、監督の浅川が「この船は会社の船だ。あんな船に関わりあっていると一週間もフイになる。一日も遅れられない。秩父丸には保険がかけてある。沈んだって、かえって得するんだ」と云った。

船長は、何も言えず立ちすくんでいるだけだった。

「乗務員四百二十五人。最後なり。救助される見込みなし。SOS、SOS」 無電室の受信機の音が切れてしまった。

学生上がりは、同じように見殺しにされる自分たちのことが脳裏によぎった。

蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホーツク海で死ぬことなどは、丸ビルの重役には、どうでもいい事だった。資本主義は金がダブつくと、どんな事でもする。船一艘いっそうでまんまと何十万円が入る蟹工船、彼等が夢中になるのは無理がなかった。

蟹工船は、「工船(工場船)」であって「航船」ではない。航海法は適用されなかった。日露戦争で使われた病院船や輸送船など老朽化で沈没させるしかないようなボロ船であった。そして蟹工船は純然たる「工場」だった。だが工場法の適用は受けていない。これほど都合良く勝手にできることはなかった。

学生上がりは「他人事ひとごとではないぞ」と思った。

行方不明になった雑夫に、監督の浅川は “ 雑夫、宮口を発見せるものには、バット二つ、手拭一本を、賞与としてくれるべし。” と煙草ほどの懸賞をかけた。

監督の浅川のやり方に、漁夫たちは次第に殺意を募らせていった。

沖合四カイリのところに博光丸はいかりを下した。三浬までロシアの領海なので、それ以内に入ることは出来ない「ことになっていた」・・・。違法操業である。

何時いつからでも蟹漁が出来るように準備が出来た。

周旋屋に騙されて、連れてこられた東京の学生上りは、「秩父丸が沈没したとの無電が入ってきた」という監督に対して、「自分が手をかけて殺した四、五百人の労働者の生命のことを平気な顔で云う、海にタタキ込んでやっても足りない奴だ」と思った。

その後、行方の分からなかった雑夫は発見されて、便所へ押し込まれ酷い折檻を受けた。

「兎が飛ぶどォ、兎が!」カムサッカの「突風」の前ブレだった。漁に出ている川崎船が、時化しけのなかを戻って来る。

監督の浅川は、××丸から「突風」の警戒報を知っておきながら、川崎船を出したのだった。「人間のいのちを何だって思ってやがるんだ!」と漁夫が云った。

興奮した漁夫のいろいろな顔が、瞬間々々、浮き出て、消えた。「浅川の野郎ば、なぐり殺すんだ!」

「浅川はお前達をどだい人間だなんて思っていないよ」と漁夫のひとりが云った。皆は暗い顔に、然しどうすることもできずにジリジリ興奮を浮かべて立ちつくしていた。

二艘の川崎船が帰ってこなかった。翌日、捜索方々、本船が移動することになった。

川崎船が、なかなか見つからないなかで、監督の浅川は、第一号ではないもっと新しい第36号と番号を打たれた××丸のものを引いていき、第36号の「3」をカンナで削り「第六号川崎船」として哄笑こうしょうした。

行方不明になった川崎船は帰ってこなかった。

「浅川のせいだ。死んだとわかったら、弔い合戦をやるんだ」図体の大きい、北海道の奥地からやってきた男だった。「奴、一人くらいタタキ落とせるべよ」若い、肩のもり上がった漁夫が云った。

「うっかりしていれば、俺達だって奴にやられたんだで。他人ごとでねえんだど」最初の男が云った。「万事、俺にまかせれ、その時ァ!あの野郎一人グイとやってしまうから」すると皆は黙った。

難破した人々は、ロシアのプロレタリアの団結の話を興味深く聞いた。

三日して突然、行方不明の川崎船が、元気よく帰ってきた。

カムサッカの岸に打ち上げられていたところを、ロシア人に救われたのであった。

ロシアの家族に親切にされ、帰る日に四五人のロシア人が話し、その中に支那人が一人交っていて片言かたことの日本語でしゃべりだした。

ロシア人の話を支那人が身振り手振りで話す、話は以下のような内容であった。

・日本人の貴方たちは、貧乏人だ。だから貴方たちは、プロレタリアである。

・日本人の金持ち、だんだん大きくなっていき、貴方たちは、どうしても貧乏人のまま。

・日本の国は、働く人が病人のようで、働かない人が、偉そうにしている。

若い漁夫は「そうだ」と云って、笑い出した。

・ロシア人働く人が、偉そうにして、働かない人が、乞食のような格好をする。

・ロシアの国は、働く人ばかりで、働かない人はいない。

・ロシアは、ずるい人いない。人の首しめる人いない。

漁夫たちは、これが恐ろしい「赤化」ではないかと考えた。が、馬鹿に「当たり前」のことであるような気が一方でした。

支那人はさらにロシア人同志の言葉を、日本語にして話した。

働かないで、お金儲ける人いる。プロレタリア、いつでも首をしめられる。プロレタリア、貴方たち。一人、二人、三人、百人、千人、五万人、十万人団結して強くなる。

プロレタリアいない、みんな、パン無い。みんな死ぬ。日本、働く人、やる。

船頭は、これが「赤化」だと思っていた。皆は、その話を「もっともっと」と興味深くうながした。

蟹工船で働く人々は皆貧しく、資本家の虐使は思いのままを極めた。

本船が他の船に負けていると、監督や雑夫長は、「船員」と「漁夫、雑夫」との間で、仕事の上で競争させるように仕組んだ。お互いは競争意識を持ち、監督はそれを喜んだ。しばらくして仕事の効率が落ちると、監督はなぐりつけた。

今度は、勝った組には「賞品」を出し、一番少ないものに「焼き」を入れることにした。鉄棒を真赤に焼いて、身体にあてるのだった。監督は、人間の身体の限界をよく知っていた。

彼等は、ふと「よく、まだ生きているな」と自分で自分の生身の身体にささやいた。

学生上がりは、一番こたえていて「ドストエフスキーの死人の家だって、ここから見れば大したことでない気がする」と思った。

「何だか、理屈は分からなども、殺されたくねえで」皆の気持ちがそこに雪崩なだれて行く。

「お、俺たちの。も、ものにもならないのに、く、糞、こッ殺されてたまるもんか!」どもりの漁夫が、急に、大きな声を出した。

船頭が、「おいおい叛逆てむかいなんかしないでけれよ」と云った。

「国道開拓工事」「灌漑工事」「鉄道敷設」「築港埋立」「新鉱発掘」「開墾」「積取人夫」「にしん取り」・・・ほとんどの漁夫が、いずれかをやってきた。

内地では市場も大体開拓されつくして、資本家は「北海道・樺太へ!」進出した。そこは、朝鮮や台湾と同じように資本家たちによる「虐使」ができた。堪えられなくなり逃亡すると虐待されて殺される。

北海道の開発は、鉄道も築港も鉱山でも、こうした「死骸」や「人柱」によるもので、「国家的」富源の開発という言葉で合理化していた。

また「入地百姓」という北海道には移民百姓がいて、内地の貧農を煽動して移民を奨励しておきながら、普通の畑になると資本家のものになって、百姓は「小作人」になる。そこで始めて騙されたことを知る。

蟹工船にはそういう自分の土地を「他人」に追い立てられた者が沢山いた。内地では労働者がひと固まりになって、資本家に反抗している。しかし「殖民地」の労働者は、完全に遮断されていた。

「どうなるかな?」「殺されるのさ」「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」吃りがブッ切ら棒にいった。